<東京怪談ノベル(シングル)>


エルファリア大決戦
「――だからよ。俺様のようになりゃ素晴らしい世界が待ってるんだぜ?」
 とうとうと語るは、黒髪長身の派手な身なりの男。その大きな身体通りのふてぶてしい笑顔を見せつつ、心酔したように、目の前に集まる数人の兵士たちに語り続けている。
「…くす」
「あっ、王女――」
 その背後に耐え切れない様子の忍び笑いが聞こえ、そして男の目の前にいた兵士たちが一斉に姿勢を正した。見ると、王女がその足元に随分と懐いた黒猫を従えながら歩いてくる所で。
「おう、王女さん。今俺様のありがたい説教を聞かせてたとこだ。何か用かい?」
「あら、この城はわたくしの家ですわ。用が無くては来てはいけませんの?」
「違いない」
 にこにこと邪気の無い笑みを向ける王女――エルファリアに、庭先で兵士達のイロモノの道、腹黒同盟に入るとどういう利点があるかを説いていた男、オーマ・シュヴァルツがにやりと笑う。
 気付けば、兵士たちは皆持ち場へ戻り、オーマは王女と2人きりになってしまった。「やれやれ」と肩を竦め、
「王女さんがここに来れば兵士たちは逃げてっちまう。かと言って兵士だけに高説を説いていれば王女さんに話が出来なくなっちまう。ジレンマだな」
「仕方ありませんわ。これが王座の間でしたら、皆が一同に揃うのですけれど」
 こちらへ、と日陰へ誘いながら、王女が僅かに苦笑を漏らした。
 同じ位置に王女と兵士が並び、皆で庭に座ってオーマの話を聞く。
 そんな事が実際には起こりうる筈が無い。どうあっても立場の違いはあり、王女の方から歩み寄っても兵士が逃げて行ってしまう。それが詰まらないと愚痴をこぼせるのは、皮肉な事に身内ではなくオーマのような部外者だけだった。
「王座の間じゃ俺様の方が恐縮しちまうさ。これくらいで丁度いい」
「そうですわね。…ところでオーマ、あなた、病院の方は大丈夫ですの?」
 不思議そうに聞いた王女に、平気だ平気、とぱたぱた手を振ってみせるオーマ。
「急患以外なら俺様じゃなくても用は足りるしな。それに、今は長患いの患者も少ない。まあ要するに暇だってわけだ」
「そうなんですの。わたくし、あなたがお仕事中に抜け出してここへ来ているものとばかり思っていましたわ」
 にこり、と笑いかける王女の目を、何故かすっと逸らしたオーマが次の瞬間誤魔化すようにわははと笑い声を上げた。
「だ、大丈夫さ、俺様――」
 ――っどおおおん!

 突如。
 物凄い音と共に、2人の背後にあった城と、地面がぐらぐらと揺れた。
「何だ何だ!?」
 ざわり、とオーマの身体に嫌な予感が走る。それは――
「た、たたたた大変ですっっっ!!」
 泡を食って2人の側へ駆け込んできたのは、1人の兵士。オーマが何か言う前に、エルファリアがすっと足を踏み出し。
「――何事ですか」
 途端、王家に連なる者としての威厳を見せるエルファリア。あきらかな緊急事態に於いて、冷静なように見せる…それが王家の上に立つ者の仕事だと、分かっているかのように。
「お、」
 裏返った声と、泣いて良いのやら恐怖に震えて良いのやら分からない顔の兵士が、
「王女、様が、その――城を襲っています!」
 思わず、王女の、目を、見る。相手もきょとんとした顔のまま数度ぱちぱちと瞬きを繰り返して、
「説明なさい。どういうことですか」
 ようやく声になった言葉に、ははっ、と兵士が恐縮した。
「ついさっきの事なのですが…空が暗くなったかと思い見上げた所、王女様が…城へと飛び掛ったところでして」
「ですから、その『王女様』とは何者なのです?しかも城へ飛び掛るなどど、はしたない」
「――エルファリア王女…貴女です」

*****

 軽い足音が、急ぎ足に進む。影になっていた所から急に表に出た事で一瞬視界が真っ白に染まり――
「な…」
 じわじわと戻る目に、映ったものは、薄暗い庭と――何と表現すれば良いのか、城とほとんど同じ高さの『エルファリア』が、どっかんどっかんと拳で城と塔を殴っている所だった。時折、ドレスの裾を持ち上げて蹴りまで食らわしている。
「そ、そんな…」
 驚きか恐怖で震えているエルファリア。
「あー、まあ自分の城が襲われてんのを見りゃ誰だって怖いと…」
 ウォズの気配をびんびんに感じ取って、鋭い視線を…やりにくいなと思いながら、無理やり鋭い視線を向けるオーマ。その隣で、ふるふると拳を振るわせる王女が叫ぶ。
「皆の目の前で足を見せるなど、はしたないですわ!」
「「「そっちかい!」」」
 ――何人かの声が綺麗に重なった。
「やいこら、でけぇ王女様。っつーかウォズ野郎、何化けてんだよ」
 気を取り直したオーマが、その場から怒鳴りつける。どこかゆっくりとした動きで王女が下を見つめ、
『なんで〜、気付かれたのかしら〜…あ〜〜、貴方〜、ヴァンサだからですの〜〜ね〜〜』
 その身体の大きさに恥じない声が、びりびりと周囲を振るわせた。…耳を押えてうずくまる者もいるくらいの音量に、それでもエルファリア自身は僅かに顔をしかめただけでどうにか堪える事が出来た。
「違う違う」
 ぱたぱたと、大きな姿を見上げつつ手を振るオーマ。
「気付かないのか?俺様とお前の違い」
 がっくーん、と大きく首をかしげる『エルファリア』。その動きにつられて一緒に動く髪の毛…間近で見ると異様に太い金の丈夫そうなロープにしか見えないのだが…からの風圧で、一瞬身体がよろめいてしまう。
『そういえばわたくし〜、ちょっとおかしいと思いましたのよ〜〜。どうしてお城がこんなに小さいのかしら〜って〜』
「ちょっとじゃねえだろちょっとじゃ…まあったく、面倒なモンになりやがってよぉ」
『ばれてしまってはしかたありませんわ〜〜。踏み潰して〜、差し上げます〜〜』
 ぐーん、と片足を上げて、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く兵士たちを踏み潰そうとする『エルファリア』に、
「ちょっと待て―いっ!」
 ――っどぉぉん!
 オーマが怒鳴って、その場から具現化させた巨大な銃を抱え、タイムラグ無視でぶっ放す。
 …問題は、大きさだっただろう。
 弾はそのまま巨大な王女の足の裏に吸い込まれるように消えたが、ちょっと顔を顰めただけだったのだから。
「ちぃっ、足らねぇか」
 こうなったら――と、オーマの顔があらぬ方向へ向く。意識は他方向へ――寝ている者、起きている者、それぞれの精神へと直接語りかける。…来い、と。
 今ここで変身してしまっても良かったのだが、そうすると城が破壊されてしまう。他ならぬ、オーマの身体が大きくなり過ぎるが故に。
「もっと広い所に移動してくれりゃいいんだが」
 石切り場とか――と内心呟いたオーマの心へ、いくつかの反応があった。
 呼びかけに応じる者たちの、反応――そして、街のどこからか飛び込んでくる光。

 ある者は容赦なく銀の竜を具現化させ撒きついてブレスを吐き、
 ある者は中空を飛びまわり巨大な鎌を振り下ろし、
 ある者は手から生み出された刃で応戦し、
 ――ある者は笑いながら歌を歌っていた。

「おうっし!」
 オーマ自身も更に腕の中に、黒々とした巨大な銃を生み出し、『エルファリア』に向けて力を溜め始める。
『きゃあ〜あ〜』
 身悶えする『エルファリア』。…気のせいか、攻撃を受けて血ではない『何か』を下へ撒き散らす度にその身体が縮んで行くように見える。
 ばしゃっ!
「うぉっ!?」
 頭上から降りかかってきた『水』に、オーマが一瞬気を乱され、それでもぐっと的を絞りながら…腹に力を溜め。
「うおおおりゃぁぁぁっっっ!!」
 ずどおぉぉぉん!
 その軌跡は、『エルファリア』の頭上へと高々と吸い込まれていった。
『あ〜〜〜、うあああ〜〜〜〜〜〜』
 いくつもの攻撃を受けて、見るからに縮んだ『エルファリア』が、身体をふるふると震わせて苦しげに身を捩る。そしてその震えがある臨界点を突破した――と、その瞬間。

 どばしゃーん!!

「うはぁっ」
「ぎゃっ」
「うあっ、飲んだっっ!?」
 …阿鼻叫喚。
 大量の、『エルファリア』から噴出した何かが、庭に出ていた全ての者の頭上から降りかかった。
 べたべたになった身体を恨めしげに見やり、口元を歪めるエルファリア。その足元ではすっかり大きくなった黒猫が、ぷるぷると身体を震わせている。
「しょっぱいですわー」
 中に詰まっていたのは海水だったらしい。
「そう言えば、王女が海から上がって来たと言う物見の報告がありました…居眠りしていたのではないかと怒られていましたが」
 ……怪獣?
 兵士の報告を聞いてふと口を付いて出そうになったのはこの言葉だった。
「ダセェ〜」
 ぎゃははは、と言う高笑いが遠ざかって行く。
「………」
 オーマの口にも、じわじわと塩水の味が、広がっていた。

*****

 『エルファリア』は、弾けたのか、逃げたのか、それともオーマの知る誰かが連れ去ったのか――その姿は無くなっていた。…まあ、残っていても困るのだが。例えば本当はウォズが人間サイズで化けていたのなら、そこに横たわった偽王女と本物の王女との間で、処置に困っただろうから。
「――っ、凄いですねっ!?」
「あん?」
 少々塩水を被って呆然としていたオーマの周りを、たくさんの、同じくぐしょぬれになった兵士たちが取り囲む。
「あ、あの人たちも腹黒同盟の一員なのですか!?オーマ殿!」
 ……殿?
 周囲を見回すと、皆きらきらした瞳。
 どうとも仕様の無い『エルファリア』をあっさり撃退した事で、なにやら尊敬を受けているようだった。それに気付いたオーマがにやっと嬉しそうに笑みを浮かべると、
「おお、そうとも。アレが腹黒同盟の実力なんだぜ。俺様の言う事分かったろ?」
「「「「はいっ!」」」」
 ああ、だがな、とオーマがちょっとだけ気遣わしげにちらと空を見上げる。
「俺様の上司っつうのがいるんだが、これがまたちょーっと気難しくてな」
「気難しい、と仰りますと?」
「一言で言や面食い。二言で言えば、美形じゃないと認めてもらえん」
「そ、そんな…」
「まあまあ、気を落とすな。俺様のようになればそんな上司の言う事なんざ無視したって怖かねえしよ」
 どんっ、と自分の胸を叩き。
「ああそうだ。皆海水浴びたろ?今のうちに水で洗い流しておけよ、大事な剣や鎧が錆び付いちまうぞ?それから身体もな。風邪引いちまったら俺様の病院は大繁盛だが、そんなんじゃ城を守る事が出来ねえだろ」
「そうですね。流石はオーマ殿、我々の事も気遣ってくださるとは」
「そんなんじゃねえよ」
 なにやらくすぐったい思いをしつつ、ずぶ濡れの王女を見やる――と。
「オーマ。わたくしね、少し考えていた事がありますの」
 いつになく真剣な、『王家』の顔。
「なんだい?」
 濡れた髪を掻きあげつつ、その言葉の続きを聞こうと一歩足を踏み出した、その背に。
 ――先程のウォズとは比較にならない、冷たい物が走り抜けた。
「…い〜い度胸じゃないか」
 ざわ…っ、と、オーマに言われたように鎧の手入れに行こうかとしていた兵士たちの顔が凍りつく。
「あ…わ、悪かった、その…う、ウォズの気配を感じてな、それで――」
「そ・れ・で?――用事があるってあんたに言っていたあたしに一言も言わず、こんな場所へ一足先に来ていたのかい?」
 つ、と首筋に当てられたのは、鋭利な、カーブを描いた刃。
「言い訳は無用だよ。――さっさと帰るんだよ!」
「わ、わわわわ悪かったって、ホント反省してるから!全身膾は勘弁してくれ!」
 背後へ振り向く事も出来ないまま、オーマが本気で泣き声を出す。…呆然と見ている皆の前で。
「膾?何言ってるのさ。――そんなもので足りるわけないじゃないか」
 ぐいっ。
 襟首を引っ掴まれ。
 大の男が――大男が、なす術も無く連れ去られて行くのを、見る者たち。
 そして、それは広まって行った。
 ――オーマ殿は強いが、それでもまるで歯が立たない相手が居る。それだけの強者が溢れているのだ、と。

 エルファリアの使いが病院を訪ねて来たのは、それから数日が経過した後。
 それは…腹黒同盟とは少し違い。
 オーマたちの事を全面的に認めるも等しい、『ヴァンサーソサエティ』の公認、と言うものだった。もちろん、王女たちがこの名を知っていた訳ではなく、今回のウォズ退治の貢献を吟味した結果、こうした異常事態に対処可能な者たちを認めようという動きになり、それにオーマがソサエティの名を出したに過ぎない。
 ともあれ。
 兵士たちに何やら色々と誤解?を受けつつも、オーマたちの足元は次第に固まっていったのだった。


-END-