<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


本日はスト日和

■オープニング

 その日依頼人として黒山羊亭を訪れたのは、リフと名乗る青年だった。
 宮廷に仕える魔導師との事だが、黒いビロード製のローブ姿があまり板に付いていないところを見ると、恐らくはまだ新米なのだろう。
 それはさておき。
「先輩を探してほしいんです」
 リフの用件は単刀直入だった。
 一言切り出しておいてから、これでは要約しすぎて話が伝わらないと気付いたらしく、グラスの水をちびりと舐めてから、先の発言を補う言葉を後に続ける。
「先輩の名前はメルカ=グリフィス。魔導師団の副団長――兼、総務と人事と経理と渉外、それから魔法学院の講師を担当してる女性なんですけど……」
 そこでまた水をちびり。
「――逃げやがりまして」
「はぁ?」
 エスメラルダのみならず、場に集った全員の目が、一瞬真ん丸に見開かれた。
「上半期分の領収書の整理と学院の期末試験の準備で、先月から師団の営舎にカンヅメにしといたんですけど、今朝部屋に行ったらもぬけのからで……代わりに『もぉ嫌だ』って殴り書きが、壁にデカデカと書かれてました」
 それはつまり、仕事に嫌気がさしての逃亡という事だろうか。
 しかしその仕事量では、逃げたくなるのもわかるような……
「師団は万年人手不足で、先輩ひとり居なくなるだけでもかなりの仕事が滞るんです。団長は女房にでも逃げられたみたいに泣き続けて鬱陶しいし――ってワケで、ひっ捕まえてとっとと仕事に戻るように説得して下さい」
 一同の当惑顔に気付きながらも、けろりとリフは言い放った。


■黒山羊亭のテーブルで

 陽が沈み、徐々に賑わい始めた黒山羊亭。
 片隅のテーブルへと鎮座するリフを取り囲んだのは、四人の男女だった。いずれもメルカとは面識があるという者ばかりである。
「と云っても、僕達は云わば『仕事上の知り合い』ですからね。それにあの人は一筋縄では行かない相手のような気がしますし……」
 だから探せと云われても心当たりが――そんな含みを持たせた言葉と共に溜息をついたのは、アイラス・サーリアスだ。大きな眼鏡越しに考え込むような目を天井へ投げ、それからちらりと隣席を見る。
 その視線に動きに、こちらも溜息と共に頷いたのは葵だった。
「僕達が知ってるのはメルカの一面だけだからね――心当たり、無いの?」
「それがあればここには来ませんよ」
 何処となくのんびりした問いに、リフは泣きそうな声で反論する。「それもそっか」と、リフの隣でレピア・浮桜が苦笑した。
「それに、もし彼の方で心当たりがあったとしても、探しに来られるのが確実なんだし、メルカもそんな場所には行かないでしょ」
 彼女の指摘には一理ある。
 皆がそれに頷いた時、おずおずとした問いかけがアイラスの後ろから場に割り込んできた。
「メルカ様…どうかなさったんですか?」
 四人+まだ名前の出ていないもうひとりの視線がそちらへ動く。するとそこには、バケットや野菜の入った籠を提げ、不思議そうに小首を傾げているメイの姿があった。
「お買い物の帰りなんですけど、通りかかったらメルカ様のお名前が聞こえたので……」
 小さな天使はそう告げながら、事情の説明を求め一同の顔を見回す――

 ……が、

「――ッ!?」
 一体何を見つけたのか、ある一点で視線と表情を凍りつかせると、ぱっと後方へ飛びのいてしまった。
「どうしたの?」
 レピアが問う。
「いえ…あの……」
 ごにょごにょと返しながらも、一点凝視のままのメイ。
「あ〜……」
「……成る程」
 その視線が向かう先をちらりと見て、納得したのは葵とアイラス。
「ヤぁ可愛いコちゃん☆ マタ会えたネー♪」
 メイから見て一番奥の席では、葉子が笑っていた。自分の存在が彼女を凍らせていると知ってか知らずか、うひゃひゃとあ軽く手まで振っている。
「お仕事イヤンでメルりん逃亡しちゃったんだってサ。捜索願出てるンダケド、おジョーサンも探す?」
 うひゃひゃひゃひゃ。
 葉子の発言は事情説明として最低限の条件は満たしているが、それでもあまりに端折りすぎだ。
 露骨に彼を避け、そそくさと離れた席に腰を下ろしたメイに、レピアが更に詳しい事情を説明し直してやる。その間に、残りの者達は質疑応答を続ける事にした。
「心当たりの場所が無いなら、メルカが好きな食べ物とか興味を持ちそうな事とかは知らないかな?」
 葵がリフの方へと身を乗り出す。嗜好から潜伏先を絞り込んでみようというつもりらしい。
 ちびりとグラスの水を一舐めすると、それからリフは自分の頭の中にある先輩像を端的に答えた。

「酒飲みの甘党の植物バカです」
 ――シンプルすぎる回答ありがとう。

「最初のふたつは言葉通りと理解して……植物バカとはどういう事です?」
 一番最初の「逃げやがった」発言といい、先輩相手の表現としてはかなり雑なような……彼らの日常が垣間見えた気がして少しだけ口元を強張らせつつ、アイラスが更に詳細な説明を求める。
「固有種や希少種の栽培とか研究とか、専門がそっち方面なんですよあの人。営舎の横に、研究用の温室まで作ってるぐらいです」
 この発言に、誰もが奇妙な納得の表情を見せた。それぞれ思い当たるフシがあったのだ。
(ソー云えば、お屋敷にも温室があったッケ。アレも研究用だったのカナ?)
 その時は大して気にしなかった事柄だが、云われてみれば当てはまる。
「とりあえず――情報は少ないですけど思いつく所を探してみましょう。手分けした方がいいですかね?」
 アイラスが皆の顔を見回した。
「うん、その方が早いと思うよ。仕事が滞ってるのなら、あんまり時間はかけてられないし」
「それに、思いつく場所は皆様まちまちだと思いますので…」
 葵が即座に頷き、メイもまたそれに同調する。
「じゃあ、出発する?」
 早速レピアが席を立とうとした時、「質問〜」と手を挙げたのは葉子だった。
「メルりんは『隠れんぼ』に役立ちソーナ魔法は持ってるのカナ?」
「多分、持ってなかったと思いますよ。色んな物を小型化してあちこちに隠すなんて悪戯はたまにかまされますけど、あれも物体にしか使えなかった筈だし」
 ならば心配無用という事か。
 少しだけ胸を撫で下ろしながら立ち上がる五人と共に、リフもまた席を立つ。
「仕事が残ってるんで僕は一度師団の方へ戻りますけど、三時間ぐらいでまたここに顔を出せると思います。結果はその時聞かせて頂きますね」
 最後にそう云い残し、彼はバタバタと店を出て行った。その慌しさからすると、メルカの逃亡により発生している仕事の遅れはかなり膨大なのだろう。大変そうだ。
「ひとり居なくなっただけで業務に支障が生じる組織というのも、どうかと思うのですが…」
 メイの指摘はもっともだが、三時間というリミットを切られたのだから、こちらも行動を急がねばならない。
 少し遅れて、五人の男女も黒山羊亭を後にした。


■ベルファ通りの片隅で

 陽が落ちて既に二時間ばかり。
 ベルファ通りに並ぶ店々には明かりが灯り、往来は夜の盛り場の活気に溢れている。
「僕は酒場を当たってみようかと思いますけど、皆さんは何処を探しますか?」
 店を出てすぐに一同の顔を見回したのはアイラスだった。
「あたしは海…かな。仕事に疲れて逃げたとなれば、ひとりでのんびりできる場所に行きたくなるかもだし」
 レピアの視線が北の方角へと動く。ここから目と鼻の先にエルファリア別荘があり、そのすぐ裏手が海だ。別荘はレピアが暮らしている場所でもあるため、付近の地理は充分把握しているだろう。
「お屋敷を当たってみようと思います。お帰りになられている可能性は低いでしょうけど…でも、家の方に心当たりなど伺えるかも知れませんし…もし戻られた時の為に、私達が探していると伝言だけでもお願いしようかと」
 メイはひとつひとつの言葉を考えるように、ゆっくりとそう口にした。それから「葵様は?」と、首を傾け隣に立つ蓬頭を見上げる。
「僕は…どうしようかな? これと云って思い当たる場所が無いんだよな」
「もし良かったら、宿屋の方をお願いできませんか?」
 提案したのはアイラスだった。
「レピアさんも仰ってましたけど、仕事の疲れがたまってるでしょうし、何処かの宿で一休みしてるかも知れませんから」
「そうか、それもありえるよな――じゃあ、宿屋でいいよ」
 これで四人の分担が決定だ。
 残るは――
「俺様?」
 一斉に集中する視線をけろりと受け止めながら、葉子がひょいと自身を指差す。
「メルりんのオトモダチでも当たってみよっカナ。近所の家を聞いて回れば、オトモダチのヒトリやフタリは居るだろうしネ♪」
 ぴくり。
 その瞬間、メイの白い片頬が引きつったのを一同は見逃さなかった。近所を当たるという事はつまり、屋敷へ向かう彼女とは同方向なワケで……
「「頑張って……ね」」
 同情の響きのこもる言葉を口にしながら、葵とレピアがその肩を叩く。
 明らかに確実に危険人物扱いされているという事実は本人も充分察知しているようで、葉子の顔には場の空気を面白がる笑みが浮かんでいた。その笑顔のまま「サテ」と呟きながら、ちらりと横目の視線をメイへと流す。
「お屋敷街まで歩くの面倒ダヨネ〜。『闇渡り』使えば早いンダケド……」

 びくうっ!!!

 何かしら含みの感じられる視線と言葉に、あからさまにメイが反応した。いつかのように、また自分の影を移動経路に使われるのではないかと警戒し、アイラスの後ろへと露骨に避難する。
 ところが――
「ジャあ、俺様ソロソロ出発しマース☆」
 思わず身構えてしまった四人をそのまま、ひょろりとした長身をくるりとその場で反転させると、葉子は影ではなく自分の足を使って、スタスタとメルカの自宅のある方角へ歩き出したのだった。
「あれ……?」
 絶対「来る」と思ったのに。
 肩透かしを食らった格好になり、ほっとしたような拍子抜けしたような、微妙な視線が微妙な軌跡を描いて微妙なタイミングで黒衣の背中に集中する。
 返されたのは、いつも通りのとぼけた調子の言葉だった。
「事情があってネー。現在魔力低下中ナノ☆ ダカラ闇渡りが使いタクテモ使えないワケ――期待裏切ってゴメンナサイ☆」
 うひゃひゃ。
 ひらひらと手を振りながら、魔力の使えぬ悪魔の姿が雑踏へと消えてゆく。
 それを暫し見送ってから、ぽつりと呟いたのはメイだった。

「つまり、やるなら今……という事ですね」
 ――ゑ?

 小声のしかし真剣な響きのある呟きに、残る三人がぎょっとして彼女を見る。
 目がマジだ。
 ぶっちゃけ、据わっている。
「――……」
 直後に舞い降りたのは、白い沈黙。
 一秒、
 二秒、
 三秒、
 そして――

 ぽむっ。

 三人の手が同時にメイの肩を叩いたのは、四,七秒目の事だった。
「――頑張って」


■メルカ宅のお向かいで

(――?)
 背後にただならぬ気配を感じ、葉子はそちらを振り返った。
 メルカの屋敷の馬鹿でかい門がそびえている。しかし人の姿は無い。
(気のセイ…とは思エナインダヨねェ…)
 確かに気配は感じられた。
 しかもあれは殺気だ。
(マサカ…借金取りサンに嗅ぎ付けられたカナ?)
 そう考えた瞬間、口元に引きつった笑みが浮かぶ。実は彼は現在、魔力低下に伴う諸々の事情から借金苦なのだ。故に「殺気=借金取り」なんて図式が、頭にこびりついているのである。
 きょろきょろと、周囲を窺う。すると向こうに、ベルファ通りの方へと歩いて行くメイの背中があるのが見えた。
 ちらりとこちらを振り返り、途端にそそくさと駆け去ってしまう後ろ姿――さっきの気配が借金取りでないとしたらもしかして……
(マサカ…ねェ?)
 口元の引きつりが、更に大きくなった。
 嫌な予感は頭の片隅へ押しやりながら、正面へ向き直る。レンガ造りの家の玄関先で、若い娘がこちらを見上げていた。メルカの向かいの家の娘だ。メルカとは割と親しいと云うので、ちょいとばかり「小技」を使って警戒心を解き、色々聞き出していたのである。
(ホラ俺様だって、一応悪魔ダシ☆)
 ――つまり、「誘惑」したというわけだ。
 ふわふわと、夢見心地な目で葉子を見上げる娘の話によると、メルカはベルファ通りの酒場に、何件か行きつけがあるらしい。宿屋の主にも友人が多いとか。
 順調に聞き込みが進む。
 ところが――
「あ♪」
 不意に娘の意識が、葉子から離れてしまった。
「可愛いー♪」
 近くを通りかかった子猫に駆け寄り抱き上げる。
 葉子の事は、もはや見ようとすらしない。
「アララ〜……」
 猫にも勝てない誘惑能力――少し淋しい気持ちになった、魔力低下中の悪魔だった。


■そして再び黒山羊亭で

 三時間のリミットが迫り、五人が黒山羊亭へと戻ってみると、リフは既に到着していて、先程と同様に片隅のテーブルへと納まっていた。
「どうでしたか?」
 問いかける顔は明らかに三時間前よりやつれて見える。師団の方でどれだけの仕事と闘ってきたのか――葉子以外の四人の顔に、ちょっとだけ同情の色が浮かんだ。
「付近の酒場は全部当たってみたんですけど、残念ながら僕の方では発見には至りませんでしたね」
 アイラスの報告に、リフはがっくりと溜息をひとつ。
「お屋敷の方にも戻られていないようでした。使用人の方には事情をお伝えしておきましたので、もし戻られたらこちらへ連絡があると思いますけど…」
 しかし望みは薄そうだ。
 メイの表情からそんな気配を読み取ってか、更にがっくりと溜息がふたつ。
「海とか港周辺の酒場も覗いてみたけど、らしい姿は何処にも無し」
「宿屋にも居なかったしね」
 レピアと葵に立て続けで云われ、ぐったりと突っ伏し溜息が三つ。
「オトモダチが教えてくれた心当たりは、宿屋トカ酒場トカ…つまり、ぜーんぶ皆が調べたトコばっかりだったネ〜」
 メルカの友人達ですら同じ見解という事は、目の付け所そのものは間違っていなかったようだ。しかし今の報告にもあったように、そのいずれも空振り――ならば何処があるのだろう。
「これだけ探しても居ないなんて…一体どうしたのでしょう」
「事件や事故に巻き込まれてるなんて事は……まさかね」
 まさかとは思いたいが、ここまで手掛かりが無いとなると、もはやその可能性も考慮に入れるべきなのか。
 レピアの口をついたひとつの仮説に、テーブルの空気が重くなる。
 その時――
「ア。盲点発見……カモ」
 何かを思い出したように手を打ち鳴らしたのは葉子だった。黒と銀のオッドアイを、ひょいとアイラスの方に向ける。
「酒場、探したンダヨネ?」
「ええ。ベルファ通りにある店は、とりあえず片っ端から探しましたよ」
「でも一軒ダケ、見落とした店があんじゃネーノ?」
「え…?」
 彼は何を云うとしているのだろう――問われたアイラスのみでなく、誰もが意図を測りかね、きょとんと葉子を見るばかりだった。突っ伏した筈のリフまでが、目を丸くしている。

 ひょい。

 直後、長く伸ばした爪の先が示したのは、自分達の足元だった。
「――ココ。黒山羊亭だって、酒場ダヨネー?」
「あ……」
 云われてみれば、すっかり見落としていた。
 盲点中の盲点を指摘され、全員が呆然と声を上げる。
「それじゃあさ」
 のそのそと、葵が立ち上がった。
「こういう所を開けてみたら、案外コロンと出てきたりするのかな?」
 そう云って彼が手をかけたのは、すぐ横にあった物置の扉である。
「いくら何でも、それは安易過ぎるんじゃない?」
 せめて酒蔵とか上階とか、人の出入りの少ない場所から探すべきではないか。
 レピアがそう提案しようとするが、その時には、葵は既に物置を開けていた。

 コロンっ。

 同時に、中から黒いものが転がり出てくる。
「……え?」
 反射的に、そちらへと集中する視線。
「灯台元暗し――とは、正にこの事でしたね」
 六対の目が向けられる先では、黒いローブにくるまったメルカが、丸くなった姿勢でのどかな寝息を立てていた…。


■更にまだまだ黒山羊亭で

 捜索対象が見付かったからと云って、それで「めでたしめでたし」とはいかない。
 仕事に戻らせるところまでが依頼内容だ。
 しかし――
「私だって、命は惜しいぞ」
 師団で待ち構えている膨大な仕事を思ってか、やはりメルカは簡単には説得に応じようとはしなかった。
「団長も泣いてますし…それに僕だって泣きたいぐらいなんですよ〜っ」
「泣くだけならタダだ。好きなだけ泣いていいぞ」
 リフとの交渉は平行線のままである。
「仕事を放り出すというのは感心できませんけど、話を伺う限りじゃ過酷な労働条件みたいですしねぇ」
 アイラスもどう云えばいいかわかりかねているようだ。
「そもそも、組織としておかしいんだと思います」
 珍しくきっぱりと、メイが云い切る。
「戦闘だって前衛や後衛などの役割分担が確立し、互いに補える構造になっています。ましてや事務方でその状態とは…。人手が足りないのであれば、新たな人員を増やすなりシステムを改善するなりして、もっと円滑に仕事が進められるように配慮すべきです。そのあたりの根本的な問題についてどのようにお考えなのか、団長様にお尋ねしたいですね」
 今回の騒動を招いた原因は、組織の構造、或いは団長にあると考えているようだ。
「そう! 元を正せばあのオヤジが原因なんだよ!」
 自分の逃亡は棚に上げ、メルカが手を打ってその説に同調する。
「団員増やせって常々云ってるのに、新規採用には予算がどうのとか云って……ンなもん、予算会議で財務官にねじこみゃいいだろーがっ!」

 どんっ!

 怒りのこもった拳が、テーブルを叩く。
「ここまで切実な状態なんだから、説明すれば予算ぐらい下りそうなものなのにね。何で下りないの?」
 宥めるように肩を叩きながらも、レピアは聞きの姿勢だった。
「お人よしの上に気が弱い――団長がそーいう性格だからさね。予算会議行かせても、置物みたいに黙って座ってるだけなんだよ」
「それじゃ下りるものも下りないか…。ウエがそんな調子じゃ大変でしょ? 聞いてあげるから、今夜は全部吐き出しちゃいなさい」
 テーブルへと頬杖をつき、艶やかな笑顔でメルカを覗き込む。
「――って、ソートー鬱屈しちゃってるみたいダシ、喋りだしたら朝マデかかるかもヨ?」
 とか何とか茶々を入れながらも、さてどんな裏話が飛び出してくるのかと、葉子は野次馬根性丸出しの表情だ。
「このまま仕事に戻れって云うのも酷だろうし、少し発散させてあげた方がいいかもね」
 こくこくと首を揺らして云いながら、葵はふらりと席を立つ。
 ――この直後から、メルカの怒涛のまくし立てが始まった。
 とにかくもう喋る喋る。
 あの時はどうだった。
 この時はこうだった。
 ――自身の労働環境に関する諸々の鬱憤を、ここぞとばかりに列挙する。
「本当、無駄に苦労してるみたいね。それでも頑張ってきたあたりは頭が下がるな」
 それらのぼやきのひとつひとつに、レピアは辛抱強く相槌を打ち続け、
「やはり、団長様には改善をご検討頂かなくてはいけませんね…」
 メイは団長に談判する事で、すっかり方針を固めている。
「…あれ? 葵さんは何処へ行ったんでしょう?」
 立ち上がったままふらりと姿を消した葵を探し、アイラスがきょろきょろと辺りを見回せば、
「ここだよー」
 何故か彼は、厨房からひょっこりと顔を覗かせた。
「その話まとめて暴露本にスレバ売れるんじゃナイ? マージン三割で俺様が販売先紹介してアゲルヨ?」
 うひゃひゃと葉子は完全に面白がっている。
 そんな場面が小一時間ほど継続された後――
「少しは気が晴れた?」
 頃合を見計らい、レピアがメルカの手を取り立ち上がった。
「じゃあ今度は体を動かしてみない? もっとスッキリするから」
 妖艶な美貌に子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべ、そのままメルカを伴いステージへと足を向ける。
「踊りなんて出来ないよ!?」
「大丈夫、あたしがリードしてあげるから」
 焦りまくりの声とはしゃぎ気味の声が席を離れる。
「そんな悠長な事してる場合じゃありませんよ! 仕事はどーすんですか!?」
 これ以上遅れたらどうなるか――血相変えてリフがふたりを引きとめようとするが、
「まぁ…今夜ぐらいはいいんじゃないですか?」
 苦笑と共にそれを制止したのはアイラスだった。
「気の晴れないまま戻っても同じ事の繰り返しになるでしょうし……落ち着いた頃にもう一度僕達で説得してみますから、今日のところは大目に見てあげましょうよ」
「ですが――」
「あー、ハイハイ。そーゆー話はマタ今度☆ 細かいコト気にしてると、大人物にナレナイんダヨ?」
 まだ不服そうなリフの肩をぺちぺち叩きながら、葉子が強引に話をまとめにかかる。
「ツマリ一件落着ってコトで、俺様そろそろオネムなんだヨネ。現時点でも依頼の半分は達成サレテルんダシ、そろそろ報酬おくれでないカイ?」
 つまり理由はそこか。
 貰う物貰って、さっさと退散のつもりらしい。
 呆れの混じった溜息を洩らすリフに、うひゃひゃと相変わらずの陽気な笑い声を浴びせる葉子だが、この直後、彼は最大の失言をしてしまった。
「只今借金苦でヤバイのヨ。お給料払ってもらえるナラ、魔導師団で雇ってもらうっテノも――」

 きらーん☆

 リフの目が光った!
「入団してくれるんですか!?」
 人手不足解消なるかと、期待に充ちた眼差しが葉子を見る。がっしと腕を掴み、そのまま師団へ連行しそうな勢い――これには葉子も焦りまくった。
「マッテ! 冗談ダカラ!」
「あー…葉子さんだって魔法が使えるわけですし、それもいいかも知れませんね」
 にこにこと、確信犯なのかと問いたくなるぐらいにこやかなアイラスの言葉の前に、反論の言葉はさらりと流されてしまう。
「俺様過労死はイヤン!」
 冗談のつもりが本気にされるとは――身の危険を感じ取った葉子は、リフの腕を振りほどき、報酬もそっちのけで逃げに転じる事にした。

 だっ!!

 影に逃げ込む事が出来ぬため、脱兎の如く駆け出そうとする。
 ところが――

 ひゅるん! …ごんっ!!

 直後に鳴り響いた奇妙なふたつの音が、無情なまでの的確さで彼を捉え、その行動を阻害してしまった。
「あらいけない……手が滑ってしまいました」
 葉子の後頭部を直撃し、ごとりと床に落ちたイノセントグレイスを拾い上げながら、メイはさらりと微笑を浮かべる。
「何かよくわかんないけど、逃げようとしてたからつい……」
 いつの間に厨房から戻ったのか、聖水の縄を放った葵も、あまり罪悪感は無さげな顔だった。
 ひょろりと長い葉子の足に絡みついた、透明な縄――もう一方の先端は、葵の手の内にある。
「……」
 暫し無言で手の中のそれを見詰め続けていた葵は、一瞬だけどうしようかと皆の顔色を覗った後……
「――はい」
 何とリフに手渡してしまった。
「マッテ! …マッテ!!」
 葉子の悲鳴が響き渡るが、この場の誰ひとりとしてそんなもの聞いちゃいない。
「じゃあ、僕はこの人連れて先に師団に戻ってますから。実際に入団希望者が来たとなれば、団長も予算確保に動いてくれるでしょうし――早く報告しないと」
「あたしも……団長様にお話がありますので、リフ様と一緒に師団へお邪魔したいと思います」
「では、メルカさんは後で僕達が送って行きますよ」
「うん、心配要らないからね」
 勝手にサクサク話を進めてゆく。
「ダカらマッテ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 ある晴れたど真夜中
 師団に続く道――
 メルカやレピアまでがひらひらと手を振って見送る中、あっさりと、葉子は売られて行った…。

「……成仏してね?」

 葵さん、葵さん。
 引導渡したのが自分だって自覚…ありますか?


■エンディング

「はい、お待たせー」
 厨房から、甘い香りがテーブルへと運ばれてくる。
「何をしてたのかと思ったら、これを作っていたんですね」
「うん。甘い物好きだって聞いたし、疲れてる時はやっぱりお菓子だよね。皆の分もあるよ」
 踊り終えたメルカの前に差し出されたのは、ふんわり焼けたカップケーキだった。焼き色といい形といい、素人の作とは思えない程の出来映えである。
「紅茶と…それにチョコチップ? 案外器用なんじゃない」
 早速手を伸ばしながら、レピアも葵の隠れた特技に感心した様子だ。
「これを食べたら、そろそろ師団に戻りますか?」
 簡単な仕事なら僕達もお手伝い出来ますしと付け加えながら、アイラスがメルカを見る。
「んー…逃避しっぱなってワケにもいかないし、そうした方がいいんだろうね」
 散々愚痴って体を動かし、そうして甘いものにもありつけたメルカは、これで充分に気が晴れたらしかった。まぐまぐと口を動かしながら、アイラスの提案に素直に頷く。
「でも――」
 そこに一言割り込ませて来たのは葵だった。
「――その前に、彼女を送って何とかしないといけないみたいだよ?」
「え?」
 自分でもケーキを頬張りつつ、葵がある方向を指で示す。アイラスとメルカがそちらへと目をやると……
「あああああッ!」
 そこには、石像へと姿を変えたレピアが立ち尽くしていた。
 彼女が生身の体に戻れるのは夜の間だけ――つまり、いつの間にか朝が来ていたらしい。
「ごめんよレピアぁぁぁぁぁッ!!」
 しらじらと明けて行くベルファ通りの一画に、メルカの絶叫が響き渡った。


 さてその頃、魔導師団では――
「はい、これが先月分の活動報告書です。団員別にまとめてファイルにして下さい」
「何で俺様がコンナ……」
「それが終わったら、アクアーネで見付かった遺跡の調査、一緒に行ってもらいますから」
「ホントに過労死しちゃうカモ……(しくしく)」
 問答無用で仮入団手続きされてしまった葉子(註:相変わらず聖水の縄付き)が、リフの助手として働かされていた。
 そして団長の執務室では――
「そもそも組織のリーダーというものはですね、部下を纏め指示を与えるだけじゃなく、彼らが存分にその力を発揮できるよう、必要以上の負担がかからぬよう、環境整備の義務もあるのです。それなのに今回の事態を招いたという事はひとえに……(以下略)」
「………」
「――って、聞いておられますか!?」
 メイが団長を前にして、抜本的改革とそのための心得を延々と語っていた…。


 ちなみに――
 葉子と団長が解放されたのは、三日後の明け方であったそうである。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1063 / メイ / 女 / 13 / 戦天使見習い】
【1353 / 葉子・S・ミルノルソルン / 男 / 156 / 悪魔業+紅茶屋バイト】
【1649 / アイラス・サーリアス / 男 / 19 / フィズィクル・アディプト】
【1720 / 葵 / 男 / 23 / 暗躍者(水使い)】
【1926 / レピア・浮桜 / 女 / 23 / 傾国の踊り子】

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■         ライター通信          ■
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「本日はスト日和」へのご参加ありがとうございました。
すっかりコタツの付属品状態な日々を送っている、寒がりライターの朝倉経也です。

今回の依頼は「捜索+説得」という事で、皆様が何処を探されるか、またどうやってメルカを説得するか、プレイングを楽しみにしておりました。
「問答無用で強制連行」と書かれた方が居たら、その時は戦闘シナリオに突入する可能性もあったのですが…平和的に解決して何よりです。
しかも、魔導師団の万年人手不足状態も、何だか緩和されそうな気配ですし…ね(苦笑)。
本当にありがとうございました(礼)。
少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。

葉子・S・ミルノルソルン様
またのご参加ありがとうございます。今回も葉子さんは掻き回し役で、とても楽しく書かせて頂きました。
オチは……ああ来られたら、やはりこう返すのがお約束ですよね?(笑)
三日後の解放が文字通りの解放か、それとも葉子さんの逃亡によるものかはご想像にお任せします。

またお会いできる機会がある事を、心より願っております。