<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
慟哭の獣
------<オープニング>--------------------------------------
これから酒場が賑わい始めるという夕刻。
薄暗がりの中に酒場に酷く不釣り合いな姿があった。
エスメラルダは首を傾げつつ入口付近に立つ人物の元へと歩き出す。
「どうしたんだい?お嬢ちゃん」
「ぁっ………アタシ……」
「ん?何か困りごとかい?」
エスメラルダの言葉にピンクの髪を揺らし少女は頷いた。
「アタシ……フィーリアと言います。大切な……ものをなくしてしまって。それがないと友達の側にも行けなくて……」
「無くしたものは?」
「……笛なんです。透明な笛。いつもその笛を吹いて友達に語りかけていたのに、それが今日起きてみたら無くなっていて。それがないと……あの子は暴れ出してしまって手に負えなくなるんです。だからその前に……」
どうも要領を得ない。
「ちょっと待って。無くしたものは笛。それであんたの友達はその笛がないと暴れ出してしまうって一体どういうこと?」
言いにくそうにしていたが、フィーリアは話し始める。
「アタシの友達のギミアは魔獣なんです。そしてその笛の音が本来気性の荒いギミアを鎮める働きをしていて。だからそれがないとギミアは暴れ出し、繋がれた鎖も引きちぎってエルザードの街を破壊してしまいます。そしてすでに鎖は切れてしまいました。ギミアがやってくるのも時間の問題……だから…お願いします。笛が見つからなかったら……荒れ狂うギミアを助けてやって下さい。あの子は苦しさに泣いているんです。だから……」
助けてやる=死を…ということだろうか。
「おいおい、それってかなりの緊急事態じゃないか」
エスメラルダはまだ人の集まっていない黒山羊亭にいる人々全員に声をかけた。
------<胃痛の種>--------------------------------------
キリキリと傷む胃を押さえつつ、テオ・ヴィンフリートは黒山羊亭のドアを開けた。
まだ早い時刻だったが、今は動くのも億劫でとりあえず何か飲もうと黒山羊亭へとやってきたのだった。
いつも一緒に行動している相方のおかげで、本人は至って普通に暮らしているはずなのに苦労が絶えない。
ことある事に問題を起こす相方のフォローをしつつ、テオは健気に生きてきた。
今日も今日とて広場で騒ぎを起こした相方の尻ぬぐいをしてきたのはテオだった。
当の本人は我関せずと行った様子でさっさと帰ってしまい、後片づけを最後までしたのもテオ、人々から非難の視線を浴びせられたのもテオだった。
毎度のことではあるがとんでもない星の下にテオは生まれてしまった様だ。
ぐったりとした様子で入ってきたテオを見てバーテンは首を傾げる。
いつもよりテオのぐったり加減が酷い様に思えたのだ。
「こんばんは、テオさん。いらっしゃいませ」
今日は早いんですね、とにこやかな笑みでテオに声をかけるバーテン。
その声に気づきテオは、あぁ、と曇らせていた表情を和らげた。
カウンターに座り、いつもの、と注文する前にバーテンがすっとグラスをテオの前に置く。
常連客の好みを把握している有能なバーテンだった。
「流石だな」
そう告げるとバーテンは苦笑する。
「そんなこと無いですよ。でも今日は一段とお疲れのようですね」
はははっ、と乾いた笑いを見せテオは明後日の方向を見つめる。よっぽど嫌なことでもあったのだろう。
「まぁ、それなりに大変だったがな、終わったことだし…」
「そうですか。まぁ、ゆっくり飲んで疲れを癒していって下さい」
愚痴ならいくらでも聞きますよ、とバーテンは笑う。
そうだな、とテオも小さく笑いグラスに手をかけた。
テオがグラスを傾けエスメラルダが酒樽を数え奥の部屋から戻ってきた時、酒場には不釣り合いな少女が黒山羊亭の入口付近に立っていた。
エスメラルダが声をかけると少女がとんでもないことを口走る。
しかしそれは決して嘘を付いている様な響きではなかった。
テオもそれとなくエスメラルダと少女の会話を聞く。
どうやら魔獣がエルザードを襲うという話らしい。
随分と穏やかではない。
エスメラルダがまだ人が集まっていない店内で声をあげるのを聞いてテオは腰を上げる。
「テオさん…お疲れなんじゃ?」
バーテンの声にテオは豪快に笑う。
「つくづく俺は面倒事が好きな様だ」
「それでは気をつけて。帰ってきたら特別一杯サービスしますよ」
奢りです、と笑うバーテンに軽く手を挙げてテオはエスメラルダの元へと向かった。
------<少女と魔獣>--------------------------------------
テオはエスメラルダと少女、フィーリアに声をかける。
「魔獣の本質は名の通り「魔」だからな、抑制がなくなり本能のままに暴れだしたということか」
「あぁ、テオ。随分早くきてたんだね。でも丁度良かった。…聞いての通りだよ」
はぁ、とエスメラルダは不安そうに溜息を吐く。
「ギミアは……悪くないんです。笛を無くしてしまったアタシが…」
俯いたフィーリアの頭をぽんと撫でつつ、テオは告げる。
「とりあえずは先にギミアの方を押さえた方が良いな。生憎と俺は捜し物は得意じゃないんでね」
テオはフィーリアからギミアが繋がれていた場所から、エルザードまでの道筋を尋ねる。
フィーリアはエスメラルダが用意した地図を指でなぞりテオに示した。
ギミアが繋がれていた場所からエルザードまで一直線。距離にしても遠くはない。
「まずいな」
テオは手早く式神で作り上げた鳥をギミアが通ると思われる道筋に飛ばし警戒に当たらせることにする。
術で作り出された鳥は、壁など無いに等しいものなのかそのままぶつかることもなく壁に溶け込み己の任を果たすため飛び立った。
それを見届けてからテオはもう一度フィーリアに向きあう。
「さてと。ギミアを鎮めるための笛だがいつそれを手にしたんだ?」
「えっと……アタシの家に昔からあったものです。アタシの家系はその笛でギミアを代々鎮める祈りを捧げてきました。そしてそれは極秘に行われていたことだったので知っているのは親戚、もしくは付近の人たち位……でも…近くのおじいさん達はとても親切で、そんなことするようには…」
それを聞きテオは難しい表情で顎をさする。
魔獣を鎮める笛は売買の対象になると思われる。盗まれた線が有力かと思われたが、近所のものの犯行ではないとフィーリアは言う。
しかし、もし盗んだのが親戚であればどうだろう。
「笛は何か特殊な者しか扱えないとかそんなことはあるのか?」
思いついたことを尋ねてみるとフィーリアから予想以上の答えが返ってきた。
「えぇ。あの笛はアタシの一族の血に反応するんです。その血と呼応して笛の音が鳴る様になってます。だから、アタシの一族しかその役目を果たせないんです」
どうやら当たりの様だ。
街を簡単に破壊できるような魔獣を制御出来ないのに世に放つのはただの馬鹿がすることだ。自分の身も危険に晒されることになる。
それならばその魔獣を制御出来る人物がその笛を盗んだのに違いない。
自分だけは高みの見物ということだろう。
その時、テオの元に式神からギミアを発見したとの知らせが入る。
テオはフィーリアに此処にいる様に告げると黒山羊亭を飛び出した。
そして左腕に封じてある魔犬を一時的に解放し、姿を表した大きな黒い魔犬に素早く飛び乗り式神の元へと向かう。
魔犬は賑わい始めたベルファ通りをあっという間に駆け抜け、エルザードの街境までやってくる。
耳元で風が唸り、そして前方から邪なものの気配を伝えてくる。
式神にはギミアを押さえておくだけの力は全くない。
式神がギミアを発見したのはエルザードの街のすぐ近くだった。一刻の猶予もならない。
エルザードの街を抜け、式神の元へと向かう途中でテオの目にギミアの姿が入った。
テオの乗る黒い魔犬よりも倍の大きさはあるだろうか。
しかし大きさはこの際関係ない。
ギミアの街に向かう足を止めなければ街は破壊されてしまうのだ。
多くの犠牲を出す前にテオはギミアを取り押さえようと、魔犬から飛び降りるとそのままの速度で魔犬をギミアに嗾ける。
突然飛びかかられたギミアは前足で魔犬を振り払おうとするが、ギミアより身体の小さな魔犬は上手くその攻撃をかわしあちこちに傷を付けていく。
テオは魔犬を嗾けつつも自身も上手く間合いを取り懐に入り込む。
そして魔犬が正面から飛びかかりギミアが両前足でその魔犬を取り押さえようと後ろ足だけで立ち上がった時、タイミング良くギミアの腹にグラビティキャノンを喰らわせた。
まともに喰らったギミアは方向を上げながらその場に一瞬蹲る。
そしてちょうど目の前に居たテオに思い切り横から打撃を喰らわせようとしたが、それをテオは大気の壁で防ぎ駆けてきた魔犬に飛び乗りギミアから遠ざかった。
腹にまともに喰らってしまったギミアはそのまま暫く動けないでいる様だ。
テオはこれ幸いとばかりに右手甲の紋章にギミアを封印してしまう。
ギミアの身体はテオの紋章に吸い込まれる様に消えていき、封印を終えると淡く輝いていた紋章が色を失う。
「次は笛か…」
なんなくギミアを取り押さえたテオは、肝心の笛の捜索に入ることにする。
そして一度黒山羊亭まで戻り、フィーリアを魔犬の背に乗せ一緒にフィーリアの家に向かう。
笛が消えた、という事実だけでは手がかりが少なすぎるため、フィーリアにその消えた場所へと連れて行って貰うことにしたのだった。
痕跡は無いかもしれないが、もし見つかった時のことを考えれば探してみるに越したことはない。
ちらり、とフィーリアはテオがギミアを封印した右手甲の紋章を見つめる。
「……ん?心配か?」
こくん、と頷いたフィーリアはその紋章を小さな手でそっと撫でる。
「大丈夫だ。ギミアはフィーリアの『友達』だったな。早く笛を見つけて元の様に暮らせる様にな」
「ありがとう」
はにかむ様な笑みを見せるフィーリアにテオはそっと笑みを浮かべる。
やはりこのような少女の顔に涙は似合わないもんだ、と思いながら。
------<魔獣の笛>--------------------------------------
フィーリアの家に着き、寝床を探ってみる。
何処にも痕跡など見あたらない様だったが、ふと部屋の隅にキラリと光るものをテオは見つけた。
微かな魔の気配を感じるカフスだった。
「昨日の夜、何か不思議な感じがしたか?」
「……ものすごく眠くなって。それですぐに寝てしまいました」
これのせいか、とテオはそれをフィーリアに見せる。
するとフィーリアは首を傾げてカフスを見た。
「……オジサマの服に付いてた紋章にも似てます。……でもオジサマ、最近ここら辺には来なかったのに」
「それじゃ、そのオジサマとやらの家に案内して貰うとするか」
多分そこに笛はあるだろう、とテオは言う。
「えっ……それじゃ……」
「ま、そういうことだな」
そしてテオとフィーリアは再び魔犬に乗ると、フィーリアの案内でフィーリアの叔父の元へと向かう。
夜はもうそろそろ明けそうだった。
段々と闇の色が薄くなり、空の蒼が現れる。
そんな中を黒い魔犬は二人を乗せ颯爽と駆け抜け、風を切った。
窓から叔父の姿を探すがカーテンが閉まり部屋の中を窺うことは出来ない。
テオは式神を放ち中の様子を探らせる。
すると叔父は大いびきをかいて街の被害など構いはしないとでもいうのか惰眠を貪っているところの様だ。
普通ならば町の破壊が行われる様を見て楽しむ、というスタイルをとるのではないかとも思うのだが叔父はそのような思考は持ち合わせていなかったらしい。
そして更に笛を探させると叔父の枕元にその笛はある様だった。
「あるらしいぞ…どうする?」
フィーリアに尋ねてみる。
フィーリアの叔父はエルザードを巻き込む大事件の犯人だ。
役人に引き渡せば危険人物ということで死刑は免れないだろう。
「…笛が帰ってくればアタシは…」
そのまま俯いてしまうフィーリアの頭に軽く大きな手を乗せたテオ。
式神に笛を持ってくる様に伝える。
すると器用に式神は窓の隙間から笛をフィーリアの開いた掌に落とすと、自分はそのまますっと壁を通って戻ってくる。
なんとも呆気ない最後だったが、こっそりとテオは式神に新たな指示を出す。
再び部屋の中に戻っていく式神。
するとそれと共に部屋の中から物凄い叫び声が上がった。
『ぎゃーっ!笛が…笛は何処だっ!ギミアお前は街に行ったはずっ!なんで此処に居るんだっ!オレは関係ないーっ!笛がーっ!』
そしてぴたり、とその声が止む。
すっ、とテオとフィーリアの元に戻ってきたのは少し誇らしげにも見える式神だった。
「あの…何を?」
「あぁ、少々お仕置きが必要だと思ったからな。式神にギミアの姿をさせ、『オジサマ』を起こして恐ろしい思いをしてもらってみただけなんだがな」
これでだいぶ懲りただろう、とテオは笑う。
すると少女の顔にも笑みが綻んだ。
「さぁ、ここにギミアを戻すが…鎖は必要か?」
「…………」
「友達を鎖に繋いだままというのも心苦しいだろう。今なら俺が封印したことで少しは大人しくなっているだろうし…」
「笛も戻ってきましたし。アタシ、ギミアを信じてるから。悪い子じゃないんです。ただ、とっても臆病で…永遠に続く苦痛を負わされているだけだから。アタシの友達だから大丈夫…」
ぎゅっ、と笛を握りしめたフィーリアはしっかりとテオの瞳を見つめ告げる。
それを聞いたテオは小さく頷いて右手甲の紋章に封印したギミアを解放した。
封印した時とは逆でゆっくりとギミアの姿が紋章から現れフィーリあの前に姿を現す。
フィーリアはにっこりと微笑んで、取り戻した笛を吹いた。
柔らかな音が絡みつく様にギミアの元へと届く。
始めは低い唸り声を上げていたギミアだったが、次第に大人しくなりまるで子犬の様に、くぅん、と鳴いてフィーリアの元へとすり寄ったのだ。
「おかえり、ギミア」
大きな足にぎゅっと抱きしめてフィーリアは笑う。
泣き笑いの表情。
それはテオの心に温かな温もりを与える。
慟哭の獣の咆哮は聞こえない。それは笛の音色でかき消されてしまった。
テオはポリポリ、と頭を掻いて隣に寄り添う魔犬の頭を撫でる。
「俺も帰って飲み直すとするか」
朝焼けの中、再びテオは魔犬に乗りバーテンが奢ってくれると言った酒を求めて戻っていったのだった。
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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
●1889/テオ・ヴィンフリート/男性/40歳/封印師
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■□■ライター通信■□■
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初めまして。こんにちは。夕凪沙久夜です。
慟哭の獣をお届けします。
お待たせ致しました。
テオさん、大変私の好みでして。
オジサマスキーとしてはたまらない方でした。
書かせて頂きありがとうございますv
きりきりと傷む胃に胃薬を差し上げたいと思いつつも、そんな風に振り回されてしまうテオさんを見ていたいたいという誘惑にもかられ、あのような始まりに。
黒い魔犬さんも大活躍のお話しになりましたが楽しんで頂けてれば幸いです。
またお会い出来ますことを祈りつつ。
ありがとうございました〜!
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