<東京怪談ノベル(シングル)>
魂の在処は砂塵と帰し……
帰りたい場所があるかと問われれば、私はすぐさま是と頷くでしょう。けれど帰れぬと理解しているから、私はただ目を伏せる。
眼裏に焼きついた熱砂の国。永遠と続く黄色い砂と赤い太陽。
滅びたあの世界は今も暗黒だろうか。太陽が消え色は褪せ、静寂を募らせているのだろうか。
あの世界への帰り方は、情報を得る為の代償として失ってしまった。
だからもう、どんなに願っても帰れない。
◇◆◇◆◇
情報屋には様々な、【求む者】が訪れる。些事から多大な事まで、情報屋は客を選ばず、また安価でそれを提供する。
情報屋の主であるストラウスは情報の代価に情報を求む。彼もまた、【求む者】だった。
暗がりの中、一見情報屋には見えぬ派手な服を身にまとう青年と、何人かの人間が対峙していた。
「……つまり、私はその『組織』から悪行なる証拠を見つけて参れば宜しいのですね?」
ストラウスは穏やかな声音で、確かめるように問いかけた。
目の前に居るのは、客。情報を求めてやって来た者達だ。黙秘を誓った後語られた言葉への情報は、この時ストラウスは持ちえていなかった。
頷く眼前の者に、金の瞳を細める。褐色の指が口元に添えられる。
「では、黙してお待ち下さいませ」
「……猶予は三日だぞ」
「いいえ、三日もお待ち頂く必要はございません。今日の夜――調度十二時間の後、情報を渡しに伺いましょう」
ストラウスの言葉に、依頼人にざわりと波紋が走る。投げかける視線の意味に気付いて、ストラウスは更に微笑を深めた。見目麗しい顔貌には誇張の類は一切見受けられない。
「この様な姿でありましても、私は何百という時間を情報屋として生きる者。信用下さいませ」
◆◇◆◇◆
依頼人を室内から見送った後。
ストラウスは衣を正して情報屋の外へと足を踏み出した。
一見すると吟遊詩人か舞手の類。アラビアン等と呼ばれるに相応しい服装と、それにしっくりくる金や銀の装飾。頭にはターバンを巻き、すべらかなズボンはたっぷりと風に靡き、足首で窄まっている。
砂漠で生まれ育ったストラウスにとってその衣装は正装であり、また、彼が故郷から持ちえた只一つである。彼が朽ちぬのと同じで、如何程の月日が経とうと色褪せる事の無い品。
「良い風だ……」
彼は夜気に瞳を閉じ、一時涼やかに吹きすぎる風に身を任せた。幾つものアクセサリーが風に音を鳴らし、長い黒髪が宙を舞う。
闇であるはずの視界には、懐かしい故郷が蘇る。
砂漠の夜は昼間からは考えられぬ程冷え、荒涼とした世界に吹く風は氷女神の息吹と言われていた。闇の王は冷血な神の使徒と恐れられ、ストラウスの故郷では闇に外に出る者は【砂人】と呼ばれる者達以外に居なかった。
砂人は砂に愛された砂漠の民。夜を好き、闊歩する彼等の身を流れる血は砂だ等という陰口も当時はあったが。
今思えばストラウスも静まり返った夜の世界は好きだった。無論太陽に焦がされるような昼間も、共に愛していたけれど。
その頃から、自分にはある意味で【砂人】としての素質があったのかもしれない。
そんな事を思いながら、ストラウスは自嘲に笑みを浮かべた。己の国が、世界が滅びて、砂人となった自分。貶めるような思考はいつもストラウスに付きまとう。
頭を大きく振って視界を開け、思考を現実へと呼び戻す。
月の洗礼を受けて、ストラウスはエルザードの街を歩き出した。
◇◆◇◆◇
あの燃える太陽は、今も潰えたままだろうか。気配を消した月は、まだ闇の中だろうか。永遠に続く砂の山は、その姿を変えては居ないだろうか。世界を巡る風はやはり冷たいのだろうか。闇の王は一人、その世界を喜ぶのだろうか。母なる太陽が消えた事を、嘆きはしないのだろうか。
私が情報を求むのは、きっと独り善がりなのでしょう。
最早故郷には誰の姿も無く、その滅びの理由など知りたいとも感じられない。
只一人残った私が、永遠に故郷に繋がって居たいと情報を求むだけ。自己満足の極み。
それでもそうして居なければ、私は生きていくことさえ出来ない。理性を手放し、きっと、全てを恨み嘆くだけ。
どんなに願っても、あの故郷は戻らないのに。
ビービーと五月蝿い警笛が響く中、ストラウスは忍び込んだ巨大な屋敷の屋根を走っていた。屋敷の庭を走る何十という人間の手には、恐ろしく厳つい銃。狙いは侵入者であるストラウスである事は間違い無い。
空に浮かぶ月が、夜を彷徨う風が、あまりにも故郷のそれと似ていた。だから、集中力は続かない。
そんな言い訳じみた理由から、ストラウスは罠にかかった。
けれど追われる身にあろうと、ストラウスの表情から笑みは消えず、心が揺らぐ事は無い。
既に依頼者のお望みの情報は入手済みだ。だからこそ眼下の者達は躍起になってストラウスを追う。
「殺せ!!」
「生きて外に出すんじゃねぇ!!」
怒号が響き、ライトの光がストラウスを照らし出す。銃が構えられ、ストラウスに向けて放たれる。
ストラウスはそれを舞う様に交わしながら、腰に帯びた三日月刀を抜き取った。
両手に一本づつ三日月刀を構え、銃弾の中を庭へと飛び降りる。
月の光を弾きながら、反り返った刀身が地に降り立つと共に一閃。鋭い切っ先に銃身が切断され、火花が散った。銃の持ち手を蹴倒し、銃の中を軽やかに走り行く。
向かう先は高く反りたった壁。人間離れした身体能力を誇るストラウスにとっても超える事は出来ない。
だが体力には全く自信の無いストラウスにとって、長くソレが続く事は己を不利にするだけだ。
ストラウスは高く跳躍すると壁を蹴って更に高くへ飛ぶ。上へと向かってくる銃弾を刀身で切り落としながら、空で一回転。そして宙を切っただけと見えた刀の切っ先からは、目に見えぬ真空の刃が放たれていた。
風が男達の首を裂き、命を抜き取ろうと振るわれた。
ストラウスが大地に足をついた時には、庭に立っている影は無く、倒れ付して動かなくなった死体だけが転がっていた。
鮮血の一つも流さぬ圧倒的な戦闘後、ストラウスは荒い息の下で小さく謝罪を述べた。
だがその後。
再び走り出したストラウスの目には、数を増した男達が後から後から湧いてくる様子が映った――。
◆◇◆◇◆
どさり。
エルザードの街の外。外壁の外に、その死体は無造作に捨てられた。体のいたる所に銃弾による穴が開き、特にその顔は酷いものだった。眼窩から目玉はくり抜かれ、鼻は折れていた。頬は醜く脹れ上がり、服装さえマトモであったならその正体を見極める事は簡単ではない。
服装は熱砂の国、砂漠の民のモノ。美しい黒髪は無残に切り刻まれ、語るだにしない壮絶な死体だった。
――ストラウス。
知る者は知る、名前。エルザードの街に住む、一風変わった情報屋だ。
闇の中、物言わぬ青年が横たわる。朝になれば人が群がり、事件となって世を騒がすだろう。その職業から死因は分かりきったもの。
ストラウスを外壁の上から投げ捨てた『組織』の男は、ほくそえんだ後姿を消した。
深々とした夜の闇に、優しい、優しい風が吹く。心地よい外気はエルザードの町並みを抜けやがて外壁で、一人の男の死体に出会う。
風はまるで意志を持つかのようにその周りで巡る。飽きもせずストラウスの体の上で踊る。
一時の後、それまで雲に隠れていた月が彼を照らし――ストラウスの指が瞬滅した。
足先から膝へ、指先から肘へどんどんと消え――いや、黄色い砂へと変じていく。ストラウスの身体が砂へと――身体に残った銃弾が、砂の上に転がる。
やがてストラウスの身体は全て砂へと変わり、服も装飾も何もかもが、初めから存在していないとでもいう様に――。
風が、砂を運んで夜に没した。
◇◆◇◆◇
魂の還る場所がどこかと問われれば、私は故郷と迷い無く応えるでしょう。私が眠る場所はあの砂漠。例え砂塵と消えようとも。
私の魂はそこへ還るでしょう。
砂から生まれた楽園へ。砂へと消えた楽園へ。
私もいつしか帰るでしょう。
全ての役目を終えて、いつか……。
朝日が世界を照らし、闇を打ち払い暖かさを生む。
その最中、街は騒然としていた。新聞屋が号外と叫びながら町中を走り回り、新たな事件を告げる。
巨大組織投獄。全ては深夜の内に解決。一人残らず獄へと……そんな見出しから始まって、組員達の供述が幾つか書き連ねられている。「情報が漏れる筈が無い」「情報屋は殺した」「殺して外壁の外に捨てた」。物的証拠を突きつけられた彼等は以上の様にのたまったが、彼等の言うような事実は一切無い。外壁に死体は無く、その様な痕跡も一つも無い。組織の屋敷に忍び込んだという情報屋の顔を誰一人覚えていない事からも、彼等は麻薬による中毒の疑いがあると――云々。
新聞を畳み、情報屋は微かに笑った。
失った筈の命も温もりも、何もかも――失ってすら居ない。彼の身体は故に不死。そのカラクリは自身すら知らないけれど。
情報屋は窓を開け放ち、朝の光を室内に取り込もうとする。
柔らかな風が、緩やかに侵入を果たす。
風は室内を二回程巡り、青年の肌を撫でた。
黒髪がフワリと舞う。彼の眇めた金の瞳が一瞬隠れ、やがて吹き過ぎた風の残した、机の上の小さな花を見て、穏やかに微笑んだ。
――魂の在処は砂塵と帰し……。
FIN
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