<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『 鬼と、人形と、そして王子 』


「あら、セバスチャン。今夜もお嬢様のお使い?」
 黒山羊亭に入ってきた黒のスーツを着込んだ上品な老紳士に踊り子のエスメラルダはにこりと微笑みかけた。
「はい、またお嬢様の下にお客人が来られましたので、それでどなたかのお力をお借りしたいと想いまして」
 セバスチャンはにこりと上品に微笑んだ。
 このセバスチャンという老紳士はここ、ソーンでも五本の指に入る大富豪の名家に仕える執事で、上品で人柄も温厚。しかも今、仕える家の当主となっているまだ10代半ばのサラ・サラサへの忠誠心も本物であった。
 しかしこのサラ・サラサは不思議な力を持っていて、霊と話をする事が出来て、故に彼女の下には迷える霊が相談にやってきて、それで車椅子で滅多には屋敷からは出ない彼女に代わり、セバスチャンがこのように力ある者たちに強力を要請に来るのだ。
 セバスチャン自身も若い頃は傭兵をやっていたので、魔法と剣のエキスパートなのだが、しかし彼は執事なので、こうして頼みに来るだけだ。まあ、強力はするが。
「それで今回のお客さんはどんな人なの?」

「はい、実は今回のお客様は…ええ、例によって幽霊なのですが、とある亡国に仕えていた女性なのですが、彼女はその亡国の騎士団の団長の妻でした。
 しかしその国は隣国に攻められて、彼女の国は負けてしまいました。
 王は息子を人質としてその隣国に差し出し、
 王子はその国の牢獄にて生活をさせられるようになったそうです。
 そしてその王子の身の回りの世話をするようになったのが、その女性で、
 しかし、王子はもともと身体が弱くって、その人質生活が祟ったのか、それともそれがもとよりの寿命であったのか、亡くなってしまいました。
 そしてその彼女も家族のもとに戻ったのですが、
 彼女のお腹の中には新たな命が宿っていたそうです。
 そうしてその新たな命を産んだ彼女は懐剣で喉を突き、自殺をし、
 産まれたのは王子で、ロランと名づけられ、
 王国で育てられました。
 そして妻を亡くした騎士団長はそのままその国に仕え、
 ロランが15となった時に、父と母の敵討ちを、と上告し、
 騎士団長を中心にして、隣国に戦争をしかけたのです。
 結果は惨敗です。
 騎士団長率いる部隊は全滅。
 王も殺されました。
 国は滅んだのです。
 そしてそれによってまた新たな悲しみが生まれました。
 彼女と騎士団長には息子が居りました。
 彼はアルス。
 アルスはロランを恨み、鬼となりました。
 なぜならロランは人形と一緒に戦争を逃げたのですから。
 そしてアルスはロランを見事に殺しました。
 人形はやはりアルスを殺しました。
 彼女がお嬢様にしたお願いとはこうです。


 この世に輪廻転生を経て、再びロランが生まれてきます。
 そのロランを廻って、またアルスと人形の戦いが起ころうとしております。


 ですから、どうかこの三人を救ってくれ、と。
 それが哀れな母親という幽霊がお嬢様にしたお願いです」


 セバスチャンはふぅーと溜息を吐いた。
「なるほどね。それは、大変ね。いいでしょう。では、また、ここに来るお客さんで興味を持った人にはお屋敷の場所を教えるから。それでいいかしら?」
「ええ。いつもすみませんね」


 ―――人形の語り
 あたしのかわいいロラン。
 誰にも見向きされなかったあたしを気にとめてくれた人。
 今度こそあたしがあなたを守ってあげるわ。
 アルスをまた殺してやって。


 ―――アルスの語り
 許すものか、
 許すものか。
 ロランめ、許すものか。
 貴様のせいで父も母も死んだ。
 貴様のせいで。
 だから今度こそ、貴様を殺してやる。



 ――――――――――――――――――
【Begin Story】

【T】

 黒山羊亭の扉を開けると、今夜も軽快な音色と人々が笑いざわめく声が聞こえる。
 温かい店の中に入ると、美味しそうなお料理の匂いと芳しいお酒の匂いが私の鼻腔をくすぐった。
「こんばんは。琉雨。今夜はひとりなの?」
「あ、はい。そうです。誰とも約束はせずに来たのですが、生憎誰も来てはいないようですね」
 微苦笑を浮かべる私にエスメラルダさんはにこりと笑うと、空いてる席に案内してくれた。そして彼女は私の耳にそっと耳打ちをした。
「ちょっと後から話したい事があるのだけど、いいかしら?」
「え、あ、はい。わかりました。じゃあ、終わるまで待っていますね」
 そうして私は他のお客さんとお話をさせてもらったり、エスメラルダさんの踊りを見たりと、そうやって黒山羊亭が終わるまでの時間を過ごした。
「はい、どうぞ、琉雨。飲んで」
「あ、すみません。ありがとうございます」
 マグカップの中に入っているのは温かい蜂蜜酒だった。
 それを喉に流すと、身体がぽぉーっと温かくなった。
「今夜辺りは雪が降りそうね」
「はい。今夜はよく冷えます」
 エスメラルダさんは私の前に座り、テーブルに頬杖をついて、彼女も蜂蜜酒を口に運んで、お喋りして、しばらくそうやって時間を過ごして、
 それで彼女は私に一枚のメモを手渡してきた。
「これは?」
 紙にはどうやら家の住所らしき物が書かれていた。私は訳がわからなくって、エスメラルダさんに視線を送る。
「ええ、そこにいるお嬢さんがね、助けを求めているの。いえ、正確にはそのお嬢さんを頼ってきた哀れな母親が、ね」



 +++


「わぁー、大きな家」
 そこにあるのはとても大きな家であった。
 しかも外装もものすごく瀟洒だ。
 だけど庭の木々の葉もとてもすっきりと切られていた。なんかこう、隙の無い、という感じだ。もしくはなんだかまるで超一流の腕を持つ職人さんたち総がかりで屋敷を整備しているような。
 門の前からそうやって屋敷を見ていると、
「琉雨さまでございますね」
 ひとりの老紳士が門の向こうからやって来た。あの人がセバスチャンさん?
「こんにちは、はじめまして。琉雨です」
「はい、エスメラルダさんから話は聞いております。さあ、こちらへどうぞ」
「あ、はい」
 門はどうなっているのか、彼が指をぱちんと鳴らすと、勝手に開き、私は前を行くセバスチャンさんの後ろについて歩いていった。
「それにしてもすごいですね。屋敷や、庭の木々の手入れ、それに飾ってある絵なんかもほとんどが一流、と呼ばれるものなのでは?」
 私がそう言うと、セバスチャンさんは私を振り返り、ほやっとした笑みを浮かべた。
「わかりますか? そうですよ。ここにある絵は一流と呼ばれる画家が描いた物です。でも評論家たちはこれを偽物と呼ぶでしょうがね」
「え?」
 私は訳がわからなくって小首を傾げる。そしてもう一つ不思議な事が。この絵のタッチは前にも見た事があって、でもこの絵を描いた画家は確か数十年前に亡くなっているはずなのでは? しかしそれにしてはどうも絵の具が新しいような。
「それにしてもあなたは、良い観察眼をお持ちですね。そして知識も豊富そうだ」
 にこやかに微笑んだセバスチャンさんに面と向かって言われた私は恥ずかしくって顔を俯かせてしまった。耳まで赤くなっているのは自分でもわかった。
 セバスチャンさんは、ひとつの扉の前に立つと上品に扉をノックした。
 それからきっちりと3秒後に、
「はい」
 と、返事があった。
 それはとても透き通った声で、だけどどこか儚げであった。
「失礼します」
 セバスチャンさんは扉を開き、私も彼に続いて、部屋に入る。
「失礼します」
「お嬢様。こちらが今回の依頼を手伝ってくださります、琉雨さんです」
「こんにちは、琉雨です」
 私が挨拶すると、ベッドの上の彼女は透き通るように白い髪に縁取られた白磁の美貌に笑みを浮かべた。
「こんにちは。サラ・サラサです」
 ベッドの上に腰をかける彼女はとても細く儚げで、だけど不幸という感じはしなかった。一年の半分以上をベッドの上で過ごす彼女が私にそう思わせるのは、きっと彼女の瞳のせいだと想った。
「それでは私はお茶の用意をして参ります」
 セバスチャンさんはそう言って部屋を後にし、私はサラさんと二人きりとなった。
 少し間が開いて、それで私はなんとかその間を埋めようと会話を考えるが、しかし気の利いた会話が思いつかず、テンパリそうになった私に、
「こちらにどうぞ」
 サラさんはにこやかに微笑みながら私に、ベッドの隣にある椅子を勧めた。私はそれに座り、
 そして彼女は椅子に座った私をにこにこと微笑みながら見つめてくる。
 ………また恥ずかしくって顔が赤くなった。
「あの? 何ですか…」
「あ、ごめんなさい。久々のお客様なので嬉しくって。ねえ、もしもよろかしかったら、外のお話とか、何か色々と話して聞かせてくださいませんか? 何でもいいんです。何でも」
 サラさんはにこやかに微笑んでいる。
 ずっと屋敷に居る彼女が外の様子を知りたがる気持ちは理解できた。孤児であったのを養父に拾われて以来、外界の影響を受けずに育てられたせいもあって世間知らずの私は、自分の知らない知識を得たいと願っているから。
「いいですよ。それでは、今、私が興味を持って研究している魔石の事でも」
 そして私は自分でもびっくりするぐらいに魔石の事を喋り、サラさんもとても楽しそうにそれを聞いてくれたので、それもまた嬉しかった。
 そうやって1時間ぐらい時間を過ごし、
 セバスチャンさんが淹れてくれた3杯目の紅茶を飲みながら、私たちは話の内容を私がここに呼ばれた理由にした。
「詳しい話は本人に直接聞くといいでしょう」
 彼女はそう言うと、おもむろに目を閉じて、そしてその閉じられた瞼を開いた時にはそこにいるのはサラさんでは無い別人だった。



 ――――――――――――――――――
【U】


「セバスチャンさんも来るのですか?」
 私は少し驚いて、彼にそう言った。
「はい。お嬢様がそうして欲しいと申しますので」
 彼のその言葉に私は好意的な気持ちを持った。なんだかこの二人の関係は私とお養父さんの関係を思い出させるから。
「それで琉雨さん。どのように動きますか?」
「復讐は復讐を呼びます。それは水に投げ打たれた波紋のように。私はアルスさんと接触しようと想います」
「なるほど。それで彼が居る場所はわかるのですか?」
 私は首を横に振る。
「彼が今、そこに居る、と断言する事はできません。だけどたぶんそこに居るのでは? と、想う場所なら見当はつきます」
「そうですか。だったらそこへ参りますか?」
 ほやっと微笑む彼に私はまた首を横に振り、
「そこへは私ひとりが行きます。セバスチャンさんには他にやってもらいたい事があって。それをお願いしてもよろしいでしょうか?」
 私がそう言うと、セバスチャンさんは朗らかに微笑んだ。
「わかりました。なんなりとお申し付けください」



 +++


 セバスチャンさんと別れた私は、かつてネーデルという国があった場所に来ていた。
 そこはほとんど廃墟で何も無いが、しかし噂によると盗賊団が根城にしていて、とても危険な場所………
 ――――そう、間違っても女の子がひとりで来ていい場所ではない。
 ならば何故、私がそんな危険な場所に来たかというと、
「おそらくアルスさんはここに居る」
 セバスチャンさんには私はたぶん、と言ったがしかし私は十中八九ここに居ると想う、彼は。
 ――――だってここは彼の生まれ、育った場所だから。
 かつては小さいながらも多くの人が暮し、幸せそうな笑い声に包まれていたのであろう国。だけど隣国に攻め入られ、王子を人質に差し出し、彼の身の回りの世話をするべく一緒に隣国に行ったこの国に住んでいた女性。その女性はいったいどのような気持ちで夫や子どもと別れ、そしてどのような気持ちで王子を受け入れ、その子どもを身ごもり、産んで、自らの命を絶ったのであろう?
 多くの本を読んだ私だけど、しかしそれを想像する事は私にはできなかった。
 そんな風に母親としての、女としての運命に翻弄され、死んでも尚二人の子どもの身を案じ続ける彼女の事を考えていたせいで、周りへの注意を怠っていた私は、気付けば六人の男たちに周りを取り囲まれていた。
「いけないねー、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんみたいな娘がこんな場所をうろうろとしていたら。ここには極悪非道な盗賊団が住み着いているっていう噂なんだぜ?」
「そうそう。それに噂に寄れば、最近は鬼も出るそうだ。だからこんな場所にお嬢ちゃんが居たらいけねー。俺らの所に来なよ」
 私の前にずいっと出てきた男二人が、私の両手をそれぞれ乱暴に掴んだ。
「痛ぃ」
 私は悲鳴をあげる。しかしそれは逆効果で、彼らはさらに欲情したような顔をした。
「さあ、来なよ」
「待てよ。ったく、てめえらはいつからそんな幼女趣味になったんだ。そんなお子様、相手にするぐらいなら街に行って娼婦を抱いた方が楽しいんじゃねーのか?」
 な…。お子様とは誰の事だ?
「私は、これでも18歳です」
 私がそう言うと、私をお子様と言った相手は大きな口を開けて笑いだし、そしてなんと私を担ぎ上げた。
「は、放して」
「ふん、悪いなお嬢さん。俺はよ、18歳から守備範囲なんだわ。だからアジトでたっぷりとお相手を願うぜ」
「や、ちょっと放して」
「「「「「「あはははは」」」」」」
 男たちはげらげらと大声で笑った。
 ここは召喚獣を呼び出そうか? 私がそう想った瞬間、
「おい、おまえら、くだらねー事をしてんじゃねーよ」
 その乱暴的な…でも、ものすごくぶっきらぼうだけど、どこか優しい響きを含んだ声がした。
「お、お、おおおおお鬼ぃ」
 そして私の耳朶に飛び込んできたその男がぼそりと喋る声。
 男に担ぎ上げられたまま私は、その盗賊の男をも震え上がらせる鬼を見ようとし、そのせいでバランスを崩した男は呆気なく私を落とすと、仲間たちと共に逃げていった。
「ふん、情けねー奴らだ。それでも盗賊かよ」
 せせら笑うような声。
 私は打ちつけた腰を摩りながら顔をあげた。
 そして私と顔を合わせた彼は鼻を鳴らすと、身を翻らせてその場から立ち去ろうとした。
「待ってください」
 私は訴える。
 吹く風は乾いていて、埃っぽくって、この場所がとても寂れた場所で、人がほとんど居なくって、そして私に対して敵意のようなモノを持っている感じを私に感じさせた。
 そう、敵意だ。ここは私のような生きている者が、動く時の中で生きる者が居る場所ではないって。


 ここは時が止まった世界。
 ――――死者の世界。


 その乾いた風が吹く中で、彼は足を止めた。
「それがわかったのなら、さっさとここから立ち去るのだな。またこんな場所をうろうろとしていると、あいつらに捕まって、やられちまうぞ」
 にやりと笑いながら意地の悪い事を言う。本当は優しいくせに。
 そう、そんな優しい気持ちを持つ人ですらも、復讐という概念は、人の心を暗い闇へと突き落とすのだ。
 私だって、それに怯えている。
 ――――私にもあるから、心に抱え込む暗い闇が。


 だから私にもわかるのだ、アルスさんの痛みが。


 だから…私は………
「あなたがロランさんを殺したとして、また人形に殺されるつもりですか? そしてまた、再びロランさんを殺す為だけに生まれるのですか?」
 切々と私が訴えたその言葉に、彼は私を睨んだ。
「何者だ、おまえは?」
「私は琉雨。あなたのお母さんに頼まれて来ました。あなたがもう弟のロランさんを殺さないようにと」
 細められていた瞳がわずかに見開かれたが、しかし彼が見せた動揺はそれだけで、そして彼は私にとても酷薄に笑って見せた。
「はん、何が母親だ」
 それはとても酷薄な声だった。
「え?」
「あの女は、俺や父上を裏切ったのだ。俺や父上を裏切って、だからロランが生まれた。そして父上までも戦場で戦死なされて。父上は、あの女に殺されたようなモノだ。そしてあの女が産んだロランは父上を裏切った。またもやだぞ!!! そう、またもやだ。俺と父上から母を妻を奪った男の血が、俺と父上を裏切った女の血が、またもや父上を裏切ったのだァッ」
 彼は拳を廃虚の瓦礫に叩きつけ、その衝撃で、瓦礫は崩れ去った。
「父上はどのようなお気持ちで…。俺はそれを考えるとぉ。だから俺はァ」
「ロランさんを殺すのですか?」
 ヒステッリクに叫ぶ彼に私は冷めたような言い方をする。
 そしてそう言った私を見て、彼は両の目の端を垂れさせて、笑った。
「そうだ。父上のためにも、そして俺自身のためにも再び生まれてきたあいつを殺す。そのために俺も再びこの世に舞い戻ったのだからな。あいつが生まれるたびに俺があいつを殺してやる」
 押し出すようにして吐き出された声はぞっとするぐらいに冷たくって、私の肌に鳥肌を浮かべさせた。
「だからそのたびに人形に殺されるのですか?」
「それでもいいさ、あいつを殺せるのならな」
「それでもいいって、そのためだけに在るなんて、哀しくはないですか、あなたが? 私は何もロランさんを、あなたのお母さんを救うためだけにここに来た訳ではありません。あなたを助けるためにだって来ているんです。もう前世に別れを告げて新しい人生を生きるべきだと想います。だってこのままでは本当に過去の亡霊に囚われているあなたがかわいそうすぎるわ」
 訴える私。だけど彼は手を振って、それを切り捨てる。
「ふん、うるっさい。とにかく俺はロランを殺す。あいつが生まれるたびに俺が殺す。それが俺が父上と自分のためにする復讐だ。ロランとあの女への復讐だ。わーはははははは」
 今まで以上に強い風が吹き、そして目に入った埃のせいで瞼を閉じた私が、次に瞼を開いた時、しかしもうそこにはアルスさんはいなかった。
 あるのはアルスさんのまるで慟哭かのような笑い声と、
「あ、いやがったぞ」
「小娘ひとりか」
「そうだ。鬼はいねー」
「だったら今のうちに…」
 乾いた風が運んでくるのは知性の欠けらも無い下品な文句。
 私はベビィサラマンダーを召喚すると、盗賊どもはそれに任せて、ロランさんの下へと向った。
「絶対にあなたにロランさんを殺させはしません」



 ――――――――――――――――――
【V】

 
「それでアルスには出逢えたのですか?」
「はい、逢えました。でも…」
「でも?」
「………彼を説得できませんでした。できるなら、私が彼を説得し、それでアルスさんについては終わらせたかった」
「そうですね。それで終わっていたなら、事はもう少し楽になっていたのでしょうが、やはりそういう訳にはいかないでしょうね、彼は」
「はい。それはわかっています。だけど……」
 ――――だけど私は、私が今度こそアルスさんを説得できる、という自信よりも、私が彼の復讐心に引き連られないかという恐怖心の方が勝っていた。
 そう、私は必死に耐えていたんだ。先ほども。
 アルスさんに引き連られそうになる復讐心を。
「ああ、だから私は見たいんだ。アルスさんが過去から解放されるのを。そうすれば私もいつか…」
「どうしました、琉雨さん?」
「いえ、何でも」
 ――――しかし復讐心に引き連られそうになる私に果たして……
 ………アルスさんを本当に説得する事はできるのであろうか?
「さあ、ここが、彼の病室です。正確には、彼を産む母親の」
 私がセバスチャンさんにお願いしたのはロランさんの警護であった。
「それで人形は?」
「居ますよ。じっとロランが生まれてくるのを待っているようですね」
「そうですか」
 ――――もうロランではないのに。
 そう、もうこの世にロランという人間は居ない。
 本当はそれをわかっているはずなのだ、アルスさんも人形も。
 だけど二人ともそれを無視して、生まれてくる赤子をロランと重ねている。また再び悲劇は繰り返されようとしている。
「だから私がここでこの憎しみの連鎖を止めるの」
 私は部屋に入った。
 そしてそこには人形がいた。
 大きさは12,3歳の平均的な子どもぐらいの、美しい金髪の少女タイプの人形が。
「あなたが、人形? かつてロランさんと一緒に居たという」
 私がそう言うと、彼女はくすくすと笑った。
「あら、あなた、ロランを知ってるの? あたしのかわいいロランを」
 どこで摘んできたのだろうか? 彼女は両手に持った花束を嬉しそうに眺めながら、口を開く。
「そう、あたしのかわいいロラン。アルスの馬鹿のせいでずっとずっとずっと離れ離れにされていたロランとあたしは逢えるの。あたしのかわいいロラン。今度こそあたしが守るの。今度こそ、ずっと一緒にいるのよ」
 人形はとても嬉しそうだ。
 生まれてくるのがロランだと信じて疑わない。だけど…
「ダメよ。もうこの世界の何処を探してもロランという人間は居ないわ。そう、もうロランなんて居ないの」
「はあ? 何を言っているの、あなた? ロランは生まれてくるわ。また生まれてくるの。ほら、あたしの耳には聞こえる。ロランの鼓動の音が。あたしたちの幸せの音色が。ロランはね、いつも泣いていたの。誰もがあの子を苛めていたから。不義の子よ、と。彼は誰にも愛されなかった。だけどその癖、皆は彼に責任ばかりを押し付けた。アルスの父親だってそう。王だって、アルスの父親に言われるままにロランに責任を押し付けた。だからあたしは彼を連れ出したの。そして、王と騎士団長を殺したのよ。それと国が滅ぶように細工もした。あたしのかわいいロランを国という鳥篭から逃がすために。でもそのロランを、ようやく自由になれたロランをあのアルスが殺した。だからあたしがアルスを殺した。またアルスがロランを殺そうとするなら、そしたらまたあたしがアルスを殺す。ロランを殺す前に殺す。そう、今殺してやろうかしら?」
 歌うように喋っていた人形がぎろりと見た方に、窓の向こうにアルスさんが、
 ……………居た。



 ――――――――――――――――――
【W】


 窓ガラスの向こうのアルスさんの身体はわなわなと怒りで震えていた。
 そしてつぅーっと口の片端から血の筋を流した彼の唇が動いた。
 ――――まるで耳元で囁かれたかのようにその唇の動きを見ただけで、脳裏に彼の声が直接響いたかのような感じがした。


 貴様か、貴様が父上を殺したのか?


「そうだよ、アルス。あたしがおまえの父親を殺した。妻をロランの父に寝取られて、嫉妬に醜く心を焦がしていたおまえの父親があたしのロランを泣かせるから、だからあたしが殺したんだ。ついでにロランを縛る国もあたしが細工をして、隣国と戦争になるようにして滅ぼした。すべてがあたしのかわいいロランのために。あたしとロランのために」
 歌う人形。
 その響く声の余韻を割れた窓ガラスの音が掻き消して、
 アルスさんが腰の剣を鞘走らせて人形に踊りかかる。
「貴様がァ―――ッ」
 しかし、花束を部屋にばらまいた人形は、左手を前に出し、詠唱を素早く唱えて、その転瞬後に魔方陣が現れ、その魔法陣の前にアルスさんの剣が砕け散り、
「アルスさん」
「なにぃ、剣が」
「さあ、もう一度殺してあげようね、アルス」
 人形は右手でアルスさんの顔面をぶん殴った。
 その衝撃に後方に吹っ飛ばされたアルスさんは、病院の庭の木に背中から直撃し、それを折って、そして折れた木と一緒に転がった。
 人形はふわりと舞い、割れた窓から外に出て………
 そして人形が下に転がるアルスさんに両手を向けて、それで酷薄に唇の片端を吊り上げて、次の瞬間に現れた幾本もの電撃の槍にアルスさんの身体が大地に縫いとめられるのを見て、私はやっと自分がそれを見てる場合ではない、と思い至った。
 混乱で固まっていた私は、
「わぁー」
 と、声をあげてその体の硬直を解くと、私も割れた窓に向って走り、割れた窓から外へ飛び出した。
 ここは3階。私は人間で、召還士で、だから肉体自体が強い訳じゃなくって、だからこの高さから飛び降りたら、私の体はただではすまない。
 ものすごいスピードで私に近づいてくる大地。だけど私はそれから目を逸らす事はできない。私は動作も詠唱も必要なく、瞬時に魔方陣を出現させ、契約している召喚獣の魔法を使える。でも視覚で捕らえた範囲しか攻撃できない。だから地上から目を逸らせない。
「もう少し。もう少しだ」
 大切なのはタイミングだ。そのタイミングを間違えれば、私はタダではすまない。だけど成功すれば…
「そう、ここだ」
 私は瞬時に魔方陣を出現させ、そして魔法を唱えた。その魔法が大地を穿つ衝撃によって、私はアルスさんの方に飛んだ。
 電撃の槍に身体を大地に縫いとめられたアルスさんに向かい、人形は巨大な電撃の槍を作り出して、そしてそれをアルスさんに放った。
「死ねぇー」
「琉雨」
 しかし今度はそれよりも私の方が早かった。
 私は人形とアルスさんの間に飛び込むと、
 まっすぐに電撃の槍を睨んで、私は、
「させません」
 炎の壁を発動させた。
「ぐぅお、あたしの電撃の槍が」
「きゃ」
 重力に引かれて落ちた私は、だけど素早く身を起こして、それで血の湖に沈んでいるアルスさんに訊く。
「大丈夫ですか、アルスさん?」
 彼は渋い表情を浮かべながら、それでも口を開いた。
「どうして、貴様は俺を助けた、琉雨?」
 その彼に私は笑う。
「言ったでしょう? 私はあなたを助けるって」
 私は彼に微笑み、彼は私をじっと見つめ、
 そして私は彼を縫いとめる電撃の槍を両手で掴んだ。もちろん、身体中に電流が走り、手の平は焼かれ、とても痛かった。
 だけど私は歯を食いばしり、そして電撃の槍を抜いた。一本、また一本。
 その私の頭上では炎の壁に罅が入り始めている。
 おそらくはもう数秒も耐えられないだろう。
「逃げろ、琉雨」
「嫌です」
 しかし私はきっぱりと言った。
 そして私は最後の一本に手をかける。
 電撃の槍と炎の壁に焼かれた場の空気はものすごく緊張を孕んで、それは飽和しきれないぐらいで、だけどその空気を震わせて、流れた声があった。
 ちっともこの緊迫した場にはそぐわないぐらいのとても澄んだ綺麗な歌声が。自分がこの世界に生まれてきた事を喜ぶ声が。
 そう、それは赤ん坊の産声だ。
「ロランが生まれた。おのれ、ロラン。よくもまた」
 掠れた声で、アルスさんが言う。だけど私は最後の一本を抜きながら、下にある彼に顔を横に振った。
「違います。あれはロランさんではありません。新しくこの世界に生まれてきた、まったくの別人です。アルスさん、あなたの復讐は前世でロランさんを殺した時点で終わっているんですよ。だからもうあなたはその暗く冷たい感情から解放されてもいいのです。聞こえますよね、アルスさんにも。あれはこの世界に生まれてきた事を喜ぶ命の歌です。あの歌を、私はあなたにも歌ってもらいたい」
「違う、あれはロランだァ」
 彼は何故かムキになって、吠えた。
 私は彼の顔を真っ直ぐに見つめる。
 アルスさんは私から瞳を逸らす。
「何故、そんな風に自分がロランさんを恨む事が義務かのような事を言うのですか?」
「俺は、俺しかいないだろうが、父上の無念を晴らすのはァ」
「ならば訊きますが、お父上はあなたに復讐して欲しいと仰ったのですか? ならば、母上の後にサラさんの身体を借りて、私にあなたを助けて欲しい、生まれてくるロランさんを助けて欲しい、と仰ったのは誰なんでしょうか? 彼はルクレール・アシュレイと名乗っていましたが? アルス・アシュレイ」
 大きく両目を見開いた彼の顔を見つめながら、私は願いを言葉にして口から紡ぐ。
「もう一度言います。アルスさん、あなたの復讐は前世において終わっています。生まれてきたのは罪も汚れも無いまっさらな無垢な魂です」
 そしてそれを紡ぎながら私は最後の一本を抜いた。それと同時に炎の壁は砕け散り、しかし人形が放った電撃の槍もまた相殺されていた。
 身体を苛む激痛を私は感じないふりをして頭上を振り仰ぐ。しかしそこには人形はおらず、
 私は無意識に、赤子の声がする方に視線をやり、
「あ…」
 そちらに向って飛んでいく人形を見て、うめいた。
 だけど彼は咄嗟の事にうめく事しか出来なかった私とは違っていた。身体を七本もの電撃の槍に貫かれていたというのに大地を手で殴り、その衝撃で人形の方に飛んでいき、そして唯一動く、その左手で人形に殴りかかったのだ。
 ――――私は確かに見た。アルスさんの唇の動きを。



 おまえに赤ん坊を渡すものか。



 しかしアルスさんは人形に、片手で撥ね退けられ、そして落ちた彼に向って再び巨大な電撃の槍を放とうとし、
 だから私は…
「せっかく生まれてきたロランさんとようやく解放されたアルスさんを巻き込むな。あなたのくだらない欲望に」
 人形にそう言い放ち、
 そして動作・詠唱を必要無しにベビィサラマンダーと、エシュロンを召喚し、それに人形を攻撃させた。
 紅蓮の炎に包まれた人形は、それでもまだ赤子の方へと向うが、
「ダメだよ、行かせない」
 私は魔法によって、高くジャンプし、視線の先に人形を捉える。
「あなたももうおやすみ、哀れな人形よ」
 そして私を振り返って、私に猛スピードで向ってきた人形に炎球を放った。
 哀れな人形はそれで完全に炎の威力が身体の耐性を上回り、身体を焼かれ、指先が私に触れんとするその瞬間に、この世界から焼失した。



『君もこんな場所に閉じ込められて、悲しいの? なら、お城に閉じ込められて、皆に嫌われる僕と一緒だね。ねえ、そんな君ならわかってくれるかな、僕を。僕の友達になってくれるかな? 僕が君を解放してあげるから、だから僕の友達になって』
 ――――最後に炎に焼かれ、消え去る前に人形が私に見せた記憶。
 物が乱雑に入れられて、そのたくさんの物というよりもガラクタが転がる中で、埃をかぶって、蜘蛛の巣だらけだった人形は、ロランの願いによって起動した。
『君が動かなくなるまで、ずっと僕の傍にいてね。カナリア』



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


「それでアルスさんはどうなったの?」
「アルスさん? 彼も逝ったわ。鬼としてではなく、人として」
 そう、アルスさんは生まれてきたロランさんの生まれ変わりの小さな手を握りながら涙を流し、逝った。黄金の輝きに包まれながら。その顔はとても安らかで、幸せそうだった。
 愛とはこの世で一番の崇高な感情だと想う。
 人が人を愛する感情が哀しみの連鎖を生み出し、
 だけどその愛情がまた連鎖を終わらせた。
 二人の息子を想う母の愛が、
 息子のために復讐心を捨てた父の愛が、
 新しい命を慈しむ愛が。
「今回の依頼はとてもハードな物になってしまったわね、琉雨さん」
 ベッドの上のサラさんは包帯の巻かれた私の手に視線をやりながらひどくすまなさそうな表情をした。
 だから私は彼女に顔を横に振ってみせる。
「いいえ、大丈夫よ。すぐに治るから、気にしないで。セバスチャンさんがくれた塗り薬を使っているから」
 そう言って私が笑うと、サラさんも小さく微笑んだ。
 そして私は今日もセバスチャンさんが淹れてくれた紅茶を飲みながら、サラさんとお喋りをするのだった。


 ― fin ―



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【2067 / 琉雨 / 女性 / 18歳 / 召還士兼学者見習い】




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■         ライター通信          ■
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こんにちは、はじめまして、琉雨さま。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
ご依頼ありがとうございました。^^


実は琉雨さんは以前から存じておりまして、書いてみたいなーと想っていたPCさまだったので、
こうして書く機会を与えていただけて本当に嬉しかったです。
プレイングもとても綺麗で、琉雨さんの持つ真摯で誠実な雰囲気が台詞から感じられて、
その台詞を魅せられる描写などを考えるのが本当に楽しかったです。^^


個別で楽しいのはPLさまのプレイングに合わせて、NPCなどの性格や設定などを弄れる事で、
この依頼は琉雨さんが初めてで、アルスや人形もだから当然初めて書くのですが、
琉雨さんのプレイングを読んで浮かんできた彼らは、とてもこちらとしても納得のできる彼らで、
ですから、そういう彼らに出逢えた琉雨さんのプレイングはそういう意味でも本当に嬉しかったです。^^


それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼、本当にありがとうございました。
失礼します。