<東京怪談ノベル(シングル)>


【灰色の海に漂う】
「またなの?」
「またみたいね」
 レピアは近年で一番深いため息をついた。黒山羊亭女主人エスメラルダに届けられた手紙は、レピアが二ヶ月前に完全に負かしたはずの、くの一グループのリーダーからのものだった。挑戦状である。
「耐えに耐え、忍びに忍んで任務を遂行するからこそ『忍』だっていうけど、まだ諦めていなかったなんて」
「あの子にはこのことを話すの?」
 エスメラルダの問いに、レピアは首を振った。
 あの子とは元くの一グループの一員で、今はレピアが義理の妹として愛でている少女を指している。前回レピアがくノ一たちにさらわれた際も、その義妹の活躍で事なきを得たのだが――。
 もう巻き込むのはこれっきりにしたい。強くそう思った。
「ま、さっさと終わらしてくるわ」
 レピアは手紙をエスメラルダに返して、指定場所――女忍者の隠れ家へと向かった。

 漆黒の夜。三日月だけが眩しいエルザード郊外。
 自分に恐れをなしてもうとっくに引き払ったかとレピアは思っていたのだが、生活感がある。そう大きくない木造建築物は、二ヶ月前と何ら変わらぬままでそこにあった。
(5分――いえ、3分で出てやるから)
 中に入ってすぐ脇の地下室への階段を降りる。その先に木製の扉。
 レピアはそれにゆっくりと手をかける。耳障りな開閉音。
「来てくれたんだね」
 蝋燭に黒装束が揺らめく。くの一のリーダーが部屋の中央に笑顔で立っていた。
 早く片付けたいレピアは会話をする気もなく先を急ぐ。
「この一騎打ちに勝ったら、もうあの子は狙わないのね」
「ええ、二言はない」
 合図はない。仕掛けたのはレピアだった。
 流麗な弧を描く蹴撃。それは彼女の最強魔法ミラーイメージによって、16もの連続砲と化す。そのことごとくが命中した。
 先手必勝の名の通り――たったそれだけでリーダーを地にまみれさせた。
「くっ……」
「あっけなさすぎるにも程があるわよ、あなた。不意をついたのは確かだけど」
「ふふ、さすが。負けた……わね。約束通り、彼女にはもう手は出さない。……あ、待って!」
 地下室を出ようとするレピアを、リーダーはどこか可愛らしい声で呼び止めた。
「何よ」
「……本当はこんな勝負どうでもよかったの。実は私も……あなたに惚れたの、前の戦いで。あなたほど強くて美しい女性は他にないわ」
「残念だけど、あたしはあんたを義妹にする気はないわ」
 レピアは冷たく言い放つが、リーダーは逆に寄り添ってきた。
「ええ、あなたは私のことが大嫌いでしょう。でも、最後にキスを。せめてもの情けに、お願い。それでもう故郷に帰るわ」
 親を失った哀れな幼子のように、涙目で見つめられる。嘘とは思えなかった。
 レピアは――心が動いてしまった。
「んっ」
 重なる唇。何も言わずに、言う通りにしてあげた。
 ――それが不運だと知るのに、数秒を要した。
「あっ! ああ……ああ!」
 レピアは激しく体を痙攣させた。壊れた操り人形のように、クタクタと膝を突く。
「こ、のっ! 罠に!」
「そう、罠。あんたにはこの前の洗脳の火種が燻っていた。私の術はそう簡単には消滅しない。ちょっとしたきっかけがあれば、またすぐに燃えるのさ」
 リーダーは唇に指を当てて妖しく笑った。
 レピアの意識はそこで失われた。

 義妹が黒山羊亭を訪れたのはそれから丸一日経ったあとだった。
「お姉様は来ていますか?」
 エスメラルダはいいえと答えた。
「今日は踊りの稽古の日なのに。エルファリア王女の別荘にもいないんです」
 さっさと終わらせると言ったのに――エスメラルダも気に病んでいた。もはや話さないわけにはいかなかった。
「何かあったのかもしれない。行ってあげて」
 エスメラルダに渡された手紙に目を通すと、義妹は忍に戻った。全速力で瞬く間にかつての住処に辿りついた。
 こういうときこそ落ち着くべきだ。深呼吸する。
 屋内へ。
 そして――嬌声。
(地下室からだ!)
 また義姉は陵辱されているのか? そんなこと許せない。今度は殺してやる。
 木の扉を蹴破った。
「リーダー!」 
 義妹は――脱力した。
 
 レピアが、上に乗っていた。

 青い髪を乱れさせ、レピアはリーダーと体を重ねていた。

「何だ、来ちゃったのか」
 下のリーダーが恍惚の表情で義妹を見た。
 混乱の極みにありながらも、義妹はレピアの目を見た。
 色がない。
 自分からあのようなことをしているのではない。術に囚われているのだと理解し、懐からクナイを取り出す。
「また操ったのね! 卑怯者!」
 義妹がリーダーに襲いかかろうとしたその時。
 血飛沫がレピアを覆った。
 リーダーが自らの喉をその指で掴み、ちぎっていた。
「な、何を、リーダー?」
「がふっ……。あんたも覚えている……でしょう。忍が命を賭して仕掛ける、呪い、を」
 任務は果たしたと最期に言って、リーダーは事切れた。
 レピアにかかった血が、体内に染み込むように消える。
 そして、美しい踊り子の石像が出来上がっていた。
 
 茫然自失としながらも、義妹はレピアの石像を抱え黒山羊亭に戻って、事の顛末をエスメラルダに語った。
「夜の間だけ石化する呪縛……?」
「私たちくノ一に伝わる、命を賭けた最終奥義です。もっとも大切な者を奪うことで、私への制裁としたのです」
「ちょっと待ってよ! 元々レピアは昼の間石化する呪いにかかっているのよ。これじゃあ」
「はい、お姉様は永遠に石像のまま……です」
 義妹は歯を噛み締め、涙を流した。悔し涙だ。
「そんな……」
 エスメラルダは頭を抱えた。彼女にとっても、レピアは良き友以上の存在なのだ。
 だが、義妹はそれ以上悲しみに甘んじはしなかった。
「エスメラルダさん、お姉様をお願いします」
「……あるの?」
「解呪の方法はきっとあります。……私、旅に出ます。絶対に見つけます」
「頼むわ」
 エスメラルダにはそれしか言えなかった。