<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
【マンドラゴラの森】
人気娼館『ドリーミング』の女主人ダイアがやってきたのでステージで踊ろうかと思っていたエスメラルダはカウンターに引き返した。
「今日はどんなご用件?」
「うん」
ダイアは神妙な顔つきになる。
「マンドラゴラって知ってる?」
エスメラルダは眉間に皺を寄せる。マンドラゴラは媚薬の材料になると伝説に語り継がれる神秘の植物。根を抜いた時に凄まじく大きな悲鳴をあげ、その悲鳴を聞いた者は死ぬと言われている。ダイアの言うマンドラゴラは、南の森の一角に見慣れない植物が群生しているのを狩人が見つけて引き抜いたことでその存在が明らかになった。その狩人は当然死んだ。近隣の住民により『マンドラゴラの森』は即日噂になった。
「商品にするから採ってきてくれる人を紹介してもらえないものかしら……ってトコ?」
「察しが早いわね。命がけだし、お礼はいくらでもするわ」
かつてないほどの難事だとエスメラルダは思った。
下手をすれば命を落とすというのはどんな冒険にもあること。しかし今回は声を聞くだけで死ぬというマンドラゴラ。半端な対処法では無理である。結局エスメラルダの呼びかけに反応したのは、たったふたりだった。
「知らない植物ですので、とても興味あります」
「僕もですね。まさに伝説の植物ですし」
燃えるような赤髪の紅乃月雷歌と、涼やかな青髪のアイラス・サーリアスである。ふたりとも、少しも怖そうな素振りは見せない。まったくたいしたものだとダイアとエスメラルダは感心しきりだった。それでも聞かないわけにはいかない。
「死ぬかもしれないわよ。いいのね?」
ダイアは念を押したが、
「冒険者はいつも死と隣り合わせですから」
「そうですね。他より少し、その確率が高いというだけです」
雷歌もアイラスも折れない。本物の冒険者たろうという、鋼鉄の意志だった。
「……ありがとう。じゃあ、これからマンドラゴラの特徴を説明しようか。よーく聞いてちょうだい」
ダイアは真剣な顔になって冒険者に語った。相手が相手だけに、充分過ぎるほどの前準備が必要不可欠である。説明不足で死なせるわけにいかない。
翌日、雷歌とアイラスは馬を借りて問題の森へと向かった。辺りをほどよく熱してくれる太陽と澄み切った青空。天気は良好で、清々しい空気に蹄の音が響く。
「アイラス様の作戦、これ以上ない上手い方法だと思います。きっと大丈夫ですよ」
雷歌は馬に括りつけた荷物を見て微笑む。
「まあ、どれくらい離れればいいかはわからないものですが。何しろマンドラゴラですからね。いくら離れても聞こえてしまうとかあるかもしれません」
「その点はお任せください。何とかダメージを抑えてみせます」
アイラスの作戦はこうである。木に10〜50メートル間隔で設置した滑車にロープを付けて、それをマンドラゴラに結び引っ張る。ロープを引くのは雷歌たちが今乗っている馬に任せる。マンドラゴラの叫び声は、雷歌の特殊能力『抗魔領域』で抑える――。雷歌の言うとおり、これ以上ない方法と思われた。
出立からほんの2時間ほどで、何の障害もなく、目的地に到着した。木々の向こう側は塗りつけたような濃緑である。魔の森という感覚。ひとまず雷歌たちは馬を降りて適当な木に繋いだ。
「まずは現地を確認しましょう」
食事用の輸血パックを流し込みながら雷歌は提案した。
「ええ、そのあとここに戻って、仕掛けを作るということで」
ダイアから受け取った森の地図を広げた。狩人が死んだという地点に×印が描かれている。現在地からはさほど遠くなく、持ってきたロープが届かないということはなさそうだった。
ふたりは森の中へと歩みを進めた。途端に暗くなり、空気がじめっとしてきて、素肌に絡みつくような嫌な水気が襲ってくる。落ち葉と小枝を踏みしめる音だけが発せられる。
地図に従って歩くこと10分、樹木の集団がふいに開けた。
「着いたようですね」
アイラスが目を凝らした。地面は半径20メートルほどの円いスペースとなっている。そこに不規則な並びで埋まっているいくつもの根草。そして目に付いたのは木製の立て札。
《この植物群はマンドラゴラです。死ぬので決して抜かないでください》
わかりやすすぎる注意書きである。事故があった直後に近所の者によって立てられたのだろう。
アイラスは無言で入口に引き返した。滑車とロープの用意である。その間に雷歌は十二分に気を練ることにした……。
さて、叫びを上げられるくらいだからマンドラゴラにも自意識はある。万能の薬効を保持する彼(便宜上、彼とする)は太古の昔から人間に狙われやすかったらしく、いつしか自己防衛として引き抜こうとしたものを魔力の悲鳴で殺すようになった。……これがマンドラゴラの進化の過程だとある学者は主張しているが、真偽のほどは定かではない。最初から神がそのような能力を与えたのかも知れぬ。
それはともかくとして、今まさに1本のマンドラゴラが抜かれようとしている。草の部分を何かに掴まれるような感覚が彼にはあった。
今回の人間はどんな顔をして死ぬのやら、と彼は笑いながら(マンドラゴラも笑うのである)時を待った。しかし。
「抗魔陣!」
人間の声だった。それを聞いた途端――何故か、彼の体から力が抜けていく。
そして、一斉に体が上に引っ張られる!
何だこの力は! マンドラゴラは自分の体にかかる威力に焦った。森の外でアイラスという人間がロープを使って馬で引かせていることは無論知らない。
こなくそが、ぶっ殺してやる! 邪悪なる意思の元、マンドラゴラは――叫んだ。
違和感。少しも魔力を放出できていないと彼は気付く。気付いた間に、彼の体は上へ上へと。
通常、人間の言葉では表現が不可能なほど恐ろしさに満ちたマンドラゴラの悲鳴は、もはや凡百の怪物の咆哮と変わりのないものとなっていた。人を死に誘う何の効力も持たない。
さっき何事かを唱えた人間の仕業か、と思った時には、体は地から出ていた。彼にとって初めての空中。
ズブリ。鉄色の何かがマンドラゴラを貫いた。
香り高い液体がジワリと流れていく。喪失感が襲ってくる。
ギギギ、と彼はか細く呻いた。間もなく死んだ。
刺客である雷歌はほとんどの体力を消耗し、その場にへたり込んだ。
「雷歌さん、大丈夫ですか?」
アイラスが走ってやってきた。無事な雷歌を認めて、安堵の表情を浮かべる。
「声は僕のとこまでは届きませんでした。素晴らしい力ですね」
「抗魔陣をアイラス様にも届くようにずいぶん広範囲にしましたから、疲れました」
マンドラゴラを仕留めたクナイをしまって、雷歌はほっと息をついた。
■エピローグ■
「本当に取ってくるとはねえ……」
雷歌とアイラスがその足でドリーミングに直行すると、ダイアは目を丸くした。
「あれ、僕たち失敗して死ぬとか予想してましたか」
アイラスが聞くと、苦笑いする館主。彼女は渡されたマンドラゴラを手の平に載せて弄んでいる。
「とにかく、約束どおりお礼は弾まないとね。そうね、1ヶ月間ここを顔パスで使えるってのはどうかしら」
「や、やめてください、そんなの……」
恥じらいながら雷歌が抗議する。そっちの方面は初心なのかもしれない。
「ふふ、冗談よ。うんと高額で買い取ってあげる」
数日後、マンドラゴラ製の媚薬は発売してすぐに売り切れてしまったとベルファ通りの話題をさらっていった。またあのふたりに森へ行ってもらおうかしら、とダイアは思ったのだった。
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2399/紅乃月雷歌/女性/276歳/紅乃月】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
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■ ライター通信 ■
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担当ライターのsilfluです。ご発注ありがとうございました。
どういう対策をとるんだろうか? と少々不安でしたが
なるほど上手い作戦で、問題なく描写できました。
それではまた。
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