<東京怪談ノベル(シングル)>
Paradise Lost
強烈な光が目を灼いた、と感じた次の瞬間、オーマ・シュヴァルツは木々の生茂る森の中に在った。。
「――こりゃァ、侮ってたな。ちょいと気を引き締めて行かにゃなるめぇ」
つい先程まで裏通りの、暗い石畳の上に居た。そこで見付けたのは少年の姿をした「ウォズ」。オーマが元在った世界より、この聖獣界へと侵入して来た異形――凶獣とも呼ばれ、その多くが人に対して徒なす力を持つ。
オーマにとっては馴染みの存在だ。
オーマはウォズを滅する力を有し、故郷となる世界では彼等を討伐・捕獲するを目的に組織された特務機関「ヴァンサー・ソサエティ」に身を置いていた。
ウォズが持つ具現能力をオーマもまた持つ。凶なる獣と同種の能力を持つ故に彼の世界では異端中の異端とされた。
オーマ・シュヴァルツと言う男を語るに不可欠とも言えるウォズ――その「馴染み」を見付け、後を尾けて入った裏通り。ウォズは唐突にオーマに対して牙を剥いたのだ。
「瞬間的に移動を強制されたってぇワケでもなさそうだが……、取り込まれたか」
頭を左右に振り関節を鳴らせば、倣うように身に付けた装飾品が小さく音を立てる。それを指先で弾いてオーマは太い笑みを浮かべた。
「ま、『腹黒セクシーミラクルワァンダフル・パワー☆』に溢れた俺様が、これしきの事で動揺してちゃぁ、漢が廃るってぇもんだしよ?」
言うと同時に、胡座をかいていた長身は「よっ」と言う掛け声と共に草生茂る大地の上に立ち上がり、伸びをした。
「随分と長閑な『具現化』でいやがる」
木々は緑鮮やかな葉を茂らせ、風に揺れる枝葉の隙間からは澄み渡る空、浮かぶ淡い雲が見える。木立の間を涼やかな風が爽やかに緑の匂いを運び抜けて行く。木漏れ日が足下に光の模様を落とす――。
具現化能力が何を生み出すかは、使う者の能力の高さと、思考による。能力が高ければ高い程、生み出す物は望むものそのままに姿を顕わし、思考が豊かで知性が高い程、具現するものは様々な形態を取り、領域は広い。時にこうした空間をも生み出す。とは言え、空間を生み出す能力を持つ者は決して多くはない。高度の能力である上、必要な精力は多大であるからだ。
果てを思わせないフィールドの具現を、こうも容易くやってのけると言うのは並の凶獣――「ウォズ」でない証だ。
「やっぱ、当たり、だったようだな」
近頃良く耳にする噂は、一人住まいの老人や、孤児が前日まで重篤であった様子もなければ怪我があった様子もないのに死亡している、というものだった。勿論、死因は謎である。体中の何処にも死因を特定出来るものが残されてはいなかったと言うのだ。
噂を耳にしたのが一度二度であれば突如襲った不運を哀れに思い、迷わず陰府への道を歩めよ、と短い黙祷に頭を垂れるだけだが、数日で合わせて十件近くも話を聞けば、何らかの作為を感じずにはおれぬと言うものだ。
ウォズの仕業では、と疑いを持ち死者が見付かった場所を調べ、周辺を探っていた矢先に見付けた背中。背丈は未だ子供のもの。
しかし、どの様な姿をとっていようともオーマには気配で判る。其が何であるか。内に潜む狂える魂を見紛う筈がない。
気配を殺し、一定の距離を保って後を尾けた。
角を二度曲がり、高い壁に囲まれた暗い道に差し掛かった瞬間。
「虚をつかれたってかー……、未だ未だ甘いねェ、俺も」
油断したつもりは全くないが、先手を打たれたのには違いない。
これだけの力を持ち乍ら危害を加えるでなく、自らの領域に引き込んだ理由を探らねばなるまい。
相手の領域内で動く事がどれだけ危険であるかは判っている。しかしこのまま出方を待つつもりはオーマにはなかった。大人しく果報を期待するのは性に合わない。
――ちっと使い古された言葉ではあるが、昔っから攻撃は最大の防御って言いやがる事だしな?
親指で下唇を拭うと、オーマは歩き出す。
ウォズが用意した舞台でなければ、単なる森の散策と言った所だ。鬱蒼とした雰囲気は無く、存外明るい。強い日射しが木々に遮られて、却って過ごし易い。
つい、口笛を吹いてしまいたくなるのを抑えてしまう程、居心地の良い森である。
それだけに相手の目的が知れない。
オーマは余裕を口許に滲ませ乍らも、警戒に心を引き締める。緩ませれば相手の思うツボだろう。
「ねーえ?」
声、は唐突に頭上から降って来た。
――気配が、無ぇ。
オーマは僅かに冷やと背筋を固くし、ゆっくりと声のした木を見上げる。
太い枝に腰掛け、両足をぶらぶらと揺らす少年が居た。
――否、少年の姿をしたウォズ、だ。
「ここ、中々いいでしょ……?」
白髪の少年は、首を傾げてそう言うと、不思議な程無邪気に微笑んだ。
「――あァ、悪くねえかも、な」
「でしょ? 僕も思った以上に綺麗な森を生んであげられたと思うよ」
オーマの言葉に満足げに頷くと、少年は枝の上に立ち上がった。無造作にくるりと体を回転させて、再びすとんと枝に腰掛ける。
「ところで、おじさんは何の用?」
「おじさん、てな頂けねぇな? 俺にはスーパーグレイト腹黒マッスルな名前があるんだぜ? オーマ・シュヴァルツってな?」
「ふーん。オーマ、か。……ねえ、オーマ。何で僕を尾行してたの?」
少年は木の幹に体を凭れかけさせ、聞く。
「隠しても仕方がねえやな……お前さん、ここんとこいけねぇ事してただろう?」
「いけない、こと?」
「おうよ。一人暮らしの爺さんや、身寄りのねえ餓鬼共の魂を頂いちまってたろう?」
「……いけない事、かなあ」
少年は木に体を預けたまま、呟く。
「皆、苦しいって思ってたみたいだよ、生きる事。独りで寂しいって。このまま生き続けて何があるだろう、って。僕が死なせてあげたのはそういう人達ばかりだよ。心の中に死を飼ってた人達ばかり」
瞳を閉じて、俯き語る声は穏やかだ……少なくとも邪悪な意志は見えない。
「言うなれば持ちつ持たれつ、だよね。彼等は幸福な死を望んでいた……僕は彼等の魂が欲しかった。僕は彼等の望みを叶える代わりに命を貰ったんだ。彼等の死に顔、見なかった? オーマ」
薄らと微笑みを浮かべて、少年は顔を上げた。
「嬉しそうに微笑んでいたのを、知らない?」
得意げに弾んだ台詞に、オーマは首を振った。
「直接顔は見てねぇからな……だが、きっとそりゃあ、悲しげな微笑みだったろうさ」
「なんで? 僕はただ魂を貰ったんじゃない。この森を見れば判るでしょう? この森はね、オーマの心の中にある森だ。綺麗でしょう? 歩いていて気持ちが良かったでしょう? オーマの望む森だからだよ」
少年は枝から身を乗り出して訴える。
「彼等にだって、望むものを見せてあげたよ。死んでしまった家族、美味しい食事、欲しかった玩具……望む物を、与えてやったんだ。だから笑って死んだ――違う?」
「違う――。そりゃあ、違うぜ、坊っちゃんよ」
オーマはもう一度首を振る。
「なんで!」
少年は苛立ちも露に枝を拳で叩いた。
「そりゃあ、表面しか見てねえよ、人の心の、な」
オーマは右手に意識を注ぐ。掌の中に。
「確かに死にてぇって気持ちがありやがったのかも知れねえ……いや、人間誰しもそんな後ろ向きな気持ちもどっかに眠らせてるもんだ。時にゃそれが大っきくなっちまう事もある。けどな? 人間ってのはホントは生きたいのさ……生きて幸せってヤツを掴みたいのさ」
右手の中に生まれ来る物を感じ乍ら、オーマは続ける。
「それは、紛い物じゃあ代用出来ねぇシロモノなんだぜ、坊や」
「紛い物? これの何処が紛い物って言うの?」
少年は激昂のままに枝を生き生きと飾る緑の葉を毟り、オーマに投げ付けた。幾枚かの葉がオーマの頭上に振り落ちる。
オーマはその葉を左手で受けると、握り潰した。
「此処には、誰も居ねえじゃねえか……俺の最愛ラヴラヴロマンスたっぷりなカミさんも、プリティマックスな愛娘も、だぁれも、よ? それだけじゃねえ、ここには生きてるもんが何にもねえ。鳥は? 小動物は? 木々に潜む虫達は? 何処にいやがるよ?」
少年は目を見開いてオーマに見入る。
「それとおんなじだったんだろうさ……死んじまったヤツ等も判ってたにちげえねえ。見せられたもんが偽者で、ホントに手に入ったわけじゃねえってな。そりゃあそうだ。欲しい物ってな、簡単に手に入りゃしねえ。だからこそ孤独に苦しみ、死をさえ望んだ……それでも、よ」
オーマは葉を握り込む左手に落とした瞳を、少年へ向けた。
「人はホントに諦めちゃぁいねえんだよ。生きてえと、願ってる。お前さんはそれを強引に、握りつぶして、奪い去っちまった――」
左手を頭上に、少年に向けて突き出した。開けば潰された葉が落ちる。
「そんな、そんな事――そんなのオーマが勝手に思っているだけだよ! 僕は確かに見たんだ、彼等が微笑むのを。それをちゃんと確認してから食べたんだ……美味しかったよ、魂は。美味しいんだ魂は……ねえ、オーマも頂戴よ。この森が気に入ったんだろう? 痛みは与えない。眠るように死ねるよ?」
少年は枝の上に立ち上がる。その輪郭が、ぶれた。
上下左右、斜に体が伸び、縮み、まるで熱を加えた飴のように。
「……お前には判らねえかもなあ」
オーマは僅か寂しげに呟くと、下げていた右手を上げる。そこにあるのは、オーマの身の丈以上ある、巨大な銃器。
「苦しかったでしょう、オーマ。ずっと異端と恐れられ、蔑まれ、僕達を狩る為に生きて……辛かったでしょう? 終わりの見えない生は」
少年の姿は溶解し、色すらなくして、空中に漂うのは半透明の自在に形を変える物体。ほんの少し前まで少年の形をしていた物は、木の中へと身を沈ませて行く。
「僕が、終わらせてあげるよ――」
声音だけは変わらず、オーマの耳に届く。
「美味しく、食べてあげるよ、オーマ」
声が終らぬ間に、少年……ウォズが姿を消した木の枝が、伸びてオーマを襲った。
オーマは地を蹴って後退し、それを追うように何本もの枝が、撓り伸び、オーマへと向かって来る。
避けた枝は地に突き刺さり、地を抉って尚もオーマを追う。
オーマを襲う枝は次々と増えて行く。少年が入り込んだ木だけでなく、四方八方の木々から枝が放たれ、それぞれが意志もてオーマを追い詰めんと迫る。
オーマは何時しか森の中を全力疾走していた。自分より大きな銃を片手に、枝を避けつつ木々の間を走り抜ける。
「逃げても無駄だよう、オーマ。ここは僕のお腹の中なんだから」
何処から聞こえて来るのか、身近に在るような声がオーマに囁く。
「痛い思いをしない内に、僕に捕まってしまう事だよ」
「あー…、俺は緊縛プレイの趣味はねぇからよ、遠慮するぜ?」
それに、とオーマは天を仰ぐ。
「第一ウォズなんぞとデートをかましちまった日にゃ、カミさんのスペシャルフラッシュな雷がドドンと落ちて来ちまうからな」
足下を薙ぐ枝を、ひょいと越えて、前を遮る枝を銃器で弾いた。
「おおっと、恐妻家だなんて言いやがるんじゃねえぞ? 俺は単にカミさんのビューティフルスマイルを曇らせたくねえってだけなんだぜ?」
突然倒れて来た大木を、蹴って方向を変え――た所に、地面が隆起し巨大な壁を作った。
「っと、いけねえ」
勢いで衝突しかけ、オーマは右足を壁にかける。そのまま身を空中に身を踊らせ、壁と木の間を交互に駆け、空へと向かう。
木の天辺で、勢いを付け空に出る。
「躾はコレで終りだぜ、坊や」
右手の銃から、放たれるのは封印の光。
それは、オーマがこの場へ訪れた時と同じように、視界を灼いた。
気付けばオーマは元居た石畳の上に立っていた。
封印を終えたのだ。
「なぁ、坊や。どんなに苦しい場所でもよ? たった一つでも愛しいもんがありゃ踏ん張れるってもんなんだぜ? ……お前さんが食っちまったヤツ等の中にも、それを持ってたヤツが居たかも知れねえ。持ってなくてもこれから会えたかも知れねえ……それを奪っちまったお前さんを」
オーマは既に姿を消した銃器を持っていた右手を見る。
「見逃すワケにゃあ行かなかったのさ」
何処か言い訳のように、呟いた自身が思えてオーマは苦笑を零す。
少年……ウォズが言ったように、確かに幸福の内に死んだ者があったかも知れない。偽りの慈悲でも、喜びを覚えたかも知れない。
そして、それを望む者が未だ在るのかも知れない。
「でもよ、これっぱかしは譲れねえのよ」
死よりも生を望んで欲しい。それが例えオーマの身勝手だとしても。
自分が、妻や娘に出会えたように、見付けて欲しいから。
「折角生まれて来たんだしよ」
だから、封印を躊躇うわけには行かなかった。後悔も、ない。
オーマは、自分でも正体の知れない何かを振り払うように、首を一つ振ると、歩き出した。
――終
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