<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


【聖なる歌と洞窟の老人】
 音に聞こえる吟遊詩人カレン・ヴイオルドがふらりとやってきたものだから、白山羊亭はにわかに活気づいた。ルディアが出迎える。
「カレンさん、いらっしゃいませ。今日は美味しいお酒が遠方から届いたんですよ」
「今日は依頼人としてきたんです」
 天使の広場では見せないような、凛とした表情だった。
「ここより南にある洞窟に、かつて聖人とまで言われた歌い人が隠居しているのですが、彼はもう長くないと、吟遊詩人の間では噂になっています。そこで、彼が書きとめた歌を、ぜひ私に譲ってほしいと思って」
「その洞窟までの護衛ですね? 魔物がウジャウジャでしょうし」
「魔物もありますが、多くの吟遊詩人も私と同じことを考えています。そして、障害になりそうな同業者は力づくで退場させようともくろむ……そういうのもいるでしょう。同族で争いなどはしたくないのですが。お礼は……成功したら、その聖人が残した歌を披露したいと」
「なるほどです」
 ルディアはいつものように店内に響く声で言った。
「ではカレンさんのボディーガード、引き受けてくれる方はいるですか?」

「聖人の遺す歌ですか、ぜひとも聴いてみたいですね」
 真っ先に名乗り出たのはアイラス・サーリアスだった。隅に座っていた彼は足早にカレンに歩み寄る。
「できれば僕も1曲くらい覚えたいところですし……。ご一緒させていただいてもよろしいですか?」
「覚えたいのは僕もですよ。成功した暁には演奏でカレンさんと一緒に……」
 カウンターで茶とケーキを嗜んでいた青年もまた立ち上がった。山本建一である。
 このふたりはともに音楽を愛しているのだった。カレンにとってこれほどありがたい同行者はいなかった。彼女は喜んで礼を言った。
「決まりですね。よろしくお願いします」

 明くる朝、カレンは両脇に依頼請負人を並ばせて、聖者の洞窟までの道のりを歩いていた。すでに街道から巨木並木の山道に至っている。
「洞窟まではあと数時間の距離です。もちろん何もなければですが」
 カレンはボディガードたちに言った。
「はは、何もなければいいですねえ」
「ごもっとも。特に同じ吟遊詩人の襲撃は勘弁ですね」
 アイラスと建一がのんびりと言う。だが彼らはいつでも戦闘体制に入れるように、気を研ぎ澄ましている。カレンは少し寂しい顔になる。
「暴力に頼るようでは、人に歌を届ける資格はありません。だから本当に……そんなことが起きなければいいのですが」
 それから1時間ほど進んだ、その時。
「カレン・ヴイオルドだな」
 一行は歩みを止めた。
 よく日に焼けた体格のいい男がふたり、ぬっと道の脇から現れた。赤髪と青髪。手には両者とも幅広の剣を持っている。
「おとなしくここで引き返せば、勘弁してやるぜ」
「キレイな顔に傷をつけたくないだろう?」
 赤髪も青髪もいやらしそうに言う。
「……やはり私を行かせないために?」
 男たちは答えず、黄色い歯を見せながら薄ら笑いを浮かべるだけだ。
「カレンさん、残念なことになってしまいましたが」
「早いところ退いてもらいましょうか」
 アイラスと建一がカレンの前に立った。それぞれの愛用武器、釵と魔法の杖を持って。
「何だ貴様ら、そんな細腕で俺らを倒せるとでも――思っているのか!」
 喚くと同時に襲撃者は剣を大きく振りかぶり、力任せに振り下ろした。
 ガキイィン!
 赤髪は狼狽した。岩をも破壊すると自負する自慢の剣は、アイラスの2本の釵によって挟み込まれていた。
 何でこんな細い棒に? そう思わせる間もなく、アイラスは赤髪の右の腋下に蹴りを入れ、腕を弛緩させる。すると、剣は面白いように赤髪の手から離れていった。アイラスが並木の向こうにそれを捨てる。
「お、おい、相棒!」
 青髪が気を抜いたその一瞬。彼は後ろに吹っ飛ばされた。
 まさしく魔法だった。建一が杖の先を向けただけで、触れもせずに一回り以上大きい青髪を動かしたのだ。
「これ以上は止めた方が身のためですよ」
「あなたたちなら相手の実力くらいわかるでしょう」
 アイラスと建一が睨む。幾多もの修羅場を潜り抜けてきた冒険者の顔がそこにあった。
 襲撃者はすぐさま詫びを入れて降参した。ただ金で雇われただけである。命を賭けてまでカレンたちの邪魔をする意味はなかった。ほうほうの体で逃げ出していった。
「お強い」
 カレンは顔を紅潮させて彼らの戦いぶりに見入っていた。これが真の冒険者というものか、と。

 以後は誰の襲撃もなかった。幸いにも怪物の出現もなかった。一度腹を空かせたオオカミがやってきたが、そんな時はカレンが竪琴を爪弾いてなだめさせたのであった。
 やがて山道が開けた。地面は平地になり、眼前には高い岩壁がそびえ立っていた。
「あれです、あそこです!」
 カレンの指差す先に、暗い穴が開いている。
「……人の気配がありますね。ひとりじゃなく」
 アイラスが眉をひそめた。
「先客がいるようですね。早い者勝ち、なんてことがなければいいのですが」
 建一も心配そうに言う。
 カレンが先頭に立って一行はゆっくりと洞窟の内部に入っていく。魔法の品か松明か、奥からはボンヤリとした明かりが感じられる。
 通路はすぐに四角い部屋に変わった。
「ごめんください!」
「カ、カレン!?」
 カレンを見た途端、中にいた金髪の青年が叫んだ。
「な――」
 なぜ、と言いたいのだろう。
 カレンは彼に視線を送る。彼の名はガンド。歌声は抜群だが少々乱暴という噂がある。
 あれが襲撃者を差し向けた張本人だ。おそらくは自分以外にも刺客を送って、吟遊詩人仲間を追い返したに違いない。だがカレンはぐっと憤怒の言葉を飲み込んだ。
「私は吟遊詩人のカレン・ヴイオルドと申します」
 ガンドの隣、地べたに座る老人の背中に声をかけた。
「ああ、ワシの作った歌がほしいのだな」
 老人は振り向いて、やたらに細い目でカレン、そしてガンドを見た。
「この坊主も同じ用件で来た。別に譲るのは構わん。だが、それはワシの認めた歌い手のみじゃ。下手糞な奴に歌い継いでほしくはない」
「ご老体、俺よりうまい歌い手などこの世にはいません。ちょうど競争相手もいる。比べて、どっちがあなたの後継者にふさわしいかを決めようじゃありませんか」
 ガンドは勝手に話を進める。が、まさか暴力で決着をつけるわけにもいかないので、カレンもそれしかないと頷いた。
「いいじゃろう。まあ、ここでは狭い。外に出ようか」
 
 最初はガンドがその腕を披露した。流麗なメロディと言葉が流れ、耳にスウっと入ってくる。
(やるなあ)
(言うだけのことはある)
 音楽の心得があるアイラスと建一をしてこう思わせたのだから、ガンドの実力は相当なものといえた。
 竪琴が鳴り止む。ガンドは老人に向かって気を吐いた。
「どうです。もうカレンを試すまでもないでしょう」
「何を。やってみないとわからない」
 カレンは老人を見つめ、深呼吸をして、竪琴をかき鳴らし始める。
 これもまた綺麗な旋律と詩。アイラスと建一は心の中で、さすがと思った。天使の広場で、何度となく彼女の声を耳にしている。その美しい歌、当代一の吟遊詩人といって差し支えあるまい。
 しかし。
「どうです?」
 アイラスが小声で建一に聞く。
「……互角、かな」
「ですよね」
 聞く限り、両者に差があるとは思えなかった。鳥をも酔わせる伸びやかな声、竪琴の技術、感情の込め方。すべてにおいて互角ではないか。
 カレンが歌い終わる。――と、老人は洞窟に入っていった。
 吟遊詩人ふたりは何の言葉も交わさず、時を待った。
 数分後、老人は戻ってきた。手に何かを持っている。

「これはそなたに託そう。自由に使いたまえ」

 老人はカレンの前に立って、それを差し出した。膨大な羊皮紙の束だった。もちろん、老人が生涯に書き記した詩とメロディの集大成である。
「ほ、本当に?」
 カレンは泣きそうになる。アイラスと建一が拍手を送る。対してガンドはたちまち憤った。
「なぜだ! 俺は決してこいつに劣ってなんか――」
「喝!」
 老人が気合を発して、ガンドは黙り縮みあがった。
「これは誰にも言ったことがないが、ワシは歌い手の心を読む力を持っているんじゃ。おぬしの歌を通じて、心底がわかった。――確かにうまいが、ただ歌を名声のためにしか扱っておらん。だからこの娘を襲わせるような真似も平気でできるのじゃな」
 ガンドは青ざめ、その場から逃げだした。脱兎の勢いである。この瞬間には、枯淡の聖人の頭から彼のことなどは消えた。
「カレンと言ったな」
 老人は初めて笑顔を見せた。
「そなたの心は実に澄んでいる。これからは頼んだよ」
「はい!」
 カレンは元気よく誓った。

■エピローグ■

 全員が涙を浮かべた。ある者は故郷に思いを馳せ、ある者は遠い昔に別れた恋人を思い出し、またある者は未来に希望を抱く。
 聖者の歌は天使の広場に悠々と響き渡った。カレンという最高の歌人のステージに、もう何百の人が集まっているだろう。
 やがて弦の響きが空に溶けるように失せていって、カレンは頭を下げた。
 後は拍手の山。惜しみない賛辞をカレンに送る。
「……なんて心地いいんでしょう」
 演奏で参加していた建一も心ここにあらずといった風である。
「ああ、これでもまだほんの一部に過ぎないんですよね」
 アイラスは曇ったメガネを布で拭いた。
「では、今日はこの辺で終わりにしましょう」
 カレンが言うと、一斉に「えー」の嵐。しかし彼女の次の言葉に納得するのだった。
「だってあんまりにも素晴らしすぎて、私が去らないと皆さんいつまでもここにいるでしょう。生活が手につかなくなっちゃいますから」

【了】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【0929/山本建一/男性/25歳/アトランティス帰り(天界、芸能)】

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■         ライター通信          ■
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 silfluです。このたびは発注ありがとうございます。
 カレンをメインに据えた話は2回目です。
 やっぱり歌は心だなあと、書きながら思いました。
 
 それではまたお会いしましょう。
 
 from silflu