<東京怪談ノベル(シングル)>
売られ鳥
「其処のお兄さん、鳥、買わないかい」
少年の声が、一人の青年を呼び止める。
人の来ない裏路地、通りすがっただけの場所。光の射さない其の場所で、呼ばれた青年──ルーン・ルンは、酷く怠惰に、そしてゆっくりと振り返った。誰が如何して。そんな事は考えない。唯、振り向く。
「鳥、買わないかい。綺麗だよ」
ぼろぼろのフードを被った、如何にも貧乏人の格好をした歳若い少年が、ぎらぎらとした餓えた目付きでルーンを見ていた。蹲って地べたに座る其の足元には、木工細工の鳥篭が置いてある。其の中には、綺麗な綺麗な黄色と緑の鸚哥(いんこ)。
必死で見付けて、食い繋ぐ為に弱者を売る──其の根性、嫌いじゃないネ。ルーンの口端が、にぃ、と吊りあがった。
「でも、鳥は逃げル。逃げタラ御仕舞い……じゃナイの?」
「逃げないよ。風切り羽根を折ったから」
ルーンが悪戯交じりに声を掛けると、少年は意地に為って声を荒げた。風切り羽根──鳥が飛ぶ為に、必要な部分。其れを折ったとなれば、この鸚哥は一生飛ぶことが出来ず、愛でられて過ごすだけなのだろう。正に、売る為の──飛べない、鳥。
其の飛べない鸚哥は、鳥篭の中で小さく小さく蹲っている。宿り木に掛けた足を動かすことすらせず、唯只管じっとしている。可哀想とも何とも思わないけれど、だけど──ルーンは緩く、視線を細めた。
「……じゃあ、買ってあげヨウ。幾らダイ?」
鳥篭を右手にぶら提げ、ルーンは裏路地から出て街並みをふらふらと歩き、其の侭近場に在った、小ぢんまりとした森に入った。
脳裏に思い出されるのは、先ほどの少年の様子。言われた値は矢張り少し高かったけれど、ルーンは何も言わず其れを少年に手渡した。其の瞬間、引っ手繰(たく)るように金を掴み、鳥篭なぞ気にも掛けず少年は駆け出した。余程腹が減って居たのだろう、彼が向かった先は市場が建ち並ぶ通り。
其処まで思い返して、ルーンはぴたりと足を止める。
さわさわと風が揺るがす森の中、ルーンは其の緑が鬱る場所に、ゆっくりと腰を下ろした。
さてさて、と。
取り出すのは、先ほど買ったばかりの鸚哥。
「……本当に、飛べナイんだネェ……」
鳥篭の扉を開けても、鸚哥は翼を広げようとすらしない。木製の簡素な鳥篭に備え付けられた宿り木に留まったまま、小さく首を傾げている。其れは鳥特有の行動なのだろうが、ルーンには憐憫にしか見えなかった。
鳥篭の中に指を入れ、ちょんと鸚哥が其れに留まるのを待つ。
そうしてやっと鳥篭の外に出れても、この鸚哥は一生空を飛ぶことは無いのだ──そう思うと、無性に腹ただしく、どうしようもない気持ちになる。ぶつけどころの無い感情だと判っていても、ルーンには──暴走が、止められない。
気付くと、鳥は両の羽根が切り落とされ、バランスを取ることも儘ならず、地面に落ちて両足だけで無様にもがいていた。
ルーンの手の甲から流れる血は、スティグマ──奇跡によるものと、鸚哥のものが交じって汚らしい。
綺麗にすっぱりと切り落とされた──とてもとても綺麗な色の羽根は、もがく鸚哥の両横に落ちている。黄色と、緑と、赤。其れに染まる鸚哥。何て綺麗で、何て悲しい。
「今、自由にしてアゲル──……」
慈愛に満ちた手振りで、ルーンはゆっくりともがく鸚哥を地面から拾い上げた。
自分の手が血で汚れるのも構わず、そっと其の身体を握り締める。
そうして、力を込めて────
夕焼けが照らす道を、一人の男が歩く。
血に塗れた男の手には、木製の簡素な籠。
其の中には──綺麗な綺麗な、二翼の鸚哥の翼。
■■ 売られ鳥・了 ■■
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