<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


しあわせの、ながさ
 ぱたぱたぱた。
 軽い、軽い足音が、秋深まる街に響いている。
 籐篭を手に、金糸銀糸の刺繍を施した布張りの可愛らしい靴で、ぱたぱたと、急ぎ足ではなく、楽しげに。
 ライラック色の長い髪が、その勢いにつられ、子犬の尻尾のように揺れるのにも気付かず。
「おかしいです…美味しい果物売りさんが、このあたりにいるはずなのに…」
 何度も何度も説明されたのに、やっぱり曲がる角をひとつ間違えてしまったリラ・サファトが途方に暮れる。
 そして、角ひとつで間違いに気付けばまだ被害は最小で済んだのだが、元に戻るより先に進んでしまえ、とのお告げを聞いたのかどうか、迷う事無く見知らぬ道へと飛び込み。
 確実に違う場所へ出てみて初めて、ああ、やっぱり道を間違ったんだと気付いた次第。
 それでも未練がましく、ちらちらと右左、顔を動かして探してみるも、やっぱり見つからなくてしょぼん、と肩を落とした。
「どうかしなさったか?」
 そんなリラへ、さり気なく掛かった声がある。
「はい、えっ、えっと…」
 道の片隅で、大きな手押し車に腰掛けていた老婆が、困った顔をしたリラへとにこりと笑いかけ、その皺の深い顔でおいでおいでと手招きし。
「さっきから見ていれば道に迷っているようだの。大通りなら私もこれから行く所だが、良かったら一緒に行くかい?」
「あっ、はいっ。大通りから美味しい果物屋さんに行く道を聞いて来たんですけれど、迷ってしまったみたいなんです」
「ああ、あの婆の店か。それなら…っと」
 よいせ、と重そうな手押し車から立ち上がり、がらごろと押し始める老婆。
「あの…お手伝いしましょうか?」
「いやいや。これが良い運動になるからいいんだよ。ありがとうね」
「いいえ、余計な事を言ってしまったみたいでごめんなさい。あの…ところで、その大きな手押し車には何が入っているんですか?」
 ふふっ、と老婆の皺が深くなった。眼差しが、とても柔らかくなる。
「私の大事な商品だよ。今日全部売れれば、これで今年最後の分になるんだけどねぇ」
 見るかい?そう言われて、歩きながら蓋をずらして見せてくれた中身を見て、リラが目を輝かせる。
「これ、もしかしておばあさんが?」
「そうだよ。羊は飼っていないけどね、毛を買い取って作り上げるのさ。見事な色艶だろう?」
「はいっ。とっても、きれいです」
 目をきらきらと輝かせながら、こくこくと何度も頷くリラ。
 中にはぎっしりと、様々な色に染め上げられた毛糸が入っていた。

*****

「はい、わざわざ探してきてくれたんだって?ありがとうよ、じゃあこれはおまけにね」
「そ、そんな事をしていただかなくても…美味しい果物が手に入るだけで十分なんですから」
 ふるふると首を振って、困ったような顔をするリラに、老婆2人が目を見合わせてくすくすと笑い。
「いいからもらっておき。偏屈婆が滅多に無い太っ腹ぷりを見せてるんだから」
「人のこと言えないだろに。お嬢さん、この婆に関わると碌な事がないよ。悪い事は言わない、この吝嗇婆にぼったくられる前に帰った方がいい。見ただろう?あの糸を。機会があれば誰彼構わず売りつけようと商売っ気出してからに」
「何を言うか」
 悪態を付きながらも、お互いを見る目は親しげで。ありがとうございます、と何度も礼を言ってから、籐篭の中に思っていたよりも多い量の果物を仕舞ってにっこりと嬉しそうに笑う。
「あの、良かったらおばあさんの毛糸も見せて下さいな」
 先程はちらと見せてもらっただけで、あの色が頭から離れない。…大好きなひとの目と同じ色をした、一束の毛糸が。
「はいはいっと。ほら見てごらん。見るひとが見たら、あたしの糸の良さは分かるんだよ」
「ふん。確かに丈夫さだけは折り紙付けてあげてもいいけどね」
 そういう、互いの老婆は糸質の良く似た温かそうなショールで肩を覆っている。
 糸はそれなりの重さを持っていたが、それでも見た目よりはずっと軽く、そしてとても柔らかかった。
「とてもあたたかそうですね」
 思わず頬擦りしたいと思うくらい、じぃ、とその糸を見詰めているのが分かったらしい。
「…ひとつ買っていくかい?そうだね…」
 がさごそ、と手押し車の底を漁り。
「あんたみたいな若い子だとね、時々道具も持たずに糸だけ買いに来る子がいるからね」
 編み棒を4本、大きな毛糸の束の上にぽんと置いた。
 …確かに、糸の値は市場で見かけるそれよりも高めだった。だが、リラは迷う事なくその糸を買い、にこにこと笑う2人の老婆に何度も何度も礼を言って、今度こそ駆けるように、嬉しさをステップに乗せて街を移動して行く。
 リラは知らなかった事だが、老婆の作り上げる毛糸は品質の良さに固定ファンが付く程の人気の品で、ある時期にしか市場に出回らないその品は、リラの払った数倍の値が付く事も珍しい事ではなかった。
 ただ、良い糸を見つけた事で嬉しくて堪らなくて、道行く人が思わず釣られて微笑んでしまう程、嬉しそうな顔をしていただけで。

*****

「――リラ、さん」
「はい?」
 しゅっ、しゅっ、と木を削る音が暫くした後に、鑿を持っていた手を止めて、藤野羽月がリラの名を呼ぶ。
 良く乾いた木の板を削って、人形の頭部を作っていた羽月だったが、その動きに何か見極めようとしているが如く、目を大きく見開き、眉をきゅっと寄せたままじぃぃぃぃっ、と羽月の手を見詰めているのだから、彼にとってはやりにくい事この上ない。
 特に人形にとっては一番大事な部分になる頭。そこを削るのに、神経を集中させなければならないのは、傍らにいるリラも知っている筈、なのだが――。
「何か気になることでもあるのか?」
「えっ?い、いえっ、な、なんにもありませんよ、なんにも」
 慌ててぱたぱたと両腕を交差させ、曖昧に笑う様子がどうにも怪しい。といって、それ以上問われたら困る、と顔にはっきりと書かれている以上、羽月としても突っ込んで聞く事も出来ず。
 ふうー、と呼吸を整えた後で、もう一度鑿を手に取って、再びしゅっ、しゅっ、といい音を立てながら木を削り出した。心の乱れは手に現れると分かっているからこそ、集中し丁寧に削り続けているのだが。
 ――やはり、その視線は気になる。というより、手に突き刺さる。
 ことり、と鑿を傍らに置き、
「手に何か付いているのかな」
 ぱたぱたと細かな木屑を払い落としながら再び訊ねてみたが、今度はぶつぶつと指がどうとか、繋がっているからとか小さな声で呟きながら羽月の手と自分の手を見比べ、かくん、と首を傾げてからぴょこんと飛び上がり。
「あっ、あのっ、ちょ、ちょっと用事を思い出して――お買い物、行って来ますね」
「あ、ああ…いってらっしゃい」
 自分の出した質問に答えて貰っていない事にも気付かないまま、羽月がリラを送り出した。
「――さて」
 再び、作業を再開させる。――が、数回も鑿を動かす前に、溜息を付いて道具を投げ出してしまった。
 修行が足らないのは分かっている。
 どうしても集中出来ないのだ。側にいて、じっと見つめられているだけで気が散ってしまう、あの少女が側に居ない事で、どうしても外へ出て行った少女の方へと意識が飛ぶのを押えられない。
「駄目だな。修行が足らん」
 ゆる、と首を振り、いてもいなくても気になるのなら、暫くは作業に掛からない方がいいだろうと、削りかけの人形の首ごと、道具もきちんと仕舞いなおす事にした。
 それにしても。
 一体、リラは何をしているのだろう?
 寒い中外に出ていれば、風邪を引く事もあるだろうに。
 ちら、と気になって外へ出てみるものの、後を追いかけるのは男らしくないとかなんとかでまた家の中に戻り、そして数分待たずに外へと出…今、外からこの家の様子を見れば、何をしているのかと首を傾げたくなる光景が展開されていたに違いない。
 機械仕掛けの人形のように、出たり入ったりを規則正しく繰り返す、悩める男がそこにいたのだから。

*****

 リラの奇妙な行動は、それから何日も続いた。
 一応、出かける時には買い物、とかお友達に会いに、とか色々口実を見つけては出かけて行くのだが、実際にはそんなに頻繁に買い物が必要になるような生活はしていないし、友達に会いに行ったと言う割には、どんな話をして来たのかは羽月に話す様子も無い。
 まあ、後ろめたさで一杯と言う訳でもなさそうだし、リラ自身の口から言うまでは待っていようと思っていたのだが――。
「む…リラさん?」
 今度は羽月のちょっとした用事で、リラに留守を頼んで出かけた後で、戻ってみるとリラがおらず。
 一応家の中を隅々まで探し回ったがどこにもその姿は無く、言伝のようなものも無いまま姿を消した少女に、羽月がまさか、と思いながらもやはり心配で、焦燥にかられたまま玄関も開け放しで外へと飛び出して行った。
 心当たりはいくつかあるが、街を駆けに駆けて、その心当たりに飛び込んでも、皆首を振るばかり。おまけに、どこに行ってもここ数日姿を見ていないと言うのを聞いて、さあっと羽月の顔色が変わる。
 どこだ――

 どこにいる?

 駆けて、

 駆けて――

 目の隅にライラックの色がちらと見えたのは、そろそろ夕方に差しかかろうと言う時刻だった。
 ざざっ、と足元の枯葉で靴が滑るにも構わず足を止め、子供が遊ぶには少し遅くなった公園の中へと足を踏み入れると。
 少女は――そこにいた。
 ベンチに腰掛け、どこか途方にくれた表情で…膝の上に乗った、青いもこもこしたものをじぃっとライラック色の瞳で見下ろし、ふぅ、と可愛らしく、そして悲しそうに溜息を付いて。
「リラッ!」
 駆けて来た勢いそのままで――心配し続けたその心そのままで、少女の名を呼んで駆け寄って行く。
「え――あ…羽月さん」
 わたわたと膝の上の塊を籐篭の中に隠そうとして、溢れ出て反動で腕に巻きついた青い色のそれにはううう、と困った声を漏らして、助けを求めるように羽月を見上げた。
「何を、していたんだ?」
「あ、あの、その…て、手袋、を」
 最早隠しようもない、青くのたくったそれは、どう見ても手袋ではない。
「編もうとしたんですけれど…どうやっても指にならなくて、それで、マフラーに変更したんです。そうしたら…」
 つん、とリラの細い指が、『マフラー』の端を摘んだ。そこから―――
 ずるずるずるずるずるずる。
「…………」
 マフラー、というには随分と長すぎるそれが、リラの指先から魔法のように引き伸ばされて行く。
 羽月の目から見て、一瞬帯かと思ったくらいの長さの、自分の目と同じ色の『マフラー』。きっと、リラはこっそりと編み上げるつもりだったのだろう。
「それで、黙ってここに来ていたのだな?」
「ごめんなさい…あと少しで完成するって思ったら、嬉しくて…でも、こんなに編むつもりじゃなかったんです」
 しゅん。
 綺麗に、そして早く編めるようになったのが嬉しくてたまらなかったのだろう。
 膝の上で不気味にその存在を主張し始めたマフラーの長さに気付かずに。
 ――ふっ、と微笑んだ羽月が、ぽんと、そのマフラーと同じく柔らかで艶のあるリラの頭に手を置き。
「ひとつ、方法があるのだが、どうだろうか?」
 その長いマフラーの端を手に取り、にこりと微笑んでリラの首へゆったりと巻きつける。
「えっ、で、でも、私にではなくて、羽月さんに…」
「そちらはりらさんの分だ。こちらは、私の分」
 慌ててマフラーを外そうとしたリラの手をそっと押し留め、もう片方の端からくるんと自分の首に巻きつけて。
「ほら。長さも丁度良い」
「あ――は、はいっ!」
 ぱあっ、と。
 全ての問題が解決したリラが、花咲くように笑顔をほころばせる。
「では帰るとしようか」
 マフラーと同じように、さり気なく、だがしっかりと手を繋いだ羽月が、リラだけにしか見せないような柔らかい微笑を浮かべると、忘れ物が無いか確認して、今度はゆっくりと歩みながら家へと戻って行く。
 手袋は出来なかったが、その代わりに繋いだ手はそれ以上に暖かくお互いに感じられて。

 思うところは同じか、家への帰り道は、足取りを出来る限りゆっくりと取りながら。


-END-