<東京怪談ノベル(シングル)>
オーマの受難
ゴツゴツと鳴る靴音に表情をしかめながら、ここ診療所の主であるオーマ・シュヴァルツは目を覚ました。
「なんでぇ。今日は休診日だって表に書いてあったろ」
気だるそうに呟き、ゆっくりとソファから体を起こす。
「くぁ、今日はなんだか体が軽いな。良い夢見れたってことか?」
もとより夢の内容など覚えていない。思い出したように、わざとらしく視線を靴音の方に向ければ。
「で、おめぇはなんだ? 患者のようには見えねぇけどな?」
睨み付けた。視線の先には恰幅の良い男。
目覚めて最初に見たいのは妻の顔であって、こんな暑苦しい男の顔ではない。
そんなオーマの心中を知ってか知らずか、男は抑揚のない声で言った。
「オーマ・シュヴァルツ様で御座いますね」
それは質問ではない。断定だ。
オーマは何かきな臭いものを感じ取って、素早く立ち上がった。
「だったら、どうなんだ?」
そこで、ふと違和感を感じる。
男の背が異様にでかい。自分の身長と比べてみても、頭三つ分ぐらいは開きがある。
2mを越す長身のはずの自分が見下ろされている。
それはオーマにとって滅多にない“現象”であった。
「とある人の依頼で――おっと、その前に自己紹介を致しましょうか。私はウォズにしてなんでも屋を営んでいる者です」
「なんでも屋だぁ?」
思いっきり不信気に呟くオーマ。はなからウォズであることには気づいていたため。そちらは聞き流す。
「はい。文字通り、依頼されればなんでもこなす。そんな職業で御座います」
「それで、お前はどんな依頼を受けてここに来たんだ?」
「話が早くて助かります。しかしながら、すでに依頼された仕事は完了していまして……」
男が懐に手を突っ込む。
すわ武器か何かかと身構えるオーマだったが、取り出された手鏡を見て呆気にとられてしまった。
「論より証拠。これで自身の顔をご覧ください」
訝しがりながらも、手渡された鏡をのぞきこむ。
そこには見慣れたナイスガイ――
――ではなく、プリティーガールがいた。
「なにぃぃぃ!?」
さしものオーマも面食らう。
慌てて壁際に立てかけた鏡(全身サイズ)を見れば、そこにもやっぱりプリティーガール。
艶のある長い髪を垂らした少女が、赤い瞳をこちらに向けて凝視している。
否。それは自分であるからして、目が合うのも当然のことなのだが……。
「お前の仕業なのか?」
ギロリ。睨み付ければ男はひょうひょうとした様子で。
「ええ、これが今回の仕事ですから」
それだけを告げると、男は空気に溶け込むようにして、消えた。
残されたのは医師にしてヴァンサーを勤める、オーマ・シュヴァルツ39歳。
今は諸般の事情により――女である。
■□■
あれから色々あった。
いや、色々あったなんてものではない。
女にされてからというもの、愛する妻には三行半を叩きつけられそうになり、娘には親子の縁を切られそうになり、あまつさえ患者の一部には
「今のままでいてください! オーマさん! いえ、オーマちゃん!」
「お、俺と、結婚してください!」
と、ハァハァされるもんだから堪ったもんじゃない。
もとよりオーマは家事に慣れている。
というより諸般の事情により極めてしまっているため、そんな母性溢れるオーマを見て求婚するのは男として当然のことかもしれなかった。
もちろん、その一部の患者にはキッツーイ治療を施してお帰り願ったが、噂が広まるのはあっという間だった。
今では女になったオーマの姿を一目見ようという仮病患者が、診療所内を占拠している。
「今更だけどよ、物好きが多いなまったく」
今日も今日で、オーマは仮病患者の診察をしながら悪態をついている。
患者の胸に聴診器をあてながら顔をあげれば、惚けたような患者の顔が。
「なんでぇ、俺の顔がそんなに珍しいか」
「あ、いや、そんなわけじゃねぇんですが。いやはや……可愛いですなぁ」
「おっと、こりゃいけねぇ。心拍数が軒並み上昇中じゃねぇか。ぶってぇ注射でもしとくか?」
「勘弁してくだせぇ! あっしは注射が大嫌いなんでさぁ!」
患者は顔色を変えて逃げるように診療所から出ていった。
それを追うようにして、オーマも待合室に顔をだす。
仮病患者しかいないのを見て、追い払うようにしっしと手を振る。
「今日はもう終わりだ。帰ってくれ」
すると毎度のようにブーイングが。
「ええええ〜」
「そりゃないっすよぉ」
「オーマちゃーん。こっち向いて〜!」
「ハァハァ」
「白衣姿がらぶり〜」
もはや、ため息しか出てこなかった。
■□■
とある酒場にて。
「ったく。今日も散々だったぜ」
カウンターで足をぶらぶらと揺らしながら(足が地面に届かないんだ。悪いか?)少女――オーマはエールを呷りながら口を尖らせた。
愛嬌のあるその仕草に、隣に座っていた男がうっとりとした顔になる。
それを全力で無視しながら、続けた。
「で、俺はいつまで女のままなんだ?」
ギロリ。いつぞやのように、うっとりとした男の逆方向を睨めば、恰幅の良い男が一人。
「私がかけた術は一週間で効果が切れますから。遅くとも朝までには男に戻れますよ」
「そりゃ、良かった」
男とこうして会えたのは偶然ではなかった。
患者の間ではこの男は有名らしく、世話になってる人間が少なからずいるらしい。
そんなわけで、患者から男の居場所をあの手この手で(どんな手かは言いたくない。プライドの問題だ)聞き出して、こうして会合しているのだ。
「依頼があったからとはいえ、オーマ様には悪いことをしました」
「そう思うんなら、依頼主を教えろよ。ちぃとキツイお灸をすえてやりたい気分だ」
「それはいけません。私の仕事は信用第一ですから、お客様のプライバシーを漏らすわけにはいかんのです」
「はっ、見上げたもんだな」
「いえいえ……それよりも、私は気になっていることがあるのです」
「なんだ?」
「なぜ……なぜオーマ様は、私を退治なさらないのですか? ヴァンサーなのでしょう?」
それは、聞き慣れた質問だった。
幾度と無く投げかけられ、その度に同じ回答を繰り返してきた。
だからこそ、オーマは淀みなく、その言葉を返す。
「お前が、悪い奴じゃないからだ。人の役にたってんだろ? ならそれでいいじゃねぇか」
「なるほど……」
何に納得したのか。男はしきりに頷く。
「私も、貴方のファンになってしまいそうです」
「はっ、よしてくれ。男にモテても嬉しくねぇ」
「そういう意味では、ないのですが……」
男は照れたように顔を伏せた。そんな顔が見れると思っていなかったので、オーマの口元が緩む。
ついでにオーマは男の肩を叩きながら、言った。
少女には似つかわしくない、腹黒MAXな笑みを浮かべたまま――
「そんじゃま、俺の役にもたってくれねぇか?」
■□■
今日も診療所は仮病患者によって繁盛真っ盛りであった。
別にオーマが男に戻れなかった……というわけではない。
それは、患者の口ぶりを診れば分かることで――
「おい、オーマさんのところに可愛い看護婦が入ったんだってよ」
「そりゃ初耳だな。で、どんな看護婦なんだ?」
「なんでもウォズらしいんだがな、礼儀正しくて評判が良いらしいぜ?」
「ウォズが看護婦ぅ? 大丈夫なのかそれって」
「まあまあ、論より証拠だからよ……ほら、来たぜあれがウォズの看護婦さんだ」
「おおぉぉ……」
「まぁ、一週間しかいれないらしいけどな。なんでも普段はなんでも屋をやってるとかで――」
まだまだ、診療所は騒がしいままのようである。
―END―
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