<東京怪談ノベル(シングル)>


■マモリタイカラ■

 思えばこんなに遠くまで来ることはなかったのだ。
 見渡す限りの地平線と、右側の天まで突きそうな崖を交互にげんなりと見上げながら、オーマ・シュヴァルツは思う。



「急患だ! オーマ、こいつここの街のヤツじゃねえぜ!」
 そう顔馴染みの者が意識不明の少年を担ぎ込んできたのは、数日前のこと。
 熱射病のような症状だったので、手早くその処置を施してやると、間もなくして茶髪に緑色の瞳のその少年は意識を取り戻し、もう普通に食べたり飲んだり出来るようになった。
 聴くと、旅の途中で妙に熱くなって倒れたのだという。
「しかしなあ、倒れた場所がよかったぜ」
 オーマの言葉に、少年は小首を傾げたものだ。
「後数秒、処置が遅れてたら死んでたかもな、お前さん」
 からかい口調を交えていることにも気付かず、少年はその言葉に震え上がったものだ。
 じゃ、お金がないのでこれで、と彼が差し出したものは、携帯食だった。旅に欠かしてはならない貴重なものだろう。
「んや、大したコトしてねえし。いらねえよ」
「でも」
「それよか、どこまで旅に行くんだ?」
 目的地を聞くと、まだまだ遥かに遠い。しかも、途中には盗賊が出ることで有名な場所だった。
 うーんと少し考えて、オーマはこの退屈な日常と暫しの別れをすることにした。
 実際、最近は退屈で退屈で仕方がなかったのだ。自分の境遇のことを顧みることも熱さにやられてあまりなかったし、患者もそんなに重症患者もおらず、不謹慎ではあるが医者と名を侍らしている彼にとっては、暇な毎日を送っていたのだ。少しばかりお暇してもバチは当たるまい。
 そして、オーマはこの少年の「護衛」と称して、いい退屈凌ぎに街を出たのだ───が。



「本当に助かります、オーマさんは地理にも詳しいし、水の出る場所も知っているし」
 少年のほうは、真っ直ぐ真摯な瞳で子犬のようについてくる。
「いやぁ……思ったよか遠いな。歩くと。お前の目的地」
「ええ、そうなんです。ぼくもあのままだったらきっと死んでいました」
「だろうな」
 あっさりとそう言えてしまうほどの距離、場所状況の悪さ。
 今歩いている場所は、砂漠よりも少し湿り気はあるが、歩きにくい。崖がいい日陰になってくれるのだけが幸いだった。
 夕方に近づく頃、崖の一部から水がちょろちょろと出ているのに気付き、オーマががつんと大破させると、じゃばっと小さな滝の如く流れ出てきて、少年は喜んで飲んだ。
 そろそろ盗賊でも出そうな雰囲気だな、とオーマは思う。
 哀しいかな、こんなことに関するカンまでも鋭いのだ。
「お前、なんでこんなに遠い旅してるんだ?」
 オーマが幾度か寝る前に聞いたが、少年は詳しいことは何も喋らず、ただ微笑んで、
「渡したい大事なものがあるんです」
 とだけしか、言わなかった。
 この夜も、そうだった。
 昨日通った森で拾い集めていた木を袋から出し、焚き火にする。簡単な食事───塩漬け肉を焼いたものや、パンに水───を摂り、オーマ達はごろりと横になった。無論、砂が服の中に入っては嫌だから旅の必需品の一つである毛布は敷いている。
 少年がぐっすり眠り、オーマもこくりこくりとした辺りで、思ったとおり盗賊は現れた。
 目を閉じたまま、オーマは神経を研ぎ澄まして人数を数える。
(二人───三人)
 三人か。随分とシケた盗賊団だ。
 思いつつ、むくりと起き上がったオーマに、盗賊達は驚いたらしい。分からない言葉で怒鳴りつけ、刃を向けてくる。
「お、オーマさん」
 怒鳴り声の辺りで起きた少年は、オーマにぴったり張り付くようにして怯えているが、オーマは欠伸をしたい気分だった。これじゃ家にいた時と退屈さはかわんねえな、と。いや、寧ろ疲労する分損した気分だ。
「あの、あの盗賊達、言葉が分かりませんね」
「ああ、ヨソモンだろ。ここらへんで稼いでどっかに帰りたいんじゃねえのか?」
「帰りたい───?」
 少年が少しうつむいたのに、オーマは気付いた。しかし、外野が煩い。
 だが言葉が通じないとあっては───。
 オーマは仕方なく、手つきで自分の意志を伝えてみることにした。
 手を自分にさし、相手達の心臓を指差し、親指と人差し指とでマルを作ってにっこり笑う。
 その隣で少年が、「あ、オーマさんの言いたいこと分かりました」と目を輝かせる。
「自分は怪しいものじゃない、仲良くなりたい、OKでしょうか? という意味ですよね?」
 にっこり笑った時点で、仲良くなるフレーズということらしい。だが、オーマは目を細めて「ノー」と言った。
「(自分を指差し)俺に喧嘩ふっかけんなら(相手の心臓を指差し)殺んぞ(マルを作って笑う)コラ? が正解」
 そうしているうちにも、イライラしてきたのか、盗賊達の一人が切りかかってきた。
 それを綺麗に交わしつつ首に手刀を食らわせ気絶させてから、ひるんだもう二人に、またにっこりと地獄の微笑みを送る。
「旅の疲れを取る大事な睡眠時間を削ってくれやがったな?」
 言葉は分からなくとも、状況とオーマの表情とで察したらしい。盗賊達二人は、ぺこぺことあっさり頭を下げ、気絶した一人を引きずって逃げ去っていった。
「さ、寝ようぜ。これで暫くは安眠確保だ」
「はい!」
 元気よく返事をして、また毛布の上に横になる少年を目の端に見つつ、ヘンだなとオーマは思う。
 まるで諦めたような、撤退振りだ。それとも、何かを確認しに───盗賊を呈して様子を見に来た感じが強い。
(気にしすぎか……?)
 思ったが、睡眠不足は身体に毒、と、オーマは眠りに就いた。



 それ以降は特に何事もなく、時には馬車の荷台を借りたりしてようやく少年の目的地に辿り着いた。
 それほど大きくも小さくもない、何の変哲もない街に見える。
 が、何かオーマは悪寒がした。
(なんだ……?)
 これは───長年、そう……本当に永く生きている彼の記憶のどこかにあるものと似ている、雰囲気。
 少年は街に入って噴水の辺りまでくると、くるりと振り向き、ぺこりとお辞儀をした。
「オーマさん、ここまででいいです。有難うございました」
「そうはいかねえな」
 ぐいと少年の手首を掴む。
「お前の持ってる病気、まだ『全部』治療しきってねぇからな」
「!」
 少年は目を見開く。自分で知っていたのか。
「近くの診療所借りるぞ」
「嫌です!」
 それでもずるずると引きずられていってしまう、少年。街の人々は、それを不思議そうに見ていた。
 病気───そう、これは過去、オーマの記憶の中にある「悪疫」だった。旅に出る前それを知人友人に報せなかったのは、混乱を恐れたため。
 この病気は、体内に毒を溜め続け、やがて紫色の斑点が出来ると翌朝には死に至るというものだ。
 それまでは健康体となんら変わらない。病気の小康状態として、途中、熱射病のような症状が出る、といっただけである。
(けど、どうしてこの小僧は知ってて治すの嫌がってんだ? 別に治療自体はコワくもなんともねえのに)
 すると、暴れていた少年はふとそれをやめ、小さな声で言った。
「……ウォズ、って知っていますか、オーマさん」
 ぴくり、オーマの足が止まる。
「……お前、何者だ」
「ただの……人間です。ウォズである彼女を愛した、ただの───」
「な……!?」
 今度こそ、オーマは目を見開いた。
 手首を握る力がその瞬間弱くなったのだろう、その隙に少年はオーマの手を振り解き、走っていく。
「待て、どういう事だ!」
 必死の少年は、近くの家に入る。その扉が閉められる直前に、オーマは足を挟んでこじ開けた。少年は、一室へ入っていく。
 オーマが追いかけていくと、そこは寝室で、完全な女性の人型を取ったウォズが───汗びっしょりで唸っていた。
(あ───!)
 思い出した。
 これは、悪疫。否、これ「も」悪疫。症状は風邪と変わらず、治療法はただ一つ、もう一つのある種の悪疫と「合わせる」ことしか治療法がないもの。
 そうか。だからこの少年はワザと自分の身体に「悪疫」を持ち込み、治療も頼まずここまで来たのか。
 だが、オーマの腕ならどちらも治せる。
「来ないでください!」
「どけ、俺なら治せる!」
 少年をどかせ、彼女がウォズというのにも構わずオーマは布団をはいだ。
「……!」
 そして、更に驚愕する。
 彼女は───孕んでいた。下腹部が大きく膨らんでいることで、それが分かった。
 ザッ、という音にオーマはハッとして振り向く。
 少年が、短剣で自分の腕を深く切り裂いたところだった。悪疫にやられた紫を帯びた血液が流れ出ていく。
「色々───調べたんです。彼女と共に。ウォズのこと、そしてウォズもかかってしまう病気のこと、その治療法、子供が出来ていた場合───」
「……待て」
「オーマさん、あなたは……ヴァンサーなんでしょう? ウォズの間では有名です。でも」
「違う、俺は」
 オーマは喘ぐように言った。
「俺はウォズすら救いたいと思ってるんだ!」
 すると少年は、血を彼女の下腹部に垂らしながら天使のように微笑んだ。
「……分かっていました」
 だから。
 ───巻き込みたくなかった。
「そんな……オチで終わらせんなよ」
 オーマは持ってきていた医療用具を取り出しながら言う。まるで助けを請うように。
「そんな悲劇的なオチでお前の人生終わらせんな!」
 人生ってのはそんなもんじゃない。
 もっと明るくて楽しくて、少し哀しくても誰かと乗り越えて。
 永く生きてきた彼だからこそ、それがよく分かる。
「……!」
 ふと、唸っていた娘が目を見開き、オーマの頭を抱き抱える。ザクッと音がした。
「愚かな───人間と愛し合ったばかりか、我らの宿敵であるヴァンサーを庇うとは」
 開きっぱなしの扉、そこから入ってきたのだろう。半獣型のウォズ、そしてその後ろにはこの前の盗賊達三人がいた。彼らはただ雇われただけなのだろう。
(そうか───この小僧を泳がせてたのか)
 盗賊達が「確認」したのは、少年の居場所。ついでに盗賊紛いのこともしてきたに過ぎない。
 泳がせていた───娘の居場所を知るために。
 鋭い鍵爪で背中を裂かれた娘をそっとどかし、オーマは、血の気が失せてきて跪いていた少年を娘の隣に寝かせ、自分はその前に立つ。
 ジャキン、
 音は重かったが、跡を残さない。デカいだけの飾りの武器ではない。それを見せ付けるような音。
 それと共に現れた、オーマの身体半分までも覆うような銃。それを難なく支え持っているオーマの力も凄いものだと窺い知れた。
 半獣型のウォズは、ふっと笑う。
「オーマ・シュバルツ。
 お前の事はようく調べてある。例え我々ウォズでさえも殺せない、ということまでな」
「どうかな」
 オーマらしからぬ台詞がその不敵に笑んだ口元から零れ出る。
 一瞬半獣型のウォズが怯むのを見越したように、銃が吼えた。
 あんな台詞の後、直後に引き金を引かれたら誰でも目を閉じるもの。再び目を開けた半獣型ウォズの視界にあったのは、オーマの大きな手の平だった。
 しまった、などと言う暇もない。
「昏い闇と常するウォズよ
 我が手を永遠(とわ)と真の安らぎとし夢見よ
 ───封印!」
 口早に言った言葉とほぼ同時に光が家全体までも包み込む。光が消えた時、もうそこには盗賊達三人しか残されていなかった。その三人もまた、不思議な顔をしていたが、自分までも「消される」と思ったのか逃げて行く。オーマは追わなかった。今は、少年と娘のほうが大事だ。
 振り向くと、娘は少年の手をそっと掴んだところだった。
「待ってろ。今治して───」
 オーマはそして、言葉を凍りつかせた。少年の瞳は、既に閉じられていた。
 娘が、涙を零しながら、それでもオーマに微笑む。
「……ありがとう」
 そして、苦しみ始める。
「!」
 陣痛だ。
 なんてことだ───オーマを庇い、その傷すら治していないのに陣痛とは。
 光を不思議に思った近所の者や通行人達が覗いているのをいいことに、オーマは、
「赤ん坊が生まれる! 手を貸してくれ!」
 鶴の一声を放った。
 間に合うか?
 騒ぎつつも赤ん坊を取り上げる準備をしてくれる周囲の人間達に気付かれぬよう、娘の下腹部をさする。
 少年の遺体について、周囲の人間達は、今は何も聞かないようだった。短剣を自分で持っていた故、自殺とでも思っているのかもしれない。
「頑張れ」
 オーマは、娘の汗を拭ってやる。無論、傷も治療済みだ。
「死なないでくれ───」
 ウォズといえど、オーマには関係ない。
 命なのだ。たった一つしかない、誰もが一つずつしかもたない、ただ一つの命なのだ。
 命があるからこそ、愛も生まれる。何もかもを生んでくれる、生き物が持つ奇蹟のものの一つなのだ。
 こんな時に、愛する妻を、娘を思う。いや、こんな時だからこそ、なのかもしれない。
 娘は目を開き、オーマを見ると、ふっとまた微笑んだ。そして何かを言いかけ、
 ───こときれた。
「生まれたよ!」
 うつむくオーマの耳元で、産婆の声と共に、元気な赤ん坊の声が聴こえてくる。
「ああ───」
 それが、ただ一つの今の拠り所のように。
「幸せになるために、生まれてきたな───」
 命を重んずるが為、自分の不甲斐なさにもこの悲劇にも一時的にでも精神が弱っていたオーマは、涙のような微笑みを浮かべ、縋るようにその新しい命を抱きしめた。



 今度妻や娘に会ったら、改めて言おう。
 街の墓場、二つ寄り添うように並んだ墓の前で、オーマは風に吹かれながら思う。
 ───生まれてきて、ありがとう、と。
 そして彼は、ゆっくり瞳を閉じ、また瞳をしっかりと開けて、故郷に戻るため、二つの墓に背を向けたのだった。



《END》


**********************ライターより**********************
こんにちは、初めまして。今回「マモリタイカラ」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。
わたしのシチュノベにしては長いほうになりましたが、如何でしたでしょうか。
今回は、わたしのテーマとしている「命」と「愛」を軸にして描かせて頂きました。しかし、オーマさんはこれほど精神的打撃は本当には受けないのかな、どうなのかなと少し心配です。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで、書かせて頂きました。本当に有難うございます。
少しでも、楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆

【執筆者:東圭真喜愛】