<東京怪談ノベル(シングル)>
飛翔機獣と風の巣
−1− 空の旅
【かつて機獣遺跡で機獣と友好を持ったオーマ。彼はその遺跡で発掘された飛翔機獣に乗り、腹黒イロモノうっふん親父ラブなドサ回りの旅に出ていた。腹黒同盟普及行脚である。天空を飛翔する過去の文明遺産に搭乗して……楽しいはずの旅なのに、不穏な予感がオーマに迫っていた】
「どーもどーも、腹黒同盟ですー」
オーマ・シュヴァルツはいま、空を飛んでいた。
失われたはずの過去の遺産……飛翔機獣に乗って。
普段の生活では見ることのできない、機械的、金属的な装飾がオーマを取り囲んでいた。
「わたくし、イロモノ変身同盟総帥・腹黒同盟総帥をやっております、グレイトマッスル親父こと、オーマ・シュヴァルツと申します。えっ? イロモノって何かわからない? 腹黒同盟を知らない? ハハハ、そんなあなたのために、わたくし、こうして各地を訪ね回りながらパンフレットを配布させてもらっているわけですよ、ええ、ええ。ハッスルマッスルうっふんパワー全開全壊〜! なんつってね。どうぞどうぞ、興味がありましたら、エルザードにお越しの際にはぜひぜひ本部へお立ち寄りくださいね―― 」
ハスキーな裏声を使い、笑顔を炸裂させつつ、飛翔機獣の乗客たちにパンフレットを配っていくオーマ。
同盟を普及させるための、地道な活動だった。
そして半分は慰安旅行であり、またその半分はこのソーンという世界の謎を探るための研究旅行だった。
彼だって、いろいろ考えているのだ。
家事のことから、医療のこと、世界の成り立ち、自分の生い立ち、妻子と仲間、ウォズと具現能力、そして麗しい女性……。
空飛ぶ船の乗客のみならず乗組員にまでも無理やりパンフレットを押しつけて自分の席に戻ってくると、オーマの隣りには妙齢な女性が座っていた。
たまたま乗り合わせた、座席のお隣りさん。
彼が飛翔機獣に乗り、真っ先に勧誘した相手である。
オーマは、彼女のことを知っていた。相手も、オーマのことを知っていた。
吟遊詩人の、カレン・ヴイオルドだった。
いつも天使の広場で美しい音色を奏でている、音と声の詩人。
絶世の美女。
いままで特に親しく言葉を交わしたことはなかった。街で挨拶する程度。今回、偶然にも過去の文明遺産に隣り同士で乗り合わせたというわけだった。
座席にドッカリと腰を降ろすと、その振動でカレンが手にしているハープが、ポロロロン、と音をたてた。カレンはクスクスと笑う。
「配り終わってきたよ、ふぅ」
「お疲れさま、オーマさん」
「いやぁ、この飛翔機獣ってのは揺れるね。俺は少々のことではヘコタレナイつもりだったけど、なんつーか、ちょっとドキドキしてる。冷や汗が」
「オーマさんが恐がってるの? へぇ〜」
「俺だって無敵じゃないんだよ」
本当は完全無欠のマッスルビートで恐いものしらずなのだが、カレンに弱みを見せようと考えるあたりが腹黒総帥の本領発揮だった。
「カレンさんは、その窓から外を見て、恐くないのか?」
カレンが、その透きとおるような瞳で、オーマを見つめた。
「さん、なんてつけないで。カレンと呼んでくださいな」
「……! いいの?」
「ええ」
「……じゃ、じゃあ……カ、カリン!」
「カレンです。カリンじゃなくて」
窓の外には、青い空が広がっている。
そして、緑の大地を抜けて、いまは大海へと航路をとっていた。
どこへ行こうというのか。
「あれ?―― 海」
窓から外を見たカレンが、不思議そうに言った。
飛翔機獣が、大地を離れつつあったのだ。
「オーマさん、なんだか変じゃないですか?」
「え? わかっちゃった? 俺のこのネグセ、なかなかとれなくて」
「そうじゃなくて。この空の船、なんだか違う場所に向かってるような……すでに、一面、海です」
「なんだって!?」
「どんどん、遠くへ行ってます」
「バカな」
ガクンッ!
そのとき、轟音とともに、飛翔機獣が大きく揺さぶられたのだった。
−2− 堕天獣
【ユニコーン地域外には、人の踏み込んだことのない場所がたくさん存在する。ソーン創世の謎が残るのではないかと思われる遺跡、洞穴などが点在しているといわれている。オーマの乗った飛翔機獣が不時着したのも、そんな場所だった。広大な砂漠の中に彼らは取り残されたのだ。そして……】
オーマが席を立ち、機長のもとへ確認に向かおうとしたときには、すでに遅かった。
飛翔機獣は乱気流に巻き込まれたのか、大きく高度をさげ、迷走飛行を続けた。
機体が激しく揺れ、まるで甚大な地震のなかにいるようだった。
衝撃により、機獣の一部が破損。内部の気圧が下がり酸欠状態に陥り、多くの者が意識を失った。オーマですら、最後の力で「命の水」という魔法を使うのがやっとだった。
それにより、墜落した場合でも人的被害は最小限度で済むはずだった。
そして、気づいたときには、一面の海が、一面の砂漠へと景色を変えていたのだ。
「カレン、大丈夫か?」
「うーん」
「傷は負っていないようだな」
オーマは立ち上がり、他の乗客たちの様子をみていった。
一人一人確かめると、どうやら大怪我をした者は奇跡的にいないようだった。
そして、開け放たれた扉から機獣外へ出た。
「ここは……」
オーマは、砂漠を見渡した。
どこまでも続く、黄色い砂。
かなり強い風が吹いていて、サラサラと砂を運んでいく。
砂の上に風紋が刻まれ、空からは照りつける太陽。
そして、そこに横たわる飛翔機獣の姿。
それほど巨大なものではないが、もともとどういう仕組みで飛行するのかすらわかっていないため、いまのこの状況がどういうものなのかも彼には理解できない。
翼から黒い煙がでていた。
空から墜落してみんな無事だった、ということだけがオーマの知ることだった。
「砂漠……ね、オーマさん」
意識を回復させたカレン・ヴイオルドが機を降りて、オーマのところまでやってきた。
手にはハープをしっかり握り締めている。
「ああ、砂漠だ。だけど、どこの砂漠なのか、俺にはさっぱりわからん」
「わたしね、見たの、オーマさん」
「見た? 俺のネグセ?」
「だぁかぁらぁ!」声を荒げている自分に気づいて、カレンは恥ずかしそうに顔を伏せた。「そうじゃくて、見たのは、鳥です。それも、ものすごく大きな」
「いつ?」
「この飛翔機獣が不安定になる前。揺れだす前に、窓の外で見たんです」
「どんな姿だった?」
「鳥なんだけど、人の頭があったような―― 」
「ひと?」
「はっきりと覚えてるわけじゃないんです。だけど……わたしは、ガルーダのことを思い出しました、その姿を見て」
「ほう。守護聖獣のひとつ、ガルーダ、霊鳥だな」
「はい。人に似た肢体を持つ、巨大な鳥。風の使い」
「俺たちの飛翔機獣が落ちたことと、何か関係があると思うかい?」
「そこまではわかりません」
「しかし、その鳥が見えてから墜落したんなら、タイミングが良すぎ―― ぐあああ!」
オーマの言葉が終わらないうちに、突如、砂漠がうごめきだした。
オーマとカレン、そして飛翔機獣をも巻き込んだ辺り一面の砂が、グルグルと渦を巻きつつあった。
二人はバランスを崩して、その場に倒れた。
「きゃあ!」
「おいおいおい、今度はなんだぁ」
「オーマさぁぁん、砂が……砂が」
「ええい! これはヤバいぜ」
渦を巻いた砂が、地面の底へ吸い込まれようとしていた。
まるで蟻地獄のように、砂ごと飛翔機獣が飲み込まれようとしているのだ。
「カレン、機内へ戻れ!」
「ダメです―― 足が動かない」
「俺につかまれ! 手を―― 」
オーマは一歩動くごとに、どんどんと砂の大地へ飲み込まれていった。
乾いているはずの砂なのに、足取りは湿地の沼のように重い。
膝、腰、胸、とオーマの体は砂に埋もれていく。
「くそっ。カレン! どこだ?」
そして。
砂の大地は飛翔機獣を完全に飲み込み、再びもとの茫洋とした砂漠に戻っていた。
何事もなかったように。
−3− 守護三獣
【飛翔機獣は空からだけでなく、砂の大地からも墜落した。どこまでもどこまでも。そしてオーマたちが再び見た景色は、原始の無骨さを持つ洞窟だった。オーマ以外の乗客たちはの姿はどこにもない。途方に暮れるオーマ。そして洞穴の奥からは得体の知れない波動が漂ってきていた】
シンと静まり返った、巨大な洞窟の中だった。
ほのかに明るい。どこからか青白い光がやってきているようだ。
気がついたときには、すでにオーマ・シュヴァルツはそこに立ち尽くしていた。
天井を見上げる。
そう、天井がある―― 驚くほど高い、地下の大空洞。
俺は、なぜここにいるんだ?
オーマは少し、混乱していた。何のために、ここにいるんだったか?
「マッスルー」
不意に彼の口から発せられた言葉は、常人にとっては突拍子もない、しかし彼にとっては日常最頻出単語の1つだった。
『マッスルー……マッスルー……マッスルーー』
彼が口にした言葉は、洞穴内で反響を繰り返し、どこかに消えた。
その結果に満足し、オーマは次の言葉を発しようとした。
「メロメロー」
しかし、彼がその言葉を口にしようとした瞬間、視界に異様な光景が飛び込んできた。
「あっ、なんだ!」
そこには、ソーンの民が飛翔機獣と名づけた、空飛ぶ船がガラクタとなって横たわっていた。
一機だけではない。
あるものは朽ち果て、あるものは完全にバラバラになり、それこそ数限りない飛翔機獣が辺り一面に散乱していた。それに気づかずにやまびこ遊びをしていた自分に腹が立つほどだ。
その光景で、マッスル親父・オーマは我に返った。
そして、旅の目的や隣席のカレン・ヴイオルドのことを思い出した。
「カ、カリン! どこだ、カリンっ!」
カレンです、という冷静なツッコミはどこからも返ってこなかった。
オーマが乗ってきた飛翔機獣も、どこにあるのかわからない。
オーマはひとり、地下の洞窟に取り残された。
たくさんの、ひとりぽっちな時間が流れた。
何も起きないし、誰もいない。
乗客たちも、機長も、カレンもいない。
クヨクヨしていても仕方がないと思ったオーマは、自分を元気づけるために、ときどき歌を歌った。
オハコの『腹黒親父ここにあり』を筆頭に、『愛のマッスル・腹筋編』『シュヴァルツ総合病院の院歌』『セクシープリティダイナマイツ』『オーマイオーマ』『ウォズのレクイエム』『メロキュンハート』などの持ち歌を熱唱した。洞窟内が反響するので、歌うにはもってこいなのだ。歌いすぎて、喉が枯れてきたほどだ。
しかしそれにも飽き、何の変化もないことを知ると、オーマは歩き出した。
光に向かって。
そう、普通ならここは真の闇であるはずなのだ。
視界に何も映らないはずなのだ。
しかし、洞窟の奥からは、原因はわからないが光が漏れている。
オーマはそこに向かって、機体の残骸をかき分け、歩いていった。
とっておきの歌『シュヴァちゃんと呼ばないで』を口ずさみながら。
「むぅ!」
どれくらい歩いたことだろう。
光の差す方角から漂う、重量ある波動にオーマは足を止めた。
「ヤバい、ヤバすぎるぜ」
なんだか目を開けていられないほどの、怪しげな光のオーラがビシビシ飛んでくる。
これ以上ひとりで進むのは危険だった。それはオーマには直感でわかった。
ウォズの波動、ではない。
これは、何か、ソーン創世に関する秘密だ。
見たが最後、二度と戻れない予感がオーマを襲った。
知ったが最後、生きてはいられない恐怖がオーマを包んだ。
「あ、そうだ! 忘れてたっ」
彼にアイデアが閃いた。オーマには具現能力があるためにこれまであまり使う機会がなかったのだが、彼もソーン世界に生きる者として、聖獣や召喚獣の加護を受けている。
いまこそ、聖獣たちの力を借りるべきときではないか!
「出でよ、俺を守護する精霊たち!」
オーマが、うる覚えだった呪の言葉を唱えると、それらはやってきた。
風の召喚獣、イーグル(大鷲)とフェンリル(黒狼)!
イーグルは風を巻き込みつつ、鋭い嘴と瞳を煌かせて旋回し、オーマの肩にとまった。
フェンリルは地をその鋭利な爪で掻き跳ね空中回転すると、オーマの膝元にかしこまった。
そして、炎の守護聖獣、イフリート(炎の魔人)!
一瞬、まばゆい炎の明かりに照らし出された洞窟内は、魔人の熱気で煮えたぎるようだった。
瞳は爛々と燃え、吐く息は熱く炎の尾をひいていた。
真っ赤に燃える野獣の躯体と、鬼のような形相、角。
「おぉお、きたきたきたきたきたぜー! 俺様のしもべどもっ」
ぐぉぉぐぅぅという唸り声がイフリートの口からほとばしった。
「我はお主のしもべではない」
「まぁまぁ、かたいこと言うなよ〜。キジ、犬、猿なんだから」
「……サル?」
「別に鬼役でもいいんだが」
「……オニ?」
「気にするな気にするな、ウッハハハ! ここからは、ちーっと危ねぇみたいだから、お前たちの力を貸してもらいたいんだ。頼むぜ」
「お主は、この先に何があるのか、知っておるのか?」とイフリート。この魔人とだけは、どうやら意思疎通ができるようだ。召喚獣たちは、あまりやる気はないようだったが、大人しくオーマに従っている。
「何があるか知らねぇが危なそうだから、こうやって助っ人を呼んだんだろうが」
「風の巣だ」
「ん?」
「我ら聖獣、おのおののサンクチュアリ。ここは、ガルーダの聖地、風の巣である」
オーマは、イフリートの言葉を聞いて、不敵に笑った。
「ほぅ、ガルーダ。まぁたその名前が出てきやがったか。面白くなってきたじゃねぇか!」
−4− 風の巣
【3匹の家来を無理やり引き連れたオーマ一行は、さらに洞窟の奥へと向かう。そこは、聖獣鳥人ガルーダの聖地・風の巣だという。果たしてオーマは、乗客たちを見つけ出し、無事もとの世界へ帰還できるのであろうか?】
トクトク、と早鐘をうつ心臓。
呼吸も荒い。
オーマだって、こういうときは緊張する。
この先に、どんな試練が待ち受けていることか。
光の元に、どんな怪奇が待ち構えていることか。
オーマは、3匹のしもべたちを盾にするようにして、歩を進めていく。
イフリートも、イーグルもフェンリルも、なんでこんな奴を守ってやらなくちゃならないんだと内心思いつつ、守護すべき自分の立場を自覚し、仕方なく彼の護衛役となって前をゆく。
「なぁ、イフちゃんよぉ。ガルーダ、ってどんなやつ?」
「……ガルーダ。彼女は―― 」
「彼女? 女なのか?」
「卵を産むのでな。風の巣は、ガルーダの産卵場所である」
「産卵! おいおい、聖獣ってのは、永遠に生きるんじゃねえのかよ?」
「場合による。風は、その役目を終えると儚く消える身。役目を継ぐ者が必要だ」
「ほう……。ってえと、お前はどうなんだ? あれか、ムンムンな男なのか?」
「我は絶えざる炎。世界恒久の業火である」
「よくわかんないな。かっこつけてないか?」
「……さらば」
「うそうそ、イフちゃん! 機嫌直して」
イフリートのため息は、炎を宿す。
「お主の乗ってきたもの―― あれは、古代の遺跡からのものであろう」
「ああ」オーマは頷く。「過去に滅びた、機械文明の遺産だってよ。チビッちまうほど、すげぇよな。空飛ぶんだぜ。昔のほうが、よっぽど便利だったってことかな」
「お主は、その機獣が何に使われたものなのか、知らぬのだ」
「ん? なんだってんだ?」
「古代の民は、その機獣で、ガルーダの卵を狙ったのだ」
「なんだって? なぜ?」
「古代の民は、風の力を欲した。ガルーダの卵には、その力がある。古代の民は、卵の力を使って、天空を目指したのだ。空に城を浮かべるため……あるいは、もっと高き空を目指すため」
「ほぇ! なんだ、そりゃ。ガンガンにすげぇ話だな」
「多くの機獣は失敗し、この砂漠に沈んだ。お主も見たであろう? お主たちが飛翔機獣と呼ぶ物体たちの残骸を」
「ふむ、なるほど」
「ガルーダの怒りに触れたのだ。そして今回も、機獣は設定された任務を遂行するため、自動的にこの地へ向かってしまった。そして、ガルーダの怒りに触れ、墜落した」
「で、俺たちはいま、こうしてるってわけだ」
そのとき、聞き覚えのある音色が、歩き続けてきたオーマの耳に届いた。
「ハ〜イ! オーマさ〜ん」
洞窟は、大きな広場のような場所へとオーマたちを導いた。
広場の中央では、青い炎が焚かれ、それを何者たちかが囲んでいる。
「どこいってたのよー。待ってたんだから〜」
「あ! カレンじゃないか!」
オーマと、飛翔機獣の乗客たちとの再会は、こうしてあっけなく遂げられた。
青い火の回りにいるのが、乗客たち。談笑し、飲み食いしている。
まるで、キャンプファイアーかお祭りでもしているかのようだ。
顔を火照らしたカレンが、グラスを片手に立ち上がり、やってきたオーマの腕に抱きついた。どうやら彼女にはオーマのしもべたちの姿は見えないようだ。
「もう、これって、あたしをジラす、さくせぇ〜ん?」
「うっぷ。酒くせぇ! どうしちゃったんだよ、カレン」
「えぇ〜? 酔ってるぅ? 酔っ払ってますよーだ。フフフ……」
「いつものカレンじゃねぇ―― 。でも、なんだかドキドキ」
「一緒に飲みましょうよぉ。それとも、あたしとじゃ、お・い・や?」
誘惑に負けそうになるオーマの耳元に、イフリートが熱く囁いた。
「油断するな。これは罠である」
「うわぁ、アチチっ! 息が熱いんだって、イフリート! 耳たぶが焦げるじゃねぇか。わかってるって、俺はこういうことには百戦錬磨のツワモノだ。マッスルビートイロモン親父をナメんな。惑わされねぇよ」
ほんとは、もうどうなってもいいやと思い始めていたのだが、その事実は胸にしまう。
「カレン、ガルーダのやつがどこかにいるんだろう? お前たちは、彼女に幻惑されてるんだ。目を覚ませよ。酔いを醒ませよ」
「な〜に言ってるのぉ。あたしのこと、お・き・ら・い?」
「好きです」
イーグルがオーマの頭を嘴で連打し、フェンリルが彼の足の脛をかじる。
「イテテテテ! わ、わかってるって。これは俺の作戦だ。騙されたフリをして、騙してやるのさ」
「もう、さっきから独りでブツブツと。オーマさんなんて、しらな〜い」
「待って、カレンちゃん!」
「今日は、卵が孵る、お祭りなんだよ。祝ってくれないなんて。ブーっだ」
「卵が、孵る?」
よく見ると、中央で燃えていた青い炎は、卵型をしていた。
その回りを、魅了された乗客たちが取り囲み、ヤンヤヤンヤと囃し立て、踊っている。
「ハハーン、それか、例のガルーダの卵ってやつは」
ついにオーマは、その具現能力を使って、巨大な銃を出現させた。
聖獣あるいは卵にこの武器が有効かどうか不明だが、使ってみるしかない。
「イフリートっ! イーグル、フェンリル、配置につけ! 出番だぜ」
「……配置とは?」
少々間の抜けた返事をする家来たちとともに、戦いの瞬間が迫る。
−5− 風々流転
【ガルーダの聖地・風の巣で卵を見つけたオーマ。幻惑された乗客を救うべく、守護三獣と共に決戦に挑む】
ピキ―― 。
ピキピキピキ―― 。
広場中央に祭り上げられている青い炎……ガルーダの卵に、ひびが入った。
「生まれるぞー」
誰かが叫ぶ。
オーマは照準を合わせ、聖獣御三家は意気込んで構える。
刹那の間。
ドンッ。
ガルーダの卵は、その瞬間、凝縮されたタイフーンがにわかに解き放たれたように、ものすごい爆風を周辺に撒き散らした。
「ぐああああっ」
オーマはもとより、魅了された乗客たち、カレン、そしてイフリート、イーグル、フェンリルまでもがその強烈な暴風によってその場から吹き飛ばされた。
「くそっ。ああ! イフリート、お前、体の半分、炎が消えてるぜ! 大丈夫か?」
「む……不覚」
「なにが絶えざる炎だよ、ったく」
激烈な風は容赦なく洞窟内の空気を撹乱させ続ける。
オーマは両手両足をついて、地べたにへばりついているのがやっとだった。
具現させたガンも、衝撃で集中力を失い、どこかへ消えていた。
そして―― 。
嵐が収まったとき。
そこに、ガルーダがいた。
白く清らかな翼をまとい、色のない瞳で微笑む、大きな妖精。
ガルーダは宙に浮かび、フワフワとそこに存在した。
しばらくの間、起き上がった者たちは呆然とその姿を見つめていた。
「あれが、ガルーダか……」
オーマは我知らず、ガルーダのほうへ近づいていった。
初めて見る、聖獣本来の容姿。
自己を守護するイフリートだって、これはコンパクトサイズのもので、本来の姿ではない。
「なんて……なんて美しいんだ」
オーマはガルーダから目を離さず、ゆっくりと無意識に歩み寄っていく。
それはたしかに、幻惑だ。
彼は魅了されている。
完全に。
しかし―― 生の、美というものに彩られた、幻惑。
抵抗できない。降伏するしかない。
聖獣の存在それ自体が、オーマを浄化し、畏怖させ、敬服させる。
本物だった。
本物が、そこにいた。
彼は、手を伸ばした。
微かに指が震えていた。
その美に触れたい、という魂の奥からの欲求。
「記憶は、わたしが継ぎました」
柔らかな、風。
まるで赤子の瞬きのような。
「オーマ・シュヴァルツ」
誰かの、声。
優しい波動。
「……はい」
指の先が、空に舞うガルーダの羽根の一部に触れた瞬間、体中の血を吸われる思いがした。しかしそれは痛みではなく、極上の快楽だった。オーマの中にあったすべてのものが彼女に知られてしまったのだ。
ガルーダから一枚の羽根が落ち、それが地面に着地するまでの間に、すべてが終わった。
戦いも。
応酬も。
銃も炎も、何も必要なかった。
最初から決まっていたのだ。
守護聖獣を理解するには、まだ早すぎる。
「オーマ・シュヴァルツ。あなたの気持ちは、すべて理解しました。ここから去りなさい。他の者たちも、安全に国まで送り届けましょう。その羽根が、あなたたちを眠らせるでしょう。夢が覚めるころには、一陣の風が国に吹くでしょう」
夜―― 。
聖都エルザードの郊外。
ガルーダの予言通り、一陣の風が吹き、そこにオーマと乗客たちの姿があった。
突然、哀愁の音色が耳に届いた。
カレンが、ハープを使って一曲、奏でていた。
天空に、星。
地上に、人。
そのあいだに、心地よい風と音楽があった。
「オーマさん」
夢心地のまま、彼は、おう、と答えた。
「オーマさん? 旅は終わりましたか?」
俺を目覚めさせないでくれ、と彼はつぶやいた。あの美に、酔っていたいんだ。
そのつぶやきは、誰にも聞こえなかった。おそらく、風の守護精、ガルーダ以外には。
後日、オーマは自分の持ち物がなくなっていることに気づく。
彼らを風の巣からこの地へ運んできた一陣の風は、オーマが持っていたパンフレットを通り道に撒き散らしてきたのだ。
ある日、空から、腹黒同盟のパンフレットが、降ってくる。
その理由を知る者は、ほんの少ししかいない。
<了>
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