<東京怪談ノベル(シングル)>


 □優しい日□


 今日も天使の広場には大勢の人が行き交っている。
 広場の名にもなっている天使。大きな石の翼が広げられたその下では吟遊詩人が唄い、それらをぐるりと取り囲むようにして小さな店が出されている。
 いい匂いを漂わせる食べ物屋や、交易で仕入れたらしい珍しい飾り物を並べる店。他にも数え切れない程の店が並び、休日という事もあるからか、広場は人波でごったがえしていた。

「うわぁー…、人がいっぱいだねぇ……」

 久々に街に出てきたジュディ・マクドガルは、可愛らしい唇をぽかんと開けてその光景に見入っていた。
 以前、父と来た時は休日ではなかったので、この広場がここまで人で溢れかえるのを彼女は見た事がなかったのだ。

「そうだよねー。私も最初見た時はびっくりしたものよ、この街ってこんなにいっぱい人がいるんだ!! ってね」

 そう言って傍らに立ったのは友人であり、今日この街に来る事を提案してくれた少女だった。
 少女もジュディも二人揃っていつもの服ではなく、くるぶしを隠すほど丈が長くシンプルなスカートを履いている。これから行く場所というのは荘厳な場所である為に母親から着るように言われた衣装だったが、ジュディは慣れないロング丈のスカートに違和感がしてならないのか、時々裾を摘み上げるような真似をしていた。
 それに気づいた少女は軽くぺしり、とジュディのスカートを摘んだ指を叩く。
 
「こらジュディ、スカートそんな風に摘んじゃ駄目でしょ。皺がつくわよ」
「だって、何かこれ動きにくいんだもん。やっぱりあたしはいつもの動きやすい服の方がいいなあ、だって飛んだり跳ねたり走り回ったり、色々できるもん」
「……今から行くところでそんな真似したら神父さまに怒られるから止めてよ、頼むから」

 はぁあ。とため息をついて、少女は首をぐるぐる回して興味深そうに店を見ているジュディの手首を引っ張り、歩き始めた。

「ほーらっ、きょろきょろしない!! 行くよ。お話の時間まであといくらもないんだからっ」
「……あのお店の氷菓子食べてからじゃ駄目?」
「だ・め!!」
「……………はーい」

 名残惜しそうな顔をして、小柄なジュディは少女に引きずられるまま広場を縫うように歩いていく。
 普通ならば人ごみの中で流されてしまいそうなジュディだが、日ごろ鍛えた運動神経のお陰でうまく人をさばき、誰かにぶつかって足止めをくらうなどという事もほとんどない。
 けれど引っ張っている方の少女はそういった事は不得手なのか、人にぶつかったり謝ったりを繰り返していた。

 しばらくそれを見ていたジュディは、やがて何かを思いついたように大きく頷くと、人と人の隙間が僅かに開いたのを見計らって一息に少女と自分の前後を入れ替えた。

「え?!」

 突然逆転した二人の場所に目を白黒させている少女に振り返り、ジュディは満面の笑顔で言った。

「あたしの方がこういうの大丈夫っぽいから、先に歩くよ!!」

 少女はその言葉に一瞬ぽかんと呆けたが、しかしすぐに笑顔になって頷き返す。

「……うん、分かった。その代わり、絶対に手、離さないで頂戴よ?」
「はーいっ!」

 ジュディと少女たちはあくまで賑やかに、そして軽やかに、広場を踊るようにしながら通り過ぎていった。





「…………私たちが今ここに在ること、それは世界が始まったその時から私たちを護り育んでくれた自然の加護によるものであり……」

 朗々と、朗々と。
 神父の低く、けれど心地よい声が、長椅子に腰掛けて説教を聞く者の耳を撫でていく。

 教会は街の喧騒から離れた場所に海を臨むようにして建っていた。
 蒼い海の色を背にした神父は年月を刻んだ顔に優しげな笑みを浮かべ、古びた、けれどしっかりとした木で作られた厚みのある聖堂の中、人に道を説いている。

 豪華な装飾というものはひとつもないが、聖堂全体に彫られた植物やかつて聖人とされた者などのモチーフは、見る者に圧倒的な存在感を抱かせるものだった。
 かつて行き倒れになった男がこの教会で一宿一飯の恩を受け、金の代わりにと何年もの歳月をかけて彫りあげたものなのだという。
 ジュディがその装飾の細やかさと丁寧さに呆然としている間に神父が訪れ、そして説教が始まったのだった。

 幾つも据えられた長椅子には、空席は殆ど見当たらない。押し付けがましくないこの神父の人柄を皆好いているのか、説教を聞いている人の表情は皆一様に穏やかなものだった。
 ジュディと少女も、その中のひとつに腰掛けている。
 長い年月をかけて様々な人を座らせたであろう椅子に腰掛けると、堅い木製だというのにジュディは心まで寛いでしまうかのような錯覚にとらわれた。

 ところどころ難しい内容もあったが、その大半は神父自身が注釈をつけてくれているので、ジュディは時を忘れて話に聞き入った。時々傍らの少女にちらりと目をやれば、彼女も同様に穏やかな表情で耳を傾けているのを見つけ、ジュディはほんの少しの嬉しさを抱えながらまた前を向く。
 実際、ジュディはそれほど信心深いというわけではなかったが、こうやって話を聞くことは新鮮でもあったし、何より興味深いものだった。ただ本を黙って読んでいれば自然と眠気が襲ってくるものだが、こうやって朗々と語られるとそういう衝動も起こらない。これなら少女が自分を誘ったのも頷ける、とジュディはひとり納得した。
 
 説教が終盤に差し掛かる。
 神父は独特の印を切り、片手を胸へと当て今ここに在れることを全てに感謝した。ならうように、そこにいる全ての者が同じく感謝の証として胸に手を当てる。
 二人の少女も、静かに祈りを捧げていた。

 今日もここに在れること。そして、友人と楽しく笑ったりできることや、母親が微笑んでくれること。
 その全てにジュディは感謝する。
 神や難しい存在の事はまだよくは分からないが、けれど大事なものの為に祈りを捧げる事はとても幸せなことなのだとジュディは思う。
 
 大事に思うなら、それを護る為に毎日を一生懸命生きたい。

 そう思うと同時に、背筋が伸びる。
 これからしていかなくてはならないこと、そしてしたいことを改めて胸の中に刻みつけながら、金色の少女はただ静かに祈りを捧げ続けた。
 




「ん―――――――っ……」

 教会を出て大きく背伸びをするジュディの頭を、少女がぽん、と叩く。

「どうだった? たまにはこういうのもいいもんでしょ。私あの神父さまのお話好きだからさ、あんたにも聞いてほしいなって思ってたんだ」
「うん、何かこう……なんて言うのかな、聞いてると言葉がじわーって沁み込んでくるみたいな気持ちいいお話だったよ。ねえねえ、また聞きに来ようね!!」
「もちろん、いいわよ。気に入ってもらえたみたいで良かった」

 少女の微笑みを見て、ジュディもつられるように笑みを浮かべながら少女の手を引き、歩き出した。

「? どっ、どうしたのよ」
「お腹空いちゃったから、ご飯食べていこ!! どこがいいかなぁ……でも今日天気いいし、外で食べるのもいいよね、きっと」
「あんたって子は……」

 一瞬あきれたように肩をがっくりと下げた少女だったが、けれどすぐに小さく空腹を訴える音が自分の腹から聞こえ、顔を赤らめる。

「あははははっ、あなただってお腹空いてるんじゃない」
「うー……。そんな事言うんなら、穴場のサンドイッチのお店教えてやらないわよっ」
「えぇーっ!!」

 少女はぱっとジュディの手を離して駆け出す。その後を追うようにしてジュディも走り出したがやがて二人は並び、いつしか互いに笑いあいながら同じように小走りになって街へと戻っていった。
 ここからは少女が先導し、昼時で更に人の増えた広場の一角にあるサンドイッチの店へと足を運ぶ。
 こういった軽食はやはり女性や子供に人気があるらしく列ができていたが、数分待ってようやく二人は注文の品を手にした。ジュディは野菜や肉でたっぷりの二段サンド、少女はフルーツサンドを入れた紙袋をそれぞれ携え、再び喧騒をあとにする。目指すは街の一角にある河川敷だ。

 この河は昔から人々の憩いの場として使われており、天気のいい日などには子供たちが水遊びをしたりするには格好の場でもあった。
 暑い季節を迎えれば大人でさえも涼を求めて飛び込む事があるのだというが、今はそんな時期も過ぎているせいか水と戯れる人の姿はなく、代わりに河川敷にて昼食を広げる家族の姿が目立っていた。
 ジュディたちもまた同じように手入れされた芝生に腰を下ろし、紙袋を開けて出来立てのサンドをぱくつく。

「美味しい!! パンもふっくら焼けてるし、中の鶏肉もすっごく柔らかいよ!」
「でしょ。あのお店前に一度行ったきりなんだけど、絶対もう一回行こうって決めてたんだ。友達と一緒に食べたらきっとすごく美味しいだろうなーって」
「えへへへ……嬉しいな。あたしと一緒に食べたかったってこと?」
「……そ、そんなこと言ってないわよっ」

 頬を赤らめながら少女は顔をそらし、手にしていた食べかけのフルーツサンドを口の中に放り込んで目を白黒させる。
 ジュディはその様に声を上げて笑いながら、遠くで鳴る鐘の音を聞いた。響いた音はひとつ。

「あ」

 唐突に笑うのを止めたジュディに、少女は顔を戻して訝しげに問いかけた。

「どうしたのよ」
「うん? あのね、いつもならこの時間修行してるなぁって思ったの。街の鐘がひとつ鳴ったらって決めてるから」

 それはジュディの日課だった。冒険者となる為にほぼ毎日続けているそれを今はしていない事に少しばかりの違和感をおぼえ、ジュディはそわそわとスカートの裾をいじり始める。

「ここからずーっと身体動かしてるから、何だかしてないと変な感じ」
「ああ。私もあるわ、そういうの」

 ジュディのそんな様子を見ていた少女は、苦笑しながら同意のうなずきを返した。

「この時間は有名な冒険者の足跡を調べたりなんだりで忙しいから、ついつい図書室に向かって歩き出しそうになるのね。日課ってやつは怖い怖い」
「でしょ? うーん、今からでも走ってこようかなぁ……」
「止めときなさいって。あんたのお母さまから今度こそはスカート破らせないでくれって頼まれてんだから私」

 今にも走り出しそうだったジュディは、その言葉にえへへ、と恥ずかしそうに頭を掻きながら座り直す。
 以前用事があって長いスカートを履いた時だった。普段着慣れなく、ある意味で窮屈なそれを着ているのに我慢ならなくなってつい駆け出して転び、ジュディはあつらえたばかりのスカートをぼろ布にしてしまった事があったのだ。
 
「そういえば、その後『自分で破ってしまったのだから、きちんと縫いなおしなさい』ってお母さまに言われたっけ。あの時は針でぶすぶすって指刺しちゃって、すっごく痛かったなぁ」

 その時の痛みを思い出したかのように顔をしかめるジュディへと、少女は微笑む。

「まだ慣れてないからよ、針仕事っていうのは数をこなせばいやでも上達するわ。私も前はいやいや母さんの針仕事手伝ってたけど、慣れてからは楽しくなったもの」
「うーん、そういうものかなぁ。でもあたしは針仕事よりもお母さまと一緒にお皿洗ったりする方が好きだよ、ぶくぶく泡がたって楽しいし、お母さまと並んで何かするのがすっごく好きだし」
「あんたって本当にお母さまが好きね。……私も好きだけど」
「えへへ……」

 照れたように、けれど嬉しそうにジュディは笑みを浮かべながら、二つめのサンドを口いっぱいにほおばった。 

 傍らの友人の存在、そして近くで幾つも聞こえる人々の幸せそうなざわめきや、さらさらと穏やかに流れる河の音が耳に優しい。
 よく晴れた遠い空と時折流れていく気まぐれな雲と、それを横切っていく天空を駆ける船。特に目新しいもののない景色だったが、ジュディはこんな光景の中にいるのが好きだった。
 もちろん修行や実戦も嫌いではないけれども、そういった緊張感を好むのとはまた別の場所でジュディは平和なこの光景を好いていた。

 ごろんと芝生に寝転がり友人を見上げると、彼女もまたジュディを見下ろして優しく笑っている。

「…………へいわ、だね」
「そうね」
 
 互いに優しげな響きを唇に乗せ、二人は遥かに広がる空をいつまでも見上げていた。




 END.