<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


【マーメイド・ボディーガード】
「うわあ……」
 ルディアは大きく口を開けて、それに見入った。
 その男が引っ張ってきた車輪付きガラスケースにはたっぷりと水が入れられており、その中には――。
「人魚さんとはまた珍しいですね!」
 そう、人魚である。とびきりの美貌とモデル以上のボディに、特に男性陣の視線が集中する。
「俺は漁師なんだけどよ、昨日こいつが引っかかっちまって。聞けば仲間の元へ帰りたいっつーんだ」
 人魚はミィナと名乗って、悲しそうに語りだした。
「私たちは仲間と共に住処を離れ安全な場所で遊んでいました。そこへ巨大な竜巻が襲ってきて――魔物の仕業か天変地異かはわかりませんが――私は天高く巻き上げられ、気がつけばこの街の港の近くで気を失っていました」
 なるほど、とルディアはすぐに察した。
「魔物の危険があるから、ひとりでは帰れないかも……ですね?」
「はい、どうか南の海まで私のガードをお願いします。お礼は……歌を歌うことくらいしかできませんが、他に何かお望みならば喜んで善処いたしますわ」
「それでいいんじゃないですか? というわけで、誰かお願いしますっ」
 ルディアは店内を見渡した。

 レピア・浮桜が舞を楽しむために白山羊亭を訪れたのは日没後しばらくしてからのことであった。
「ルディア、今日もお邪魔す――」
 レピアは絶句した。
 入ってすぐ。目の前には騒がしい人の壁があった。まさか自分を凌ぐ踊り子の登場かと彼女は考えて、人込みを掻き分けようとした。
「レピアさん!」
 給仕中のルディアがレピアを見つけてやってきた。
「この騒ぎは何?」
 ルディアは人魚ミィナの依頼についての詳細を語った。
 レピアはテーブルの上に乗り、人壁の向こうの水槽を確認した。――淀んだ表情をしている。好奇の視線が耐えられないのだ、とすぐに判断できた。
「それならあたしが引き受けるわ。同性が居た方が気分が楽だろうし」
「同性ならすでにいるんです。ジュドーさんです」
 ルディアの背後から、腰に刀を携えた金髪の武士がレピアに歩み寄ってきた。
「私ひとりでは不安がないわけではなかったから、もうひとりくらい名乗り出てくれたら出発しようと思っていたのだ。だが今日は腑抜けばかりのようでな。皆、ああして彼女を観察するだけだ」
 ジュドー・リュヴァインはやれやれといった目つきで、有象無象を見やる。
「なら、さっさと出ましょう。いつまでもさらし者にしとくわけにはいかないわ」
 冒険者ふたりは睨みを利かせながら、人込みをどけて水槽を引っ張ってきた。
「……おふたりが、私を連れて行ってくれるのですか?」
 ミィナが水から顔を出した。濡れた水色の長髪、少女そのもののつぶらな瞳、セックスアピール満点な豊かなバスト。間近で見ると、同性でも心臓が高鳴ってくる美しさと可憐さであった。
「……ま、とにかくあたしたちが守るよ」
「信頼してくれていい。ふたりともよく戦闘を知っているからな」
 ミィナは今日始めての笑顔を向けた。
「ありがとうございます。これで魔物に怯えずに済みそうです」
 ――怖いのはむしろ魔物よりも人間ではないか。
 いまだ突き刺さる客たちの目を感じながら、レピアとジュドーは思った。

 ミィナの話によれば、竜巻に襲われる直前に遊んでいた安全な場所というのは、海の真ん中ではなかった。円柱にも似た巨岩が、呆れるほどに海面から乱立する岬ということだった。
 レピアとジュドーは、その場所が『ピラーズケープ』だと見当をつけた。ソーンの二流観光地として知っていたのだ。
 それならば陸路を辿った方がよいだろうということで話は纏まった。エルザードから海沿いに南下すれば数日で着く。そこからミィナを海に戻せばいい。
 だが長旅になる。何より水槽に入った人魚をどうやって運ぶかが問題だった。
 レピアは馬車を借りられないかとルディアに言った。するとあちこちに顔の利くウェイトレスはすぐさま手配をしてくれ、準備は万端になった。
「マーメイドがいつまでも陸の上にいるわけにはいかない。できるだけ急ごう」
 ジュドーの発言にレピアも頷いて、一行はその夜のうちに白山羊亭を出立した。
 役割分担もおのずと決まった。昼はジュドーが、夜はレピアが起きて御者台に座り馬を動かすことになった。
 馬車は何事もなく、月夜を進んで行った。
 ミィナはずっと、ガラスケースの中で窓の外を見ている。まだ寝付けないジュドーが物憂げな人魚に話しかけた。
「さぞかし幻滅しただろう? つまらない人間ばかりで」
「……私、結構陸の上に憧れていたんです。人間の王子様に恋をして、脚を手に入れて海を出て一緒に暮らす人魚っていう伝説もありましたし。だから先程の殿方たちのいやらしい目は、ちょっときつかったです」
「……全部を嫌いにはならないでほしい。いいやつもいる」
「ええ、私も気にしていませんから」
 その時、馬車が急に止まった。ミィナが小さな悲鳴を上げる。武士の直感が異変を告げた。
「ちょっと、何よあんたたち」
「おとなしくしろ!」
 何者かと言い争うレピアの声。もう間違いない。襲撃だ。
「魔物か?」
 ジュドーが飛び出す。
「おいおい、俺たちが魔物に見えるかい」
 レピアと相対しているのは、いたって普通の成年男子の集団であった。ただ、幅広の剣を構えている。簡単に言えば賊だ。
「……ん、どうも見覚えがあるが」
「白山羊亭からずっと尾けてきてたのよ、こいつら。人里離れた今がチャンスと思ったんでしょ」
 レピアは忌々しそうに言った。
「目的はあの子ね? どうせ、人魚の肉は不老不死の秘薬だなんて信じてるんでしょ」
「おうよ、高く売れるぜ」
 下卑た笑いを放つ賊たち。ジュドーはため息をつきながら告げた。
「迷信だ。つまらん真似は止して、潔く帰ったほうがいいぞ。今なら見逃してやる」
「はあ? お嬢さん、数の計算ができないのか。こっちは4人だぜ。ふたりでどう勝つって――」
 衝撃音。頭領らしいその男は最後まで言い終えられなかった。レピアの目にも止まらぬハイキックが首にめりこんだ。
「て、てめえ! あ――?」
 残りの男たちは、いつの間にか背後に回りこんだジュドーの峰打ちによって立て続けに昏倒していく。
「我々は並の戦士10人分の強さだ。身の程を知るがいい」
「もう聞こえていないわよ。さあ、行きましょう」
「まったく、またミィナが落ち込むじゃないか。こんなのが次々と追ってくるのだろうな……」
 ジュドーの予想は残念ながら当たってしまった。
 余計な気を起こした人間たちは白山羊亭にはかなり多かったようで、夜が明けないうちに3度、賊の襲撃を受けた。いずれも難なく撃退したわけだが、レピアらは魔物からのボディーガードという名目で依頼を受けたのである。これは遺憾というべきものだった。もっともこれは幸運でもあった。人間で彼女たちに敵うのはそうはいない。賊を退けたのはレピアひとりの活躍によるもので、ジュドーは最初の賊を倒したあとは眠っていた。
 やがて東から淡い光がせり上がってくる。ジュドーは馬車の停車の揺れで目が覚めた。
「おはよう、交代の時間よ」
「……ああ、わかった」
 ジュドーと入れ替わりにレピアが中に入る。
「レピアさん?」
 ミィナもちょうど目を覚ましたところだった。そして悲劇的な光景を目にする。
「じゃ、ちょっと休ませてもらうから」
 レピアは言い終えると――その体が硬く冷たい石になっていった。
「ああ、なんて……なんて可哀想な人」
 ミィナも咎人の存在を聞いたことがあった。人間に恋をして陸に上がった人魚以上に、ただの伝説と思っていたのだ。それを現実としてまぶたに焼き付けた彼女の心に、悲哀の情が浮かんできた。
「……私祈ります。あなたの呪いが解ける日を」
 それぞれに思いを胸に秘めた彼女たちは黙々と南へ。休憩に休憩を重ね、進行に進行を重ねる。
 何者が来てもレピアとジュドーはミィナに指一本触らせることなく追い返す。魔物よりも人間の襲ってくる比率が大きいのはやはりやりきれなかったが。

 数日後の黄昏時。
 右手に、魔物の集団のような光景が現れた。数十じゃきかない数の石柱が海面から上っている。ピラーズケープである。

■エピローグ■

 事は簡単だった。離れ離れになったミィナの姉のミィネが、ここピラーズケープで待機していたのだ。戻ってくるなら必ず住処か、この場所であろうと賢明な予想を立てていたわけである。ミィナが岬の手前の浜辺でミィネを見つけた時は、枯れるほど涙を流して喜んだ。
 美貌の人魚姉妹は、岩に並んで座って感謝を告げた。
「その、不老不死とまではいきませんが、私の血にはどんな怪我も治癒できる効果があります。やはり歌などではなく、できる限りのお礼をしたいと思うのですが……」
「ミィナの笑顔だけで結構だ。傷のない武士というのも嫌だしな」
 ジュドーは笑って拒否した。レピアは踊り子として率直に望みを言った。
「あたしはその歌で充分。ミィナに合わせて踊りたいな。人魚の声ほどこの世に素晴らしい音楽はないしね!」
 そうしてほんの些細なステージが繰り広げられた。ミィナとミィネの美しい混声、レピアの神がかった舞は、空を行く海鳥すら酔わせた。



 その後火照った体を冷まそうと、レピアはミィネの体に抱きついた。すると。
「あ……海の中で、ね。水中でも呼吸ができるように……してあげられますから」
 顔を赤くして人魚は言ったのだった。

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】
【1149/ジュドー・リュヴァイン/女性/19歳/武士(もののふ)】

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■         ライター通信          ■
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 silfluです。このたびはご依頼ありがとうございました。
 自分が人魚好きなのでいつかはと思っていましたが、
 書ける機会に恵まれて本当によかったです。

 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu