<東京怪談ノベル(シングル)>


『腹黒ストリートの決闘』

 木造の暖かい雰囲気を残した診療所。オーマ・シュヴァルツという医者そのままの、ゴツゴツと大きく、ぬくもりのある建物。そこに最近、不穏な看板が掲げられた。
『腹黒同盟総本部(エルザード公認)』
 切りっぱなしの荒い木材に、黒ペンキで書きなぐったような看板だ。『腹黒』の豪快な字はサイズを考えずに書き出されたに違いない。どんどん大きさが尻すぼみになり、『公認』の文字は『腹黒』の半分しかない。書いた人間の大雑把さがわかるというものだ。
 扉を開けると、大きな窓から陽が差し込む明るい玄関ロビーと待合室が出現する。テーブルには薬草茶のポットとカップが置かれ、患者もそうで無い人も、自由にお茶が飲めるフランクな雰囲気になっていた。実際、健康そうな顔色の若者達が、手の空いたオーマと一緒にカップを握って雑談に興じている。
「そこで俺は言ってやったわけさ。俺が施した手術の縫い跡には、俺のスペシャルらぶらぶパワーが込められてるんだ、他の医者の半分も痛まないぜ、ってな。なにせ、普通なら15針は縫う傷を7針で済ませたからな」
 若者達は、のけぞったり、口を抑えたりして笑う。お茶を吹きそうになった者もいる。どこまで本当かわからないオーマの話だが、いつもみんなを楽しい気分にさせてくれた。タトゥーの覗く逞しい素肌に白衣を引っかけ、大振りのアクセサリーをじゃらじゃら付けたこの男は、一見不良医師という風貌だが、技量も肝っ玉も一流なのだ。この場所には『腹黒同盟』という物騒な名前が付いているが、それもオーマ独特の洒落だ。オーマの親父オーラを慕って集まる、若者達の居場所だった。

「オーマというのはお前か?男の誇りをかけて決闘を申し込む!」
 仲間の団欒は破られた。扉を開けて入って来た青年は、銃を握ってそう言い放った。部屋は一瞬で静まり返った。
 歳の頃は25、6だろうか。金髪碧眼白皙の額。通った鼻筋、薄い唇。エルザードで美青年コンテストでもあれば上位入賞間違いなしという顔だちだ。しかも、オーマほどでは無いが、『人並み』に長身で、彼のカウボーイハットは、「俺と決闘?」と立ち上がったオーマの、目の高さまであった。
 フリンジ付きのなめし皮のベストからはみ出た肩は、しっかりとした幅があり、肌に密着した白いシャツは、彼の腹がきれいに割れている陰影を隠さなかった。首から下げた金の鎖とメダルが、厚い胸板の上で、彼が呼吸する度に揺れている。
 右手に握るのはコルトM1917リボルバー。旧式の銃だが、ソーンでは銃自体が殆ど流通していない。どういう経歴の男なのだろうと、オーマは眉を顰める。オーマの鼻の上にちょこんと乗った縁無し眼鏡が歪んだ。
「俺は無意味な戦いはしない主義だ。だいたい、何故お前さんと決闘ごっこをせにゃならんのか、あ〜ん?」
 腰に手を置き青年を見下ろす。長身の青年は、人から見下ろされることは稀だろうが、たじろぎもせず、まっすぐオーマの瞳を見て言い返した。
「あんたの女房を、僕のものにしたいからだ」
「・・・。」
 オーマは絶句だったが、腹黒同盟の者達は皆、驚きの叫びを挙げた。あの、色々な意味で物凄いシュヴァルツ夫人を、決闘までして引き受けようとするなんて。
「俺は妻を信じているから、とてもそうは思えんが。お前さんは、妻の恋人か?」
「いや。あちらは僕が想っていることを知らない。あんたを倒してから、晴れて告白するつもりだ」
 オーマは鼻の頭を掻く。奴は大真面目で、しかも真剣らしい。妻を護る為に命を賭けるのは厭わないが、妻の意向を無視して二人で殺し合いをしても無意味だろうに。
「悪いが、妻は俺を愛してるんだぜ?決闘で俺に勝ったとして、俺を殺したお前になびくと思うのか?」
 軽く奴の肩を叩く。彼にウォズ(凶獣)の匂いは無い。
 ウォズは、凶暴な妖獣にも可憐な花にも姿を変貌できる。ウォズを狩るヴァンサーであるオーマを、稀に彼らが抹殺しに来ることもある。だが、この青年は普通の人間のようだ。
「叶わぬ恋だ。あんたは凄腕と聞く。ならば、いっそ・・・」
 青年は、銃を降ろし、オーマから顔をそむけて答えた。首の鎖がしゃらりと揺れる。
『・・・ん?』
 今の気配に覚えがあった。懐かしいような、それでいて人を苛立たせるような。片恋という切ない想い。オーマは、にやりと唇の端を上げた。
「恋敵の俺に殺して欲しいってか?わかったぜ、表に出な」
 部屋にいた者達は騒然として顔を見合わせた。それまで苦笑まじりに成り行きを見守っていたのは、殺生を嫌うオーマが誘いに乗らないと安心していたからだ。彼らもオーマに続いて慌てて通りへと飛び出した。

 外は、そろそろ夕暮れが近づき、通りを茜に染め始めていた。
「使う銃は、お前さんと同じコルトM1917でいいな」
 青年が頷いたのを確認し、オーマは掌を広げた。大きな手だ。その大きさに負けない銃の輪郭がぼんやりと現れる。最初に、焦げ色に似た木製グリップが色を持った。次第に、黒くごつい全貌が手の上で具現化されていく。長めのバレル、45口径の無骨でずしりとした外観は、マグナム銃と見紛うほどだ。
「ホルスターやベルトまで具現化するのは面倒だ。胸の前で握り、背を向けて10歩行って、振り返って撃つ。それでいいか?」
 オーマは、よほど自信があるのか、単なる面倒臭がりなのか。雑な決め事だ。
 診療所の通りには、粗末な民家や商店が並んでいる。住人や、店の店員なども何事かと外に顔を出し、だいぶ野次馬が集まっていた。
「お前ら、流れ弾に当たっても知らんぞ。それとも、俺の診療所を繁盛させてやろうって思いやりか?」
 オーマの警告に、人々はそそくさと路地へと身を隠した。だが、待合室から出て来た若者達は、きちんと見届けるつもりで、その場を動かなかった。
 通りの中心、診療所の前で、二人は背を合わせた。足元の風が、オーマの白衣の裾をはためかせる。打ち捨てられた新聞紙が、カサコソと走り去った。
「テン・・・ナイン・・・エイト・・・」
 二人はゆっくりと歩を進める。
「スリー、ツー、ワン・・・」
 オーマは反転する前に横に飛びのいた。白衣の肩口を弾が掠るのを感じた。そして振り向いて、撃ち抜いた。青年の胸で揺れるペンダントを。

 青年は衝撃で後ろにはじき飛ばされた。路地の樽や木箱に突っ込み、派手な音がした。メダルはぱかりと二つに割れ、破片が地面に落ちた。
 途端。
 黒い粉塵がメダルから立ち昇った。隠れていた観客達が、悲鳴を挙げた。粉塵の粒子は、細く長い鎌首をもたげた巨大な竜の姿を形作った。
「ふん。罪も無い純情青年を利用しやがって。ウォズにも色々いるが。お前さんの性根は気に入らねえ」
 ウォズは何にでも形を変えることができる。メダル形のペンダントとなり、所有者の青年の意識を支配していたらしい。
「だがな。こんな糞ったれでも、オーマ様は殺したくねえんだとさ」
 殺さずに封印する。
 確かに、ウォズの殺戮はソーンの空間に悪い影響を及ぼす。だが、オーマがウォズを殺さないのはそれだけでは無く、彼なりのこだわりがあった。
 魂の奥の奥。永劫の時を生きて来て、厳守してきたルールはたった一つ。そいつは、彼の命を危険に晒すこともあったが、瀕死でも立ち上がる力をくれる源でもあった。
『さて、と・・・』
 オーマは、リボルバーをさらに変形させた。鋼(はがね)の塊はどんどん巨大化していく。竜が牙を剥いてオーマを襲ったが、軽く地面を蹴って余裕でかわす。小石がカツンとオーマのブーツに当たった。
 封印も、ある程度ダメージを与えないと成功しないのだ。オーマの肩では、今、M134ミニガンが、発砲を待っていた。巨大な黒い筒という風体のバルカン砲で、6本の銃身がモーターによって回転する。一つの銃身から毎分1000発、つまり6000発発射されることになる。ただし、弾丸込みで600キロあるこの武器を肩にしょって使用できる男はオーマぐらいだろう。
「鳥も虫もみんな巧く逃げろよーーーっ!」
 オーマは、空の黒竜に向かって発砲した。
 ギャラリーはその地鳴りに足を取られ、地に伏して轟音に耳を塞いだ。竜は一瞬で霧散したが、封印はこれからだ。
「坊やは、ちょうどいい掠り傷をこさえてくれたな」
 オーマは、青年が放った銃による肩の傷に視線を落とした。白衣が焦げて血が滲んだ程度だが、封印には問題は無さそうだ。ヴァンサーにもよるが、オーマは一度体内にウォズを招き入れ封印し、浄化させる。出血を伴う程度の傷口を門にし、ウォズを入れるのだ。
「成仏しろよ」
 黒い粉塵が、傷口に吸い込まれて行った。もう竜の形も成さず、漏斗に水でも落ちていくような、尊厳も意志も働かぬ形態で。
 このせいでオーマは、数日は風邪に近い症状に苦しめられるだろう。だが、自然治癒され、ウォズは浄化される。二酸化炭素や汗や尿となり、存在が許されるモノとして、オーマの体外から世の中へ再び送り出されるのだ。こんなまどろっこしいやり方をしているのは、オーマだけかもしれないが。

「おい。大丈夫か?」
 オーマは青年の頬に手を触れた。
 胸には半月になったメダルが揺れる。肋骨くらいは折れるかとすまなく思っていたが、肉体が屈強なせいか胸板は無事だった。ただし、木箱に頭をぶつけたようだ。
 青年は、夜明けの湖のような澄んだ瞳を見開いた。
「・・・ここは?あなたはどなたですか?僕は、露店でアクセサリーを選んでいたのに」
 ウォズのペンダントを身につけてからのことは、全く覚えていないらしい。
「俺の妻に懸想していると聞いたが?」
「・・・は?」
 きょとんと瞳を丸くする。オーマはほんの少しほっとしている自分に気づき、苦笑した。
 これだけ美形で、若くて、しかも純情一途な青年が、妻にアプローチすることを想像すると、やはり面白いものではない。
「頭を打って転んだようだが、俺の診療所で少し休むかい?」
 オーマの申し出に、青年は「いえ、平気です」と断りを入れて立ち上がる。そして、「おかしいなあ」と、首を傾げながら銃をホルスターにしまう。
「僕、何かしたんですか?」
 通りに集まる人波の異常さに気づき、オーマへと小声で尋ねた。
「銃は趣味で収集していますが、撃ったことなんてないですよ。でも、握って気絶してたなんて。・・・あーっ!発砲してるし!うわあ!ど、どうしよう!」
 生真面目そうなこの青年には、きちんと説明した方がいいかもしれない。
「ま、そこで、薬草茶でも、一杯飲んでけや」
 オーマは青年の肩を叩き、診療所を顎で差した。
『腹黒同盟総本部(エルザード公認)』
 青年の整った眉が顰められる。
「え・・・あ・・・だ、大丈夫です」
「なあに、遠慮するなってことよ」
 オーマはどーんと青年の背を叩き、青年は咳き込む。肩を掴み、連行するような勢いで、オーマは彼を診療所に引きずり込んだ。

 しかし、翌日には、何故かこの青年も、お茶の輪に加わることになっているのだった。

< END >