<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


『ポチが西向きゃ』

<オープニング>
「こんにちは」
 10歳位の身なりの整った少年が、白山羊亭のドアを開けた。
「いらっしゃい!・・・一人?ご両親は?」
 子供好きなルディアは、彼の目の高さに腰をかがめ、愛想良く相手する。
「人をお願いしたくて来ました。僕はアイネと言います。僕の代わりに今日だけポチの散歩を代わって欲しいのです。
 料金は、これで足りますか?」
 ブレザーのポケットから、銀貨の入った袋を取り出す。けっこう持っているようだ。ルディアの週給より多いかも。
 何でも、今日は友達と演奏会に行くので、日課のポチの散歩が果たせないのだそうだ。ポチは毎日散歩させないと、ストレスが溜まるらしい。

「うわあっ!」
 ランチを味わい終えて一歩店を出た客が、悲鳴を挙げて慌ててドアを閉じた。
「店の前にケルベロスがいる!」
 ケルベロスは、頭を三つ持つ巨大な冥府の番犬である。
 ルディアはぱちぱちと瞬きをした。
「・・・ポチって、もしかして?」
「はい。今、店の前で待たせてあります」

< 1 >
「へえ〜、可愛いですねぇ」
 客で来ていたアイラス・サーリアスが、わざわざケルベロスを覗きに出て行った。
『か、可愛い?』
 ルディアは顔に『?』マークを浮かべながら、恐る恐る店の前に出てみた。
「ゴロゴロさせてあげていいですか?」
 アイラスは少しはしゃいでいる。
 ルディアがドアから顔を出すと・・・アイラスは、巨大な犬の『尻』に顔を向けて「可愛い、可愛い」を連発している。
『???。ケルベロスのオシリが可愛い?』
 アイラスさんってどういう趣味?と眉間に皺を寄せながらよく見ると・・・アイラスは、尻尾(蛇の頭)と会話していた。彼が喉を指でくすぐると、蛇は気持ちよさそうに細い舌を出した。
「アイラスさんって・・・爬虫類がお好きなんですか?」
 ルディアの問いに、アイラスはメガネを直しながら「ええ、まあ」と控え目に応えた。『ええ、まあ』程度では無い気がするが、犬の尻に執着するよりはいいかもしれないとルディアは思った。
 犬は乳牛ほどの大きさだ。黒いビロードの毛並みは艶を放ち、三つの大きな頭は容赦無く辺りを見据えた。右の頭の瞳はルビー。真ん中が金色。左がエメラルド。瞳孔の開いた鋭い目が通りを睨んでいる。一匹が欠伸をすると、他の二匹もつられて長く鋭い牙を見せた。

「腹へった〜、何食おう・・・って、うぉぉぉ?!」
 白山羊亭に来店しようとした霧雨・水月(きりさめ・すいげつ)が、ケルベロスを見て飛びのいた。
「な、なんだ、白山羊亭は随分物騒なマスコットを置いてるな」
 手に持った箒で妖獣を牽制する。
「あ、水月さん。すみません、実は・・・」
 ルディアから事情を聞いて、「へええ」黒い瞳がいたずらそうにキラキラと輝く。
「地獄の番犬の散歩だなんて、なんか洒落てるじゃないか」
 16歳の少女と思えぬ好奇心は、彼女が黒魔術士だからだろうか。
 アイネ少年は、アイラスと水月に地図を手渡す。
「ポチのお気入りの散歩コースです。市街地に、ペットを遊ばせるのにちょうどいい公園もあります。そこでは、飼い主さん達はリードを外してボール遊びやフリスビーもさせています。彼らと一緒に遊びたがったら、遊ばせてあげてくださいね」
「その公園って、ケルベロスが集まるのかぁ?」
 水月が地図を開きながらうんざりして尋ねる。冥王の番犬集団がフリスビーで遊ぶ図はぞっとしない。
「まさか」とアイネは笑った。
「エルザードに、そう多くこの犬を飼っている人はいないと思います。まあ、その公園は色々なペットはいるようですけど。
 ポチはいいコですが、もし言うことを聞かなかったら、コレをあげてください。はちみつ入りのケーキです。それに、音楽を聞かせると静かになります。
 では、よろしく」
 
 よろしくと任されたのはいいが。アイラスは恐る恐るリードを引いた。三色の瞳が長髪の青年を一瞥した。
『いきなり火を吹いたりしませんよね?』
 だめだ、恐怖心を見せたら犬に嘗められる。毅然としていないと、犬は言うことを聞いてくれないものだ。
 尾がひょいと鎌首をもたげ、背中越しに三つの頭に何か意見してくれたらしい。ケルベロスは静かに歩き出した。アイラスは胸を撫で降ろす。
 その後ろから、水月が「こいつらがフリスビーで遊ぶ時って、三枚投げるのかねえ」などと軽口を叩きながら付いて来る。
 人通りの多いアルマ通りを緊張して抜けた。通行人ははっとしてケルベロスを見るものの、アイラスが颯爽と先導しているせいか、動揺も無く騒ぎも起きなかった。
 天使の広場に出る。小さい子供が近づかないよう、要注意だ。などと思っている間に早速、子供がちょっかいを出して来た。
「お手!」
 ファン・ゾーモンセンが、ケルベロスの前に立って、片手を差し出している。
「ファン君、危ないですから!」
 アイラスが叫ぶ前に、「毛、すべすべだねえ」と右の頭を撫でた。あまりに小さい生き物なので怒る相手でも無いと思ったのか、頭は少年の愛撫を大目に見た。
「どうしたの、この犬。大きいなあ。かっこいいなあ。へええ、散歩?いいなあ。ボクもお手伝いしていい?」
 アイラスと水月の返事を待たず、ファンは「えいっ」とケルベロスの背に乗っかった。
『うわぁ』『えーっ?』と大人二人は唖然としたが(だいたい、背に乗ることを散歩の手伝いとは呼ばない)、ケルベロスは「うう・・・」と軽く唸っただけで、少年を振り払うことも無かった。彼には鼠が乗った程度のことだっただろうか。
 屋敷の庭でも、飼い主のアイネにお馬さんごっこを強いられているのかもしれない。ケルベロスは慣れたもので、ファンを落とさないよう、歩みを緩めた。

< 2 >
 聖都の門を越えた郊外。地図の通りに行くと広い芝の場所が見えた。
 だからと言って、アイラスが『やれやれ』とリードを握る手を緩めることなどできそうにない。
『もしや・・・あの、背の高い、首がたくさんあるのはヒドラでしょうか』
 ヒドラは、九つの蛇頭を持つ妖獣だ。蛇と言っても、大きな二本の足と太い尾で立つ。ドラゴンに九つの長い首が付いているという容貌だった。
『か、かわいいっ!撫でたいっ!』それも九つの頭、全部!
 しかし、ケルベロスをほっぽり投げて、ヒドラの元へ遊びに走るわけには行かない。

 公園には、普通の犬も何匹もいる。大型の番犬らしきペット達が、芝を蹴って楽しげに走りまわる。
 普通の馬やロバや牛もいた。牛とロバはその場に留まり草を食む。馬には、留まるもの、風を切り立髪をなびかせるもの、ベンチや灌木を飛び越えるもの、様々だ。ここまでは、日常の、ペットを遊ばせるのどかな風景かもしれない。
 ユニコーンやらコカトリスやらスフィンクスもいた。白いユニコーンは、角で友人を刺さない配慮をしながら他の馬たちと駆けていた。コカトリスとスフィンクスは羽を広げて、華やかな色合いの自慢をしているようだ。ヒドラの周囲には他の動物は無く、ズシッズシッと足音を響かせ散歩している。
 周りには何の建物も無く、この公園は妖獣をペットに持つ者たちにとって、格好の場所のようだ。ベンチに座りながら、情報を交換したり、楽しく喋ったりしている飼い主も目立った。
 とりあえずは平和な雰囲気だが、アイラスが制御できない事が起きる可能性も高い。フリスビーが宙を切るのを見て、赤い目のケルベロスが一声吼えた。
『そうだ、一応はちみつケーキを準備しておいた方がいいでしょう』
 アイラスが背後を振り向くと、犬の背でファンがケーキをむしゃむしゃと食べているところだった。アイラスは愕然とする。
「ファン君、ダメじゃないですか!それはポチのですよ!」
「ご、ごめんなさい。だって、水月さんが、あんまりおいしそうに食べてたから、つい、『ボクにも』って・・・」
「え?」
 水月を見ると、彼女は口の周りのハチミツを手の甲で拭い、「紅茶が欲しいな」と宣巻くった。
「・・・。」
「アイラス、後は代わろう。ここで遊ばせておけばいいんだろ?」
 水月は気安くリードを受け取った。
『はちみつケーキが無いと、あとは音楽ですか』
 アイラスは上着のポケットに横笛があることを確認した。だが、この妖獣だらけの公園で騒ぎになった時、笛の音量がどこまで響いてくれるかは疑問だったが。

「ボールを借りて来たんだけど。ポチと遊んでいいかな?」
 いつの間にかファンはサッカーボールを胸に抱いていた。普通の犬ならテニスボール位が適当だろうが、ポチだと小さすぎて呑み込んでしまうかもしれない。
「ようし、遊ぼうぜ」と水月はリードを離す。
 ファンがボールを蹴り上げ、ボールが芝の上を点々と転がると、ポチはそれを追って走り出した。このあたりは所詮犬である。
 アイラスはケルベロスを水月に託し、ベンチで休むことにした。木蔭に座ると、風が心地よい。遠く子供の笑い声と犬の鳴き声、牛の声までが聞こえてくる。
 ポチは、赤目黄目緑目の順番でボールをくわえて戻って来る。頭同士で争うことは無かった。なかなか統率が取れている。
 ただ、小さなファンはあまり遠くに蹴ることができない。ポチは三匹とも舌を出して、期待で瞳を輝かせる。蛇の尾が揺れている。もっと遠くへ投げてとせがんでいるのだ。
「私が蹴ってやる」と、水月がファンからボールを取り上げ、目の高さに投げた。そして右足を振り子のように振り上げた。スカートの黒サテンのフリルが舞うが、お構い無しだ。
 ボールは鋭く速く遠方へ飛んで行った。ポチも素早く反転し、ボールの軌跡を追う。
『あっ・・・』
 アイラスはベンチから飛び上がった。ボールが、スフィンクスの顔面に激突したのだ。獅子の体と女の顔の妖獣は、走って来たポチを睨み、それからボールを蹴った水月の方へ向いた。鼻血が一本つたっている。
「あっちゃー、ごめん、ごめん」
 水月は、スフィンクス相手に、謝って済むと思っている。
『女性の顔を傷つけて、タダで済むとお思い?』
 獅子の前脚が地面を蹴った。水月に向かい突進して来る。
「うぎゃ!」
 彼女は帽子を抑えて箒を跨ぎ、さっさと飛行魔法で空に逃げた。だが、スフィンクスも鷲の羽をはばたかせて追って来る。鼻血の滴れたまま、点描のように細い眉をしかめ、真っ赤な口紅の口を大きく開いて迫る。怒った顔に関しては、竜や蛇よりも、人間の女の方が断トツに怖い。
 と、ピューと口笛が吹かれた。飼い主だろう。
「スーちゃん、戻ってらっしゃーい!」
 スーちゃんは、渋々、水月を追うのをやめた。ペットは飼い主に似るというが。スフィンクスの顔にそっくりのご婦人だった。

 水月の騒動で、アイラスはポチとファンを見失った。公園の中を慌てて目で探す。
 ポチが、一本の樹に向かって吼え立てていた。目を凝らすと、ファンが、樹の上に追い詰められているのが見える。ケルベロスも騒ぎで興奮して気が立ったのだろう。アイラスは横笛を手に走り出した。
 近くまで走り寄り、あとは吼える犬に気取られないようそっと笛に唇を触れた。走った後だが、この程度で息の乱れる肺活量では無かった。
 最初は、咆哮が笛の音を掻き消した。だが、アイラスは辛抱強く吹き続けた。唇を嘗めて再び吹口に触れる。静かに音孔から指を移動させ、優しい旋律を続ける。アイラスは笛に心を吹き込み続けた。
 上では少年が怯えているに違いない。荒れる犬達よ、もう吼えないでほしい。この旋律に耳を傾けてくれ。
 風を謳う歌。空を讃える歌。季節の美しさ優しさ。それを奏でることができますように。
 音楽の女神、少し僕に力を貸して欲しい。
 この、息を吹きつけ孔から洩れる音でしかない楽器が、美しい音色を紡ぐことができますように。

 初めに、緑目の一匹が、ピクリと折れた片耳を動かした。気づいて、黄目も赤目も口を閉じた。ポチは吼え止むと、体ごとアイラスの方に向けた。柔らかな音色が、あたりを包む。
 赤い瞳がうっとりと閉じられた。金色の瞳はまっすぐにアイラスを見つめる。緑の瞳は、空を仰ぎながら聞き入った。
 樹の上から、アイラスの曲に合わせて、暖かみのある楽器の音が聞こえて来た。アイラスは演奏しながら、はっと顔を上げた。土の匂いがするような、オカリナの音色だった。ファンが吹いているのだろう。
 技術自体はまだ拙いようで、アイラスのように装飾音を混ぜて吹くことはできないが、横笛の主旋律に邪魔にならないよう、工夫して合わせていた。
 犬の四肢が折れ、静かにうずくまった。蛇の尾も垂れて土に付き、犬の頭達と同様に曲を堪能しているようだ。
 一曲吹き終えた頃には、ポチはすっかりおとなしくなっていた。

< 3 >
「ありがとうございました」
 音楽会の帰りに、白山羊亭へとポチを引き取りに来たアイネは、礼儀正しく礼を述べた。
「行ってみたら、ペット可の会場だったんです。次からは連れて行けますので、もうお願いしなくて済むと思いますよ」
 ルディアは肩をすくめる。
「でも、ホールにケルベロスがいたら、他の観客に迷惑じゃないの?」
 それについては、ファンとアイラスが太鼓判を押した。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
「ポチは音楽を聞く時は、とてもおとなしくしていますから」
 水月は、他のテーブルの客に、スフィンクスを『退治』した武勇伝について語っていたが、ポチが帰る段になって別れを惜しみに来た。
「あばよ、ワンコロ。おまえら、美味いもの貰ってていいよなあ。また遊ぼうな」
 ポチもボール遊びが楽しかったらしく、水月を見て嬉しそうに喉を鳴らした。
「ポチは可愛がって戴いたみたいですね。本当にありがとう」
 アイネとポチは何度も振り向きながら、アルマ通りを去って行った。
 尻尾の蛇が、まるで手でも振るようにゆらゆらと横に揺れながら、姿が消えるまでこちらを見ていた。

< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト
0673/ファン・ゾーモンセン/男性/9/ガキんちょ
2371/霧雨・水月(きりさめ・すいげつ)/女性/16/普通の黒魔術士

NPC
アイネ少年

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■         ライター通信          ■
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ありがとうございました。ライターの福娘紅子です。
今までアイラスさんに演奏していただく機会がなかなか無く、
もったいなく思っていました。
プレイングにはありませんでしたが、対ケルベロスということで、名演奏を披露してもらいました。