<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
【娼館に魅入られた淫魔】
ベルファ通りの片隅に娼館『ドリーミング』はひっそりと佇んでいる。男女誰でも入れるのが大きな特徴で、相手をするのは方々から集まった美男子と美女。この店が人気を得るのにそう時間はかからず、毎日様々な人間が一夜の夢を求めて来店するようになった。
女主人のダイアは今、黒山羊亭のエスメラルダを訪れている。2週間前の開店挨拶以来である。
「あなたもうちで働かないっていうなら前回お断りしたはずよ?」
エスメラルダの先制攻撃をダイアは軽くいなす。
「今日はそのことじゃなくてね。人を探しているの」
「ここは売春人斡旋所じゃあないわ」
「違うったら。うちでちょっとした事件が起きてね。それを解決してくれる心強い人が欲しいの」
ダイアは語った。昨日新しく入ったリムルという女が、客の精を廃人寸前まで吸い取ってしまったのだと。
おかしいと気づいたダイアが問いただすと――リムルは自分が淫魔だと認めたのだ。
「なるほど、居座ったのね」
エスメラルダは念を押した。ダイアは困った顔でそうと言った。
「出てけって言ったらお前を殺す、だもの。どんな手段でもいい。あいつを追い出して欲しいの」
そこへ、今しがたステージで踊り終えたばかりの女性がエスメラルダのところへやってくる。
「お困りのようね?」
わお、とダイアはその踊り子を見張った。あまりにも彼女が美貌だったからだろう。艶のある青い長髪、同じく生まれたてのような海のような碧眼。谷間を自信たっぷりにさらけだした豊満な胸。ルックスもスタイルも、今までダイアが見てきた女性の中でも特級だった。
「ちょっと、誰よこの美人さんは! ぜひうちにほしいわ」
ダイアは急に張り切るが、エスメラルダは無視して説明する。
「……そういうわけなんだけど、可愛い淫魔なんてのは興味の範疇かしら、レピア?」
何を今さら、と踊り子レピア・浮桜は笑った。レピアがいわゆる百合なのはエスメラルダ自身が身を持って知っているはずである。
「この依頼、引き受けるわ。まあ、対処法は今から考えるけど」
「OK。でもひとりじゃ不安かな。……ねえ、聞いていたでしょアイラス。力になってあげてくれないかしら」
「そう、ですね。お手伝いしましょうか」
一番近いテーブルに座っていた少年が振り向いた。メガネの奥の瞳はいかにも優しげで、この歓楽街には似合わないと思わせるほど。
「誰だいその坊やは」
ダイアが彼を怪訝そうに見る。
「アイラス・サーリアス。まだ若いけどエルザード全体でも腕利きの冒険者よ」
へえ、とダイアは嬉しそうな表情になる。エスメラルダの言うことだから間違いはないと思ったのだ。
「ともかく、僕も今から考えます。どうするか決めてから出発しましょう」
アイラスは冷静な面持ちで言った。
やがて依頼請負人のふたりはダイアに案内されて『ドリーミング』へ向かった。ベルファ通りの端の端、黒山羊亭より一回り大きな、白を基調とした二階建ての建築物。どんな仕掛けかはわからないが甘い香りも漂ってくる。
「思ったより清潔感がありそうね」
レピアが外観を見回した。
「当然。お客さんに気持ちよくなってもらうのが娼館の基本にして究極だからね。アタシはいつもそれだけを考えてる。……だからあいつが邪魔なの」
ダイアに続いてアイラスとレピアは入口をくぐった。来客を知らせる鐘が鳴った。
床は赤い絨毯で敷き詰められている。正面にダイアの席であるカウンターがあり、左右に通路が延びている。通路の脇には言うまでもなく個室がある。
「リムルはそこに陣取ってるわ」
ダイアは右の通路の一番手前の個室を指差した。
「とにかく。早く片付けちゃってちょうだい。開店前に終わらせたいわ」
「うん、行きましょアイラス」
「了解」
レピアは深呼吸し、ゆっくりと扉を開けた。
「あれえ、まだ店開いてないのに」
ふたりは背筋を振るわせた。内臓をくすぐられるような、妙な感覚が襲ってきた。
「気が早いのね。そんなに私を抱きたかったの?」
可愛らしく、艶のある声だ。そして下着姿のその容姿。
触ったら壊れそうなほどあどけない顔、清純そのものの黒い瞳とストレートな黒髪などは少女のそれ。なのにやたら出ている胸をはじめ、しっとりと質感のよさそうな肌がベッドに横たわり、視線を捕らえて離さない。
アイラスもレピアも、頭がクラクラしてくる。だがそれは、単に妖艶な姿形に起因するものではなく――。
「ふたりがかり? いいわよ。早く来て」
「あのすいません。チャーミングの魔法、ちょっとやめてもらえますか」
アイラスが言うと、リムルが目を剥いて起き上がった。目の前のふたりが一流の冒険者と知ったのだ。
「この妖気じゃ、並の人間はたちどころに参っちゃうわね。あいにくあたしたちには効きは薄いけれど」
レピアは頭を押さえて深呼吸した。
「……あんたたち、私をここから追い出そうっていうのね。いやよ。黙っていても獲物が寄ってくるここは最高の住処だし。殺してるわけじゃないんだからいいじゃない」
「違いますよ。僕たちは君と話し合いに来たんです」
間髪を入れずにアイラスは答える。
「ええ、淫魔が精気を吸うのは人間が生き物を食べるのと同じだからね。少なくとも力ずくで追い出すってことはしないから安心して」
レピアはリムルの隣に座った。リムルは顔をしかめながらも魔法を解いた。アイラスたちは少し楽になり、話を続けた。
「率直に言いますとね、お客さんをボロボロになるまで吸うっていうのは遠慮してくださいってことで」
「ふん。そもそも私のチャーミングは前後不覚にさせるほどのものじゃない。あんたたちみたいに自我の強い人間なら余裕で跳ね除けられる。つまり男たちは自分の意思で私を抱いてるの。快楽を得られるなら枯れてもいいってね。私はほんのちょっと誘惑してるだけにすぎないわ」
「淫魔のほんのちょっとは人間とは感覚が違うでしょ」
「知らないわ、そんなの」
まあまあ、とアイラス。
「相手から摂取した精気を増幅し、増幅した分のみ自分のものにして、摂取した精気を相手へ返すようにできればいいんですがね。交わりによって気を高める――これを房中術といいますがご存知ですか?」
「何それ。聞いたこともないわ」
「そうですか。じゃあ……君はさすがに誰もが注目する容姿ですし、きっとこの館での人気も出るでしょう。ひとりから大量摂取するのではなく、たくさんの人から少しずつ精気を摂取するようにすればいいのではないですか。それでお店も儲かりますし持ちつ持たれつです」
「私は一気に吸い取るのが好きなの。枯れていく様を見るのも好きだし」
「それは改めてください。このままでいればエルザードに悪い淫魔が住み着いているって噂になる。そうしたら屈強の城の兵士が君を討伐に来ますよ」
リムルは黙った。アイラスの理屈は正しいと思ったのだ。
「あたしもたくさんの人から少しずつっていうのが一番いいと思う。痛い目に遭いたくなければね」
レピアも強く言った。
「……そんなの、満足できないもん」
淫魔は急に子供のようになった。無闇に狙われたくはないが、自分は好きなようにしたいという風である。実際に子供なのかもしれない。
レピアがリムルに寄り添った。
「ええ、淫魔の性欲は底無しだものね。ご馳走だってちびちび食べていたんじゃ魅力は半減する」
「?」
「その満足できない分は……あたしが思いっきり注いであげる」
レピアはアイラスを見た。委細承知、とアイラスは個室を出た。
カウンターに座るダイアがアイラスを見て、慌てたように声を上げた。
「ちょっと、解決したの?」
「ええ、何とかなるでしょう」
「縛り上げたりしたわけ? それとも眠らせた?」
ダイアが確認しに個室に向かおうとすると、
「今はお取り込み中です。もうしばらく……いや、朝までレピアさんに貸しきってあげてください」
アイラスが笑って言った。
■エピローグ■
「さすが、頼りになるわね」
娼館の依頼があった翌日の夜。エスメラルダは解決の御褒美と、アイラスとレピアにワインを注いだ。
「あのご主人も、リムルのスター性というか金の卵の素質を認めていまして。館に留まることを了承したばかりか労働の報酬はたっぷり弾むと言いました。今後もお客に迷惑をかけなければ何も言わないって」
アイラスがグラスを仰いだ。
「本当はあたしが独り占めしたかったんだけどね」
レピアは残念そうにため息をついた。
結局リムルは、普段はアイラスの提案した、客から少しづつ精をもらう方法をとることにした。しかしそれは到底満たされない『仕事』である。そこで、毎日レピアとの情事で『本能』を発散させる――。
「レピアさん、どうかしましたか?」
アイラスが聞いた。
「ん、昨日のこと思い出してね」
レピアは昨夜、かつてない快楽に身をゆだねた。リムルのペースではなく、自分のペースで抱いた。焦らしつつ、壊れ物のように優しく扱い、何度でも楽しませ、楽しんだ。石化するギリギリまでリムルと交わった。本当に独占したいと思った。
その後にリムルは石像のレピアを黒山羊亭まで運び、ここに住むように言われたとエスメラルダに告げた。女主人は驚いたが、義妹ができたのねと微笑んで了解した。
「しかしあなたも底無し。よく淫魔と交わって耐えられるものね」
「何百年も生きていると、耐えられないことなんてそうないわ、エスメラルダ」
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1926/レピア・浮桜/女性/23歳/傾国の踊り子】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
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■ ライター通信 ■
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担当ライターのsilfluです。発注ありがとうございました。
これまでの自分とは少々毛色の異なる話でした。
直接的な描写ができないのが残念?
それではまたお会いしましょう。
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