<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


□■□■ 迷宮までお使いに ■□■□


「誰かお使いに行ってくれない? フルコースのタダ券あげちゃうからっ!」

 ルディアの声が響く、閉店間際の白山羊亭。
 ステージの上で軽やかなステップを披露していたレピア・浮桜は、その足を止めてカウンターを見た。可愛らしい三つ編みを揺らせて辺りを見回しているルディアの元へと駆け寄り、肘を付いて彼女を覗き込む。

「あたしが聞いてあげましょうか、ルディア?」
「ほんと、レピアさん?」
「うんうん、可愛い女の子のお願いなら、おねーさん何だって聞いちゃうんだから♪ それで、何を頼まれれば良いのかしら?」

 ずしゃ。
 ルディアはずっこけ、それから苦笑してレピアを見上げる。

「あのね、実は料理酒が切れちゃって、それを取りに行って欲しいの。今日はもう閉店が近いからどうにか誤魔化せると思うんだけれど、流石にそう日はもたないと思うし……向こうに届けてもらうように頼むと、三日は掛かっちゃうの。だから行って欲しいな、って――」
「ああ、なるほどね? んー、それじゃあもう出発した方が良いわよね……あたしは夜しか動けないし。あ、それって地図よね? 貰っていくわよ」
「あ、れ、レピアさんっ!」

 ひらり、ルディアの手から地図を取ったレピアはステップを踏むように軽やかな足取りで玄関に向う。そこには鼻歌すら混じっていた。踊りや歌を心から愛する傾国の踊り子は、くるりと振り向いてウィンクをしてみせる。

「た・だ・し、御礼はフルコースのタダ券じゃなくて、ルディアのキスだからねっ」
「れ、レピアさん!! あ……行っちゃった。もう――絶対迷う森の向こう側だから、気をつけてねって言おうとしたのに……あ、帰ってこなかったらエルファリア様になんて説明しようッ!?」

■□■□■

 レピアは呪いのために、夜しかその身体を自由に動かすことが出来ない。昼間、否、朝日が昇ればその陽光によって石に変えられてしまうのだ。見た目はただの石像、記憶も何も判らず、気付けば知らない場所にいることなどよくある。だからこそ彼女は朝を恐れ、夜をこよなく愛する。自由でいられる時間を、こよなく愛する。
 幸い現在の持ち主であるエルファリアは彼女を手放そうとはしていないが、どこか外で石の姿になってしまえばそれまでだ。誰に持ち去られようが何処に運ばれようが、彼女は一切関知できない。だから行動をする時は、どうあっても夜の内に全てを済ませて別荘に帰らなければならない――のだ、が。

「んんー……あーもうっ、判んないじゃないのようっ!」

 しゃらん、と装身具を鳴らしながら、レピアは腕を振り上げた。
 夜の森は鬱蒼としていて、どこか不気味な様子がある。だが呪いを掛けられて数百年、ほぼ夜の世界しか知らない彼女にとっては、闇など恐れるべきところではなかった。ただの森である。夜陰に乗じて襲い掛かってくる魔物も居ないわけではなかったが、それは踊りの稽古で幼い頃から鍛えられている脚線美と、それが誇る蹴りで一蹴できた。闇よりも魔物よりも、彼女にとって恐ろしいのは朝日である。それ以外など眼中に無い。

 だが現在、ある意味で朝日よりも恐ろしい現象に彼女は立ち向かっていた。
 迷子である。

 細い指先には、ルディアから渡された地図が握られていた。だがそれはあくまでも、エルザートから森までの道筋でしかない。肝心の森の中の道順など、書いてはいないのだ。勿論森の中に道などない――何よりも。

「なんなのよ、『forest of rabylinth』って――」

 forest of rabylinth――迷宮の森。
 地図の中、森にはそんな名前が付いていた。彼女もエルファリアから聞いたことがある、王都の東に位置する絶対に迷う森。その昔妖術師によって呪いが施され、一度入り込めば三日は出ることが叶わないとか――思い出し、彼女はゾッとする。
 三日。日が昇り沈むのを三度繰り返す間、ここを彷徨う。その間に誰かに見付かったり、運ばれたりしたらと考えれば――それは、何よりの恐怖だった。

 早くここを抜けてしまわなければ、早く帰りつかなければ。楽しい方向に物事を考えようと、彼女は色々なことに思考をめぐらせた。ルディアから貰う予定のキスのことだとか、いつも石像の肌を撫でてくれるエルファリアだとか、掃除をしてくれるメイドだとか。
 とにかく早く抜けたい、彼女の願いも虚しく時間は過ぎていく。
 元々白山羊亭を出た時間からしてまずかった。白山羊亭の閉店は午前二時である。その直前だったのだから、夜も真ん中は過ぎていた。ただでさえ足りない時間は、なおの事足りない。夜が明けてしまったら――否、それは考えない。考えてはならない。
 しゃらしゃらと彼女の装身具が鳴る。長い髪が夜風に靡く。それが、夜風である内にすべてを終わらせなければ。早く帰らなければ。

 森はどこまでも続く。方向感覚がおかしくなってしまうそうなほどに、同じ景色が連続していた。休んでいる暇は無いと思いながらも、彼女は木の幹に手を付いて息を整える――脚が少し痛んだ。

「……あぁもう、キス二つは貰っちゃうんだからっ」

 空元気でそう呟くが、顔を上げて彼女はギクリと身体を震わせる。
 闇が裂けてくる。薄っすらとだが、空が白んで来ていた――夜明けが近いのだろう。
 こんな所で石になっては堪らない。レピアは必死に脚を動かし、半ば我武者羅に走り回った――が、やはり景色は変わらない。否、ゆっくりと明るくなっていく。視界が拓けるごとに、レピアの背中に浮かぶ汗は増していった。疲労によるものではなく、焦りによるそれ。

 早く行かなければ、早くしなければ。石になってしまう前に、途切れてしまう前に。

「きゃあぁあぁああッ!!」

 突然響いた悲鳴に、彼女は脚を止めた。
 が、加速度が付いていたので完全には止まれない。殺せなかった勢いを流して、彼女は反射的に身体の向きを変えていた。

「悲鳴――女の子、の?」

 勿論、悲鳴の聞こえた方向にである。
 職業柄音楽――もとい、音には多少敏感だった。だから悲鳴がさほど遠くから聞こえたものではないことも彼女には判っていた。

 不意に開けた場所に到達すると、そこにはへたり込む少女に今にも襲い掛かろうとしている――魔物の姿があった。

「あ……ぁ、た、たすけっ」
「言われずともッ!」

 突然のレピアの出現に気を逸らした魔物の横顔に、レピアは飛び蹴りを食らわせた。
 走ってきたために勢いは抜群である。飛ばされた魔物を眺めながら、レピアは自分の背中に少女を隠した。柄杓の入った桶を傍らに転がし、へたり込んでしまっている――逃げられる状態では、ない。空の白みは増して来ていた。こうして動ける時間も、もう限られているだろう。その間に目の前の魔物を片付けなければ。

「ねぇお嬢ちゃん、立って逃げたりって出来ないわよね」
「あ、ご、ごめんなさッ」
「謝らないのー、可愛い顔が台無しよ?」

 蹴り飛ばされて痙攣していた魔物が、身体を起こした。致命傷を与えなければ、逃げてもすぐに追い付かれてしまうだろう。せめて気を失わせなければ。ふぅ、と、レピアは息を吐き――整える。

「お助け賃はキス一つなんだから、ねッ!」

 襲い掛かってくる魔物は、少女ではなくレピアを狙っていた。恨みもあるし食いでも良さそうだからだろう。丁度良い、レピアはふっと眼を細めた。
 ゆらりと身体を動かし、残像を置く。右、左と同じように繰り返せば、魔物は戸惑うようにそれらを見比べた。首を振って混乱している様子――は、少女も同じである。クス、と笑みを漏らして、レピアは少女を抱え上げた。

「ひ、ひゃんっ」
「しぃ。ちょっとこっちの陰に隠れててね、すーぐにお姉さんが気持ち良く片付けてあげるから――」
「は――はいッ」
「ふふ、いい子ねっ」

 軽く少女の額にキスを落とし、彼女は再び魔物に向き合う。残像のすべてに襲い掛かった後で、それはやっと本物のレピアの方に牙を向けてきた――が、そのターゲットは彼女の数歩前に置かれた残像だった。
 眼前で無防備になったその姿に、彼女は軽やかなステップで間合いを詰める。

「ッ、は、いッ!」

 呼気に合わせ、その胴体を蹴り上げる。
 内臓を的確に圧迫されたのだろう、魔物は吹っ飛び――動かなくなった。
 そして、彼女も同時に。

「あ――お、ねえさん?」

 木の陰から出て来た少女が見たのは、脚を高く掲げて勇麗な様子のまま石像と化したレピアの姿だった。

■□■□■

 夜が訪れたのだろう。
 目を覚ましたレピアは、ガバッと身体を起こした。と言うのも、彼女がベッドの上に寝かされていたからである。見覚えの無い天井に混乱していると、部屋のドアが開けられ――そこからは、今朝の少女が姿を現した。レピアの眼が覚めていることに笑みを浮かべた少女は、すぐに大声で父母を呼ぶ。どうやらここは、少女の家らしい。

「いやはや――本当に、助かりました。娘を助けていただきまして」

 丁重に礼を述べる父親に、彼女は少し照れた笑いを見せる。
 外で開かれた宴、席の中央に彼女は座らされていた。どうやら彼女を歓待するために設けられた席らしい――こういう雰囲気の中では、やはり踊りたくなる。出された酒、グラスを傾ける彼女に、更に父親は続けた。

「ところで、ルディアさんのお使いだそうで」
「へ?」
「手にされていたメモに書かれておりましたから。料理酒はすぐにご用意いたします、御代も結構ですので」
「ってことは、ここが――森の向こうの?」
「はい。……私達は、ちょっとした稀少民族の末裔なので――人々の奇異の眼を避けるために、こういった場所に住んでいるのです。今回はその所為でご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした」
「あ、いいえいいえ、そーゆー事情があるなら仕方ないことだしね。それより、娘さんはどうしてあんな朝早くから森に?」
「朝露を集めて、それを酒に使っているんですよ。子供はそれを集めるのが仕事なんです。いつもはグループで仕事をさせるんですが、どうも逸れたらしくて」
「お姉さんお姉さんっ!」

 ぱたぱた、今朝の少女が駆け寄って来る。レピアが促されて身体を屈めると、少女はにっこり笑って見せた。

「あのね、ありがとうございましたっ」

 ちゅ。
 小さなキスが頬に触れて、レピアは満面の笑みを浮かべる。

「ふふ、こんなに歓迎してもらえたんだから、あたしも御礼をしなくちゃね?」

 ふわりと、彼女は広場に立つ。
 音に合わせて舞うように踊る。
 囃子はやがて、止んでいた。
 音を奏でてすらいられないほどに、その姿は――情熱的な美しさを持っていた。
 音がなくても、それは人々を魅了して止まなかった。

■□■□■

「たっだいまぁーっ!」
「ああっレピアさん!」

 深夜、白山羊亭のドアを開けたレピアに、ルディアが駆け寄る。

「もー、あんな森だなんて聞いてなかったわよ?」
「い、言う前にレピアさんが行っちゃったんじゃありませんか……」
「う。ま、ともかくこれが料理酒ね、ちょーっと重かったわー」
「はい、ありがとうございますっ」

 ちなみに帰りは、村人だけの秘密の地下道を通らせてもらった。村人がエルザートとの行き来をする時は、そこを使っているらしい。森に掛けられた魔術も、さすがに地中までは効かないのだという。
 んふふ、と笑って見せて、レピアはルディアの顔を覗き込んだ。ルディアはキョトンとした顔を見せる。

「お使いから帰ったあたしに祝福はどーしたの、ルディアちゃーん?」
「あ、あぅ……もう、ちょっとだけですからねっ」

 ちょん、と可愛らしい口唇がレピアの頬に触れる。日に二度も可愛いキスを貰った彼女は、御機嫌でステージに向かった。今日も楽しく踊ろう、朝が来るまでに別荘に戻ってエルファリアに言い訳もしなくては――と、ルディアが彼女を呼び止めた。その顔は、心なしか引き攣っている。

「ん? なあに、どうしたの?」
「実は……その、レピアさんが帰って来ないって……」
「うん?」
「奥の部屋で、エルファリア様がお待ちなの……」

 あちゃあ。
 レピアは肩を竦めて、苦笑した。
 天国の次は、地獄らしい。


■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

1926 / レピア・浮桜 / 二十三歳 / 女性 / 傾国の踊り子

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 こんにちは初めまして、ライターの哉色と申します。この度はご依頼頂きありがとうございました、早速納品させていただきます。プレイングが大変丁寧で書きやすく、すらすらと出来ましたが……な、何か妙なところがないだろうかと冷や冷やです; 個人的にはとても楽しく書けるキャラクターでした。何か不都合など(主に姫とか/笑)ございましたら、遠慮なく修正をお申し付け下さいませ。
 それでは少しでも楽しんで頂けている事を願いつつ、失礼致しますっ。