<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


捕らわれの怪盗
●オープニング【0/5】
「やれやれ、どうにも参ったね」
 乱れてかかる前髪を掻き上げると、金属の触れ合う無粋な音がした。
 両の手首を戒める鎖は十分な長さがある。だからと言って不自由を感じないわけではない。
「これからどうしようか。ねぇ、きみ?」
 足下に寝そべっていた黒い豹が、彼の言葉に応じるように低く唸った。


「闇競売? それは‥‥」
 唇に指を当てて、エスメラルダは客の言葉を遮った。
 薄暗い店内。
 他の客達はそれぞれに楽しんでいる。彼らの話を聞いている者などいないだろうが、油断は出来ない。
「それは、一体どういう事だ?」
 ふわりと、彼女が身に纏う香水が近づく。
 耳元に落とされた囁きは、このエルザードの闇への誘い。
「悪い噂のある商人が、手に入れた珍しいモノを競売にかけるのよ。例えば、どこかの城から盗まれた宝石だったり、不思議な魔法の道具だったり」
 競り落とす側も、商人に負けず劣らずの者達ばかりらしい。そして、競り落とされた商品は、他の誰にも知られる事なく闇の中へ消えていくのだ。
「次の三日月の晩、その商人の屋敷の地下で競売が催されるの。商品は、美しい毛並みの獣と怪盗を名乗る男だそうよ」
 息を飲んだ客の瞳を覗き込んで、エスメラルダは尋ねた。
「ねぇ、どうする?」

●潜入作戦【1/5】
「絶っ対、認めないよ!」
 店終いをした黒山羊亭にまだ幼い怒声が響き渡った。
 魅惑の踊り子エスメラルダの話に憤慨して、広瀬勇太が力一杯、テーブルにカップを叩き付けて叫んだのだ。その勢いで、中に残っていた白い液体が周囲に飛び散る。
「認めないって言ってもねぇ‥‥」
 頬に手を当てて、エスメラルダは息をついた。勇太少年の意気込みは買うが、現実問題は非常に厳しい。相手は悪い噂のある商人で、これから行われるのは闇競売。当然の如く、警備は厳重だろう。勇太が入り込めるとは思えない。
「屋敷に出入り出来るのは、彼が招待した闇競売の客ぐらいでしょうし。子供が闇競売に参加しているのは、どう考えても不自然‥‥」
「Mを捕まえるのはこの僕だ! 悪徳商人になんて捕まえさせないぞ!」
 燃え上がる勇太少年。一緒に悩んでくれているお姉さんの話なんて聞いちゃいねぇ。
「全くこの子は‥‥」
 艶々したほっぺをぎゅっと摘んで、エスメラルダは再度の溜息をつく。
「気持ちは分かるけど、Mの所まで行くなんて無茶だわ」
「無茶じゃないよ。正面が無理なら忍び込めばいいだけの話でしょ」
 ばんと勢いよく開け放たれた扉に、勇太は咄嗟に身構えた。つかつかと歩み寄る影は、そんな勇太の警戒を気に留める事なく言葉を続ける。
「今、何気にとんでない事を言ったわね」
 冷静なエスメラルダの指摘に、藤木結花はひらひらと手を振って笑う。
「大丈夫、大丈夫! だって相手は悪人だし!」
 その言葉に含まれていたキーワードに、勇太が過敏に反応した。
「そう、ボクは悪人を懲らしめに行くんだもん。せ「いぎは必ず勝つ!!」ものなんだよ!!」
 正義感に溢れる少年少女は、本日も絶好調のようだ。
「Mが捕まって競売にかけられるなんて、そんな事あるはずない。きっと何か理由があるんだよ」
 何かと因縁のある相手。彼の事は良く知っているつもりだ。きっぱりと言い切った結花に、エスメラルダは表情を曇らせる。
「そうとも限らないわ。Mも失敗だってするでしょうし」
「もしそうなら助けなくっちゃ! 前の時の借りも、まだ返していないんだもの」
「僕だって! Mは僕の手で捕まえるんだから!」
 顔を見合わせて笑う。ここに、結花と勇太、2人の利害は一致した。
 無言で交わされる握手と笑みが契約成立の証。
「ところで、ねぇ、なんで水着着てるの?」
「水着じゃなーいっ! これはレオタードよ! レ・オ・タード!! 女怪盗の正装よ! 知らないの!?」
 それは結花の中ではカラスは黒い、リンゴは赤いのと同じぐらい当たり前。常識中の常識である。
 だが、勇太には何の事か分からない。年齢差はたったの5才のはずだが、育った環境か、はたまた世代格差か。
「お‥‥大人の話だよ。まだホットミルクを飲んでる勇太クンにはちょっと早すぎたみたいだね」
 勇太から微妙に逸れた視線と、僅かに上擦った声とが彼女の動揺を物語る。勇太がそれに気づかなかったのは幸いと言うべきであろう。
「もぅ! そんな事より、早く行かないとMが売り飛ばされちゃうよ!」
 どんよりとした空気を纏い、今にも黒山羊亭の隅っこで床にのの字を書き出しそうだった結花は、その言葉に我に返った。
 競売が行われるのは今夜。
 早く助けなければ、彼は悪代官みたいなお金持ちに買われてしまう。それでもって、それでもって‥‥。
「いっ、急がなきゃ! Mがぐるぐるあーれー状態になった日には、大変な事が起きるような気がする!」
「ぐるぐる?」
 意味を取り損ねて頭を捻る勇太の襟首を掴む。本能が告げる危機を回避すべく、結花はぐっと拳を握り締めた。
「行くよ、勇太クン! 悪い奴らにアオイノゴモンを突きつけてやらなくちゃ!」
「悪い者退治だね! よぉ〜し! 頑張るぞッ!」
 文字通り鉄砲玉のように飛び出して2人を、残されたエスメラルダはハンカチを振ってただ見送るのであった。

●救出作戦【4/5】
 屋敷への潜入は、呆気ない程に簡単だった。
 そこに誰の手助けがあったのかなんて考える事もなく、彼らは白い子猫に導かれ、今宵の<商品>が捕らわれている場所に辿り着く。
「M!」
 扉を蹴破りそうな勢いで部屋の中へと飛び込んだ勇太の目に飛び込んで来た光景は、想像を絶するもの。言葉を失い、よろめいた勇太の体を、後ろから覗き込んだ結花が支えた。
「どうしたの? 勇太ク‥‥」
 途端に、結花も目を見開いて息を呑む。
「な‥‥」
 口元を押さえて後退る。
「なんで‥‥」
 ぶんっ、と勇太は頭を振った。持ち主のように元気よく跳ねた髪が、その動きに合わせて宙に舞う。
「なんでのんびりお茶なんかしてるんだーーーーーーーーッッッ!!!」
「あらら?」
 ちょこんと首を傾げた蜂蜜色の髪の少女は、呆然と立ち尽くす2人を見上げて微笑んだ。
「お2人と1匹ですね。今すぐお茶を‥‥」
「「だからッ!!」」
 同時に突っ込む2人の息はぴったりである。
「元気なお子様達だなぁ」
 突然に賑やかになった室内に、茶の芳香を楽しんでいた男がにやりと唇を引き上げてカップをソーサーへと戻す。行動を封じているはずの鋼鉄の手錠、足枷はブレスレット、アンクレット程度にしか感じていないらしい。じゃらじゃらと金属の触れ合う無粋な音に僅かばかり眉をしかめて、彼は突っ立ったままの2人を手招いた。
「こら、坊主ども。そんな所に立ってちゃあ邪魔だろうが。さっさと中へ入れって」
 ちゃんと扉は閉めとけよ?
 言われるがままに扉を閉めて、結花と勇太は牢の中へと入った。そんな彼らに、男、オーマ・シュヴァルツは満足そうに頷いて顎を撫でる。
「なかなか良さげなお子様じゃねぇか。20年後が楽しみというか何と言うか」
 懐を探り、2人の手の中に薄い冊子を捩じ込むと、豪快笑いしながら彼らの肩を叩く。お子様には大地激震を食らった程の衝撃であったのだろう。反射的に聖獣カードを取り出した結花と勇太に、Mは床に置かれた皿へと手を伸ばす。
「いでよ! 鬣の獅子ディ‥‥」
「豊穣の角エメ‥‥」
 それぞれのヴィジョンの名を叫ぶべく開いた口に、Mの手から放たれた何かが飛び込んだ。
「‥‥おっと」
 その「何か」に気づいたオーマが、興味深そうに2人の様子を見守る。その味が舌から脳へと届いた時、彼らがどんな反応を示すのか。
 見つめる2対の瞳の前で、彼らは投げ入れられたそれを咀嚼した。
「キムチの味のクッキーだね! なんか懐かしい味がする!」
「僕も食べた事あるよ! 焼き肉と一緒に食べると美味しいよね!」
 しかし、如何せん、彼らはキムチで動じるような味覚の持ち主ではなかった。美味しい美味しいと、皿に残っていたクッキーにまで手を出した結花と勇太に、オーマとMは言葉も無く呆然と眺めるだけであった。
「まぁ。そんなに喜んで頂けるなんて。腕によりをかけて作った甲斐がありましたわ☆」
 可愛らしく嬉しそうに笑うサフィール・ヌーベルリュンヌが加わると、そこはもはや大人達には理解出来ないアナザーワールド。
「キムチかぁ‥‥キムチと言えば韓国だよね。ビビンバとかチヂミとか食べたくなって来たなぁ」
 今度作ってみようかなぁ。
 世にも恐ろしい事をぽつりと呟いた結花に、サフィーがぽんと手を叩く。
「そういえば、昔、まだ私が生きていた頃に、叔父さまが韓国のお土産に買って来て下さったチョコレートが刺激的で素敵だったのよ」
 チョコレートと聞いて即座に反応したのは勇太だ。
「なになになになに!? どんなチョコレートだったの!?」
「トウガラシ味なの♪ 甘いチョコレートと辛いトウガラシペーストの生み出すハーモニーがまさに小宇宙誕生の瞬間で、一緒に食べていたお兄ちゃんが感動のあまり悶絶して‥‥」
 頬に手を当て、懐かしむような視線を宙へと漂わせたサフィーに、勇太がジタバタゴロゴロと床に転がる。
「うわーっっ!! 食べてみたーい!!」
 既に、彼らはここに来た目的を忘れてしまっているようだ。
「‥‥いいんだけどね、別に」
「いいねぇ、楽しそうで」
 最初の衝撃から立ち直ったオーマには、子供達のやりとりを楽しめる余裕が戻って来たらしい。傍らに寝そべっていた黒豹の頭を1つ撫でて、Mににやりと不敵な笑みを向ける。
「そろそろアチラの悪徳親父も動き出す頃だろうが、ま、何とかなるんじゃねぇの?」
「なってくれなきゃ困るがね」
 途端に、ぽんと手を叩いた勇太が大声をあげる。
「あっ! 忘れてた!!」
「おや、思い出したかい?」
 黒豹へと顔を近づけると、まじまじと観察する。獰猛な獣だというのに、怖がる素振りすら見せない。
「ねぇ、君って何かに変身出来ちゃうの?」
 ぐるる‥‥。
「Mが関わっているって事は、女のコだよね?」
 ぐるる‥‥?
「‥‥その認識には問題があると思うのだが」
「でも、そうだよねっ!?」
 期待に瞳を輝かせて尋ねる勇太に、Mは観念したのか、溜息を1つついて口を開いた。
「よく分かったね。そう、彼女は悪い魔法使いに呪いを掛けられた姫君なのだよ」
 勇太の目が見開かれた。
 Mから黒豹へと視線を移し、少年は大きな瞳をうるうると潤ませる。蘇るのは、昔、おとぎ話を読んで聞かせてくれた母親の声。
−魔女に呪いを掛けられた可哀想なお姫様は、泣く泣く‥‥
「ひどい‥‥ひどいよ‥‥」
 豹の首をぎゅっと抱き締めて、勇太は肩を震わせた。このお姫様にどんな悲劇が降りかかったのだろう。豹に姿を変えられて、こんな地下の牢屋に捕らわれ、闇競売の商品にされて。
 思いつく限りのありとあらゆる悲劇を頭の中に走らせて、真っ直ぐな少年は決意した。
 この可哀想なお姫様は、僕が守るッ! と。
 なお、豹に抱きついてから決意するまで要した時間は数十秒。だがしかし、彼は真剣であった。
「嘘だけど」
 ‥‥勇太少年、思考停止。
「相変わらずだね、M」
 呆れ果てたと言わんばかりの結花の口調に、鎖に繋がれた怪盗は心底楽しげに笑って見せたのだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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0520 / スフィンクス伯爵/男/34/ネコネコ団総帥
0914 / 藤木結花/女/17/オルテリアの守護士
1795 / サフィーア・ヌーベルリュンヌ/女/18/貴族の娘
1953 / オーマ・シュバルツ/男/39/医者兼ガンナー
2396 / 広瀬勇太/男/12/探偵見習い
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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございました。
 今年は台風の当たり年のようですが、皆様のお宅は大丈夫でしたか?
 土砂崩れやら水の中を泳ぐ車を間近で見る事になるとは思っていませんでした。中でも衝撃的だったのは、ソフトボールのグラウンドがある河川敷が十数段ある階段の一番上の段を残して水に浸かっていた光景。足下まで迫る水って怖いものですね。
 さて、闇競売は未然に防がれました。皆様、ご苦労様です。
 黒豹は、今回は「人語を解する獣」程度になってしまいましたが、そのうち、また現れるかもしれません。

☆勇太くんへ
 サフィーちゃんのキムチクッキー。おさかなジュースを平気で飲める食欲魔人の勇太くんには美味しいお菓子だったようです。
 勇太くんなら、トウガラシチョコもOKでしょうか。トウガラシチョコは実際に存在するものです。桜の友人が食べて悶絶してました(チョコの中は真っ赤‥‥)
 そういえば、ディオスがヴィジョンだった事を久しぶりに思い出しましたよ。あっはっは(汗)今回、召喚は無しでしたが、いつか勇太くんと共演した時、ディオスがどんな風に現れるか楽しみです。