<東京怪談ノベル(シングル)>


炎を纏いし不死なる鳥

【――生きたいか……?】

 声は頭の中に響くように。

【生を望むか……?】
 
 繰り返し、繰り返し問うてくる。

【答えろ。お前は――】


◆◇◆

 時は戦乱。【紅月の狂乱】と呼ばれる京都が魍魎に支配されてから、日本は血の匂いで溢れている。
 魍魎に支配された区域は『凶都』と改名され、首都は大阪と札幌に移転。戦は絶えない。魍魎の力は強力にして残忍――故に人に太刀打ちする術は無い様に思えた。
 けれども度重なる戦の中、法師達は魍魎に勝ち得る方法を見出した。それが「紅乃月」と呼ばれる鬼人の製造。鬼の血で作られた、高い術耐性と身体能力を誇る対魍魎戦用戦闘人達を、魍魎と対峙する為に作ったのだ。

 「紅乃月・雷歌」と名のついた鬼人は、凶都討伐作戦の折、対魍魎将軍戦に投入される。
 朱天城と呼ばれる魍魎達の城下で、彼女はまだ、自分の運命の岐路を知らなかった。


◆◇◆

 朱天城の外堀には鮮やかな紅の川が流れる。それが血液である事実は言わずもがな事。
 雷歌はその血の川堀を軽々と飛び越え、朱塗りの屋根へと飛び乗る。真紅の髪を夜風に遊ばせ、振り返る事もせず駆け出す。背後に続くものは無い。コレは、自分に課せられた勤め。
 立ちはだかる魍魎共を蹴散らし、目指す場所は一つ。
 朱天城の王たる、朱天童子の座すであろう、最上階――ここを落とせば、討伐がまた一つ終わる。
 優美なる模様が描かれた特徴的な着物が、雷歌に合わせて踊っている。様々に繰り出される雷歌の攻撃は、まるで舞を踊るかの様でさえある。
 だが。
 微かな風の流れに何かを感じ取って、雷歌は背後へと飛び退いた。瞬間、城の外廊、その内壁が砕かれた。内側から外側へと巨大な金棒が姿を現している。一瞬でも退くのが遅ければ、雷歌の頭部はなくなっていたかもしれない。
 衝撃は凄まじく、足元を大きく揺らす。
 名を馳せるは朱天童子。そう簡単に、首を刎ねさせてはくれない。
 金棒がそのまま内壁を薙ぎ砕きながら、雷歌へと近づく。それを外廊から飛び降りる事でかわす。
 壁の残骸と共に宙を落ちながら、雷歌は金棒の主を見た。
 牛の頭をもった筋骨逞しい異形――朱天童子の名と同時に、ソレを知らぬ者は少ない。童子の配下にして朱天城の城守である、牛頭鬼。そして――。
 落ちていくその先には、もう一匹の城守である馬頭鬼の姿。この二鬼の力も、並のものではない。赤黒い馬面が、野蛮な笑みを浮かべた。
 その腕に構えるは雷歌の身の丈以上の大刀。このままでは確実に危険。そう悟った雷歌は身体を捻り、二回の屋根へと手を引っ掛けた。
 と、今度は上空で風の唸る音。見上げもせず、雷歌は屋根に上り、地を蹴り横に跳ぶ。同時に背の矢立から矢を引き抜き、今まで自らの居た場所へと放つ。落ちてきた巨体に激しい音を立て屋根が陥没し、そして雷歌の放った矢はソレに突き刺さる筈だった。
 が、牛頭鬼にも雷歌の行動はお見通しという事か。巨大な金棒が盾となり鬼の身体には届かない。
 雷歌は軽く舌を打ち鳴らすと、紅玉の瞳で牛頭鬼を睨み据えた。
「邪魔しないで」
「そうはいかぬ。朱天の命だ」
 言いながら、牛頭鬼が目を見開く。
「驚いたね。お前こそ、鬼でありながら人につくのか」
 雷歌の額には、螺旋を描く一つ角が生えている。それは鬼人と呼ばれる種族の証拠だ。人ではない。だが、鬼でもない。例え人とは別けられたとしても。
「私を、貴様等魍魎どもと一緒にしないで!!」
「……何所が違う。人の血を啜って生きる、お主も変わらず異形ではないか?」
 階下からの哄笑に、雷歌の瞳が微かに翳る。
「五月蝿い……。とにかく 邪 魔 を し な い で !!!!」
叫ぶのと同時に法術を放つ。結んだ呪印が牛頭鬼の傷だらけの顔に亀裂を走らせた。思った程の効果は無い。ただ掠ったというだけか。
 即座に技を切り替える。牛頭鬼は呆然と傷ついた頬を押さえ、動かない。その懐へと飛び込み、雷歌は微かに笑んだ。この距離なら、一発は入る。怪力を誇る自分の一撃は、例え強靭な肉体を持つ巨躯であっても吹っ飛ばすに至る事だろう。
「――なっ……!!」
 だが、攻撃を受け吹っ飛ばされたのは雷歌の方だった。
 早すぎて見えなかった。そして、牛頭鬼は微塵も動いてすらいないというのに。
 視覚出来ぬ速度で振られた金棒に、肋骨の軋む音がした。受ける際に咄嗟に攻撃方向に跳んだ事が、攻撃を和らげた上で。金棒についた幾つの鋭利な刃に掠ったらしい肌が裂ける。
 そのまま反対側の壁へと打ち付けられえる。
「っ――」
「話の途中で、何たる卑怯」
 何の前触れも無く、攻撃を仕掛けてきた奴のいう事では無い。だがその矛盾には気付いてさえいないのか、怒りに真っ赤に染まった牛頭鬼の顔は憎悪に燃えていた。
「朱天の手を煩わせるまでも無い。お前は俺が殺して、骨の髄まで喰らい尽くしてやる……!!」
 衝撃程の傷は負っていない。雷歌は表情を引き締めて立ち上がった。
「誰が、貴様なんかに。貴様も朱天童子も、私が討伐してやるわ……!!」
「……聞き捨てならん。お主如きに朱天が倒せるものか。無論、我等をも」
牛頭鬼が屋根から大地へと飛び降り、その傍らに馬頭鬼が並び立つ。

――風が、吹く。それは、雨の匂いを帯びていた。


◆◇◆

「…はっ……はっ……」
 荒い息を吐き出しながら、雷歌は弓を構えた。破魔矢の最後の一本は、二鬼になど使っている場合ではない。
 最初こそ遅れを取ったが、多彩な技と俊敏性を持って、二鬼の身体はボロボロであった。牛頭鬼の右足は膝から奇妙な方向に捻じ曲がり、その右目からはどす黒い血が流れ出ている。金棒はすべらかな断面で二つに分たれていた。馬頭鬼の腹には拳大の穴が開き、穴の周りは焼け焦げ今尚煙が燻っているのがわかる。
 雷歌はとすれば、背に大きな傷を負った。かなり深いのだろうと思う。背中から袈裟懸けに切られたのだ。腕を動かす度に激痛が走る。術ならば耐性もある。しかし、直接的な攻撃には耐えうる余力はもう無い。まだ体が動く間に、朱天童子をどうにかしなければ。
 例え滅す事は出来ずとも、せめて一度。
 城の最上階の外廊に、朱天童子の姿はあった。外廊の格子に肘をつき、時々退屈そうに欠伸を漏らしている姿は見えていた。その目が自分と二鬼の死闘を観察している事も、途中からわかっていた。
 鬼人の行動を【自己犠牲】だと人は言うけれど。
 例え無駄だとわかっていても。それが無駄死ににしか思えなかったとしても。忠誠心を植えつけられ形成された人格でも大切な事は知っている。
 これはきっと何より意味のある――。
 矢弦がギリリと限界まで引き絞られる。霞む視界の先の朱天童子目掛けて、雷歌は矢を放った。

『 愚 か な 』

 朱天童子の唇が嘲笑を浮かべる。
「朱天!!これは我等が……!!」
 懇願する牛頭鬼の言葉に、朱天童子は首を振る。そして、冷たい双眸を持って雷歌を見下ろした。雷歌の放った矢は彼に届く前に霧散して消える。
 彼はただ、指を空に滑らせただけだった。

『 獄 楽 往 生 炎 獄 術 ・ 夏 狂 乱 宴 』

 朱天童子の唇がそう呟くのが分った。背中に冷たい戦慄が走る。
 その術は――。
「――ッキャア……ッアァアア!!!!」
五行陰陽、最高位の超高範囲系蔭術。計り知れない熱を持つ地獄の業火が、己の周りに突如として巻き起こった。同属性の攻撃であったとしても、それは耐え難い苦しみだった。内臓が焼け焦げる。体の中から何かが溢れる。
 激痛にくず折れた雷歌に、非情な声は続ける。

『 牛 頭 、 今 、 彼 奴 を 殺 さ ず し て … ど う す る ? 』

 頭に直接語りかけてくるような感覚。雷歌の苦痛に耐える身体さえ、その言葉を捉える。
 嫌だ。死にたくない。
 死にたくなんてない。
「ふ……ぐっ……」

『 大 し た 生 命 力 の 持 ち 主 だ 。 そ の 体 で 立 つ と は 』

 朦朧とした意識化で、どうやって動けたのかは雷歌にもわからない。ただ声の主がそう言うのだから、自分は立ち上がったのだろうとそう思った。

『 ど う し た 、 牛 頭 。 お 前 に 華 を 持 た せ て や ろ う と 言 っ て る の だ 』

 声は尚も言い募る。けれど最早、雷歌がそれを正しく認識する事は出来なかった。雷歌の意識はそこで閉ざされ、後はただ、暗い深遠へと落ちていく――。


◆◇◆

 私は、死ぬのだろうか。
 ソウ。死ヌノダロウ。
 こんなに簡単に、終わってしまうのか。
 ソウ。生命トハコンナモノ。
 

 ――本当に?

 意識となった体が大きく震える。魂が悲鳴を上げているのがわかる。

 嫌だ嫌だ嫌だ。
 まだ死にたくない。まだ死ねない。まだ何も――何も。
 成せていない。見つけていない。私はまだ、死にたくない!!

 赤く爛れた体が死んだように横たわる姿が足元にある。雷歌は必死に手を伸ばした。

 壊れる。壊れてしまう。今このまま死んでしまったら、私の魂は壊れてしまう――!!
 私はまだ!!!!

 必死に伸ばした腕は、それでもまだ届かない。知らず知らずの内に涙が溢れ出し、止まらない。

 嫌だ――!!!


【――生きたいか……?】

魂と体、分離したそれ以外には闇のみが広がる世界に、流れる水のような清廉とした声が落ちる。不思議に揺れながら、遠のき、かと思えば近づく。

【お前は、生きたいか……?】

【例え苦しみ悲しみ、失うばかりの日々だとしても?その手に何も掴めぬとしても?】

 問いかけてくる声に、雷歌の魂はきょとんと首を傾げた。
 それは愚問だ。未来とは不確かなもの。保証など何も無い。だから楽しい。だから生きたい。手を伸ばして自分で掴んで、苦しんで悲しんで失って、それでも何かを得て。未来など何もわからないから、だから生きていたい。
 
【生を望むか……?】

 雷歌はその声に、力強く頷いた。

【では、くれてやろう――】

 火が。暗闇の中に、大きな大きな炎が燃え盛っているのだと思った。先程受けた恐ろしい思いに、僅かに体が震える。もしかしたらこれも、あの術の続きなのではないかと。全ての記憶さえ焼き尽くそうと、魂さえ消そうとでもいうのではないかと。
 だからそれが、炎を纏った巨鳥だと分った時、ただただポカンと口を開けるしか出来なかった。

【我が名は不死鳥。永劫なる時を生きる者。――お前に、聖獣なる我の加護を――】


◆◇◆
 
 次に目を開けた時、そこには見慣れない天上があった。太陽の光を受けた室内は明るく、雷歌は陽光を感じながらぼーっと白い天上を見つめていた。
「あ、起きたのね!?」
 視界に現れた知らぬ顔に、体が大きく跳ねた。
「っ」
 着物の内に隠し持った武具に手を伸ばそうとしたが、激痛に顔が引き攣る。そこで雷歌は指先の動きさえ痛みを伴う事に気付いた。
「ご、ごめんね!!驚かせた?貴方、酷い火傷と刀傷で、生死の間を彷徨っていたっていうのに……」
「や、けど……?」
「喋らなくていいの!!」
 女が、唇に人差し指を立てて微笑んだ。快活そうな笑顔だ。
「貴方、多分異世界から来たのよね?ここが何所だかわかる……?」
わからないわよね、と続けて女は一瞬考える仕草をした。
「ここは聖獣界ソーン。貴方みたいな異世界からの来訪者と多様な種族が居てね、暮らしている所なの。私はルディアで、ここは白山羊亭というんだけど」
 聖獣。その言葉に、記憶が蘇る。
 そう。私は――。死にいく身体を生かされた。あの、不死鳥と名乗った火の鳥に。夢ではないのだと、身体に走る痛みが教えてくれる。
「この世界の事はおいおい覚えていけばいいと思うわ。まずは身体を治す事が先決……。ね?……と、眠い……?」
 襲ってくる睡魔に、雷歌は素直に頷く。目覚めた数分すら、かなりの体力を消耗する気がする。とにかく、何も考えられない事は確かだ。
 名乗ってくれた女には悪いが、その名前すらもう記憶の彼方。ただ今は――。


 生きている事を、喜べればいい。



FIN