<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


朧なる城
「…ええ、ですからこうして僕のように、あの晴れ渡った秋晴れの如く清々しい気持ちでいられるようになるわけです」
 王宮の庭先で、とうとうと滑らかな口調で話し続ける2人の男がいる。
 御立ち台まで具現化させ、休憩中の兵士をメインに、その奥にはこの国の象徴的人物とも言える、エルファリア王女をも視界に入れて――。
「質問いいですか?同盟入りした際には、恐怖の洗礼が待っているとか噂に聞いたんですが」
 おずおずと手を上げる1人の兵士に、にいっと大きな笑みを向けるは、御立ち台など必要無いのではと思わせる巨躯のオーマ・シュヴァルツ。
「おうおう、誰から聞いたか知らねえがそんなものはねえぜ?俺様もお前さんらも皆ハッピー、てなもんだが」
「…とある女性の言う事は、同盟員なら必ず聞かないといけないとか言う噂は?」
「ふぐっ」
「ああ、それは総帥のみの『義務』ですから」
 言葉に詰まったオーマの代わりにさらりと笑顔で答えたアイラス・サーリアスに、オーマが泣き笑いにも似た表情を浮かべるが、肯定は尊厳にも関わるしさりとて否定も出来ず、
「ま、まあお前さんらには関わりの無い事だからな。そっちの方はまあ、気にするな」
 ほんのちょっぴり上ずった声に唱和するように、にゃー、と言うのんびりした鳴き声が届いた。
 穏やかな日々。
 時折起こるウォズやオーマの関係者とのトラブルもここ何日かは目立った所では無く、その平和さを噛み締めるように、総帥と幹部の2人が口々に腹黒同盟の素晴らしさを説き勧めている。
 そんな、すっかり常連になったオーマとアイラスの布教は、突如上空に立ち込めた暗雲によって終わりを告げた。
 一雨来そうな黒雲の様子に、庭に出ていた兵士たちも建物の中へと舞い戻り、
「オーマさん、何をしているんですか?」
 降って来たら濡れてしまいますよ、とアイラスがじっと空を見詰め…いや、睨み付けているオーマに声をかける。
「雨雲じゃねえよ」
 それに対する答えは簡潔。
「ありゃあ――ウォズだ」
 その言葉に目を丸くしたアイラスが、ぱたぱたとオーマの元へ戻って一緒に空を眺めた。水にインクを落とせばこうなるのでは、と思われるような、絡み合い混じり合い広がって行く『雲』。
「随分大きいんですね」
「ああ。混じり合っている所を見ると集合体だな」
 下から見上げつつ、のんびりと語り合う2人。ただ、その眼差しだけは真摯に、空へと注がれている。
「――お」
 ちょっとだけ、驚いた声がオーマから漏れた。
 雲が揺らぐ…その中央がぽかりと開き、みるみるうちに雲を喰いつくすようにして『何か』が現れはじめた。それを見て、アイラスがちょっとだけ首をかしげる。
「何ですか?随分大きなものですけれど」
「…すげえ…初めて見たぜ。『都市』を具現化しやがった」
 それも――
「まさか、この聖都なのですか?」
 いつの間にか、2人の後ろに歩み寄ってきていたエルファリアが、これまた冷静な声で…ただし、ほんの少しだけ目の奥に怯え、というか畏怖が見える。
 それも当然だろう。コレほどまでに巨大なものは初めてだったのだから。
「しょうがねえな、ちょっと行って来るか」
 髪をわしっと掻き上げつつ、オーマが上を見上げ、それから隣と後ろの2人へ、
「つーわけで待っててくれるか?終わったらまた布教させてもらうからよ」
 悪いな、と申し訳なさそうに一言付け加えるとまた顔を上に上げた、が――。
「いやですよ」
「ええ、それは承服しかねますわ」
 あっさりとそう答える2人。「いや、だからな、あの場所にゃ何があるか分からないんだぞ?」と、思い切り困った顔をして見せるものの、
「分かってますよ。分からないから見に行くんじゃないですか」
 にこりと人の良さそうな笑みを浮かべたアイラスと、
「私、これでもこの国を支える身ですのよ?視察に行かずにどうすると言うのですか」
 畏れはあるのだろうが、それ以上に好奇心が勝っているらしい、目をちょっと輝かせた王女。オーマが思わず天を仰いだのは、この2人が言い出したらそう簡単には引かない事が分かっているからで…。
「っつってもなぁ。俺様はいいけど、お前さんたちはどうやってあそこまで昇るつもりなんだ?空でも飛べなきゃ無理だろうが」
「う、うわあ…っ」
 尚も2人を説得しようとするオーマ。だが、その途中で兵士の悲鳴が聞こえ、それと同時にふっと自分の背が陰った事に気付いてオーマがぐるりと振り返る。
「…おおう」
 それは、庭いっぱいの大きさを誇る梟。昼間だと言うのに眠くないのか、
『ほぅ』
 やたらと大きな声を広げ、ぱさぱさと羽をたたむと、ちょっと気になったか胸の毛羽をクチバシでちょいちょいと直し…そう言うところを見る限りでは普通の梟なのだが、いかんせん大きさが半端ではない。
「――もしかして、オウルですか?守護聖獣の?」
 アイラスが、ぱちぱちと目を瞬かせると、すっと一歩近寄る。
『いかにも』
 綺麗に手入れを終えて満足気にほうっと息を付いた梟が、くっ、くっ、と首を動かして自分よりも遥かに小さい人々を眺め、
『異世界の者よ、あれはどう言う事かと聖獣を代表して聞きに参った』
 今度はオーマを見据えて訊ねる。
「俺様だって良く知らねえさ。だから今から乗り込みに行くんだが…これらも付いて来るってきかなくてな。お前さんからも言ってくれねえか?特にそこの姫さんによ」
「オウル…僕たちも連れて行ってくれませんか?貴方も僕の守護聖獣なら、どれだけ興味があるのか分かるでしょう?」
『ふむ』
「私からもお願いしますわ。…私、この国の王女として見届けなければいけないと思いますの」
『ほぅ』
 3人それぞれの意見を考えているのか、一瞬だけ目を閉じてまた開くと、
『人の子よ――我ら聖獣もあの世界へ向かう。その時に、我らとは別の目となってくれ。この世界の血を引く者として。そして異世界の者たちよ』
「おっ、おい」
 きらきらきら、と目を輝かせたエルファリアと、無茶だ、と言いかけたオーマの対比を面白そうに眺めながら、
『我らとは別にこの者を護ってくれ』
「わかりました。で、僕たちどうやって上に上がればいいんです?」
「アイラスまで〜〜だーっ、わーかったよ、俺様全員まとめて面倒見てやらあ!」
『我らも向かうと言ったであろう。我が背に乗るがいい』
 自棄になって言いながらも覚悟を決めたオーマの声を聞いた梟がうむと頷きながら、くるりと背を向けた。暖かそうな灰色の羽毛が、3人を誘うようにふわふわと風に揺れた。

*****

 ひゅぅうぅうう…
 街の端から下を見下ろすと、聖都がどんな形をしているのかが良く分かる。
「初めて見ましたわ。…話には聞いていましたけれど、城は本当に攻め難い場所に建てられてますのね」
「そりゃあ基本だからな。まあ、俺様みたいなセオリー無視の奴らに掛かればいくらでも攻めようはあるが」
「それは困ります」
 真っ直ぐに返されて苦笑いをするオーマ。
 オウルは他の聖獣たちと合流したのか、3人を置いてどこかへ行ってしまった。後に見えるのは、いつも見える町並み…のようだが、どこかが微妙に違っているもう1つの聖都。
「良く調べましたねえ。基本的なつくりは全く一緒のようですよ」
 門から中を調べていたアイラスが、下を見ていた2人に声をかける。
「そうだろうな。こりゃ並大抵のものじゃねえぞ」
 具現、と一言で言えば簡単だが、元々それは『かたち』を作るために、不安定な部分を極力排除したイメージによって形作られる。だから、曖昧なイメージだけでは『それっぽいもの』を作る事は出来ても、そのものを作る事は不可能になる。
 オーマでさえ、ありふれた物…空気であるとか、水であるとかいったものを完全に作り出す事は出来ないのだから。
 それを思えば、この『都市』を作ったウォズの能力の凄さがひしひしと感じられる。
「あ、人もいますよ」
 アイラスが興味深そうにきょろきょろと周囲を見渡しながら、街の中に入るにしたがって普段と変わりなく生活しているように見える人々を見やった。
 街の中は、チリひとつない清潔さに満ち溢れていた。それだけに、壁の模様を写し取っただけのような建物が何だか薄っぺらく見えてしまう。
「……あら…」
 ぽつ、と後ろから2人の後を付いて来ていたエルファリアが、小さく声を上げる。
「どうしました?」
「いえ…まさかと思うのですが、私がいたように思えまして」
 そう言う3人の前を、
 ぱたぱたぱた、と軽い足取りで駆け抜けていく…エルファリアの姿があった。
 煌くドレスに、宝石を散りばめたティアラを身に付け、楽しそうに。
「まあっ。いくら私でも、あのような派手な格好で街を歩き回りませんわ!」
 ちょっとずれた所で憤慨するエルファリア。正装ではないにしても、一般人が着ないようなドレス姿で街を闊歩する姿を一度ならず見かけた2人は、ただ苦笑するしかなかった。
「…なるほど、それならもう1人の僕に出会えるかもしれませんね?」
 どこかで見た顔を見る限り、もう1つの聖都には同じ姿かたちのアイラスたちがいる筈だ、と気付いたアイラスが楽しそうに顔を上げる。
「つうことは、病院もある…んだろうな。おまけに…」
 皆もいるのか…そう呟きかけたオーマがぶるっと身体を震わせ。
「そうですね。そうだ、僕に会った後はオーマさんたちにも会いに行きませんか?」
「ななななんでそんな恐ろしい、いや、無駄、いや、…じ、時間が勿体ねえよ、な?」
「あら?どうしてですの?これだけ大きな都市の中を探索するのですもの、時間はたっぷりありますわ」
「決定ですね、行きましょう。あ、白山羊亭と黒山羊亭にも行きましょうね」
 ダブルでにこりと笑われてしまっては、引きつった笑みを返すしか無く。
 後回しにしてもらったのがせめてもの幸せと、今度は後ろに立って歩くオーマが深い深い溜息を吐いた。

*****

「あ、いましたよ」
 半ば常連となっている店のひとつ、白山羊亭の中を覗き込んだアイラスが、嬉しそうに告げてそのまますたすたと中に入っていった。
「こんにちは」
 立体の鏡を見るようにそっくりなアイラスに向かって、アイラスが語りかけ…そして、話し掛けられたアイラスがにこりと笑みを浮かべた。
「やあ、はじめてまして。この街ははじめてかなですね?」
 かくん、と呼び動作無しで一気に首を傾ける、彼。
「初めてと言えばそうですね。ええとすいません、あなたの名前を教えてもらえますか?」
「僕の名前…なまえ…ナマエ…」
 笑顔までは良く出来ていたのだが、受け答えは一応出来るレベルを越えていない。
「ああ、おもいだしたました。僕の名前は、あいらす。です」
 それで話が済んだと思ったのか、同じくテーブルを囲んでいる人々へ顔を向け…そして、口を閉じる。
 それで気が付いた。
 音がほとんど無い世界だと。普通ならこうした店に入ると、大なり小なり何らかの音はする。それが、厨房からは何一つ音がするでなく、テーブルを囲んでいる者たちも会話を交わしている様子は無い。ただ、にこにこと笑いながら座っているだけ。…動いているだけの人形と、あまり変わりはないように見えた。
「流石に人格までコピーって言うのは出来なかったようだな。いや、当たり前か。命の具現化なんざそうそう出来るもんじゃねえ」
「そうですねえ。もっと色々お話してくれると、楽しかったんですけど」
 残念そうに言ったアイラスが、次に向かったのは、この世界でどんな依頼がなされているのかを見る事だった。
 壁にぺたぺたと貼られた依頼書には、子供から大人まで、様々な悩みを抱えた人が受けてくれる事を願ってこうして張り紙をしていくのだが…。
「…あれ…これって、以前下でも貼られていた依頼ですよ」
 しかも解決し終えて、もう剥した筈です。
 そう言いつつ、アイラスがそこに貼られている物件を指差した。確かアイラスが関わった事件であり、それは解決を見て、依頼の壁からは外されていた筈だが…。
「こっちもそうだな」
 オーマがぺらぺらと別の依頼書を見る。
「つまり、ここにあるのは過去の依頼ばっかりだってことだ――ん?」
 オーマがその紙を手に取る前に、アイラスも気が付いたらしく、その文字を読み上げる。
「『求む…魂の精製法…』ですか」
「まさかな。いくらなんでも、これまでが依頼に載る訳は無い」
「と言う事は…そのウォズが依頼を出したと言う事になりますね」
「なんですの?その、魂の精製法って」
 表の世界でも滅多に来る事の出来ない店の中をきょろきょろと興味深そうに見守っていたエルファリアが、真剣な顔を見合わせる2人の間に首を挟んで訊ねる。と、オーマがふと苦笑して、
「いやいや、不可能な与太話だ」
 何故か2人を急きたてるように、外に出る事を促した。…去り際にアイラスがちらと見た所では、テーブルに付いていたアイラスは最初と同じように、友人たちに顔を向けたまま穏やかな笑みを浮かべていた。
 次に、他の店や、ざわめきの全く無い人々の様子を見つつ、病院へと向かう。次第次第に足が重くなって行くらしいオーマとは距離が開く2人が、病院の玄関に着くとしげしげと外観を眺めた。
 そこも、内部からこそりとも音がしない。
 一応オーマがたどり着くのを待って、玄関を開けて中に入る――。
「…え?」
 ――そこには、期待した光景は無かった。
 オーマも、同居している家族の者も、誰1人として存在していなかったのだ。
 その代わり。
「身代わり、ですかね…」
 ぺらぺらの紙に「オーマ・シュヴァルツ」とたどたどしい筆で書かれたものが、ぺたりとオーマの定位置に貼り付けてある。…他の家族についても同様に。オーマがひとつひとつ場所を確認してみるが、間違いないと頷いて見せて。
「単純な理由だとおもうぞ」
「単純?」
 ああ、とオーマが病院のソファにどっかりと腰を降ろしながら言う。確かにソファのカバーの柄が違っていたり、オーマたちがいなかったりと違和感はあるが、家具の位置や形、固さなどは変化が無く、一休みを提案したのはオーマ自身だった。
「この街を作ったのは誰だ?」
「それは、ウォズたちですよね…あ」
 何かに気付いたか、アイラスがオーマの質問に答えた直後に小さく声を上げる。きょとんとしたエルファリアはまだ気が付いていないらしいが。
「ウォズがわざわざ天敵のヴァンサーまで作り上げる筈ねえ、って事だ。だが、名前を置いておく所を見ると相当な凝り症だな。何もそこまで完璧を目ざす事もねえだろうに」
 自分に会えずじまいでほっとしたのか、ゆったりとソファにくつろぐオーマ。
「あれ?でも、あの人もヴァンサーでしたっけ?」
「…そこまで思い出させなくてもいいじゃねえか…まあ…ほら、あれだ。俺様の身内だしな。あんなの具現化してみろ、偉い事になるぞ」
「そうでしょうか…僕はそうは思いませんが、まあ、ウォズに聞いて見ないと理由も分かりませんしね。さあ、次行ってみましょう。なかなか興味深いですよここは」
 ――当たり前だが、中空にあるこの街も日が暮れるのは下の街と同じ事だった。…今、一体何人がここにある街の存在を知っているだろうか?
 今はまだそれ程騒がれていないだろうが、あまり長時間に渡って空に浮いているとなれば、騒ぎはどんどん大きくなって行くだろう。
 それを心配してか、ここからはもう見えない地上へとエルファリアが目を落として、それからぐっと顔を上にあげ。
「さ、次に行きましょう。この街が現れた原因を突き止めなくては」
「ええ、そうですね。…そうだ、もう黒山羊亭も開いた頃ですし、まずそこに行きませんか」
 ぽ、ぽ、と街のあちこちに灯りが灯って行く。そんな中をぱたぱた歩く3人。
 ――黒山羊亭も、白山羊亭と同じく、一見盛り上がっているように見えるものの、その実酷く静かな空間になっていて、その辺りにどうしても違和感を感じずにいられなかった。
 そして、アイラスが再び見たがった依頼書には――
「…もう済んだ依頼ばかりですね。この辺は下の単なるコピーって事みたいです」
「そうだな。だが、これは…どうだ?」
 オーマが何かを見つけたらしく、アイラスへと取って渡す。
「『魂の精製法…』またですか?」
「それだけじゃねえ。良く読んでみろ」
「『この街を訪れた者で知る者がいれば、王城へと訪ねて来い』――って、これは…」
「ああ」
 オーマが、そしてその内容を聞いたエルファリアが城のある方向へ目を向ける。
「意思を持った誰かが、この街に必ず訪れるだろう客に語りかけてるんだ。…見た目の具現化だけで満足してりゃいいのによ」
 さーて、行くか、とオーマがぐいと伸びをして。
「聖獣たちは鼻が利くからな。きっともう着いてるだろう。行ってみるか」
「ええ、行きますわ」
「もちろんですよ」
 こくこく、と頷く2人に、よし、とオーマが頷いて、
「念のために言っておくが姫さんは後ろにいろよ?」
 言わなければ、言わなかったからと主張して本当に前に出かねないエルファリアへぴしっと釘を刺した。

*****

「おーおー、壮観だねえ」
「これだけ集まると、そうですね…」
 36の聖獣が、『城を護るように』ぐるりと取り囲むのを、各自自分の姿をした聖獣の前にて牽制をするやはり36の聖獣たち。
『来たな』
 聖獣の1人が近寄って来た3人へ語りかけ、
『中でもう1人、異界の…ウォズか?それが居る。行け』
 その動きを邪魔しようと『聖獣』に、対する聖獣がさせまいと動き。そのお陰でか、オーマたちは比較的すんなりと中へ入る事が出来た。…数発、流れ弾めいた力が3人へと向かい、その都度オーマが障壁を張って避けはしたが。
 エルファリアの案内と、オーマの感覚の2つを駆使し、3人はぱたぱたと建物の中心である玉座の間へと走る。
 近づくたびに、オーマの顔が微妙に歪むのを、アイラスが不思議そうに見守っていた。
 そして…。

「…なんですの…これは」

 そこは、玉座の間には見えなかった。…汚泥のような、黒々としたものが、それでも腐臭はまるで無くそこに蠢いている。それは――沼と言う表現がぴったりと来る代物で。
「具現化の『澱』だ」
 澱?
 不思議そうに聞き返すアイラスと王女。オーマはその中央、元は玉座だったのだろうが、そこを埋め尽くし盛り上がる黒々としたものから目を離さず、
「歪みと言ってもいい。…具現ってな、意思の力がとにかく必要なんだ。それが弱けりゃ何も作り出せねえし、強すぎると余計なモンまでくっ付いちまう。その加減が難しいんだが――お前、このザマは何だ?」
 それに対する答えは、無い。
「おそらく、おそらくな――こいつは、本気で、街だけじゃねえ、生きモンまで作ろうとしやがったんだ。他のウォズの力を借りて、吸い出して…ウォズ自身が自らの意思を持つのにどれだけ力を必要としてるのか、知ってるのか?」
「オーマさん――」
 ずぶり、とオーマが、膝までその汚泥に浸かりながら、玉座へ向かって一歩一歩進んで行く。
 アイラスはそれを見て一声掛けたものの、オーマに目顔で制されて、一緒に付いて行く事は諦め…だが、その場から目を離さないように、そしてエルファリアに何か合った時に対処出来るように、静かに呼吸を整え始めた。
「これだけのでけえ玩具を作って何をしたかったのか、『今の』お前には言えるのか?」
 通常ならば、膝下くらいまでの深さで床に届く筈だった。…だが、ずぶり、と一歩進むごとに深みを増す泥は、元あった床を溶かしてでもいるのか、それとも具現がなされなかったのか、気付けばオーマの腰まで纏わり付いている。
「オーマ…あ、アイラス、大丈夫ですの?あれは…」
「大丈夫ですよ。だってほら、オーマさんは何だかんだ言っていつも大丈夫じゃないですか」
 そうとしか言えない。
 いつも自信たっぷりな姿しか…いや、一瞬泣きながら走り回る姿が頭の中を走りぬけたが、それは除いて、笑い、威張り、碌な物を具現化しないが、それでも最後には必ずなんとかする男だったから、アイラスにはそうとしか言えなかった。
「聞こえるか!?おい、聞こえるか!?――澱に飲み込まれちまったのか?ここまで作り上げておいて――勿体無えな、お前」
 胸まで沈みながら、オーマが玉座へと辿り着く。そこから、まるで引っ張り出そうとでもするように泥の塊へ手を突っ込みながら。
「アイラス、泥が跳ねるかもしれねえが外に出ておくか?」
「いえ、僕は…見たいです。オーマさんが何をするつもりなのか」
「よし良く言った。じゃあそこで泥被って見とけ…って、姫さんは外に出てた方がいい」
「どうしてですの?私だってここにいる権利がありますわ」
 ちら、とオーマが笑ってエルファリアを見つめる。
「だーめだ。姫さんは万一を考えてすぐ外に出てな。俺様、いくらなんでもそのぴっちぴちの王女様なんざ具現化出来ねえからよ」
 それからもひと悶着あったが、不満たらたらの王女を外に出したアイラスが元の場所へ戻って来ると、
「じゃあ僕は万一があってもいいんですね」
 そう言って笑いかけ、オーマがおうとも、とわははと大笑いした後、
「…修羅場くぐった奴じゃなきゃ、残しゃしねえよ」
 ぽつっと呟いて、泥の中へとずぶりと身を沈めて行った。
「………」
 構えてから、いくつも数を数えないうちに、
 強烈な魔力にも似たものが玉座から噴出し――そして、波の如くどばあっとアイラスの頭から汚泥がどさどさと覆い被さってきた。

*****

 ――どうして…ヒトはあんなに妙な顔をしているんだろう。
 笑顔?あれが、笑顔って言うの?
 そうか。でもどうしてヒトは笑うのかな。

 分からなければ、確かめてみればいい。街を作って、ヒトを作って――

 ――丁度いい手本が、そこに――

 これで――全部―――

 もう すこし たましい

「――おい、そろそろ起きろ。もう帰る時間だぞ」
「…あ…オーマさん?」
 気が付くと、オーマが何でも無い顔をしてアイラスを見下ろしていた。その隣には、エルファリアもいる。
 …玉座の間には、もう、本当に何も無かった。扉近くに僅かに残った床以外はぽっかりと部屋全体に行き渡る程の大穴が開き、そこから下、聖都の光が綺麗に見渡せる。
「オーマさん、さっきのは…」
「ああ。封印した。つうことで首謀者が居なくなったからな、ここもじきに消えて無くなるぞ。朝には綺麗サッパリってトコだな」
 ほれ、と指差した先を見ると、ぽっかりと開いた床も、さらさらと崩れ始めているのが見え。
「聖獣たちもお待ちかねだ」
 その言葉に、身体を起こして…まだ少しふらりとするものの、急ぎ足で城の外へと出る。
 ――36の聖獣…具現化されていたそれらは、空気の抜けた風船のようにぺしゃりと潰れていた。おそらくは他の人々もそうなのだろう。形作る力、そしてそれを維持する力が消え去ってしまったのだから。
「そうすると僕もぺらぺらになっちゃってるんでしょうか」
「私もですわね…」
 何となく複雑な顔をする2人。
『…また、助けられたな』
 ずらりと居並ぶ聖獣たちから、声がかかる。
「なあに。俺様の仕事でもあるからな、礼には及ばねえよ、っていや、礼は礼として当然だな、じゃあ受け取っておこう」
 むん、と胸を張るオーマに、ふ、と呆れたような、笑い声がかすかに聞こえる。アイラスも微苦笑を浮かべながら、エルファリアを伴って再び背を向けたオウルに乗り込もうとしており。
「まあ、モノはいらねえよ。心だけで」
 うむうむ。
 大きく頷いたオーマが、ふとある事を思いついたらしく、一歩オウルへ近づきかけて振り返り、
「そうだ。ここは間もなく消えるが、完全に消えるまでは雲か何かでカモフラージュしておいてくれねえか?無用な心配かけたくねえしな。…朝には消えてるだろうけどよ」
『承知した』
 言うなり、ふわり、ふわりと飛び立って行く聖獣たち。下へ3人を送り届ける巨大な梟を除いて、雲を形取るもの、自分の居場所へ戻って行くものとあり。
「泥被った気持ちはどうだった?」
「…面白かったですよ。それに」
「思いの残滓だからな――聞こえたり見えたりするのさ。様々なモンがな」
 こく、と頷いて、
「何だか、砂の城を作る…子供のような、感じでした」
 ぽつりと呟いた。
 オーマは何も言わず。ほんの少し、泥の中に突っ込んだ自分の手の平を見つめると、
「さあて。今日は良かったら泊まっていけや。俺様特製の夜食で腹埋め尽くしてやるからよ」
 にい、と大きな口でアイラスへ笑いかけた。
「羨ましいですわ。私もオーマみたいなお抱えの料理人が居れば良いですのに」
「いやいや、姫さんは十分にお抱え料理人持ってるじゃねえの」
「あら?でもあの料理人たちは戦えませんのよ?」
 …………。
「まあ、あれだ。王女さんは、なるべーく大人しくな。しょっちゅう冒険に顔出してると、城の者が泣くぞ」
「そうですよね。それに、僕たちが何度も一緒に出かけていると、僕の信用も無くなりますし、腹黒同盟の布教にも問題が出てきます。姫自らが許可した同盟なのにですよ?」
「まあっ」
 ぷぅ、っと頬を膨らませた王女に、2人の穏やかな笑い声が聞こえ。そして、最後には軽やかな女性の笑い声も唱和し。
 穏やかな目でその様子を逐一聞き取っていた梟が、背を揺らさないよう気をつけながら、ばさり、ばさり、と大きな羽音を立ててゆっくりと街へ――城へと降り立って行った。
 少しでも、別れまでの時間を楽しめるように。
 特に、王女には滅多に無い遠出だったのだから――。


-END-