<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


火の馬

■オープニング

 その夜、黒山羊亭を訪れた宮廷魔導師のメルカの表情は、いつになく険しいものであった。
「ちょいと厄介な依頼になりそうなんだが――緊急だ。誰か頼めるかい?」
 元より女性らしからぬ物言いの彼女ではあったが、低く切り出された言葉には、緊張と切迫した響きとがこめられている。只事ではないようだ。
「火の馬が南部の村々を襲ってるのさ。全身に炎を纏った馬の魔物なんだけど……もう七つの村が焼かれた。今も新たな村を狙って移動中で、さっさと退治しない事にゃ更に被害が広がるのが確実なのさね」
 すると依頼とは、その馬の退治であろうか。
「騎士団や魔導師団は動けないの?」
 エスメラルダが尋ねるが、メルカは苦い顔で首を横に振った。
「既に襲われた村の被害が甚大でね、しかも、今も現在進行形で燃えてる状態なんだ。村人の救助や消火活動で完全に人手が取られてて、私達だけじゃ、とてもこれ以上の事には対応しきれそうも無いんだよ…」
 厳しい事態を告げるメルカの言葉に、彼女を包んでいるのと同種の緊張が店内を充たす。
 シン…と重苦しい沈黙が舞い降りた中に微かな溜息をひとつ吐き出すと、彼女は更に話を続けた。
「次にどの村を襲うのかは進路から予測できてるし、幸いまだ村には達してないみたいなんだが……それでも、時間が無い。私もこれから別の村の救援に行かにゃならんしで、本当に人手が足りないんだ」
 切迫する状況への焦り、それに対応しきれぬ事への苛立ちが、白い細面を歪ませる。
「――任せても、構わないかい?」


■南への疾走

 闇の平原を、一台の馬車が往く。
 人里の明かりはおろか、見上げる空には月すらも見当たらぬ暗い景色の中を、馬車が往く。
 何処を目差し進むのか。
 何の目的があって進むのか。
 疾走――そう言い表すのが相応しい程の猛然たる勢いで、馬車は平原を進み往く。
 車上で手綱を握っているのは、まだ若い娘だった。
 荒涼とした、そしてこんな闇の景色の中では頼りなげに見える、細い身体と淡い色の長い髪――果たして何を思っているのか、真っ直ぐ前方へと向けられた白い顔は、わずかな緊張を浮かべ強張っている。
 彼女の名は、琉雨と云った。
 学者を目差す召喚士だ。
 云われて見れば成る程、物静かな中に知性の輝きが垣間見える眼差しをしている。
 しかし瞳の静かさとは裏腹に、今の彼女の胸中には、焦りと不安とが激しく渦を巻いていた。
(間に合うでしょうか……)
 手綱を引き馬を叱咤しながら、遥か前方の闇を見据える。
 立て続けに七つもの村を襲った魔物が、新たな村を狙って移動している――そんな話を、先ほど宮廷から戻った養父から聞かされた。
 黒山羊亭の冒険者達には、魔導師団から討伐の要請が届いている――そうも聞いた。
 切迫する状況に何か手助けが出来ればと、それで琉雨はこうしてひとり街を飛び出して来たのだが、さて魔物より先に村へ達する事が出来るだろうか……。
(仮に先手が打てたとしても、もし黒山羊亭の皆さんが誰も要請に応じてなかったとしたら……)
 ひとりだけでは、村を救うどころか自分の身すら危うくなる。
 しかし、こうしている間にも村人に迫っている危険があるのだと思えば、引き返す事など選択の範囲外だ。
「とにかく、急ぎましょう」
 小さく呟き、馬の尻へと鞭を当てる。
 その時、前方に何か見えてきたものがあった。
 座席の傍らに置いていたカンテラを持ち上げ、闇に掲げる。
 馬――のようであった。
 炎は纏っていない。普通の馬である。
 そしてその上に見えるのは、男のものと思しき広い背中――それは琉雨の馬車と全く同一の方角を目差し疾走していた。
(村へ向かう方でしょうか……?)
 期待が浮かぶ。
 その時、ばさりと云う羽音と共に、上空から強い風が吹きつけてきた。
「……?」
 前を走る騎馬から視線を外し、上を見上げる。
 銀の獅子、それからやや遅れて巨大なドラゴン――二頭の獣が、それぞれの背に誰か人影を乗せた姿で、頭上を駆け抜けてゆく。彼らもまた同じ方向を目差して。
「ひとりでは、無かったようですね」
 安堵の吐息と共に、琉雨は再び鞭を振り上げた。


■迫り来るもの

 最初に村へとたどり着いたのは、葵とオーマ・シュヴァルツのふたりだった。
 それから程無く、騎乗用のドラゴンを駆ったアイラス・サーリアスが追い着いて来る。
「魔物が来るまで、どのぐらい時間が残っているでしょうね」
 火の馬が来るであろう方角を伺い、アイラスは残された時間を気にかけるが、葵とオーマの関心は、何故か別のところにあった。
「それ……何?」
 闇色の瞳をわずかに呆然と見開き、葵が指差し尋ねたのは、アイラスが鞍から降ろしたマシンガンである。普段の彼の穏やかな風情と比較すれば、確かに意外な取り合わせだ。
「火の馬が相手では、サイを使っての接近戦だけでは対応しきれないと判断しましたので」
「おいおい……お馬ちゃん殺す気か?」
 いつもの気軽な口調を変えぬまま、しかしオーマが苦い表情になる。
「魔物とは云っても生き物だぜ?」
「ですが、本気でかからなければ、こちらが危うい可能性もありますよ?」
 双方共に、少しだけ困った笑顔になった。
「それより、急ごう」
 更にオーマが何事か口にしようとするが、それを遮り葵がふたりに行動を促す。
 他に手段が無いかどうかは、実際に火の馬を前にしなければわからない。それを云々するよりも、今は村人の安全確保を急ぐべきだ。
 夜半で既に眠りについていた家の戸を、ひとつひとつ叩いて退避を呼びかける。
 その最中、新たにふたりの人物が村へと到着した。
「遅くなりました――魔物は南から来るようですし、皆さんには北側へ避難して頂くのがいいかも知れません」
 馬車を降りた琉雨は三々五々に集まり始めた村人達を見回すと、逃げる先についてそう提案する。
「井戸や溜め池が近くにあれば、まさかの時の消火も素早く出来そうですが……そんな場所はありますか?」
 彼女の問いに、この村の長老と思しき老人が頷いた。
「ならば皆にはそっちへ移動してもらうとして、後は迎撃準備だな」
 琉雨とほぼ同時に村へ到着したイルディライは、それだけ云うと乗って来た馬を村人に預け、早々に火の馬が来るであろう方角へ足を向ける。
「せっかちな奴だなァ…。もーちょいと、アイソがあってもいいんじゃないのかねぇ?」
 その背中を横目で見送りニヤリと肩をすくめると、オーマは村人達を北へと誘導し始めた。足取りのおぼつかぬ老人や子供も多いため、アイラスと葵がそれを手伝い、琉雨はイルディライの後を追う事にする。
「避難が完了したらすぐそちらへ行きますから――それまで無理はしないで下さいね」
 気遣うようなアイラスの声が、その背中へと向けられた。


 村の南端までやって来ると、イルディライはそこで足を止めた。
 鋭く大振りな包丁を懐から抜き出し、前方に広がる闇の平原を鋭く誰何する。
「……あれか?」
 遥か彼方、ぽつりと赤く灯るものが見えた。
 距離があるため正確な動きの把握が難しいが、緋色の光点は確かにこちらへと向かっている。
「避難の方は間に合うでしょうか……」
 迫り来る赤の点と後方とを気懸りそうに見比べると、琉雨はその場へと膝をついた。何事か呪文のような言葉を呟きながら、白い指先で砂の上へと文字らしき物を綴ってゆく。
「それは何だ?」
 何を意味するものなのか。イルディライには判読不能なものだった。
「召喚文字です。相手が火属性ならば、私の召喚獣が氷に属するものですので、対抗できるかも知れません。試した事が無いので仮説ではありますが……それでも、成功する可能性は高い筈です」
「成る程……同じ事を考えている奴が他にも居たようだな」
「え?」
 呪文を仕掛け終えた琉雨が目を上げると、イルディライは握った包丁を正眼に構えていた。
 切先を見詰める漆黒の瞳が、傍目にもそれと判る程の気迫を帯びる。
 すると――

 ざわり。

 直後、彼の周囲の空気がさざめいた。そしてそれは冷気となって、銀の刃にまとわりつく。
「雪の精霊ですね?」
「そうだ」
 ぼそりと短く返しながら、イルディライは琉雨の方を見てはいなかった。凍えた白刃越しに、迫り来る炎を睨んでいる。
 先ほどまではただの赤い点にしか見えなかった炎は、今はおぼろながらも何かの生物と形が判る所まで近付いていた。ここへ達するまで、もうあといくらも無いだろう。
「間に合ったみたいだね」
 後方から足音が響き、村人の避難を終えた葵とアイラスとオーマが駆けつけてきた。
「琉雨さんの馬車も、僕のドラゴンと一緒に避難させておきましたから」
「小せぇ村だし、なるべく中へは踏み込まれないようにしねぇとなァ」
 馬までの距離を測り、オーマがどのような攻撃を仕掛けるか思案する。
「まず、足は止めねぇと……」
 つと視線を流すと、アイラスの携えたマシンガンが目に入った。
 近付く前から手が打てるという意味では、確かに便利ではあるのだが――……
「わかっています。最初から殺そうとはしませんよ」
 向けられた視線の内にある心情を察したアイラスは、わずかな笑みと共に頷いた。
 その間にも、炎を纏った馬はその距離を縮めてきている。
「それでは……行きますよ」
 緊張をこめた眼差しで馬との間合いを確認しながら、手にした鉄塊をアイラスが構える。
 銃口が狙う先は、馬の足元。

 ダダダダダ――ァァァ…ンンン――…

 直後、長い残響を伴いながら、銃声が夜の闇をつんざいた。


■炎との攻防

 暴れ馬――という言葉がある。
 手のつけられぬ程の勢いを持つものに対して、比喩として用いられる事の多い言葉であるが、この時彼らの前に現れたそれは、姿のみでなくその勢いにおいても、文字通りの暴れ馬であった。
 アイラスの射撃に足元を乱されこそしたものの、疾走は止まらない。
 高くいななき激しく火の粉を四方へ散らしながら、馬の姿をした魔物は、真っ直ぐこちらへと突進してくる。
「よけろ!」
 炎に焼かれる事になるか、それとも蹄の直撃を受けるか――どちらにせよ、組み止める事など出来はしない。イルディライの叫びと同時に五人はさっと左右に分かれ、ひとまず馬の勢いをかわす。
 すぐ横を駆け抜ける蹄の音。
 それから熱気。
 そのまま馬は走りを止める事無く、村の中へと踏み込んでゆこうとする。
「行かせるわけには――!」
 これ以上先へは行かせぬよう、再びアイラスが威嚇の射撃を行おうとしたその時――
「――!?」
 突如、地を蹴り進む馬の足元に、青白い魔方陣が浮かび上がった。
 先ほど琉雨が仕掛けた召喚呪文だ。
「かかりましたね!」
 すかさず琉雨が呪文を唱える。
 するとそれに応じるように魔方陣の輝きが増し、そして透き通った身体を持つ氷の召喚獣が姿を現した。馬の正面へと立ち塞がり、道を阻む。
 全身を妨げられた馬は、ここでようやく立ち止まった。
 だが、諦めたわけではない。
 激しく首を振りながら召喚獣へと体当たりをかけ、力ずくで突破しようとする。
 己を妨害するものに対する怒りの強さを示すかのように、ごうと全身から噴き上がる炎――四方へと放たれたそれが、近くの屋根へと燃え移った。
「チッ! キャンプファイヤーじゃねぇんだから勘弁してほしいぜ!?」
 舌打ちと共にオーマが両腕を空へかざし、巨大な銃を手の内へと具現させる。
 軽々と構え狙いをつける先は、馬ではなく周囲を焦がしにかかる炎――
「良い子は火遊びしちゃ行けないんだぞお馬ちゃんよォ!」
 苦い笑いを含んだ叫びと共に銃口から放たれたのは、多量の水であった。滝の如く激しく噴出したそれは、見る間に炎の侵略を封じてゆく。
「火元は僕に任せて!」
 葵が腕を振り上げた。
 指の先へと力を集中させ、水の球体を生み出す。家の一軒ぐらいはゆうに呑みこめそうな程の、巨大な球体を。
 生み出された水の球が馬を目掛けて投げつけられ、その全身をすっぽりと包み込んだ。
「これで炎は飛ばせなくなる筈……」
 水の内へと封じ込められても尚、馬はその身に炎を纏わせ続けている。水の中で燃える炎――通常ではありえない現象で、それだけでもこれがただの炎でない事が明らかであったが、しかし水の球を突き抜けるだけの力は無いらしく、馬は攻撃の手段を奪われてしまう。首を振り、後ろ足で立ち上がり、何とかここから脱出しようともがくだけだ。
「効いているようですね!」
 火勢が封じられている今ならば、接近しての攻撃も可能――抜き出したサイをかざし、アイラスが馬へと迫った。闇の中で瞬間キラリと光ったサイは、水の球を深々と貫き、そして馬の後脚へと傷を与える。
「お願いです! 大人しくして下さいっ!」
 一度。
 更にもう一度。
「だが、長くはもたなそうだな」
 内側からの炎で熱せられた水が、しゅうと微かな音を立てて蒸発し始めている事に気付くと、イルディライも馬の正面へと回り込んだ。冷気を纏わせた包丁を振り上げ、こちらは前脚の力を奪おうと、狙いを定め斬りかかる。
 その刹那、立ち上る蒸気に揺らいで見える馬の頭部に、ひとつ不審な点がある事に彼は気がついた。
(何だあれは?)
 己を阻む者達に対する憎悪と敵意をありありと浮かべた馬の両眼の間――人間で云う眉間のあたり。
 そこに、何かが埋まっているのである。
 蒸気と水の揺らぎではっきりとは確認できないが、濃緑の、まるで石のような球体だ。
 何か意味があるのだろうか?
 その間にも、水の球は更に蒸発して行く。
 葵は必死に水温と保とうと努め、琉雨が氷の召喚獣で周囲を囲みそれを手伝うが、しかし馬の火力の方が強い。
「熱い……」
 琉雨の白い頬を、汗が伝う。
 召喚獣さえも融かされてしまいそうな程の熱気だ。
「皆離れて!!」
 これ以上は堪えられぬと判断したのか、葵が鋭い叫びを上げる。

 ――ジュワ……ッ!!

 直後、ひときわ大きな蒸発音と共に、火の馬を取り込んでいた水の球が、ついに消滅した。
 水蒸気が濃い霧となって周囲を白く包み、五人の視界を塞ぐ。
「チイッ!!」
 間合いに踏み込んでいたために回避が遅れたイルディライ目掛けて、自由を取り戻した馬の炎が放たれた。
「危ないっ!」
 同じく至近距離に居たアイラスが持ち前の身軽さで彼を突き飛ばし、辛うじて直撃は避けられる。
 が、熱気の余波がふたりの肌にじわりとした痛みを残した。
「これでまた近づけなくなったな……しぶとい奴だ」
 与えられた痛みのためか、それとも打開策の見出せぬ事への苛立ち故か、間合いを取り直すイルディライの表情が苦い。
「召喚獣も融かされてしまいました。予想外でしたね…」
 弱らせた後で自身の新たな召喚獣として、馬を取り込む事を想定していた琉雨であったが、相手がこれ程にタフであろうとは――完全に計算外であったようだ。
「相手を甘く見ていた…という事でしょうか」
「それでも、方法としては効果があるってわかったんだ――もう一度、やってみよう」
 葵が大きく息をついた。
 先ほどの攻撃でかなりの力を消耗し、この戦法を繰り返す事には相当の負担が予想されたが、他に手段が見付からぬ以上、やるしか無い。
(くそ……頭がじりじりする……何だこの感覚は)
 呼吸を整え直す一方で、葵は奇妙な感覚に捉われていた。
 既視感――そう表現するのが正しいかもしれない。
 身を焦がす程の炎との対峙……以前にも、こんな場面を見た事があるような気がしたのだ。
(一体何処で……?)
 意識が遠くなりかける。

 ゆらり。

 その時、蒸気の向こうで馬の影がゆらめいた。
 ついと微かな風が吹き、霧が薄れてゆく。
 水の戒めを強引に振りほどいた馬は、あらん限りの敵意をその両眼にこめ、こちらを睨み据えていた。しかし再び同じ手を食らう事を用心してか、一定の間合いを保ったままである。
 わずかなきっかけで崩れるであろう、危うい均衡――
「やはり本気でかからなければいけないようですね……」
 殺さぬようにと努めれば、やはりどうしても手加減が生じてしまう。そこが馬を抑えきれぬ最大の要因ではないか――アイラスのみでなく、誰もがそれを感じ始めていた。
 生かしたまま、という前提を念頭から消すならば、今が好機である。何しろ相手は動きを止めている。接近しての攻撃は困難だろうが、マシンガンなら簡単に急所を貫く事が可能だ。
「額のあの石…気にならんか?」
 同じ事を考えていたのか、イルディライが狙うべき箇所を暗に示唆する。
「そうですね……」
 頷きながら、すいとアイラスの視線が横へ流れた。魔物と云えども命はある――そう云っていたオーマは、さてその選択を許容するだろうか。
「……オーマさん?」
 しかしそこに、彼の巨躯は存在しなかった。
「あれ? 何処に……??」
 葵も周囲を見回すが、うっすらと霧の残る景色の中に、オーマの姿は見当たらない。
「危ないッ!!」
 琉雨の叫びが耳をつんざいた。
 アイラス達の間に一瞬生じた動揺を好機と見てか、緋色の炎をひときわ高く噴き上げながら、馬がこちらに向けて突進してきたのである。
「くそっ…!!」
 葵が再び水の球で封じようとするが、間に合わない。
 猛火に包まれた蹄が、すぐ目の前へと迫る。
「――っ!!」
 そしてそのまま繰り出されるであろう一撃に、誰もが思わず眼を閉じてしまったその時――

 ――ガッ!!

 激しい、衝突音がした。
「おいおい……諦めるにゃまだ早いぜ?」
 それから、苦笑混じりの声が聞こえる。
「……え?」
 葵、アイラス、琉雨、イルディライの四人は、恐る恐るに目を開けた。
 馬はやはり、自分達のすぐ間近に居る。両の眼に鋭い光を浮かべながら、自分達を睨んでいる。
 それなのに、攻撃は無かった。
 一体何故――?
「こうなりゃじっくりお話し合いと行こうじゃねぇか」
「オーマ…さん?」
 銀の獅子へと姿を変えたオーマが、体当たりで馬の勢いを組み止めていたのだった。


■もうひとつの影

 燃え盛る炎。
 それから、じりじりと押し込んでくる馬の巨体。
 それらを真正面から受け止めながら、しかしオーマの声からいつもの余裕が消える事は無かった。
「なァ、お馬ちゃんよォ。そんなおっかねぇツラしてねぇで、ちょいと落ち着こうじゃないか。――な?」
 いかに獅子へと姿を変えようと、生身で炎を受け止めれば、ダメージが無いわけなどない。事実表情は熱さと加えられる圧力とに歪んでいたが、それでもオーマは馬への語りかけをやめなかった。
「俺達だって、別にお前さんを殺したいわけじゃないんだ。ここらでお互い仲良くしねぇか?」
 云いながら、馬の全身を取り巻いている炎を、己の内へと吸収しようとする。何も無い空間へ様々な物資を具現させる、その能力を応用すれば可能な筈だ。
 ところが……
(――どういう事だ?)
 いつまでたっても、炎が消える事は無かった。
 確かに吸収に成功している事は、身体に伝わってくる感触からしても間違い無い。
 それにも拘らず、まるで汲めど尽きぬ泉のように、後から後から新たな炎が生まれているのだ。
「大丈夫ですか?」
 新たな氷の召喚獣を呼び出した琉雨が、火勢を弱める手伝いをするが、やはり状況は変わらない。
 その時、イルディライの視界の端で、サッと動いたものがあった。
 人影だ。
「誰だ!?」
 村人は全員避難させたのだから、この場には自分達以外はおらぬ筈――オーマと馬との対峙を気にかけつつそちらを振り返る。
 すると、屋根を焦がしながらも火災を免れた家の陰、黒い外套を翻し、この場から駆け去ろうとしてる者が居るのが目に入った。
「待てっ!!」
 何ものか。
 包丁を握り締めたまま、反射的にイルディライはその人物を追いかけようとする。
 その時――

 パァァァァ……ンンン――!!

 馬が――弾けた。
「何だとォ!?」
 まるで膨れ上がった風船に針を刺したかの如くに、突然、乾いた破裂音を響かせながら弾け飛んだのである。
 誰もが愕然と目を見開く中、馬は瞬時にその形を失い、纏っていた炎だけが周囲へと四散する。
 家の屋根、壁、それから樹木に燃え移る。
 振り返れば、先ほどの人影はもう何処にも無い。
「見失ったか……」
「消火が先だ! 急いでっ!」
 ちろちろと範囲を広げ始めた炎に向け、オーマの水銃と琉雨の召喚獣が放たれる。
 舌打ちひとつで追跡を諦めると、イルディライとアイラスも、共に近くの井戸へと駆け寄る。


 馬の額に埋め込まれていた緑の石――それが砕けた足元に散らばっている事に五人が気付いたのは、消火が終わり東の空がうっすらと白み始めた頃だった。


■エンディング

 夜が明けて、救援物資を積んだ馬車と共に村へ到着したメルカは、五人から昨夜の顛末を聞かされると、何故かひどく狼狽した表情を見せた。
「弾けた…だって?」
「うん。何だかまるで自爆でもしたみたいな感じだったよ」
 その時の様子を思い返しながら、葵が馬の遺物となった意志の破片をメルカへ差し出す。
 一瞥した瞬間、彼女の表情に変化が生じた。狼狽は変わらないのだが、同時に何かを納得したような、そんな気配がわずかににじむ。
「何か心当たりでも…?」
 琉雨がその顔を覗き込んだ。
 アイラスやオーマも無言のまま、物問いたげな視線をメルカに向けている。
 ややあって、微かな吐息と共に切り出された言葉は、誰もが予想していなかった事実を告げていた。

「――こいつは人造の魔物だよ」

「え……?」
 小さく一声あげたのは、さて一体誰であったろう。
 しかし後に何と言葉を続けるべきか、それを即座に見出せた者は誰もおらず、驚きと戸惑いとが混在した奇妙な沈黙が、暫しその場に舞い降りる。
 どれぐらいの沈黙の後か、まず口を開いたのはイルディライであった。
「魔物に人造や天然があるのか? どう違う?」
 素っ気無い程に直球の問いだが、これは誰もが知りたい事だ。
「こいつは『魔源石』って云ってね、かなりの力を持った魔導師にしか作れない石なんだよ。わかりやすく云えば、自分の魔力を凝縮させた結晶みたいな物…かな」
「魔力の結晶…ですか…」
 五人の視線が魔源石へと集中する。
「たとえ泥で作った人形でも、こいつを埋め込まれれば魔物に早変わりさね。魔源石そのものと、それから石を通して作り主から力の供給を受け、魔力はそう簡単には尽きやしない。作り主の力量によっては、無尽蔵と云っていいだろうね」
「なァるほど……俺の力でお馬ちゃんの素敵にバーニングな炎を吸収し切れなかったのは、つまりそういう事なんだな」
 低く唸るような苦々しい呟きが、オーマの口をついて出た。それと同時に、「そう云えば」と何かを思い出したのはアイラスである。
「馬が弾ける直前、物陰から誰かが逃げていくのをイルディライさんが目撃したそうですが、もしかして……?」
 あれこそが、この魔源石の作り主ではなかろうか――
「――ありえるね。こんな魔物を生み出すからには何か目的があったんだろうし、それが果たせるかを見届けるために、近くに居たとしてもおかしくないよ」
 アイラスの示唆した可能性に頷きながら、葵が自身の見解を口にした。横目の視線に意見を問われ、メルカもまた静かに頷く。
「魔源石で造られた魔物は行動の一切を作り主に制御され、他者の支配や命令も受け付けない――それが自ら弾けたのは、間違いなく作り主の命によるものだろうしね」
「何故でしょう? 私達に囲まれて不利と判断したのか、それとも馬を使役する必要が無くなったのか……」
 琉雨の疑問に答える者は居なかった。火の馬を作ったのが何者で、どのような目的があったのか――それがわからぬ現状では、確実な答えは誰にも見付けられない。
 ひとつ確かな事があるとすれば……
「人造の馬では食用にはならんな」
「残念ながら、食えたもんじゃないだろうね」
 一気に興味が失せたとばかりに肩をすくめたイルディライに、苦笑しながらメルカは自分の乗ってきた馬車を指差した。
「食料だったらあそこに積んであるよ。テントとかも持って来たんだけど、お前さん達のおかげで焼けた箇所は少なかったみたいだし…必要なかったかねぇ?」
「それでもあんな騒ぎがあったばかりですから、村の皆さんもまだ動揺しているでしょうし……朝食は僕達が炊き出しをして差し上げた方がいいでしょうね」
「おぅ、そういう事なら、主夫スキルMAXな俺様の出番だな」
 アイラスの提案に、誰よりも早く反応したのはオーマである。
「愛情たっぷりスーパーバランス栄養食に、腹黒同盟パンフもセットでサービスすりゃ、老いも若きもモリモリ元気になるってもんさ――さーて、お前らも手伝えよ?」
 パンフレットなる物の存在と内容が非常に気になるが、二メートルを超す大男にニッと笑って云われては、とても逆らえる雰囲気ではない。
 苦笑と共に顔を見合わせると、彼らは馬車の方へと足を向けた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0811 / イルディライ / 男 / 32 / 料理人】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男 / 19 / フィズィクル・アディプト】
【1720 / 葵 / 男 / 23 / 暗躍者(水使い)】
【1953 / オーマ・シュヴァルツ / 女 / 39 / 医者兼ガンナー(ヴァンサー)副業有り】
【2067 / 琉雨 / 女 / 18 / 召還士兼学者見習い】

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■         ライター通信          ■
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「火の馬」へのご参加ありがとうございました。
執筆を担当した朝倉経也です。
途中で体調を崩し、納品が遅くなりました事をまず始めにお詫びさせて頂きます。
お待たせしてしまい本当に申し訳ありませんでした。

さて今回、「村人に犠牲を出さず馬を退治する事」を成功条件として提示させて頂きましたが、馬への対応が皆さんの間で様々違いがありましたため、このような結末となりました。
何やら引きのあるラストとなり、もしかすると、後日関連する依頼が出る事になるかも知れません。
その時はまた皆さんのお力をお借りできれば幸いです。

琉雨様
初めまして。戦闘系というハードな依頼で、まさか琉雨さんのようなたおやかなお嬢さんにご参加頂けるとは思いもよらず、実はこっそり驚いてしまいました。
魔法陣と召喚獣を駆使しての戦闘を、さて何処まで表現しきれたか……イメージを崩していなければ良いのですが(大不安)。
少しでもお楽しみ頂けたなら幸いです。

またお会いできる機会があります事を、心より願っております。