<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


捕らわれの怪盗
●オープニング【0/5】
「やれやれ、どうにも参ったね」
 乱れてかかる前髪を掻き上げると、金属の触れ合う無粋な音がした。
 両の手首を戒める鎖は十分な長さがある。だからと言って不自由を感じないわけではない。
「これからどうしようか。ねぇ、きみ?」
 足下に寝そべっていた黒い豹が、彼の言葉に応じるように低く唸った。


「闇競売? それは‥‥」
 唇に指を当てて、エスメラルダは客の言葉を遮った。
 薄暗い店内。
 他の客達はそれぞれに楽しんでいる。彼らの話を聞いている者などいないだろうが、油断は出来ない。
「それは、一体どういう事だ?」
 ふわりと、彼女が身に纏う香水が近づく。
 耳元に落とされた囁きは、このエルザードの闇への誘い。
「悪い噂のある商人が、手に入れた珍しいモノを競売にかけるのよ。例えば、どこかの城から盗まれた宝石だったり、不思議な魔法の道具だったり」
 競り落とす側も、商人に負けず劣らずの者達ばかりらしい。そして、競り落とされた商品は、他の誰にも知られる事なく闇の中へ消えていくのだ。
「次の三日月の晩、その商人の屋敷の地下で競売が催されるの。商品は、美しい毛並みの獣と怪盗を名乗る男だそうよ」
 息を飲んだ客の瞳を覗き込んで、エスメラルダは尋ねた。
「ねぇ、どうする?」

●常ならぬ導き手【3/5】
 全ての手筈を整えて、スフィンクス伯爵は酒のグラスを片手にやれやれとひと息をついていた。
 面白い事が起きそうだと久々に闇競売を訪れたのはよいが、子猫のように好奇心の赴くままにちょっかいをかけて蛇を出してしまった。
 厄介な物を引き当てて、舌打ちしたい気分だが、このまま見て見ぬフリで放っておけないのも確か。
 そして、結局、彼は全ての手筈を整えたのである。
 この茶番を終わらせる為の、捕らわれているものを救い出す為の手筈を。
「まったく。それもこれも、全部Mが悪い。お間抜けさんにも捕らわれなどするから、わしが興味を抱いてしまったではないか」
 地下牢に閉じこめられている怪盗へと毒づいて、彼はグラスを口元へと運ぶ。
 その馥郁たる香りを残念に思う。こんな場合で無ければ存分に楽しめたであろうに。
「やはり一級品ともなると香りに気品があるのぅ」
 しっかりと味わえないのは残念だが、一時の慰めを得る事ぐらいは許されるだろう。
「この舌先に弾ける刺激といい、滅多に手に入れられるものではなかろう。さすがは‥‥と言っておこうか」
 笑いさざめく仮面をつけた貴人達の合間に、ヒキガエルに似た男が見え隠れする。この屋敷の主、闇競売の主催者だ。見るだけで嫌悪感に鳥肌が立つのは、彼の容貌よりも纏う気配のせいだ。悪意しか抱いていないのではないかと思うぐらいに、彼からは正の波動−−慈しみや思い遣りの類−−を感じない。
「でも、まぁ、酒に罪はないしの。癪に障るが、舌は確かなようじゃ」
 露台の手すりにもたれながら、彼はもう1度、その芳香を胸の奥まで吸い込んだ。奴は、金に飽かせて馬鹿高い高級品ばかりを集めているのではない。ちゃんと味わいにも拘っている。
 それだけは認めてやろう。
 フィンはそう思った。
「滑らかな喉越し、甘美なる酩酊感‥‥、またたびスカッシュは最高じゃ。‥‥む?」
 彼の目の端に小さな黒い影が揺れる。屈強な男達の目を盗み、屋敷を窺うその影に彼は覚えがあった。
「おんやぁ? あれ見えるは真白嬢のご友人と我が永遠のライヴァル、勇太少年ではないか」
 侵入の機会を探っているのだろうか。きょろきょろと周囲を見回す彼らの様子に、フィンは苦笑した。あの調子では、男達に見つかるのも時間の問題だろう。
 彼は顎に手を当てた。
 頭の中を勢いよく過ぎっていくのは、状況分析の結果を交えたあの手この手の作戦と得られる効果、デメリット。弾き出された答えに、フィンはにんまりと口元を引き上げる。
「構成猫1千とびの39」
 露台にまで枝を伸ばす樹の上から、細い鳴き声が響いた。
「すまんがちょっと行って来てはくれまいか。あそこにいる真白嬢とそのご友人達を屋敷の中まで案内するんじゃ」
 応えて鳴いた声の後、ざわわと葉を揺らしていた音が止む。
「構成猫、117」
 今度の声は、彼の足下から聞こえた。
「お前さんは邪魔なあやつらの目を逸らす事じゃ。出来るじゃろ?」
 頼もしく鳴く声に満足そうに頷いて、フィンは手すりにグラスを置く。よいしょと体を大きく伸ばすと、低い忍び笑いを漏らした。
「なんか楽しそうになって来たのぅ」
 手すりに肘をつき、構成猫1039の導きで、今まさに屋敷内へ潜入しようとする者達を見つめる。
「多少のフォローは任せておきたまへ。貸しにしておくから」
 楽しくて楽しくて仕方がないと肩を震わせて、フィンは、はたと我に返った。夜目の利く彼の目に、素早く物陰から移動した者達の姿が映る。
「‥‥娘さんよ‥‥さすがにその格好だけはフォロー出来ぬな‥‥」
 空に浮かぶ三日月へと目を遣り、ソーン年齢、当年とって34歳のおいちゃんはぼそりと呟いた。それなりに経験を積んで来た彼にも、娘さんの姿は理解範囲外だったので。

●めでたしめでたし?【5/5】
 牢の中から聞こえて来た楽しげな笑い声に、フィンは構成猫達と顔を見合わせた。続く大きな声も、弾んでいるように聞こえる。
 暗い地下牢で、どれほど寂しい思いをしているかと早めに来てやったのに、随分と楽しそうである。
「‥‥ええんじゃええんじゃ‥‥どうせわしは除け者じゃよ」
 ぐっすんと拗ねて地下通路で蹲り、崩れた石壁の欠片を積み上げ始めたフィンに、構成猫は機嫌を取るようにすりすりと擦り寄る。
「お前達は優しいのぅ」
「おじさま? どうかなさいましたの?」
 突然掛けられた声に驚いて振り返れば、そこに1人の少女が佇んでいた。
 状況から考えられるのは3つ。フィンは冷静に考えを巡らせる。
 1つ、あの悪徳商人の手の者。だが、使用人には見えない。
 2つ、闇競売の商品。しかし、商品が勝手に出歩けるのだろうか
 ‥‥3つ、幽霊。
 フィン自身は冷静に、と思っているのだが、かなり混乱しているようだ。とりあえず、彼は少女に尋ねてみる事にした。
「あー‥‥お嬢さんはこのお屋敷の関係者かな? それとも、ここに無理矢理連れて来られた方じゃろか? も、もしや幽霊なんて事は」
「あ、はい!」
 ぱんと可愛らしく手を打って、少女は花が綻ぶように笑う。
「私はサフィール・ヌーベルリュンヌと申します。えーと、商品名で申しますと、『金髪のお人形』で」
「なんと!」
 2か!
 己の予想が的中した事と、少女の不幸な身の上を思い、複雑そうに顔を歪める。
「それで、幽霊です☆」
「‥‥え゛?」
 にこにこにっこりと翳りの無い笑顔を浮かべる少女が幽霊とは。いや、とフィンは大きく首を振った。
 ここはソーンなのだ。幽霊が普通に暮らしていても何の不思議もない。
 どこぞのカードマイスターの幽霊も、堂々と姿を現しているではないか。
 自身に言い聞かせ、フィンはサフィーの小さな手を取ると恭しく礼を取る。
「私はネコネコ団総帥、スフィンクス伯爵と申します。以後、お見知りおき下さい、お嬢さん」
「こちらこそ。あ、ここではゆっくりお話も出来ませんし、どうぞこちらへ」
 むさ苦しい所ですけれどと招き入れられたのは、M達の捕らわれている牢だ。
「やぁ」
 呑気に手なぞを挙げているMの姿に、大袈裟に肩を落とす。
「わしが一生懸命働いておったというのに、随分と寛いでおるようじゃの」
「ス‥‥スフィンクス伯爵! 何故、ここに!」
 彼の姿に、結花が身構える。真白を引き寄せ、彼の目から隠す事も忘れない。相変わらずの結花に、フィンは満悦至極で頷きかけて、ふと動きを止めた。
「なんじゃ? どうかしたのか?」
 顎でしゃくる先には、両手を床に突いた勇太がいる。いつもならば、フィンの姿に真っ先に反応するはずの少年が、彼に気づいてもいないようだ。
「あー、あれ?」
 ぽりと頬を掻くと、結花は勇太を見遣る。
「‥‥Mに騙されるなんて‥‥また師匠に怒られる‥‥」
 漏れる言葉は少年らしくなく苦悩に満ちていて、フィンは仰天した。この少年がこれほどまでに悩むとは、よほどの事があったに違いない。
「M、お前さん、どんな非道な事をしたのかねっ!?」
 首を竦めるMに、傍らで黒豹の毛並みを整えていたオーマが無言で勇太を示す。
「‥‥晩ご飯‥‥おかずを減らされちゃう‥‥僕のおかず‥‥ことりさんの目玉焼き‥‥」
 延々と続いていく晩ご飯のメニューに、フィンも状況を悟った。
「ともかく、じゃ」
 こほんと咳払って、フィンは扉に手をかける。
「そろそろ騒がしくなる。今のうちに撤退するのが賢明だと思うぞ」
「捕らわれのお姫さん達は?」
 手足を拘束していた鋼鉄の鎖を簡単に外し、オーマは長かった待ち時間で硬くなった体を解すように肩を回した。
「扉の鍵は壊して来た。騒ぎが起きれば、皆逃げだすだろ」
「なるほど。抜かり無しというわけか。んじゃあ、俺が騒ぎの口火を切ってやろうかね」
 次第に形を変えて行くオーマの姿に、酒場の歌姫が作ってくれる晩ご飯からデザートにまで思いを馳せていた勇太も目を奪われる。ふらふらと立ち上がり、オーマへと手を伸ばしかけた勇太を止めたのは、Mであった。
「危ないからおよし」
 牢の壁を突き破り、天井を破壊して翼ある獅子の姿へと変わっていくオーマを見上げて、Mは豹を呼んだ。
「彼女に乗ってお行き。このままここにいては、彼の妨げになるしね」
 頭を擦りつける豹の仕草と、崩れて落ちて来る建物から自分達を守ってくれている巨大な獅子とを交互に見て、勇太は頷いた。
「分かった。ここは一時休戦だ。脱出するよ!」
「彼女はヌシ殿の眷属だ。心配しなくていいよ」
 結花が豹にまたがるのに手を貸すと、Mはサフィーを抱き上げる。
『悪徳オヤジの事は任せておけ。2度と変な気を起こさんよう、がっつりシメといてやっから』
「頼んだよ」
 後は任せたとばかりに手を振ると、フィンはぽつりと呟きを漏らす。
「むぅ‥‥なかなかに良い毛並みじゃの。1度、さわさわしてみたいもんじゃ。あの翼もなかなか‥‥」
「おじさま、おじさま、戻って来て下さいな」
 Mに抱きかかえられたサフィーに袖を引かれ、現実に戻ると、フィンは背後で毛を逆立てていた構成猫達に撤収を命じた。
「今回の事は、貸しじゃからな」
「彼女だけなら、私1人で何とかしたのだけどね」
 勇太と結花を乗せて外へと飛び出して行く豹を見送り、Mはサフィーと顔を見合わせて笑った。
「でも、これで、皆が自由だよ」
 そうだなとサフィーの言葉に頷いて、フィンも豹の後を追う。
 続いて、サフィーとMも。
 巨大な獅子の咆吼が夜の闇に響く。
 元凶たる商人は、今頃、魂の底から震え上がっている事だろう。


 そして、その翌日。
 見るも無惨に潰れた商人の屋敷から逃げ出したと思しき珍しい動物達が王都の守備隊に保護された。
 匿名で守備隊に投げ込まれた闇競売の商品リストと一致する動物達は、エルファリア姫の計らいで元の場所へと戻される事になった。
 ただし、リストに記載されていた商品のうち4点、
 <金髪のお人形>
 <未知なる力を秘めし腹黒親父>
 <黒の宝石>
 <怪盗>
 だけは、どこからも発見されなかったという。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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0520 / スフィンクス伯爵/男/34/ネコネコ団総帥
0914 / 藤木結花/女/17/オルテリアの守護士
1795 / サフィーア・ヌーベルリュンヌ/女/18/貴族の娘
1953 / オーマ・シュバルツ/男/39/医者兼ガンナー
2396 / 広瀬勇太/男/12/探偵見習い
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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございました。
 今年は台風の当たり年のようですが、皆様のお宅は大丈夫でしたか?
 土砂崩れやら水の中を泳ぐ車を間近で見る事になるとは思っていませんでした。中でも衝撃的だったのは、ソフトボールのグラウンドがある河川敷が十数段ある階段の一番上の段を残して水に浸かっていた光景。足下まで迫る水って怖いものですね。
 さて、闇競売は未然に防がれました。皆様、ご苦労様です。
 黒豹は、今回は「人語を解する獣」程度になってしまいましたが、そのうち、また現れるかもしれません。

☆フィンさんへ
 お久しぶりです。
 またおいちゃんにお会い出来て嬉しいです! おいちゃん〜元気でしたか〜?
 今回の事件は、闇競売に出入りしていた(…え?(汗))おいちゃんが裏で手配をして下さったお陰で、商品は無事に救出されたようです。ご苦労様でした。
 この貸しで、お子様とMで遊んでやって下さいね。
 なお、構成猫は、現在4ケタ台に突入したようです。もっといるかも‥‥。