<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


城跡の花嫁の受難
◇オープニング
「冗談じゃないわ!」
 苛々とした叫びとともに黒山羊亭の扉が開かれた。あまりの勢いに扉はけたたましく鳴り、ちょうつがいが悲鳴をあげる。ビールにワイン、申し分ない味の料理に浮かれていた大勢の客たちが面食らってふり返った。年の頃十七、八歳の黒髪の娘がひとり、怒りのあまりに肩をそびやかして立っている。力まかせに扉を閉め、鬼の形相で歩み寄ってくる彼女に、エスメラルダは目をしばたいた。
「……ロンド、いったいどうしたの?」
 ロンドと呼ばれた少女は青い目をひらめかせ、エスメラルダの正面の席に腰を下ろした。
「エスメラルダさん、聞いて頂戴! 私が古文書や古文献に目がないことは知っているでしょう? つい先日ね、ベワード城跡で石板に刻まれた古代文字が発見されたって情報をもらったの。だから私、早速城跡に行ってきたの。探し回って、やっと例の石板を見つけて、私は有頂天になって解読を始めたのよ。でも」
 途端、彼女は眉間に深く皺を寄せ、口元をゆがめた。エスメラルダがつられて美しい顔をしかめながら先をうながすと、ロンドは椅子を蹴って立ち上がり、カウンターに両手のひらを激しくたたきつけた。またしても、あちらこちらのテーブルから赤ら顔がこちらを向いた。
「あの城跡、アンデッドが棲み着いていたのよ! 思い出すだけでもおぞましい!」
「ゾンビやグールに遭遇したのね」
 同情のこもったエスメラルダの言葉に、意外にもロンドは激しくかぶりをふった。
「ゾンビやグールならまだかわいいものよ。城跡のアンデッドはもっとタチが悪いわ」
「……何だったというの?」
「有体の地縛霊よ! 生前花嫁に逃げられた上に花嫁の実家の手先に殺されて、その恨みのせいで城跡に縛られているみたい。しかも、その花嫁に私が似ているとかで自分と結婚しろって言うのよ! まったく、本当に冗談じゃないわ!」
 ロンドは唇を強く噛み締め、うつむいた。肩が、睫毛が、細かく震えている。
「しかも……あと三日以内に私が結婚を承諾するか、代わりの花嫁を用意するかしないと、私を呪い殺すって脅したの。いったい、どうすればいいのよ!」

◇協力者たち
 踊りの音楽が止み、陽気な歌うたいは口をつぐんだ。赤ら顔のまま客たちは困ったように顔を見合わせ、ジョッキを置く。暖かな普段の騒音の消えた店内には悲痛な少女の叫びばかりが響いた。
「いったい、どうすればいいのよ!」
 吐き捨てるように言い、爪が食い込むほどに強く握りしめたロンドのこぶしに、そっと添えられた細やかな手があった。
「そんなにおびえないで。何も、まだ呪い殺されるだなんて決まったわけじゃないでしょう? あたしが協力するわ」
 その手のひらでロンドの手を包み込み、つややかな青い髪を豊かな胸に流した美女がやわらかに微笑んだ。
「レピア、行ってくれるのね?」
 青髪の美女、レピア・浮桜のウインクにエスメラルダはほっと胸をなでおろした。
「俺も行かせてもらおう。相手が地縛霊なら、これは退魔士の俺の仕事だ」
 続いて、奥のテーブルから切れ長の目見の青年が名乗りをあげた。結城恭介――太刀をたずさえ肩に碧眼の鳥を乗せたそのたたずまいは、とても頼もしく思われる。
「僕もご協力いたしましょう。呪い殺されるからといって無理矢理に結婚させられるんじゃあ、ロンドさんもたまりませんものね」
 カウンターで夕食を楽しんでいたアイラス・サーリアスも立ち上がった。ひとつに束ねられた淡い青の長い髪が、彼の背でさらさらと揺れた。
「また、勝手な物言いの幽霊がいたものだね。面白そうだ、一度見に行ってみたいな」
 白衣の男が、にやりと笑んで手を挙げた。
「まあ、ワタシとしては暇つぶしにでもなればいいかな」
「ラダ。暇つぶしってね、これは依頼なのよ」
 黒山羊亭一番の踊り子にたしなめられ、クレシュ・ラダはあっけらかんと笑った。
「あたしにもお手伝いさせてください」
 黒山羊亭には今ひとつ不似合いに思われる幼さの残った声に、一同はそろって振り向いた。小さな少女が、椅子から飛び下りて駆け寄ってくるところだった。青銀色の髪を結わえた大きな白いリボンが愛らしい。
「メイと申します。少しでもお力になれればと」
 エスメラルダは呆然とするばかりのロンドに向き直り、あでやかに目を細めた。
「よかったじゃないの、ロンド。あなたに協力してくれる人がこんなにもいるわ」
 彼女に肩をたたかれて我に返ったロンドは、集ってくれた冒険者たちに深々と頭を下げたのだった。

◇ベワード城跡に発つ前に
 早速黒山羊亭の一角のテーブルにベワード城跡の地図、ロンドのノート、古代文字の辞書が広げられ、その周囲をぐるりと皆が取り囲んだ。地図を見てみれば、城跡自体はさほど大きくはない。ただ、建物の正面にある石庭が少々複雑に入り組んでいるようで、迷路じみている。その石庭の中央部には何やら赤インクで大きく印がえがかれていた。
「この手の何らかの意思に縛られたまま成仏する事の無い奴に限って、タチの悪い霊が多いんだよな」
 地図を指先でたどりながら恭介がつぶやいた。
「まったく横暴ですよね。婿に刺客を送る花嫁の実家というのも、かなりひどいものですけど」
 アイラスは石碑文を訳したロンドのノートをぱらぱらとめくっている。ラダは細かい文字の書き込まれたノートを横からのぞき込み、ロンドに視線を移した。
「とにかく、お嬢さんを花嫁のターゲットから外せばいいと、そういう事かな?」
「ええ。そして、私を呪い殺さないように説得するなりしていただけると嬉しいのだけど」
「万が一地縛霊が説得に応じずに結婚を強いるようなら、あたしが身代わりに花嫁候補になってもいいわよ?」
 レピアの申し出にロンドは驚いて、
「そんな! 申し訳なくってお願いできないわよ」
「あたしの踊りを毎晩眺めれば、地縛霊だって満足してそのうち成仏するんじゃないかしら。報酬はロンドとの一日デートでOKよ」
「でもどうして、城主の方は婚約者に逃げられたり殺されたりしなければいけなかったんでしょうね」
 腕を絡ませるレピアに目を白黒させている依頼主をよそに、メイがもっともな疑問を口にし、首をかしげた。
「何の理由もなしに花嫁が逃げたり刺客を差し向けたりはしないでしょうし。ロンド様は何かご存知じゃありませんか?」
「そうですよ。僕も不思議に思ってたんです。その地縛霊の方、どうして花嫁に逃げられた上に殺されたのでしょう?」
 ノートから顔を上げたアイラスもうなずいた。
「ロンドさんは城跡の石板の解読をしたとき、何か手がかりになるようなものは見つけませんでした? これだけみごとに古代文字を訳すことができるのですから、何かわかりそうなものですけど」
「ちょっと待って……例の石板はまだ断片的にしか訳せてないのだけどこのあたりのページに……」
 あったわ! そう声を上げてノートのページを示したロンドの指先に、一同の意識が集中した。
「ええっと、ベワードは500年ほど前まで栄えていた貴族の城跡なの。たくさんのお雇い石工を抱えていて、神々の石像や石板を彫らせた記録が残っているわ。でも、最後の城主カプリシオが婚約解消された途端に没落したみたい。その理由は――」
「理由は?」
「――ごめんなさい。ここまでしか書いてないの。城主の地縛霊に詰め寄られて、混乱して逃げてきてしまったから」
 うなだれる依頼主に思わずため息が漏れた。何か少しでも手がかりになるようなものはないかと、あらためてレピアとメイは顔を寄せてノートに見入り、アイラスは辞書をめくり、ラダは有体の地縛霊というものは細胞で構成されているのか、サンプル採取できるのかどうかとロンドにたずねた。
「結局理由はわからずじまいってことか」
 恭介がテーブルから地図を取り上げ、言った。眉をしかめその図面をいくら睨みつけたところで、地縛霊の姿をそこに見ることなどできるはずもないのはわかりきっているのだが。
「この赤い印のところに、霊がいるんだな?」
「……そうよ」
「とにかくおまえに害が及ばないようにすればいいんだろう? 城跡の地形や見取り図は理解した。これから俺は、俺なりに行動を限定させてもらう」
「恭介様はご一緒しないんですか?」
「ああ」
 メイの銀色の頭をくしゃりと撫でると、恭介は黒山羊亭を出た。月の明るい夜だ。期限は三日以内というが、仕事ははやく済ませてしまったほうが良いに違いない。月が沈む前には帰ってこようと、彼はベワードを目指し歩き出した。

◇狂城主カプリシオ
 恭介は雨風に浸食された大理石の神像が横たわり、岩石があちらこちらから突き出る石庭に足を踏み入れた。慣れた動作で袖や懐に手を入れ、符や四本の刀を確認する。
「今となっては、独立愚連隊同然の森羅劉邦初の依頼か……早い所公認組織になりたいものだ」
 彼は自嘲気味につぶやいて歩き出した。ロンドが用意した地図には、石庭の中央部に赤く印がつけられていた。そこに件の地縛霊、最後の城主カプリシオが存在するという。
 石庭には精巧な石像から、ただ岩が砕かれただけのようなとても芸術とは言いがたい代物までごろごろとひしめいている。道とも見えない砂利道は石像のあいだを縫って奥へと伸び、恭介は地図で見たとおりに入り組んだ石庭を通り抜けた。
 月がやや西よりに傾いた頃、彼は石柱に囲まれた開けた場所へと出た。中心には水の涸れた噴水の残骸が風化しかけながらもその姿をとどめている。恭介はふところから地図を引っ張り出し、眼前の景色と図面とを見比べた。噴水の位置こそ、まさに赤い印と重なる場所だ。
「ここに城主カプリシオはいるか」
 ひとつ息を吸い込み、彼が呼ばわると噴水の陰でゆらりと揺らめくものがあった。
『……花嫁を連れてきたのだな』
 地を這うような、低く響く声が恭介の背すじを這い上る。現れたのは土気色の顔をした若い男だ。上等の絹の服をまといサテンの帯を締めた彼は、虚ろな瞳で恭介を見た。
「おまえがカプリシオだな」
『そうだ。花嫁を連れてきたんだろう? ロンドと名乗った娘はどこだ?』
「カプリシオ。俺はおまえに訊いておきたいことがある」
 恭介は答えず、霊刀『鬼殲』に触れながら城主のよどんだ双眸をまっすぐに見返し、言った。
「おまえはどうして花嫁に逃げられた上に殺された? その理由によっては、おまえの言い分を聞いてやらんでもない」
『正当な理由などあるものか! 私が病に倒れていたときなら話は別だが、ベッドから離れて普通の暮らしにもどれるようになったのだ。病から復活し、財産もあり、名誉もある。その私から花嫁が逃げる正当な理由なんぞ、どこにもないじゃないか!』
「……病にかかっていたのか?」
『婚約の頃にはベッドから離れられるようになったと言っているだろう』
 カプリシオの虚空のようであった目はだんだんと異様な光を帯びはじめた。
『だから私の恨みは正当なものだ。花嫁を得る権利もある。……さあ、娘はどこだ? 娘を出さねば、貴様も呪い殺してくれようぞ!』
 恭介は深く息をついた。霊刀『鬼殲』の柄を握った手のひらに、力をこめる。
「そうか、残念だ……。やはり、霊は霊らしく、人間の話など興味が無いのだな」
 すらりと抜かれた刀身は赤黒く鈍く光った。
「さあ、お仕置きの時間だ……」

◇神曲
「恭介、ちょっと待って!」
 呼ばれた彼は刀の柄を握りしめたままちらりと横を見遣った。依頼主の少女が、他の協力者たちと共に駆けてくる。
『命拾いしたな』
「おまえがな。……まあ、とうに死んだ霊が命拾いというのも妙な話だが」
 低く笑ったカプリシオをねめつけ、恭介はつぶやいた。
「ロンド、どうしたんだ?」
「わかったのよ。城主カプリシオが花嫁に逃げられ、殺された理由が」
 カプリシオの表情が、あからさまにこわばった。
『娘よ、私の花嫁になるために戻ってきたのではなかったのか? それとも呪い殺されるためにか?』
「どちらでもないわよ。あなたに新しい花嫁は必要ないわ。だって、あなたから逃げ出した花嫁というのは、あなたのことを思いやったからこそ、あなたに刺客を差し向けたんだもの。あなたが恨むべき対象じゃないのよ」
「あんた、そこに縛られているから動けなかったのかもしれないけどね、もうちょっと足を伸ばしてみたらこんなものが見つけられたのよ?」
 レピアとアイラスが、何やら石版のようなものを差し出した。墓碑文、と刻まれている。
「僕たち、あなたの墓石を見つけたんです。あなたの病気のこと、花嫁のこと、すべてが刻まれていました」
「勘違いしているようだけどね、実はキミは花嫁と婚約をする前にすでに病気で死んでいたんだ」
 ラダの言葉にカプリシオが激昂した。奇声を発しながら彼めがけて腕を振りおろす。しかしラダは飄々とそれをさばき、反対に城主の腕から黒い血が流れた。
「……よし。キミの血を採取できたから、お望みとあらば何の病気で死んだか報告してあげるよ」
『戯れ言を!』
「戯れ言をやめるべきなのはおまえのほうだろう」
 恭介は地縛霊に向き直った。手は刀からはなれていた。
「すでに死者であったはずのおまえを今度こそ楽にしてやろうと思い、花嫁たちはおまえを殺したという話じゃないか。理由を知ろうともしないで地縛霊に成り果てているおまえに、恨みで他人を呪い殺す権利はないはずだ」
 はたと、カプリシオの動きが止まった。彼の視線は墓碑文へ注がれ、、やがてだらりと腕が下りた。そして空を仰いだ彼の肩は震えていた。
 不意に周囲に蒼白い燐光が舞い、有体であったカプリシオの姿が透きとおった。メイが指を組み、聖句を唱え始める。
「成仏すれば、あの世で花嫁と結婚式挙げられるかもしれないわよ?」
 レピアがいたずらっぽく笑った。
 一同は消えゆくカプリシオと同じように空を見上げ、清らかなメイの聖句を聞いた。大きく傾いた西の月に照らされたカプリシオの頭上で、ロンドによく似た少女が彼に手を差し伸べたのを――彼の本当の花嫁が迎えにきたのを――恭介はたしかに見たような気がした。
                    〔Fin.〕



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【SN01_2309/結城 恭介/男/20歳/特壱級退魔士】                
【SN01_1649/アイラス・サーリアス/男/19歳/フィズィクル・アディプト】
【SN01_1926/レピア・浮桜/女/23歳/傾国の踊り子】
【SN01_2315/クレシュ・ラダ/男/26歳/医者】
【SN01_1063/メイ/女/13歳/戦天使見習い】

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■         ライター通信          ■
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担当いたしましたライターのあかるです。
このたびの『黒山羊亭冒険記』へのご参加、ありがとうございました。
それぞれPCにより書き分けられている部分がありますので、
参加してくださったすべてのPCのストーリーをご覧になると、
もっと深く楽しんでいただけると思います。
花嫁が逃げた理由と城主カプリシオが“殺された”理由、
実は彼が婚約の頃からアンデッドだったという事実……いかがだったでしょうか。
今回は皆様のご活躍のおかげで、何とか彼を成仏させることが出来ました。
最後のシーンはダンテの『神曲』のイメージで書いています。

それでは、またご縁がありましたら、
冒険にご一緒させていただきたく存じます。