<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


【白山羊亭、一日店員が駆ける!】
「ルディア、明日は店を休ませていただくんです。ちょっと疲れて」
 客たちは動揺した。白山羊亭の元気ウェイトレス・ルディアがそんな理由で休んだことはこれまでにない。
「あとですね、マスターも同じ理由で明日、休むんです。運の悪いことに疲労が重なったんです」
 さらに動揺が走る。1日に1回はここに入らないと気が済まないという者も少なくないのだ。
「それでですね」
 ルディアはいったん言葉を切って深呼吸した。
「マスターは冒険者さんたちのために一日でもお店を閉めたくはないって言って。だから――どなたか一日店員をしてくれませんか?」
 不躾なお願いですけど、とルディアは付け加えた。
「業務のノウハウはメモがありますし、あまり難しくないお仕事だと思いますけど。あ、もちろんお礼は後日ごちそうとかで……いらっしゃいませんか?」

 翌日の夕方。
 集結した白山羊亭一日店員たちはいよいよ開店準備を始めていた。
 まあ素人には違いありませんが、とアイラス・サーリアスは切り出した。
「僕は喫茶店やバー、ホテルでのバイトなどをしたことがあります。ですから普段はマスターがやっている仕事――具体的には総括、といったところでしょうか? それをやらせてください。料理などは他の方に」
「じゃああたしがやるわ。料理はわりと得意だから。……ま、家庭料理レベルで特別美味しい訳ではないけど」
 前日は別荘へは帰らず白山羊亭に留まって石化していたレピア・浮桜も、元に戻ると同時に準備に加わった。ルディアが休むことはすでに前日に聞いていて、快く代わりを引き受けた。彼女の目から見てもルディアは働き過ぎなのだった。
「エヴァはどうするの?」
「しょうがないから私は……接客、かな。こういうことは不慣れだけれど」
 おずおずと言ったのはエヴァーリーン。彼女は自分から一日店員を名乗り出たわけではない。知人のジュドー・リュヴァインから爽やかに依頼を押し付けられ、おかしいとは思いつつ来てみると、そこでようやく内容を聞かされたのだった。しかしすでにエプロンドレスを装備しているところは順応性が高い。
「うまい具合に役割分担できましたし、何とかなるでしょうね」
 では始めましょう、と総括のアイラスが言った。

 完全に日が沈もうとする頃に白山羊亭は開店した。
 これまで冒険者として見知った者、まったく初対面の者、様々な老若男女が次々と来店してくる。
「いらっしゃいませ」
「……いらっしゃいませ」
 アイラスがスマイルで客たちを出迎える。エヴァはうまく笑顔を作れず苦労しているようだった。
「……うん? 新しく入ったバイトさんか?」
「ルディアちゃんはどうしたんだ」
 言われると思った、とアイラスは内心で苦笑する。
「本日はマスター、ルディア共に休暇を頂いておりまして、僭越ながらこの僕たちが代理として担当させていただきます」
 慣れたもので代理総括はスラスラと述べる。しかし。
「ルディアちゃんがいねえんじゃ、俺ぁ帰るぜ」
「俺も俺も」
 蓋を開けてみれば、一割ほどはそんな理由で即刻帰ってしまうのだった。
「……何あれ」
 エヴァーリーンは心底不服そうに唇を尖らす。
「仕方がないですよ。ルディアさんの圧倒的人気には敵うべくもありませんから」
「おーい、酒持ってきてくれ酒!」
「あ、はい、ただいま」
 ――大変なんてものではない。
 エヴァーリーンが注文を受け取っては品を運び、レピアは厨房に閉じこもって黙々と料理を作り、アイラスは雑務にひたすら追われる。休む暇もない。
 目まぐるしい忙しさではある。しかしそれでも、何とかトラブルもなしに業務をこなすことができた。
 レピアの料理の腕にかなり救われている、とアイラスとジュドーは思った。それもそのはずで、彼女は咎人となる前は、ジプシーとして世界各地を回る際自炊していた。咎人となった後も世界各地を回って食べているので、料理に関しては相当の柔軟性がある。だから大半の客のリクエストには答えらるのだった。
 さて、白山羊亭のもうひとつの顔、冒険斡旋所もそろそろ機能し始めた。大柄の戦士がアイラスを呼ぶ。
「マスター代理さんよ、この北の山の竜退治ってのは儲かるんだろうな?」
 アイラスはメニューの詳細を持ち出して説明する
「はい、その竜の舌――ベロですね。これが大層な薬効を備えているそうで、きっと高く売れると思いますよ」
「よっし! じゃあこれは俺がいただくぜ」
「ええ、頑張ってください」
 戦士が店を出ると同時に、まだ10歳ごろの少女がやってくる。彼女は一番近くにいたエヴァーリーンを見つけて、
「……お姉ちゃん、助けて」
 泣きついてきた。
「え? え?」
 困惑する漆黒のウェイトレス。
「悪い奴らがお父さんをいじめるの。やっつけてほしいの」
「あ……そうなんだ。誰か、この子の助けになってくれる人はいない……かな」
 無言である。冒険者にしてみれば報酬も確かでなく何の魅力もない依頼ではあろうが。
「……いないの? ……まったく、子供が困っているっていうのに……大人がこれだから悪い子供が……」
 ジェノサイド特有の静かなる殺気を発揮しそうになるエヴァーリーン。客たちはことごとく戦慄した。
 そしてハプニングは唐突に訪れる。
「酒を出せ!」
 蛮声を上げて、3人の男が入口のドアを開け放った。いずれも野卑な面構えでろくな人種ではないことがすぐにわかる。
「お酒でしたら、注文してくださいね」
 アイラスはあくまで冷静に応対する。
「こらメガネ、この剣が見えねえか?」
 男たちは同時に腰の物を抜き放った。
「あちゃあ、賊ですか」
「おうよ、俺たちは泣く子も笑う子も怒る子も誰も彼も黙る『山賊ドラゴン』だ! 痛い目見たくなかったら酒を出しやがれ青いメガネ!」
 ドラゴンというよりはイノシシね、とエヴァーリーンは呟く。
「何なの、この騒ぎは」
 レピアが厨房から出てくる。
「お頭! 何かすげえ姉ちゃんがいますぜ」
 山賊イノシシ……もとい、山賊ドラゴンたちは一様に目の色を変えてニヤついた。
「んん、薄着にエプロンとはまたそそるじゃねえか。やっぱそっち系の女なのか?」
「酒はいいや。あいつをさらって手篭めにしちまいましょうぜ」
 そいつぁいいや、と勝手に盛り上がる山賊。
「レピアさん、大丈夫ですか」
 アイラスが渦中の踊り子に声をかける。
「大丈夫に決まってるじゃない。ひとりで充分よ、こんなの」
 レピアは自分から山賊たちに向かっていった。両腕を広げて捕まえようとする頭領。
 その場の全員が、鳥人の幻想を見た。
 レピアの華麗なる跳躍は軽々と頭領を飛び越える。
「あ、あれ?」
 呆気にとられる山賊ドラゴン。いややはり山賊イノシシと呼んだほうが適切だろう。正面以外はあまりに鈍すぎると見えた。
「ハッ――!」
 首筋に蜂のような蹴りを次々と食らわせると、襲撃者たちはあえなく昏倒した。ものの10秒の早業である。エヴァーリーンは彼らを鋼線で縛り上げて白山羊亭から放り出し、塩をまいた。
 巻き起こる拍手と歓声。ちょっとした舞台であった。
「いいぞ姉ちゃんー!」
「もっとやれー!」
 美貌の店員出現にやんややんやの大騒ぎである。
「レピアさん、踊ったらどうです? 料理は僕がやりますから」
「うん、そうさせてもらおうかな。体がなまっていたところだし!」
「……じゃあ私は……歌でも歌って場に花を添えようかしら……最近、あまり歌ってないから……たまには、いいかもね……」
 エヴァーリーンも参戦を表明する。

 そうして夜が更ける。
 終わってみれば、その日の白山羊亭は類を見ない盛り上がりを見せたのだった。

■エピローグ■

「一日グッスリ寝ていたら、すっかり疲れは取れちゃいました」
 翌日、復調したルディアは満面の笑顔で一日店員たちを労った。
「アイラスさん、エヴァさん、本当にありがとうございました。……レピアさんは?」
「奥で石になっていますよ。夕方になったら会ってあげてください」
「もちろんです。……でもみなさんが正式にここで働いてくれたら、きっと楽しいと思うんですけど、無理ですよね」
 あははと笑うルディア。
「じゃあ、またお疲れの時は声をかけてくださいね」
「……ええ、きっと力になるから」
 アイラスもエヴァーリーンも冒険者に戻る。
「はい、その時はお願いするかもしれません」

 やがて陽が落ち、ルディアは奥の部屋を開けた。青い髪の後ろ姿がそこにある。
「おはよ、ルディア」
「レピアさん起きたんですね。昨日はありがとうございました。これ、ささやかなお礼なんですけど」
 アイラスたちにも渡した食事券を差し出す。ところがレピアはルディアに抱きついてくる。
「え、レピアさん?」
「そんなものはいらないわ……何を受け取るかはもう決めてあるんだから♪」
 レピアが何を言っているのかを理解するのに、純情なルディアはしばらくの時間を要したのだった。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】
【2087/エヴァーリーン/女性/19歳/ジェノサイド】

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■         ライター通信          ■
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 担当ライターのsilfluです。ご依頼ありがとうございました。
 自分にとっては久しぶりの日常描写でした。
 しばらくはこんな路線でいこうかなと思っています。
 
 それではまた。
 
 from silflu