<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


アンバランス・バランス

 頬をなぞる柔らかな金の髪はまるで絹糸のように滑らかで、思わず触れてみたいという衝動に駆られる。
 風に踊るたびに、細い顎の輪郭を行ったり来たりしている髪を指先に掬い、小さな甘い唇の感触を味わってみたくなる。
 彼女の漏らす吐息は骨を融かすほど熱いのだろうか。
 白い肌はその奥に血の道があるのだとは決して信じられない程に透き通ってどこまでも白く、赤く染めて『生』を確かめてみたいと思わせる。
 彼女が悦びに満ちて染まる色はどんな色であろうか。
 優しく残酷な思いが支配する。
 駆け引きも理性もいらない。ただ瞳を閉じて、欲するままに。
 夢が咲き開くのは夜。それは泡沫の儚いものだけれど確かに在るもの――。
 望めば昏い闇の中でだけ、いつでも手に入れられる時限付きの快楽。
 心以外なら誰のモノにでもなる、名も無い花の咲く場所。
 
「はぁ……」
 周囲を憚らない大きな溜息を漏らしたのは、濡れた桜色の小さな唇だった。
 小さな顔に金の髪、白い肌は瑞々しく輝き、澄んだブルーの瞳は遠く美しい海の色だ。
 腕の立つ職人が丹精込めて造った人形のような整った美貌と肉体。
 行儀が良いとは言えないが、肩肘をデスクに乗せて顎を支え、パラパラと紙を捲る彼女の組んだ細い足が一定の間隔で揺れている。
 その度に振動を受けて揺れる大きな胸に、思慮ある男性であれば目のやり場に困るであろう。
 多くの女が嫉妬してしまう『女の武器』を彼女――レイチェル・ガーフィルドはごく当たり前のように手中にしている。
 が。
「はぁ……」
 そんな彼女の口から漏れるのはやはり溜息なのだ。
 レイチェルは娼館『ドリーム・ムーン』の主人である。
 あまり語られる事はないが、これまで彼女が歩んできた道は決して平坦ではなかった。
 とは言え、この世界に生きる者にとって、詮索するのもされるのも、それはとても無粋な事だ。
 彼女は常に笑みを絶やさないし、その横顔に翳りが落ちるのを見た者は少ないだろう。
「ちょっと、あんた達……」
 レイチェルの視線の先にいる二人の男は掃除道具を手にしてはいるが、作業はまったく進んでいない。
 二人の男とは、エドワード・田中とレックス・山根。共に27歳。彼らは『ドリーム・ムーン』の従業員だ。
 お笑い芸人を目指し『妹コントロール』なんてコンビを組んでる彼らは、昼は街に出て路上でネタを披露して腕を磨きつつ、夜はここでバイトするという生活を送っている。
 そんな彼らが真っ昼間にドリーム・ムーンに居るのは臨時の大掃除に借り出されたからなのではあるが……手にしたモップを動かす事はなくネタ合わせなんかしてたりするのだ。
 その声が嫌でも聞こえてきてしまうレイチェルの口から何度目かの溜息が吐き出される。

二人:「「どーも、妹コントロールでーす」」

田中:「早速ショートコントいきます。コント・カップル」

山根:「あはは、デート楽しいね」
 
田中:「僕も楽しいよ」

山根:「あ、そうだ。背中に私の気持ちを書くね。当ててみて」

田中:「あ、いいよ。でも直接言えばいいのに」

山根:「いいから、背中向けて」

田中:「はい。い、痛いな。なんて書いたの?」

山根:「昇り龍」

田中:「刺青かよ!」

「……俺の視界から消えろ。跡形もなく消えろッ」
 手にしていた紙を投げつけたレイチェルは肩を上下させて荒い息を吐いた。
 レイチェルがキレるのも無理はない。
 当然ながら好みというものは彼女にもあるが、どんな客も隔てなく相手をする商売柄、許容範囲は広い方である。
 それに加えて彼女は男女どちらでも可だったりする間口の広さ……なのだが、どうにも目の前の野郎二人は好きにはなれない。
 いや、ぶっちゃけ嫌いだ。それも『生理的に』という手の施しようのないレベルで。
「おまえ、アレの日か?」
 あんな脱力ネタを披露した挙句にこんな台詞をのたまうデリカシーのない田中を一瞥して眉間に皺を寄せたレイチェルは軽く舌打ちした。
 彼女の気持ちを代弁するなら「嫌なモン見ちゃった」となるだろうか。視界の端に入るのですら拒絶してしまう程だ。
 ひょろひょろと細く背の高い田中は、混血らしく白い肌に茶の髪と黒い瞳。これが超絶に何と言うか……キモイ。
 普通なら、混血は人気があるのだが。
 お笑い芸人としては恵まれた容姿と言えるであろう。まさに天からの授かりもの。
 相方の山根も同じく折れそうな程に細く、背が高い。金の髪に黒の瞳で田中と同じく混血であるが、こちらは更に神の存在を疑いたくなるような出来栄えだ。
 どちらも笑いの神に愛されたと言えば何となく救われる気がするが。通常生活においては恐らく支障をきたすばかりであろう。
 何より女日照りの27年間(知らないが決め付け)が物語っている。いや、『カップル』って題材のネタであんなレベルなのだ間違いないだろう。
 田中と山根が女日照りだろうが、後ろ指さされて笑われてようが、避けて通られてようが、顔を背けされてようがレイチェルの知ったことじゃあない。
 ――のではあるが、何しろ彼らはドリーム・ムーンの従業員だ。
「あんた達がそんなんじゃ売り上げにも響くだろ。ここは娼館なんだよ」
 まぁ、ただの雑用の雑用の雑用に過ぎないけど。という後の言葉はとりあえず飲み込んで。
「そう言われましても僕達、女性には縁がありませんし……」
「言われなくてもそんな事は分かってるよ。っていうより、縁がある訳がないだろ、どう見ても」
 弱々しく口を開いた山根ににべも無く答えたレイチェルは、暫し押し黙った後で指を鳴らした。
「しょうがない。あんた達にも女に慣れて貰わなくちゃ困るからな。デートだ」
「「で、でーと?!」」
「ついでに買い出しもあるしさ。荷物持ち代わりにはなるだろ」
 驚く二人に口端を上げて笑む。
 デートと言われ田中はすっかり舞い上がってしまったようだ。

 そんな訳で街へとくり出した三人は店の立ち並ぶストリートを歩いていた。
 実情は『デート』と名のついたただの買い出しであるが田中の足取りは跳ねるように軽い。
「なあ、なあ、どこに行くんだ?」
 初めてのデートにすっかり舞い上がり、顔を綻ばせてレイチェルに問いかけるが、答えはない。
「なあ」
「うるさい。話しかけないで」
 視線をこちらに向ける事も無く言い捨てられる。
「いや、だって話しかけるなって言ったってデートだろ?」
「…………」
 答えるのも億劫なのか今度は完全無視だ。
 そもそも並んで歩いているもののレイチェルは田中の顔は一度も見ようともしない。
 山根はそんな二人の背を見ながら、少し遅れて歩いている。
 話しかけても先程のような扱いで、これでデートと言えるだろうか? 田中の心に疑問が浮かぶ。
 ただ並んで歩き、いくつかの店で物を買い、その荷物を持つ。そうして時間が過ぎる中で、会話がある訳でも視線が合う訳でもない。
 話しかけても無視されるか「話しかけないで」と言われてしまうし、視線などはあからさまに外されている。
「あら。いい男」
 その上これだ。
 レイチェルは通り行く男らには熱い視線を送り、目が合えば艶やかに笑んでウインクや投げキスをするのだ。
「もー、あったまきた! これのどこがデートなんだよ!」
 とうとう田中が荷物をぶちまけて叫んだ。怒りが頂点に達したようだ。
「何怒ってんの?」
「だから、これのどこがデートなんだよ! おまえ、他の男しか見てないだろ!」
「えーと。……そうだったかな……ごめんごめん」
 レイチェルにしてみれば並んで歩くだけでも相当の譲歩と言うか……その努力は認めて欲しい所であったが、確かにこれはデートとは言い難かったであろう。
 そんな二人のやり取りを静観する山根はふむふむと頷き、
「カップル修羅場編の参考に……」
 とか何とか呟きながら取り出したネタ帳にペンを走らせている。参考にするの間違ってる、きっと。
「だから悪かったよ。……機嫌直せよ」
「じゃあ、キスしてくれたら許す」
「ほんと?」
 レイチェルは娼館の主人だ。キスなんて朝飯前どころか呼吸をするのと何ら変わりない行為と言ってもいい。心を偽るのにも慣れてしまった。
(「まぁ、ここは犬にでも噛まれたと思って――」)
 ぐっと拳を握ったレイチェルは己に言い聞かせるように頷いた。
「じゃあ、目閉じて」
 レイチェルの言葉に生唾を飲み込んだ田中は静かに目を閉じる。どきどきと鼓動が早くなるのが分かった。


「?」
 いつまでも重ねられない唇に片目を開けた田中が突然叫んだ。
「ああああああああ!!!」
 彼の目に映ったのは、離れていくレイチェルの後姿だ。
「ごめーん。やっぱり無理」
 一度振り返った妖艶な女は悪びれず笑ってそのまま去っていった。
「……二人でお笑いの頂点を目指そうよ」
 がっくりと肩を落とす田中に山根が微笑む。

 頑張れ、妹コントロール。
 彼らの未来は――どっちだ?