<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
『ポチが西向きゃ』
<オープニング>
「こんにちは」
10歳位の身なりの整った少年が、白山羊亭のドアを開けた。
「いらっしゃい!・・・一人?ご両親は?」
子供好きなルディアは、彼の目の高さに腰をかがめ、愛想良く相手する。
「人をお願いしたくて来ました。僕はアイネと言います。僕の代わりに今日だけポチの散歩を代わって欲しいのです。
料金は、これで足りますか?」
ブレザーのポケットから、銀貨の入った袋を取り出す。けっこう持っているようだ。ルディアの週給より多いかも。
何でも、今日は友達と演奏会に行くので、日課のポチの散歩が果たせないのだそうだ。ポチは毎日散歩させないと、ストレスが溜まるらしい。
「うわあっ!」
ランチを味わい終えて一歩店を出た客が、悲鳴を挙げて慌ててドアを閉じた。
「店の前にケルベロスがいる!」
ケルベロスは、頭を三つ持つ巨大な冥府の番犬である。
ルディアはぱちぱちと瞬きをした。
「・・・ポチって、もしかして?」
「はい。今、店の前で待たせてあります」
< 1 >
ファン・ゾーモンセンが、天使の広場で、同じ9歳位の少年達と追いかけっこをしていた時のことだった。
異様な風景が目に入った。
牛くらいにでかい犬、しかも頭が三つもあるヤツが、広場を横断しようとしていた。本で見たことがある。ケルベロスだ。
伝説では、冥王の屋敷の番犬と言われている。黒いなめらかな短毛は品がよく美しいので、エルザードでも一部の人に人気があるペットだと聞いたことがあった。
それにしても大きい。
もちろんリードで繋がれてはいるが、それを握るのは、一瞬で振り切られそうな普通の体つきの青年だ。
『あれ?・・・アイラスさんじゃないか』
淡いブルーの長い髪を後ろで一つに括り、大きなメガネをかけている。アイラス・サーリアス。優しくて面倒見のいいお兄さんである。
後ろを付いて歩いている黒いドレスの女性は、黒魔術士の霧雨・水月(きりさめ・さいげつ)のようだった。右手に箒を握り、左手には袋を下げていた。袋からは、はちみつの甘い香りがした。
『ケルベロス、かっこいいぞ!』
ファンは走り寄り、思わず片手を出して言った。
「お手!」
犬を相手に、最初に取るコミュニケーションは、これしか無い。
三つの頭は、ファンの小さな手と、無邪気な顔を代わる代わるに見つめた。右から赤い瞳、金色の瞳、緑の瞳。三色の六つの瞳が呆れて少年を見降ろしている。
「ファン君、危ないですから!」
アイラスの声は悲鳴に近かったが、ファンは意に介さない。笑顔でケルベロスの前脚が掌に置かれるのを待っている。
『あれえ?お手もできないのかな。まあ、いいか』
「毛、すべすべだねえ」と今度は右の頭を撫でた。
ケルベロスとしては、あまりに小さい生き物なので怒る相手でも無いと思ったのか、少年の暴挙を大目に見た。
「どうしたの、この犬。大きいなあ。かっこいいなあ」
子供が輝く瞳で『どうしたの?』や『これなあに?』等と尋ねた時、それから逃れる術は、きちんと説明してやる事しか無い。
アイラスは、白山羊亭でアイネという少年から、代わりにポチの散歩を頼まれたこと、これから郊外の公園へ連れて行くことを告げた。暴れたら、水月が持ったはちみつ入りのケーキを与えるか、又は音楽を聞かせると静かになることも説明する。
『ふうん。この犬、ポチっていうのか』
「へええ、散歩?いいなあ。ボクもお手伝いしていい?」
アイラスと水月の返事を待たず、ファンは「えいっ」とケルベロスの背に乗っかった。
『うわぁ』『えーっ?』と大人二人は唖然としたが(だいたい、背に乗ることを散歩の手伝いとは呼ばない)、ケルベロスは「うう・・・」と軽く唸っただけで、少年を振り払うことも無かった。彼には鼠が乗った程度のことだっただろうか。
『うわあい。高い〜。すごい〜。馬に乗ったらこんな感じ?』
ファンは嬉しそうにきゃっきゃと笑い声を立てた。
屋敷の庭でも、飼い主のアイネにお馬さんごっこを強いられているのかもしれない。ケルベロスは慣れたもので、ファンを落とさないよう、歩みを緩めた。
< 2 >
聖都の門を越えた郊外。地図の通りに行くと広い芝の場所が見えた。
公園には、普通の犬も何匹もいる。大型の番犬らしきペット達が、芝を蹴って楽しげに走りまわる。
普通の馬やロバや牛もいた。牛とロバはその場に留まり草を食む。馬には、留まるもの、風を切り立髪をなびかせるもの、ベンチや灌木を飛び越えるもの、様々だ。ここまでは、日常の、ペットを遊ばせるのどかな風景かもしれない。
ユニコーンやらコカトリスやらスフィンクスもいた。白いユニコーンは、角で友人を刺さない配慮をしながら他の馬たちと駆けていた。コカトリスとスフィンクスは羽を広げて、華やかな色合いの自慢をしているようだ。
ヒドラも、いた。
ヒドラは、九つの蛇頭を持つ巨大な妖獣だ。蛇と言っても、大きな二本の足と太い尾で立つ。ドラゴンに九つの長い首が付いているという容貌である。
さすがにヒドラの周囲には他の動物は無く、ズシッズシッと足音を響かせ一匹で散歩している。
周りには何の建物も無く、この公園は妖獣をペットに持つ者たちにとって、格好の場所のようだ。ベンチに座りながら、情報を交換したり、楽しく喋ったりしている飼い主も目立った。
自分にもペットの仔犬がいたら(ケルベロスは仔犬では無いと思うが)、バスケットにサンドイッチでも詰めて。ここに散歩に来られたら楽しいだろうと思う。
そういえば、少しお腹が空いたかも。背後でいい匂いがしたので振り返ると、水月がこっそりケーキを頬張っているところだった。頬袋に木の実を貯めた栗鼠のように、頬だけが膨れている。
「水月さんだけ、ずるいよ」
水月は、『ちぇっ、見つかっちまった』とにが笑いしながら、残りの一個をファンに渡した。
「わあい。おいしいね」
口に入れると、中ではちみつの甘さがふわりと広がった。スポンジは柔らかくて溶けるように消えた。
「ファン君、ダメじゃないですか!それはポチのですよ!」
いつも優しいアイラスだが、叱る声は厳しかった。
「ご、ごめんなさい。だって、水月さんが、あんまりおいしそうに食べてたから、つい、『ボクにも』って・・・」
「え?」
アイラスは水月を振り返った。彼女は口の周りのハチミツを手の甲で拭い、「紅茶が欲しいな」と宣巻くった。
「・・・。」
「アイラス、後は代わろう。ここで遊ばせておけばいいんだろ?」
水月は気安くリードを受け取った。
「ボールを借りて来たんだけど。ポチと遊んでいいかな?」
ファンが、『普通の』犬を遊ばせている飼い主から、サッカーボールを借りて来た。その人もまさかケルベロスにボールを追わせるとは思わなかっただろうが。
「ようし、遊ぼうぜ」と水月はリードを離す。
ファンがボールを蹴り上げ、ボールが芝の上を点々と転がると、ポチはそれを追って走り出した。このあたりは所詮犬である。
ポチは、赤目黄目緑目の順番でボールをくわえて戻って来た。頭同士で争うことは無かった。なかなか統率が取れている。
ただ、小さなファンはあまり遠くに蹴ることができない。ポチは三匹とも舌を出して、期待で瞳を輝かせる。蛇の尾が揺れている。もっと遠くへ投げてとせがんでいるのだ。
「私が蹴ってやる」
水月がファンからボールを受け取った。
目の高さに投げると、右足を振り子のように振り上げた。スカートの黒サテンのフリルが舞うが、お構い無しだ。
ボールは鋭く速く遠方へ飛んで行った。ポチも素早く反転し、ボールの軌跡を追う。
『あっ・・・』
見ていたファンも凍りついた。ボールが、スフィンクスの顔面に激突したのだ。獅子の体と女の顔の妖獣は、走って来たポチを睨み、それからボールを蹴った水月の方へ向き直った。鼻血が一本つたっている。
「あっちゃー、ごめん、ごめん」
水月は、スフィンクス相手に、謝って済むと思っている。
『女性の顔を傷つけて、タダで済むとお思い?』
獅子の前脚が地面を蹴った。水月に向かい突進して来る。
「うぎゃ!」
彼女は帽子を抑えて箒に跨がると、さっさと飛行魔法で空に逃げた。だが、スフィンクスも鷲の羽をはばたかせて追って来る。鼻血の滴れたまま、点描のように細い眉をしかめ、真っ赤な口紅の口を大きく開いて迫る。怒った顔に関しては、竜や蛇よりも、人間の女の方が断トツに怖い。
と、ピューと口笛が吹かれた。飼い主だろう。
「スーちゃん、戻ってらっしゃーい!」
スーちゃんは、渋々、水月を追うのをやめた。ペットは飼い主に似るというが。スフィンクスの顔にそっくりのご婦人だった。
天上で水月が逃避している間、地上でもファンが逃げていた。今のスフィンクスの騒ぎのせいか、血を目撃したせいなのか、ポチが興奮してファンに飛びかかって来たのだ。
「うわぁぁぁぁん」
ファンは公園を疾走した。ファンは駿足だったし、ケルベロスは動きが鈍く小回りが利かなかった。だが、前脚の爪が一度ファンの背に届いただけで、命に関わる怪我になるだろう。吼える声と息づかいと鼻息がすぐ背後に迫っている。顔が三つなので音も三倍だ。
切迫していた。
公園のどん詰まりは森だった。ファンは隅に追い詰められ、咄嗟に樹に登った。靴のすぐ下の幹を爪が刻んだ。
三つの顔が牙を剥いて吼え立てたが、ポチは木登りは出来ないらしい。地面に張り付いて唸っては咆哮し、ジャンプしながら咆哮してはまた地に伏して唸った。
『ええん、ごめんなさい。ポチのケーキ食べちゃってごめん』
ファンの緑の瞳に、見る見る涙の膜が張った。だが、ベソをかいていて、問題が解決するわけじゃない。ファンは瞼をぬぐう。
『・・・あれ?』
気のせいでは無い。笛の音が聞こえた。最初はポチの鳴き声がうるさくて、微かにしか聞こえなかったけれど。優しい感じのメロディ。確かに、聞こえる。
ファンは耳を澄ませた。
緑目の一匹も、ピクリと折れた片耳を動かした。気づいて、黄目も赤目も口を閉じた。ポチは吼え止むと、体をファンの居る樹とは反対の方へ向けた。
アイラスが横笛を握り、目を瞑っていた。柔らかな音色が、あたりを包む。アイラスが吹いていたのだ。
赤い瞳がうっとりと閉じられた。金色の瞳はまっすぐにアイラスを見つめる。緑の瞳は、空を仰ぎながら聞き入った。
『そうだ、音楽でも静かになるって言ってたっけ!』
ファンは懐からオカリナを取り出した。まだ練習中だし、アイラスのように上手に演奏は出来ないが。ケーキを食べてしまった自分がいけなかったのだし。泣きながら樹の上で待っているだけというのは、男として情けない気がした。
ファンは鼻をすすると、唇をオカリナにつけた。まだじわっと涙が滲む。恐怖が忘れられず、指の震えは止まらないけれど。
アイラスは横笛を吹きながら、はっと顔を上げた。樹の上から、アイラスの曲に合わせて、暖かみのある楽器の音が聞こえて来た。土の匂いがするような、オカリナの音色だった。ファンが吹いているのだろう。
技術自体はまだ拙いようで、アイラスのように装飾音を混ぜて吹くことはできないが、横笛の主旋律に邪魔にならないよう、工夫して合わせていた。
犬の四肢が折れ、静かにうずくまった。蛇の尾も垂れて土に付き、犬の頭達と同様に曲を堪能しているようだ。
一曲吹き終えた頃には、ポチはすっかりおとなしくなっていた。
< 3 >
「ありがとうございました」
音楽会の帰りに、白山羊亭へとポチを引き取りに来たアイネは、礼儀正しく礼を述べた。
「行ってみたら、ペット可の会場だったんです。次からは連れて行けますので、もうお願いしなくて済むと思いますよ」
ルディアは肩をすくめる。
「でも、ホールにケルベロスがいたら、他の観客に迷惑じゃないの?」
それについては、ファンとアイラスが太鼓判を押した。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
「ポチは音楽を聞く時は、とてもおとなしくしていますから」
水月は、他のテーブルの客に、スフィンクスを『退治』した武勇伝について語っていたが、ポチが帰る段になって別れを惜しみに来た。
「あばよ、ワンコロ。おまえら、美味いもの貰ってていいよなあ。また遊ぼうな」
ポチもボール遊びが楽しかったらしく、水月を見て嬉しそうに喉を鳴らした。
「ポチは可愛がって戴いたみたいですね。本当にありがとう」
アイネとポチは何度も振り向きながら、アルマ通りを去って行った。
尻尾の蛇が、まるで手でも振るようにゆらゆらと横に揺れながら、姿が消えるまでこちらを見ていた。
< END >
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト
0673/ファン・ゾーモンセン/男性/9/ガキんちょ
2371/霧雨・水月(きりさめ・すいげつ)/女性/16/普通の黒魔術士
NPC
アイネ少年
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■ ライター通信 ■
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ありがとうございました。ライターの福娘紅子です。
ファン君、少し泣かせてしまいました。すみません。
一番危険な目に遭わせてしまいましたが、一番がんばったのもファン君かなという気がします。
お疲れ様でした。
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