<東京怪談ノベル(シングル)>


 □白色の思念□


「あらよっと」
 
 オーマ・シュヴァルツは軽快な仕草と声で湿った足元を蹴った。
 地面を離れた瞬間に、足のあった場所を横切った黒いそれの素早さに感嘆の口笛を吹くと、オーマは空の両手を上へと伸ばし、天井から突き出た岩へと両腕の力だけでぶら下がる。洞窟独特の湿ったカビ臭い匂いが強く鼻をつくが、オーマは気にせずに大きく深呼吸をした。先程から走りづめだったので少し息が乱れていたようだ。
  
「ったくよお、元気なこったな地獄の番犬様。ダイエットにこの俺を付き合わせるなんざ」

 空洞を響き渡るオーマの軽口に、黒い塊が威嚇めいた声をあげる。人間の言葉の意味を解しているのか、それとも言葉の内に含まれたからかいのそれを嗅ぎ取っているのかはオーマには分からなかったが、眼下の番犬が怒っている事だけは事実だなと彼はひとり頷いた。
 何しろ、洞窟最深部に置かれていた書物を持ち出しているのだ。それを護る為に置かれた番犬としては、洞窟外にそれを持ち出されるのは自己の存在を否定されるのにも等しい。故に番犬はひたすらオーマを追い続ける。
 だが、普段ならその牙と爪で身体を縦にも横にも容易に裂ける筈の侵入者が今日に限ってなかなか捕まらない事に、番犬は焦りを覚えていた。今まで奥に眠る様々な価値あるものを得に来ようとした者たちとは、明らかに違う身のこなし。それは獣の俊敏性をもってしてもなお完全には捉えきれない動きだった。

 追う者と、追われる者。
 単純な追いかけっこの構図を生み出しながらオーマと番犬が限られた空間の中をひたすら走り回っていたのは、ほんの一分前までの事だ。

「さーってと、そんじゃお前さんもそろそろ走り回るのも疲れただろうし、俺はそろそろ退散しようかね」

 言葉と同時にオーマの筋肉が膨れ上がる音を聞き、番犬はより鋭く吠えた。護る者としての予感がそうさせたのか、岩の天井にぶら下がったまま力を溜めるオーマに背を向けて番犬は走ると、ある程度の距離を置いて再び向き直る。
 く、と身体を沈め、直後弾丸のように黒い影が飛び出した。そのままでは届かなかった場所に向かって一目散に駆けて来る番犬の姿に、オーマは力を溜めながら目を細める。獣はどうやら助走をつけて跳び、この身体に牙を突き立てるつもりらしい。

 獣が跳躍した。
 オーマは動かない。

 番犬のぎらついた瞳の色さえ分かるような距離。
 獣は勝利を確信し牙を見せる。この距離では獲物は既に逃げられはしない、後は恐怖に引きつったその忌々しい顔を食い破ってやるだけだ。
 そう、獣は考えていた。
 だが。

「……悪ぃなっ!!」

 避け切れない筈の、絶対だったタイミング。
 だが獣の牙は虚空を咬み潰し、伸ばされた爪は風を切っただけだった。
 目を見開く番犬の傍らをすり抜けるように落ちながら、オーマは労わるように黒い毛並みを撫でて言う。

「楽しかったぜ、番犬さんよ。――――そんじゃまた、お相手してくれや」

 黒の番犬は重力に引かれるまま再び地に降り立ったが、オーマが着地しただろう方を振り向かずにそのまま光の射さない最深部へと帰っていく。
 何故なら獣は知っていたからだった。獣の自分にまで律儀にオーマ・シュヴァルツと名乗ったあの男は、既にこの場を去っているという事を。そして、自身は去る者を追えないという事を。
 番犬が護るものは、あの書物ただ一つではない。

 悔しげな唸りをひとつあげて、番犬は自らが護るべきものの下へと帰っていった。






 軽快な足音が響いてくるのを聞きつけ、岩陰から苔の裏から魔物が這い出してくる。
 普通の洞窟探索者なら真っ先に武器の用意をするだろうその光景のど真ん中を、あまつさえ手ぶらで歩いてくる一見すれば無謀極まりない男がいた。
 オーマである。

「よーうお前ら、ついさっきぶりだなぁおい。と言うわけで見やがれ、本日の戦利品はコレだ!!」

 グロテスクなかたちの者も翼ある者も、そして群れを成して生活する小さな者たちも同じようにオーマの足元に駆け寄り、彼が大きな手のひらに携えているものを見上げた。
 敵意のないそれぞれの瞳の先にあるのは、古ぼけた表紙をした一冊の本だった。
 たったそれだけのものに、けれど異形の者たちが揃って歓声を上げるのを、オーマは満面の笑みで見つめて頷く。

「おーおーお前らコレの価値を分かってんじゃねーか、さっすが俺が親父心を教えこんだだけの事はあるってもんだ」

 そうしてオーマは洞窟内の湿った地面に躊躇いもなく腰を下ろすと、ぐるりと魔物たちを見回した。

「これにはな、とある国の漁港で存分に腕をふるっていた漁師の親父の話が載ってんだそうだ。詳しい事はまだ読んでねぇから分からねえが、ディアナの話によればそりゃあもう大層な事やった親父らしいぜ? こりゃあ同じ親父道をハイスピードキリモミ爆走する者としちゃ見過ごせねえお宝だったからな。いやー、取ってこれて良かったぜ全くよ。今日に限って番犬に気付かれちまったからちょっとばかり焦ったけどな」

 楽しそうに本について語るオーマの言葉に、魔物たちは興味深げに頷いたり首を傾げたりしていた。
 彼は魔物たちの頭部だかどこだか分からない部分を撫でながら、今にも分解しそうな本をそっと腰の布袋に入れ、丁寧に口を縛って立ち上がる。

「本当ならお前らにすぐにでも親父ドリーム迸るマニア向け漁師の愛の歌・サバマグロ哀歌編を読み聞かせてやりたいんだが、今日はちょっと勘弁してくれや。何しろもとがこんな状態なもんでな、ディアナに補修なり写しなりしてもらわねぇと満足に読めもできねぇからよ。……ん?」

 ちょこちょこ、と大きなブーツに包まれたオーマの足元へと近づいてきた魔物の一体が、これまた小さく小刻みな動作でズボンを引っ張るのに気付き、オーマは身体を屈めてその魔物を見た。その魔物の事をオーマはよく知っている。何しろこの洞窟で最初に親父道についてじっくりと説いた、いわゆる洞窟での『最初の生徒』と言うべき魔物だったからだ。
 大きな口は今は平和そうに閉じられているが、一旦口を開けばそこには人体など易々と貫通する歯が備わっている以外は何とものんびりした風貌の魔物だった。ちょうど異国にいるという「カバ」という動物に似ているので、オーマは親しみを込めてその名もなき魔物を「カバ」と呼ぶ。

「よ、どうしたカバ。今日はあいにくだが親父道の教えはねえぞ」

 するとカバは口をぱくぱくと開閉させながらオーマを見上げた。寂しい、というしるしのようなものだ。

「すまんな。でもまたすぐに会いに来るからよ、お前さんは皆と一緒に親父道の復習でもしててくれや。な?」

 わしわし、と硬い皮膚に包まれた頭部を撫で回すと、「じゃあな」という言葉を残してオーマはその場を去った。
 魔物たちは自然と散り散りになり、洞窟に静寂が戻る。カバと呼ばれた魔物もまた、去って行った。

 自らのねぐらではなく、オーマが向かったのと同じ洞窟の出口へと。

 




「いらっしゃい、オーマ」

 豪奢な扉を開けて奥へと足を進めると、美しい女が図書室の隅に陣取り紅茶のカップを傾けていた。
 その様は一つの絵画のようだな、とオーマは心の中だけで評する。紫がかった青色の髪がかすかに射し込む陽光によって輝いている様や、優雅をそのままかたちにした白く華奢な手指でティーカップを扱う様など、どれを取っても生き物でないかのように現実離れした容姿と仕草であるのにもかかわらず、この女性は確かにここに存在している。
 世の男ならば目を奪われても当然の美女を前にして、けれどオーマは何でもなさそうに美女の下へと歩いていった。慣れている、というのもあるが、彼にとって愛を込めて見つめるべき女性というのは妻と娘でしか有り得ないというのが最大の理由だった。

「よおディアナ。邪魔したか?」
「いいえ、わたくしもちょうど独りで飲む紅茶に飽きてきたところなの。よろしければあなたもいかがかしら、いい茶葉が手に入ったのだけれど」 
「いや、悪いがこっちもこれから用があるんでな。折角だが辞退させてくれ」
「あら残念」

 と言いつつあまり残念そうではない表情で、ディアナ・ガルガンドはくすくすと笑った。
 『ガルガンドの館』。そう呼ばれているこの広大な屋敷に住む女主人はカップを置いて立ち上がり、椅子の背にかけていたショールを肩にかけてオーマの方へと歩いていく。

「それで、本日は何のお話?」

 妖艶な微笑みをたたえたディアナへと、オーマは袋から出した書物を見せる。 

「これの補修を頼みたくてな。ついでに写しもしてくれるとありがたい。ああ、もちろん報酬として原版をここに置いていくが」
「随分痛みが激しいこと。……でもこの程度ならまだましのようね、あなたが持ってきた中では読める方だわ」
「厳しいねぇ」
「インクのにじみきった書や虫食い穴だらけのものを持ってきた挙げ句に、『コレ解読頼むわ』なんてあっさり言うのがあなたの頼みの王道だもの。それから比べれば、ね」

 慎重にページを何枚かめくり、装丁全体に目をくばり終えると、ディアナは剥げた表紙の金箔に指を滑らせながら言った。

「三日ほどかかるけれど、良いかしら」
「ああ。そんな急ぎでもないんで、無理のないようにやってくれりゃあいい」
「分かったわ。終わったらそちらに使いを出すから、その時に取りに来て頂戴。ああ、それと」
「うん?」
 
 瞬きをするオーマへと、ディアナは綺麗に笑みながら続けた。

「報酬の一環として、今度来る時は是非お茶に付き合ってはくれないかしら。お茶菓子を用意して、待っているわ」






 三日後、約束通りにディアナの使者はオーマ宅を訪れた。
 丁寧に封をされた手紙を渡して帰っていく使者を見送ると、オーマは香りのついた薄紫の封筒の端を裂き、便箋を広げる。
 そこにはかねての言葉通りに、書物の補修と写しが出来上がったので取りに来て欲しいという文と。

「…………何だぁ?」

 オーマはつい声を上げて、まじまじと便箋に綴られた流麗な文字を眺めた。
 自分の用件以外の事柄がその後に続いていたからだ。

「………………」

 鼻にかかった小さな眼鏡の向こう側から唸りをあげてしばらくオーマはその文面を見つめていたが、やがて手紙をテーブルに放って立ち上がると、その足で外に出た。
 目指すはガルガンド邸。だがそれは写本を取りに行く為だけではなく、綴られていたもう一つの用件を満たす為でもあった。

 長い脚を駆使して辿り着いた館は、いつものように誰ひとり存在しないかのようにしん、と静まり返っていたが、オーマはそれに全く臆することなく扉を開けて図書室へと向かう。

「ディアナ」

 圧倒的な存在感を生むオーマすら覆い尽くす程の、本、本、本の森。本棚にきっちりと収められた書物の数々は広大な森のようにオーマの視界を遮った。
 その奥に向かって呼びかけること数回。ようやく本棚の狭間からゆるく波打った青色の髪が顔を出す。

「あら、早かったわね。写しと補修の方はもう済んでいてよ」
「それには礼を言わせてもらうぜ、ありがとよ。……ところで手紙にあったもう一つの事なんだが、魔道書がなくなったってのは本当なのか?」

 切り出された言葉に、館の女主人は美しい面に憂いの影を過ぎらせる。

「ええ、そうなのよ。わたくしが幾つかのダンジョンを所有している事はあなたも知っているでしょう? その中のひとつから魔道書が消えてしまったと、管理を任せている者から知らせがあったの。けれどあの書はわたくし以外の人間が軽々しく触れる事などできない代物だから」

 言葉を切り、ディアナは青の瞳でオーマを見て言った。「……だからあなたに声をかけてみたの」
 その言葉にオーマは、成る程。と自身の顎を撫でる。

「あんた以外の『人間』が触れられないんじゃあ、残るは魔物、もしくは俺の得意しているアレの仕業かもしれねぇって事か。ふん、そうなりゃ確かに俺の出番ではあるな」
「どうかしら、引き受けてはくれなくて? 報酬は勿論用意していてよ」

 小首を傾げて訊ねるディアナへと、オーマは口元に笑みを浮かべて答えた。

「ま、断る道理はないわな。そんじゃ早速行くとしようぜ」
「ええ」

 鮮やかな花の笑みを静かに浮かべ、ディアナはそっと図書室の扉を閉ざした。
 





 湿気の強い黒々とした森の中。
 見覚えがある風景にオーマはきょろきょろと忙しなく辺りを見回し、そして確信した。
 
「こいつぁ……」
「何?」

 ぽつりと言葉を吐いたオーマへと先を歩いていたディアナが振り向くが、オーマはそれを軽く誤魔化し、改めてぐるりと森を見回した。
 記憶に間違いがなければ、確かこの辺りにあった筈だ。

 ――――あった。

 視線を巡らせたその先に、小さい崖のような場所が存在していた。ここからでは角度が悪くて見えないが、きっとその反対側にはぽっかりとした空洞が口を開けているだろう事をオーマは知っている。何せ彼はつい先日、あの崖を登ったばかりだったからだ。
 顔を戻すと、ディアナの歩く先に石造りの洞窟、いや遺跡が目に入る。
 これは偶然なのだろうか。そう考えている間にディアナは遺跡の扉を開ける手順を整え、道を開いていた。そこの管理人らしき男が蒼白になりながらディアナに灯りを手渡している。きっと生きた心地がしないだろうと考えると、オーマは管理人の脇をすり抜けがてら、白さの際立つ毛髪に包まれた頭を軽くひと撫でしてやった。

 中に入ると、灰色の石の群れが二人を出迎える。
 遺跡は遺跡ではあるのだが、いかんせん盗掘され尽くした感が否めなかった。柱に埋め込まれていただろう宝石は一つ残らず取られ、廊下を歩く際にふと覗いた部屋の中は見事なまでに何もない。
 オーマの記憶によれば、つい前の時代に発掘ブームがあった際に遺跡の盗掘騒ぎが絶えなかった事があったが、この遺跡もきっとその被害にあったものなのだろう。柱に彫られている文字からして、この遺跡は独特の宝石を造る技術を持っていた時代のものだ。貴族たちがこぞって買い付けに走ったという噂を何度かオーマは耳にしていた。

「……それにしても、その魔道書があった場所ってのはまだなのか? 結構歩いてるような気がするんだが」
「もう少しよ。ついでに言うのなら、ここはまだダンジョンに行くまでのただの通路。ここはあくまで人目につかないようにする為のものよ。……ほら、入り口はここ」

 ディアナの足が止まる。
 彼女は何の変哲もない石の壁にそっと人差し指を当てると、赤い唇から小さく開放の言葉を紡いだ。

「ほう」

 思わずオーマは声を上げる。ディアナの口から言葉が漏れた瞬間に、壁は壁ではなくなったからだった。
 まるで最初から壁などそこには存在していなかったかのように、二人の前には青に包まれた洞窟が広がっていた。

「この言葉を知っている者でないとここには入れない筈なのだけれど……。犯人はどうやってここに侵入したのかしらね」
「ま、そりゃ取りあえず調べてみてから考えてみるとしようや。どれ」

 二人はそんな言葉を交わしながら蒼く輝く洞窟に足を踏み入れた。
 だが次の瞬間、それぞれの足元に光輪が浮かぶ。

「――――――――っ!!」

 突然のそれに息を呑み、オーマはディアナの腕を掴み跳躍しようとした。
 だが、遅い。光の輪は見えざる力を以って一歩たりとも足を動かす事を許さず、代わりに魔力の輝きで満たした輪の中へと両者の身体を呑み込もうとしている。

「これは……?!」
「具現能力の反応だ!! ――――やべぇ、罠かっ!!」

 足元に絡みつく鎖のような光を具現化した銃で断ち切ろうとするオーマだが、その銃さえも瞬く間に輝きに侵食されていくのに舌打ちをして前を見た。
 具現能力の反応は、洞窟の奥からだった。オーマは暗闇のその先にあるものを見極めようと目を凝らす。
 そして。
 
「…………あれは……」

 オーマの双眸が捉えたものは、真紅の装丁。
 それは染みひとつない純白のページをゆっくりと開き――――


 とぷん。


 水に石を投げ込んだかのような音が蒼の洞窟に響き渡る。
 後に残されたのは、ただ静寂だけだった。






 暗い。 

 気がついたオーマが最初に思ったのがそれだった。
 目を開いているのか、それとも閉じているのかすら分からない純粋な暗闇が横たわっている。どこから始まりどこへ続いているのか、それすらもオーマの感知能力を以ってしても掴めない。

「ま、灯りがいるわな」

 手のひらに適当なランプを具現化させると、ようやく周囲の様子が判別できるようになる。
 幸いすぐ近くにディアナは倒れていた。彼女はこんな時でもあくまで優雅に身体を起こすと、ふう、と物憂げな溜め息をつく。

「……参ってしまったわね。まさか罠なんてあるとは」
「全くだぜ。それにしてもディアナよ、ここに落っことされる前にアレ、見たか?」

 ランプの灯りで更に色味の変わった髪をかき上げながら、ディアナは頷いた。

「あれこそ洞窟に安置していた魔道書よ。真紅の装丁に白の何もないページ、ええ、間違いないわ」
「それにしても、魔道書って言うからには俺ぁつい中身ビッシリーの見た目ボロボローの古くっさいやつを想像してたんだがなぁ。あれじゃまるでここ最近できたばっかりの本じゃねえか」
「そう見えるのも無理ないかもしれないわね。だってあれは『無の魔道書』だもの、中身が書いてないように見えるのも当然と言えば当然の話。読むべき内容がないから、自然と装丁も綺麗なままなの」
「何だ、そりゃあ」

 ディアナはまるで曇りの日の夜空のように、一片の輝きさえない上を見つめながら囁くように言う。

「『無』という言葉の通り、まさに何もない魔道書よ。その魔道書だけでは何ら効力を発揮しない。あれは手にした生き物が望む事をそのまま魔術に置き換えて、道を示す為だけの道具なの」
「……どういうこった」
「端的に言ってしまえば『魔術で出来うる限りの望みを叶えられる書』なのよ、あの子は。あの魔術書を持った者はまず望みを問われ、そして書はその望みを叶える為に最も有用であるだろう魔術の一文を浮かび上がらせる。後はその者が術を使えば大抵の望みは叶うわ」
「随分都合のいい術書だな、そりゃ。じゃあ何か、例えば『金持ちになりたい』っつー望みを言ったとしたら、目の前にどさどさ金を出してくれたりでも?」
「ちょっと違うわ。今の魔術で純粋な金貨を造るのはほぼ不可能であるのだから、あの書はもう少し別の魔術を教えるでしょうね。……そうね、それなりに殺傷能力のある術とかかしら」

 その言葉にオーマは最初意味が分からずに眉をしかめたが、すぐに納得したかのように手を打つ。

「あーあー分かったぜ成る程な、何も金を手に入れるにゃ金をそのまんま出す必要性ってはないわけだ。その魔術でちょっくらどこぞの金持ちでも襲えば、金は手に入るしな」
「そういうこと。……きっと今回わたくしたちがこの場所に落とされたのも、きっとあの術書を手にした何者かの仕業なのでしょうね。意図は分からないけれど」
「ふむ、しっかしここは何処なんだ? 一体。亜空間の類だってのはどうにか分かるんだが、何でまた俺たちをこんな場所に閉じ込める必要性があると思うよ、ディアナ。あんた最近誰かから恨みでも買ってたのか?」
「…………そうねえ…………」

 小首を傾げてしばし考えるも、ディアナは大きく息をついただけだった。

「思い当たらないわねえ。わたくしに恨みを抱いていて、なおかつあそこに侵入できる魔力の持ち主なんていなかったように思うのだけれど」
「そうか。……まぁしゃーねえな、そんじゃあ取りあえずセオリー通りに出口ってやつを探すとするか」

 そう言ってオーマは立ち上がったが、すぐに顔をしかめて遠くを見据えた。

「どうしたの?」
「……しっ」

 鼓膜を微かに震わせるものの存在を感じ、オーマは短く声を飛ばした。
 しん、と静まり返った空間の中、ディアナもそれを知ったのだろう。黙ったまま立ち上がる。

 刹那。

「おっと!!」

 オーマの耳元で風が唸る。傍らを何かが通り過ぎていったのだ。 
 それは最初からディアナ目掛けて放たれた何かだった。咄嗟にディアナの腕を引っ張り上げると、それは再び闇の中へと消えていく。ただ風だけを残して。
 
「……やっぱその誰かさんの狙いはあんたみたいだぜ、ディアナ」
「そのようね。ところで腕が痛いのだけれど」
「すまんがもうちっと我慢しててくれんか。あんたの身体能力ならまあ大丈夫とは思うんだが、取りあえず身体動かす仕事は俺に任せといてくれ。それよりあんたには考えてもらいたい事がある」
「何かしら?」

 華奢な身体を小脇に抱えながらの台詞にディアナはそれでも気を悪くしたようでもなく訊ねると、オーマは周囲に気を配りながら問い返す。

「全く閉じられた、それこそ継ぎ目のない亜空間の造成は可能か?」
「この場合に限っては無理ね」

 斬り落とすようなあっさりとした返事が響く。

「高い位の術者ならばともかく、ただ知識を詰め込んだだけの魔道書にはそこまでの力はないわ。いくら臨機応変に相手の望みに対応できるといっても、どうしても書物という媒体である以上、必ず限界というものがある」
「ふーむ、必ずどっかに継ぎ目はあるっていうわけか。なら脱出は難くねぇな」
「あら、自信があるのね」
「そりゃ百戦錬磨拍手喝采・ナイスミドルヘビー級爆裂腹黒親父の俺だからな。自信なんざあって当然ってヤツよ」

 緊迫した状況であってもなお軽く片目をつぶるオーマの顔を見上げ、ガルガンドの女主人はくすりと笑う。
 そして。

「――――来るわ」

 ごく普通の口調で、危機の襲来を告げた。 






「……しっかし、ちょっくら疑問があるんだけどよ」 

 暗闇の中、ディアナが手のひらに灯した光だけをたよりにオーマの身体が地を蹴った。もうとうに具現化したランプは謎の物体により粉々に踏み潰され、その存在を消している。
 その真下をもう何度かわしたか分からない物体がまた高速で通り過ぎ、何処かへと消えていく。ディアナの光の届く範囲はせいぜい自分たちの周囲をぼんやり照らす程度であり、その物体を追うまでには至らない。

「あの術書っつーのはその、具現化能力まで有しているもんなのか? だとしたらとんでもねぇ話だが」
「どうかしら。わたくしもあの子を使用したのはそんなに多くないから、その辺りについては分からないわ。ああ、でも」
「うん?」

 もう一度飛び上がり天井らしき場所に貼りついたオーマの腕に抱えられながら、ディアナは言う。

「こんな話があってよ。……ある男が『自身の存在を無くしたい』とあの魔術書に願い、そして書はそれを聞き入れ一文を示したらしいの。普通ならば自殺を可能にするような攻撃系の術か何かの紡ぎ方なのでしょうけれど、書がページに浮かび上がらせたのはそんなものではなかったらしいわ」
「――――それで」
「男は首を掻き切って、死んだ。これで男の望みは一応は叶えられた事になるわね、だって彼の存在は死によって確かにこの世界から消え去ったのだもの。だけど、男が自殺に使用した刃物はどこにも見当たらなかったらしいわ。おかしいわね? 彼が死んだのは自室で、執事が見つけるまで誰も部屋には入らなかったとその屋敷の皆が証言したというのに」
「いや、何もおかしいこたぁねえさ」

 だん、と。
 天井を蹴り、真下からの襲来を軽々と避けながらオーマは呟く。

「きっとその刃物はすぐに消えたんだろう、それだったら何も不思議じゃねえ。……ディアナ」
「何?」
「お前さん、あの本に何か違和感を感じた事はなかったかい?」

 オーマの頬を何か重々しい気配をしたものが掠め、皮膚が僅かに削られた。
 垂れる血を舌先で舐める。

「違和感。ああ、そうね。あまり意識はしていなかったのだけれど、感じていたのかもしれないわ、いつでも。――――この世界にはない、何かを」

 ディアナは何かを懐かしむようにどこか遠い目をしてみせる。

「成る程、な」

 身体を前に倒し込みながら、オーマが駆ける。散々追い掛け回されたせいで、既にこの空間の全体を彼は把握していた。
 幾度も壁を蹴りつけた際に足へと響く感触。重々しいばかりだったそれがほんの少しだけ軽かった場所がただ一点だけ存在している。
 走って、走って、走って、そして。

「――――よっ、と!!」

 渾身の力を込められたオーマの脚が、ただ一度触れた場所へと闇の中を閃く。
 鏡が割れるような音を残して、長い脚の先から闇が消えていく。それはどんどん広がり、上に下に横に、空間全てに亀裂を入れて砕け散った。
 まるで朝が来るのを思い出したかのような光景の中、オーマは地面に降り立つ。足元に広がるごつごつとしたその岩の色を知り、二人は同時に小さな息をついた。

「ようやく戻ってこられたって事かね、こりゃ」
「そのようね。少なくともここは私の知っている洞窟の入り口よ」
「ああ。……その証拠に」

 オーマが洞窟の奥へと目を向ければそこに一瞬だけ何かの気配が漂ったが、すぐに消える。

「どうもあの御本がお呼びのようだぜ、ディアナ。ついでに少々俺にゃ馴染みの深い匂いもしやがる。さあてどうする?」
「まあ、決まっていてよ」

 男の腕から降り立った女は、乱れた髪を軽く整えながら柔らかな声音で返す。

「あの子はわたくしの可愛い持ち物ですもの、会いたいとねだっているのならば行くのが礼儀というものだわ」
「同意見だ。まあ、――――あの本は俺には会いたかねえだろうが」

 二人は顔を見合わせ、そして前を向いて歩き出した。






 書物はただ待っていた。洞窟の最深部、自らの安置されている何もない小部屋にて。
 待つのにはとうの昔に慣れている。そう本は、いや、本の中にいる存在は独りそう声なき声にて呟く。

 お前はどうか。

 書物は告げた。
 だが相手は何も言わずにただ首をふるふると横に振るだけで、書物は退屈そうに意識を戻した。全くつまらないとしか言いようのない相手だが、それでも自身に、いや、この書物に触れた上に望みを持っているのならば、仮にとはいえ主の資格を有している事になる。

 それはほんの偶然だった。
 いつものように自分を管理する者がこの部屋に入ってきた。それまではいい。
 しかしあの壁が元に戻る寸前に、あろうことか迷い込んできたものがあったのだ。しかも管理者はそれに最後まで気付かないまま点検を終え、帰っていった。

 実に職務怠慢だと内心憤慨しながらも、書物はその闖入者を興味深げに観察した。何しろここ数百年の間、まともに自分と管理者以外のものを目にした事は皆無だったからだ。
 『それ』は自身がぶつかったせいで台座の向こう側に落ちた書物に向かって無防備に歩み寄り、無邪気に触れた。それにより書物は願いを知った。

 そして、叶える為に動いた。

 だが、と書物は呻く。最初の罠にはめた所までは良かったが、綻びを見つけられてしまった。
 次に幻影にて水攻めというものをしてみたりもした。けれどそれも失敗に終わる。あの男も女も人のかたちをしているくせに、有り得ない程の肺活量を誇っていた。

 その次は巨大な口を造って噛み砕いてやろうとした。
 しかし今度も駄目だった。
 というのは、この後ろにて震えているものが邪魔をしたからに他ならない。あの男は駄目なのだと必死に訴えかけるものだからつい意識の集中が途切れてしまい、その間に突破されてしまった。
 自分としては二人ともいなくなってくれればせいせいするというものだが、後ろにいるものはそれを拒む。

 それが望みなのだからしょうがないと言えばしょうがないのだが。

 書物が溜め息を吐こうとしたその時、不意に自室の扉が開いた。
 意識を向ければ、男がひとりと女がひとり。ついでのように放った罠はどうやらことごとく打ち破られてしまったようだった。

 ずい、と男が前に出る。

「――――ふむ。……なあお前さん、ちょっくら話でもしに出てこねえか?」

 何に語りかけているというのか、この男は。
 自分は完全に書物であり、呼びかけになど応じないというのは分かっているだろうに。ほら、さっさと後ろにこそこそと隠れ震えているものを捕まえて始末しればいい。そうすればお前たちに降りかかった災難による腹いせは終了するのだろう。

「無視か? まあそれならそれでいいけどよ。じゃあこっちが勝手に喋らせてもらうぜ」 

 無視も何も、書物というものは喋りもしなければ笑いもしない。それがこの世界の常識だというのはずっとずっと昔に知った。
 そんな当然の事を知らないなどとは、この男は脳が足りないのだろうか。

「しっかしお前さんも結構運が悪いな、入り口でうっかり具現波動なんて出しちまうもんだから、けっこう早くお前さんの正体に辿り着いちまったぜ?」

 正体?
 何を言っているのだろうか、この男は。そう思いながら書物はない首を傾げる。
 自身の正体など知っている者はおろか、嗅ぎ付けられる者はごくごく僅かだ。そんな僅かな者が偶然ここへ来るなどとは、それこそ有り得ない偶然だ。

 だから、書物は笑った。
 聞こえない筈の笑いだった。

「昔の話、聞いたぜ。ある男が首を斬って自殺したはいいものの、その為に使った筈の道具が見当たらなかった、とかよ」

 ああ、それは覚えている。
 なにせあの時がこの世界に辿り着いてから初めて使った力だったのだ。懐かしい。
 死を望む男に刃を生んでやったのだ。人が一生目にする事のできないであろう、それは美しい刃。男の血に塗れる姿が不憫で、すぐに消したものだった。

「まあそれだけじゃただの密室殺人って話だったんだが、俺たちを亜空間に引きずり込むのに具現能力を使ったのが間違いだったな。あれのおかげで男が首を斬った道具がどうなったのかも、それにお前さんが何者かっていうのも察しがついた」

 男の手が、近づいてくる。
 何を言っているのだろうと書物は考えた。だが有り得る筈がないのだ、こんな偶然は。
 ウォズたる自分にヴァンサーの足音が近づくなど、あってはならない事で。

 大きな手のひらが表紙に触れて、熱を持つ。

「お前さんの行動自体に善悪はなかったのかもしれんが――――」


 熱い。
 熱い。


「それでも、命あるものがそれを絶とうとするのを手伝うってのはどうかと思うんでな。たとえそれが遙か昔の話だとしても、悲しい事実にゃ変わりねえ」


 何、を。


「来な、ウォズよ。俺の中へ。こんなとこに独りでいるより楽しい世界を見せてやる」
 
 たのしいせかい?

 そんなものがあるのかと書物は、いや、書物に宿っていたウォズは口を開いた。
 聞こえない筈のそれを、けれど男は聞きつけたかのように微笑む。優しげなそれではなく、ただ先を示す明るい子供のような笑みだった。

 悪くない。――――ああ、悪くない。そうウォズは思いながら目を閉じた。
 書物から自身の透き通る身体が引き出されていくのを感じる。男の手にそっと手を伸ばしながら、ウォズは最後に訊ねた。




 おまえはわたしになにをくれる?




 問いに。
 男はただ、笑顔で応えた。

 ウォズはそれにただ目を伏せ、ゆっくりと血の流れを辿るかのように男の中へと染み込んでいく。
 その一瞬、ただ満足げな顔を男は見たような気がした。






「…………お?」

 ウォズを呑み込んだ手のひらが熱を持っているのに気付き、オーマはひょい、と手のひらを見る。
 後ろに下がっていたディアナもまた脇から覗き込めば、大きな手のひらの付け根には見慣れない紋様が刻まれていた。

「なんだこりゃ、あのウォズの置き土産か何かか?」
「案外そうかもしれなくてよ。ほら、見てごらんなさい」

 書物の主である女はころころと笑いながら、赤い装丁の魔術書をオーマへと掲げる。金の糸で刺繍された紋様が、よく赤に映えていた。
 オーマが改めて自分の右手のひらに宿る紋様を眺めれば、それは意思があるかのように一瞬だけ薄赤く輝くと、すぐに黒色へと戻る。

「ま、こういう想いの残し方ってのも悪かねぇな。ウォズもなかなか粋な事をしやがる」
「何か効力でもあるのかしらね」
「さぁな、だがそんな事はいいさ。ここにあいつの想いが宿っている、それだけで俺にとっちゃ嬉しい事だからな」
「おかしな所で欲のない人だこと。さて、それはいいものの、あの台座の向こうにいる可愛い魔物はどうするつもり?」
「あ?」

 手から視線を外せば、成る程、確かに台座の向こうからいかにも恐る恐るといった風な魔物がこちらをうかがっているのが見える。
 大きな口と短く太い足をふるふると震わせているそれが何なのかを知り、オーマはつい大声をあげた。

「……カバ? お前あっちの洞窟のカバじゃねえか!! こんなとこで何やってんだお前?」
「カバって、あの可愛らしい魔物の事?」
「あ、ああ。ちょうどここから近いとこにもう一個洞窟があるんだけどよ、俺ぁそっちの常連で……ってんなこたこの際どうでもいい。おいカバ、お前どうしてこんなとこにいるんだ?」

 けれどカバはオーマの差し出した手に怯えたように、小さな身体を台座の向こうへと引っ込ませてしまう。

「おいカバよ、何も怒りゃしねえからこっち来いって」
「そうよ、いらっしゃいな」

 ディアナが導くように手を伸ばしたが、カバはそれに怒ったかのように鼻息を吹きかける真似をしてみせる。

「なんだぁ?」
「ああ、そういう事なのね。オーマ、どうやらこの子はあなたでなくてはいけないようよ」
「そんなに人見知りするようなヤツじゃねえんだがなあ……」
「違うわよ。あなた、この子多分雌よ。だからきっとあなたの側にいるわたくしが気に食わないのでしょう」
「…………………………なにぃ?」

 思わず目を点にしてオーマが改めてカバを見れば、カバは出ては来ないものの、ディアナの時とは違い反応自体は穏やかだった。
 その様子に、ディアナは合点が行ったように両手を合わせる。

「きっとこの子が今回魔道書に望みを託した主だったのね、道理でわたくしだけを狙って来る筈だわ。きっとどこかでわたくしとあなたを見て、嫉妬したのではなくて? そしてわたくしをどうにかしようと魔術書が力を貸した、と。今回の騒動は大体こんなところでしょう」
「あーっと……。そりゃ本当か? カバ」

 ようやくちょこちょこと出てきたカバは、返事をするかのようにオーマの手のひらへと小さな足を乗せた。

「そうかそうか、そこまで俺を好いてたかカバよ。よし、お前には特別に腹黒同盟名誉カバ会員として特別枠を作ってやるからな。だが」

 ぐっと顔を近づけて、オーマは真剣な表情でカバに向き合う。

「いくら俺が漢前だからって、周りに迷惑かけちゃあいけねえぞ。ん? 親父道を説いた時にこれも盛り込んであったんだがな。復習はどうした」

 するとカバは頭を垂れて、反省するようにオーマの手にそれをこすりつけた。
 オーマはその様子をどこか優しげに笑って見つめていたが、もう一度だけ厳しい顔を作るとカバの顔を上げさせて言う。

「もう二度とこんな事しねぇって約束するか? ……よーし、それでこそ俺の教え子だ」
「あなたの教え子の範囲は随分広いのね」
「まぁな。揺りかごで跳ねるオタマジャクシから墓場のケルベロスまで、俺の教育範囲はまさに無限大コスモブレイクってやつだ。さて、行くぞカバ。こんなとこにいないであっちの洞窟に帰らんとな」

 手のひらサイズのカバをひょいと掴みあげると、ディアナのくすくす笑いと共にオーマ一行は小部屋をあとにした。
 再び訪れる沈黙の中、赤い装丁が一度だけうっすらと輝いたのは、誰の目にもとまる事はなかった。






 外に出たオーマがカバの住む洞窟に足を運ぼうとすると、カバは身をよじってフギフギと抵抗を始めた。
 とは言ってもオーマの手のひらサイズのそれがする抵抗などたかが知れているのだが、あまりの嫌がりぶりにオーマは足を止める。
 
「お前、あそこに戻りたくねぇのか?」

 問いかけにカバはフギ、と鳴いて肯定を示した。

「しかしなぁ……」
「オーマ」
「何だ、ディアナ?」

 頭を掻くオーマへとディアナが呼びかければ、カバが相変わらず鼻息を荒くしたが、オーマはそれを抑えてディアナに返した。

「よろしければ、これからわたくしのお茶に付き合ってはくれないかしら。先日約束したでしょう」
「いや誘いはありがてぇんだが、今はこいつをどうにかしねぇと。ああほら暴れんな」
「あら、その子も一緒に連れて来ればいいのではなくて? わたくし、一度魔物とゆっくりお茶を楽しみたいと思っていたのよ」
「つーかこいつはあんたを嫌ってるって、あんたが言ったばかりじゃ……って、おいこらどこ行く――――」

 オーマの手からすたこらさっさと逃げ出したカバは、その短い足に似合わず驚異的なスピードでディアナの足元へと隠れる。

「ほら、この子も一緒に行きたいって言っているわ。ねぇカバちゃん」

 先程まで散々に嫌っていた様子だったというのに、まさに手のひらを返すとはこういう事を言うのだろうか。
 そんな事を考えて、オーマは苦笑する。まあ仲が良くなるのはいい事だ。

「そんじゃご馳走になりに行くとするか、カバ」

 歩み寄ったオーマの大きな手のひらに撫でられて、カバは気持ちが良さそうにまた一声鳴いてみせるのだった。






「……ところでこいつの種族って一体何なんだ? こいつ以外にこういう姿したヤツ見た事ねぇんだが」
「あら、この子きっとペガサスよ」
「――――はぁ?!」
「体毛も白いし、何よりほら、ここに翼がちゃんとあるでしょう。蹄もきちんとあるのだし」
「………………マジかそりゃ……」








 END.