<東京怪談ノベル(シングル)>


銀の匙

 晴れ渡る空が広がる。
 あたしは、窓から晴れ渡る空と、そうして、何処までも続く緑を眺めている。
 室内では先生の声。
 礼儀作法の時間。
 退屈で、一番大嫌いな時間――何故、令嬢って言うものは形に当てはめられて然るべきものなんだろう?

 いつも浮かぶ疑問。
 そして、いつも答えが返って来ない疑問でもある。

 ――ううん、違う。
 答えはいつも返って来てるんだ。
 ただ、納得できないだけ。

 礼儀を作法を覚えれば令嬢は幸せになれる…って言うのが「絶対」だって誰が決めたんだろう?
 …これも答えが返って来ないんだろうな、と思いながら、あたしはあたしを呼んだ、先生の方へと目を向け、言われた動作を繰り返した。
 途端、先生の顔が険しいものとなる。

"良いですか、良い淑女となるには――"
"何故教えたとおりに出来ないのです? 其処が違いますよ、シノン様。もっとおしとやかに……"

 あれもダメ、これもダメ。
 大口を開けて笑ってはいけない、カップを持つときには優雅に上品に一口、口にして音をさせずにカップをソーサーの上に置かねばならない。
 もう食べれないと、まるで小鳥のようにご飯を食べて、力いっぱい駆けることもなく、小走りに。

 令嬢たるもの馬に跨ってはならないし、狩猟など持っての外で――、あくまで端整に、美しく、少女らしく。

(あーーーーーーー、もうっ!!)

 イライラする。
 長い髪も、「お嬢様らしい」レースで象られた服装も。

 教えられた型でなくて良い。
 あたしはあたしのままで居たいのに……それが凄く難しい。

 息が詰まりそうになる連続する時間。
 そんな中、僅かばかりの休憩時間があった。
 本当にささやかで僅かばかりの時間だけれど……後もう少し、後もう少し、と時計と睨めっこしては待っていた。
 もう少し、もう少しで、その時間がやってくる。
 ほら、今にも扉を叩く音が響きだしていく。
 コンコン、コンコンと。
 柔らかな、香りと共に。
 礼儀作法の先生と入れ違いに、メイド長の笑顔を添えて。




「シノン様、お茶の時間ですよ……あらあら、酷い顔」
「扉を開けた途端、言う言葉がそれ?」
「でも本当ですもの。宜しかったら鏡をお貸ししましょうか?」
「……良い。それより今日のお茶請けは?」
「柑橘類を詰め込んだパウンドケーキです。後は、いつもの飲み物と」
「ありがとっ♪ 柑橘類は、此処最近良く見るけど……」
 何でなの?という問いより先に「今が旬で美味しい時期ですから」と言う答えが返ってくる。
 こう言う食べ物を食べるにも時期があるんだ……呟くに呟けず、綺麗に切り分けてあるケーキを手掴むと一口、口にした。
 爽やかな酸味が広がって、先ほどの授業の億劫さが吹き飛んでいくようで。
 嬉しい気持ちのまま、大好きな飲み物――チャイ、を飲む。
 ほう、と息をつけるような気がして漸く、あたしの顔から笑みが零れた。
 メイド長も笑みを返してくれる……大好きな、大好きな落ち着く時間。
「今日は甘さ、控えめだね?」
「ケーキがありますでしょう? その甘さで丁度いいかと思いまして」
「……甘さって調節できるの?」
「勿論。今日のチャイを飲んでも解るように甘さは自分たちで調節できるものなんですよ」
「へえ……」
 不思議な気がした。
 いつもお茶の甘さは、メイド長にお任せだったし苦い時は苦い、甘い時は甘いと言えば、次の日からは甘すぎなかったり苦すぎなかったりしたものが出ていたから「そういうもの」と思っていた。
 でも、そういう風に調節できるものだと言う事は――
(あたしが自分でもチャイを作れるって事、だよね……?)
 わくわくした。
 居ても立っても居られなくて、あたしはチャイを一息に飲み干すとメイド長の腕を掴んだ。
 自然、メイド長の顔が吃驚したような目を見張った顔へと変わる。
 けど、気にしない。
 だって、次にはもっと驚かせる自信がある。
 更に目を見開くだろうメイド長を想像しながら、あたしは言うべき言葉を口にする。
「ねえ、メイド長、チャイの作り方、教えてよ!」
 きょとん、と。
 メイド長の目が想像通りに丸く大きくなる。
 そして。
「お茶とは言え、食材を玩具にするのは感心しませんよ?」
「だ、大丈夫! 失敗したら自分でちゃんと飲むから!! 迷惑とか一つもかけないって約束するよ!」
「でしたら、良いんですが……本当に、ちゃんと作ってくださいね?」
「うん!」




 こうして、頼み込んだ結果。
 空いてる時間――実際空いてる時間と言うと休憩時間や寝る少し前の時間しかなかったけれど――を使い、チャイの作り方を覚えることに。
 用意する材料は、ミルクとミルクティーに良く合うに作られた紅茶の葉と、シナモンにお砂糖。
 使用する道具はお鍋と茶漉し。
 コトコト煮込んで作るお茶だと言うので、まずは紅茶を作る事から始まる。

「いいですか、シノン様。チャイは紅茶が出来たらミルクを注ぐので、お鍋を焦がさないように…って、ああっ」
 言葉を聞くより先に、あたしは火を一番強いものにしてしまい――メイド長から悲鳴のような声が洩れた。
 人の話は良く聞きましょう、と言う先生の言葉がくるくると頭の中で輪を描いては消え――放心状態のメイド長に謝罪の言葉を述べる。
 作れるからと言って、はしゃぎ過ぎてはいけないものらしい。
「えっ? ご、ごめん、作れるのが嬉しくて……」
 最初のチャイ――失敗。
 原因:出来た紅茶に注いだミルクを火力を確かめずにお鍋まで焦がしたから。

 なら、火力を抑えてじっくりと!と挑んだ二回目は、と言うと。
 少し、焦りすぎるらしくて、どうしても風味が飛んでしまう。
 メイド長みたいに柔らかな味にはどうしてもならない。
 飲んでも飲んでもシナモンの香りはしないし、甘ったるいミルクティーみたい。

(美味しくない)

 けど、美味しいのが作れるまでは頑張るんだ。
 自分で飲みたいときに飲めれる様になったら素敵だし――母上にもご馳走できるかもしれない。
「美味しいわね」と言ってもらえるかも知れない。

「よっし!! ね、メイド長、あともう一回だけ! 今日はもう一回作ったら止めにするから、ね?」
「解りました、もう一度だけ、ですね? その次の"もう一度"は聞かずに火を落としますよ?」
「うん!」

 三回目。
 落ち着いて落ち着いて「もういいかなっ」と考えないように時間をメイド長に聞きながら作ったチャイの結果は。
 美味しく、出来た。
 メイド長にはまだまだ及ばないけど、あたし自身が飲むチャイなら十分と言う程に。
「美味しく出来ましたね」と、ほんの一口分、飲んだメイド長も微笑う。

「まだまだメイド長には及ばないけどね」
 そう言うと、彼女は「あら」と不思議な顔をして、
「当然ですよ、年季が違うじゃありませんか。シノン様が一日で追いつけるなんてあるわけないでしょう?」
 と、返してくれた。
 おかしくて、あたしはつい大声で笑ってしまい――厨房に居るのがあたし達二人だけだと言うのを思い出し、慌てて、手で口を抑えた。





 その後。
 あたしが、本当の意味で何の失敗もなく「美味しい」チャイを淹れられるようになったのは三ヶ月以上経ってからのこと。

 そして、あたしは今日もチャイを作っている。
 勉強の後の自分へのご褒美として――お茶会のお茶を待ってる人のために。

 くるくる、くるくると。
 シナモンを回すように、おたまを回す。
 コトコトコトコト、水で煮出した紅茶と合わさるミルクの匂いと――砂糖は沢山、入れた方がチャイが美味しく仕上がると言う事に気付いたり…たった一つを覚えるだけなのに、本当に沢山の発見があって。
 多分、これは、あの日思いつかなかったらずっと出来ずじまいだったに違いない。
 手を止め、あたしは待ってるだろう人物の顔を思い浮かべた。

(メイド長、待ってるかな?)

 今日は、あたしがチャイを淹れる番。
 二人だけの小さなお茶会は、まだ続いている。

 丁寧に、茶漉しで漉して、温めてあるカップに注ぐ。
 こぼさない様にソーサーごと、トレイに置いて、銀のスプーンも二人分。

 ゆっくり、ゆっくり音を立てないよう、波も立てないように運んで。
 この時ばかりは、元気の良いあたしでも走ったりしない。

 食材を無駄にしないって言うメイド長との約束は――
 未だ、『続行中』なんだから。





・End・


+ライター通信+

シノン様、初めまして。
今回この話を担当させていただきましたライターの秋月 奏です。
凄く凄く可愛いプレイングを本当に有難うございました!!
チャイについて調べて来たのですが、シナモンベースのものもあれば
生姜ベースにしたものもあったりと…スパイスにより、何処のチャイだか
解るようになっているのが興味深く面白い発見でした。

元気な女の子は書くのが大好きなので楽しんで書いたのですが、
口調等、イメージに添えているといいのですが(汗)
今回は、口調等につきましてもお教えいただけて本当に有難うございました♪
そして、プレイングで仰って頂けた様に柔らかな雰囲気が出せてると良いな、と思いつつ。(^^)

それでは今回はこの辺で失礼致します。
また何処かでお会いできる事を祈って。