<東京怪談ノベル(シングル)>
息吹 〜春の風〜
そこに立った時、あたしの中にはひとつの言葉しかなかった。
「き、きれいぃ〜〜!! ここがウルギ神殿なんですか!?」
空の青。森の緑。白く輝く石作りの神殿。その異なる風景がひとつとなり、荘厳というより柔らかな光を放っていた。右手には滝。轟音が響いているというのに、音は清らかで耳に静か。幾重にも連なった回廊の支柱には、ランプが取り付けられている。夜ともなれば、また違う趣を持ってあたしを感動させるだろう予感――。
「シノンさん……いいえ、もう貴方はウルギ神の使いとなるのですから、シノンと呼びましょう。ここは気に入りましたか?」
「…………あ、すみません。素晴らしい場所ですね。あたし、神殿なんてもっと辛気臭くて、暗ーいところかと思ってました」
出迎えてくれた女性神官が微笑んだ。
「ふふふ。信仰は心の中にあるもの。けれど、やはり足を向けなければ出会えない場所もありますからね」
「あたし、なれるでしょうか……こんな素敵な場所を守る神官に」
「それはシノンの心次第ですよ。さぁ、中に入って司祭様にご挨拶しましょう」
優しく肩に置かれた手が誘う。天窓から光が差し、舞い上がった埃が星のきらめきの如く瞬く室内へと。
あたしにどれだけやれるだろう。
不安はたくさんある。でも、父上に誓った。母上に微笑んだ。あたしはあたしのまま、きっと自分の場所を見つけるって。
だからこそ、もっと知らなくちゃいけない。
ウルギ神についても、神官という仕事についても。
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あれから一つ季節を越えた。暖かかった太陽の光が少し陰る。枯葉期へと向かう世界。
あたしはと言うと、髪が短くなったここと、一生懸命に経典を覚え暗唱できるくらいにしか進歩していなかった。頑張らなくては――と思えば思うほどに、私の中に風は生まれて来ない。ウルギは風を司る神だというのに。
「――――して。…どうして上手くいかないんだろう……」
朝の礼拝。水撒きの当番に当っていたから、あたしは井戸へと向かっていた。つい唇から零れ落ちる悩み事。相談すればいいのかもしれないが、自分で解決したかった。資質がない――と人に思われたくなかったのかもしれない。
「司祭様が言われた通り、ウルギの教えを胸に綴りながら練習してるのにな」
組み上げた水が朝日に光っている。揺らぐ水面に映るのは、反して鬱なあたしの顔。
「あたしらしくないなぁ……」
手桶から大きな枡に水を移しかえる。零れた水がじんわりと地面に染みこんでいった。風が渡る。これは誰か神官の起こした風だ。それくらいの区別はつくようになっていたけど、それは神殿にいればすぐに出来ること。
珍しく雲から顔を出している太陽を見上げた。思い出されるのは、司祭様の言葉。柔らかな旋律の中で繰り返される教え。あたしは空を見上げたまま目を閉じ、その言葉を思い浮かべた。
『風と共に生き、風の巡りを正しなさい。君だけの風を作りだし、その風を渡しなさい』
あたしだけの風――。
どんな風なんだろう……。分からない。
あたしの周りにはいつも風の流れがある。それは感じることができるんだけど。
……どう表現すればいいの?
手にていた枡を置いて、手の平を太陽に透かした。赤い血脈が流れている。広げた指の間をすり抜けて、風が顔を撫ぜていった。自然はこんなにもさりげなく、癒しの風を送るのに。
苦悩したまま、水撒きに向かうことになった。重い枡を抱えトボトボと歩く。
「――あ、あれ?」
何か変だ。
あたしはいつも通っている花壇の様子が、昨日と違っていることに気づいた。荒らされているわけではない。でも、土が少し掘りかえされていたり、咲いていたはずの花が折れていた。
「誰がこんなことを!? この花だって、今日辺り咲くはずだったのに!!」
咲くのを楽しみにしていたルフの蕾も、小さな蕾のまま萎れていた。叫んだはずみで落した枡から水が零れた。ガラガラと音を立てて、空になった枡が転がっていく。
そんなことに構っていられない。だって、いつもこの花達を見ながら、自分の風を作り出そうと修行していたんだから。
走り寄って、あたしの視線はただひとつの場所に釘付けになった。固定された視界。
その中にあったのは――。
「うさぎ!! う、うそっ……怪我してる!!」
花の傍で、白い毛を血に染めた小さな姿。僅かに後ろ足が痙攣している。一見で死が近いことが嫌というほど分かってしまった。血の気が失せる。きっと今、あたしの顔は真っ青だろう。こんな間近で死に向かうおうとするものを見たことが無い。
震える指。逸らしてしまう視線。ようやく近づいて、胸に抱いた。あっという間に白い神官服が赤く染まる。震えが止まらない。
「シノン……?」
「し、司祭様!! この子…この子がっ……くぅ」
「角を曲がっていくのが見えて――背中が震えているし、枡が転がっていたから。そうか、泣いているんだね」
「あたしに出来ることはないんですか? 司祭様なら、この子を助けて下さいますか!?」
「ウルギは死を祓うものではないのですよ……」
「そ、そんな……。だって神様なのに、どうして助けられないの!?」
本当は分かっていた。ずっと司祭様の語ってくれる教えを聞いていたから――でも、それは頭で理解できていても、現実を目の前にしてただ頷けるものじゃなかった。
手の平の中で、暖かな体温が確かに伝わってくる。
涙が溢れた。こんな小さな命の火を守ることすらできないなんて…。零れ落ちる雫が石畳を濡らす。ふいに、司祭様の白髪が目の前に降りてきた。顔を上げると、細くなった優しい目が見えた。
「シノン。君が悩んでいることに気づいていました。今なら、君は知ることができるかもしれない。願う気持ちがある今なら――」
殊更ゆっくり。言い聞かせるよに声が響く。胸に染みる。
「あたし、なんでもします! 何もできないって思いたくないし、信じたくないから!!」
意志の強さ。
あたしは今まで、出来ない自分に苛立ってばかり。本当のウルギの教えを乞うてはいなかったんだ。ここに来てから、自分と他人を比べて胸のつかえを増やすばかりで。
心からから願うのは、自分ではない誰かの心。
――その癒し、その幸福。
鼓動を打つ小さな命。あたしは守ってみせる。右手を司祭様と重ねて、片腕で抱いたうさぎの上にかざした。
願うはひとつ。叶えるのはひとつ。
たった…ひとつ。
「あ、あったかい……あ! 怪我が、怪我が治ってる! 司祭様、これは?」
光が広がる。冷たい水を思わせる色彩。
「命の水…ですね。シノン、精霊からの恵みを会得したようですよ――おや? ふふふ、それからもう一つもね」
「――え?」
あたしは胸に戻った元気な鼓動に気を取られていて、司祭様の言葉が聞き取れなかった。司祭様は笑って視線を空へと向けた。
誘われて見上げる。そこには風があった。
取巻くように、新緑の匂いを含んだ風。
「これは――」
「君の風ですよ。この子に捧げた芽吹きの風だよ」
「あたしの風……」
ウルギの至宝は豊穣ではなく『春に目覚め、芽吹く新たな生命』。
あたしを柔らかく包んで、いつまでも廻り続ける風を感じる。気がついたうさぎが慌てて腕から逃げ出していく。走り去った後に残ったのは、胸に込み上げる熱い想い。
あたしはなりたい。伝える者に。
あたしはなりたい。春の素晴らしさを教える者に――。
遠く、滝の音が響いていた。
□END□
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発注ありがとうございます♪ ライターの杜野天音です。
すっかり間隔が開いてしまいましたが、続きを書かせてもらえて嬉しかったです(*^-^*)
今回はちょっと凹み気味のシノンにしてしまいました。やはり、いつも元気な子も悩む時は悩むってことです。真剣だからこそ、行き詰まってしまうことってありますからね。
司祭様の手助けもありましたが、シノンの強い意志あってこそ『命の水』と『風』の会得をできたのでしょうね♪
では、今度はどんな物語が待っているのか楽しみです。気に入ってもらえるなら嬉しいです。
ありがとうございました!!
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