<東京怪談ノベル(シングル)>


 それは、遠い昔の話。
 歴史ではなく、物語として語られるだけの、遠い、遠い伝説。

 オレンジ色の光が徐々に色を濃く変えていく。
 太陽と交代に紫紺のマントを纏った月が、ゆっくりと空に昇っていく。
 白銀の光が一筋、エルファリア別荘の一室を照らすとき‥
「う〜〜ん! よく寝た‥」
 両手を高く上げ、身体を伸ばし立ち上がる影が一つ。
「最近は、夜が早くなったわね。さあて、遊びに行きましょうか?」
 ヒヤリ、肌を刺す晩秋の風に身震いを一つして、影は部屋を出た。
 時間が勿体無い。夜は‥短いのだから。

 ワクワク、ドキドキ‥。
 少女の心臓の音が聞こえそうなほどときめく笑顔とキラキラした目で、彼女はページをめくる‥
「ルディア! こっちに酒一本」
「こっちは仔山羊のロースト。早く頼むぜ、腹ペコなんだ」
「‥は〜〜い、いいところだったのに‥」
 本の間に栞代わりのナプキンを一枚軽く挟んで、ルディアは本をカウンターに置いた。
 パタン。
 風と重力が閉じた本を、細い指がひょいとつまみ上げる。本に目をやったルディアだったが、相手がなじみのレピア・浮桜であることを確認するとニッコリ笑った。
「あら、ルディア‥読書? でもここは本を読むにはちょっと不向きじゃないかしら?」
「ああ、レピアさん、いらっしゃい出入りの行商人さんから買ったんですよ。でも‥そうですね。実感してます」
 ルディアは馴染みの来客にそう言うと軽く肩をすくめて見せた。ひっきりなしに来る客とその注文で5分と本のページをくくっては見られない。
 それでも、続きが気になって手放せないのだから‥本の魔力とは恐ろしいものである。
「そんなに面白いの? その本? ふうん、『七つの石と風と夢』‥」
「面白いですよ。とっても」
「ふうん?」
 パラパラパラ‥手に取った本のページをレピアは捲ってみる‥、ふと、挿絵の一枚の絵に目が留まる。
「ああ、それですか? 冒険の始まり、お姫さまが石化されたシーンですね。こっちにいるのが勇者たちなんですって」
 マントを翻した魔王が姫の身体を黒き光で貫く。指先からゆっくりと白く固まっていく姫を冒険者達は苦々しそうに見つめて。
 勇者と仲間達の恋愛や、7つに分けられた姫の身体のかけらを見つける冒険や謎解き、そして最後の魔王との対決。典型的なジュヴナイル‥
「私、結構嵌っちゃって‥あ、そうだ。ねえ、レピアさん。この踊り子、レピアさんに似てませんか?」
 客の注文を捌いて一息ついたルディアが本を挿絵を指差した。
 そこには‥若い勇者や、魔法使い、吟遊詩人と共に空の髪、海の瞳の妖艶な踊り子が魔王に剣を向けている。
「だから私、ちょっと親近感を‥、ってどうしたんです? レピアさん?」
 本を見つめ、いや、見入っていたレピアは肩を揺すられてハッと、顔を上げる。
「何でもないわ‥ねえ、ルディア。この話が好きならば、こんなお話もどうかしら‥『七つの石と風の夢‥異聞』」
 本来なら童話なんて柄ではない、とレピアは笑うだろう。
 笑顔で、でもどこか寂しげな微笑で彼女は語り始める。踊り子の装束のまま‥
(「懐かしいわね‥あの時の話がこんな風に、残されているなんて‥」)
 誰も知らない、もう一つの伝説を‥

 大きくも小さくも無い、美しい風景と穏やかな人々。それが唯一の誇りと言われるその国は中央に座す王宮もまた、美しくしかしこじんまりとしていた。
 中庭にはテーブルが並べられ、人々が無礼講のご馳走に舌鼓を打つ。
 今日は王家のたった一人の姫君の誕生日なのだ。祝いの人々が小さな王宮に溢れていた。

「「「「‥わああっ!!」」」
 拍手と共に広間に歓声が沸きあがる。割れんばかりというのはこういうのを言うのだろうか。
 最後の一音と共に手を高くかざし、動きを止めた舞姫は、溢れる拍手の中、優雅にお辞儀をした。
 また声と、拍手の音が沸きおこる。
「いやあ、見事見事。神の降りたが如き舞を見せてもらった。心から感謝するぞ」
「お褒めにあずかり、光栄でございます。国王陛下」
「本当に、素晴らしい踊りでした。まるで夢を見ているよう。お父様、最高の誕生日プレゼントですわ」
「そうか、そうか‥」
 正面の二つ並んだ玉座から楽しげな声が広間に響く。
「それに、娘と‥亡き妻と顔立ちが良く似ておる。どうじゃ? そなた? 我が王家は先年王妃を亡くし、ワシは伴侶を持たぬ。正妃とはいかぬが‥王家に入る気は‥」
「ダメです、お父様。こんなお若く美しい方をお父様御一人に独占させるなんて、世界の損失ですわ。それに、今日は私の誕生日のはず‥。レピア様、とおっしゃいましたよね。これから私の部屋で旅のお話を聞かせて下さいませ」
 立ち上がった少女が白いドレスを翻し、自らレピアの手を取り、強く引く。
 ずるずるずる、強制拉致監禁だ。
 少女と少し肩をすくめながらも笑顔で従うレピアを、残された王も、他のものたちもどこか、柔らかい眼差しで見つめていた。
「やれやれ、またレピアの特殊能力発動だね。王族に妙に好かれる災難体質」
「でも、レピアは女の子の方が好きだからな。今回は喜んでついていったんじゃないか? お姫さま、食べちゃわなきゃいいけど」
 吟遊詩人の笑いに、剣士は笑っていいのか悪いのか解らない言葉で答えた。剣士はもちろん笑っている。
 酒宴が始まった広間の端で杯を傾けながら笑う者たちがいる。
 冒険者と言われるものであり、旅の途中で姫君の誕生祝に招かれたのだ。
 珍しい冒険の話、魔法で見せた炎の花。吟遊詩人の歌も城に閉じ込められている姫君を喜ばせたであろうと自負している。
 だが、何よりレピアの舞が一番だったようだ。
 魔法使いは見送った仲間と、さっきの姫の顔を頭の中で並べ、思い出す。
「確かに、ちょっと似ていたわよね。レピアとお姫さま。きっとお母様もレピアに似てたのよね。なら母親を慕う気分なのかも」
「それに冒険者に憧れがちだしな。王家の皆様ってのは」
「まあ、お互いが楽しければいいだろうさ。俺達にもいい気分転換になったしな」
 旅から旅、漂泊の中を生きる冒険者にとって、豪華な宿と暖かい食事、そして注目と喝采は何よりのもてなし。
 明日からの旅がまた頑張れる‥
 そんなことを思い、彼らが何杯目かの杯を開けたときだった。
「キャアアー!!」
「うわっ、ば、化け物!!」
 中庭にいた人々の笑い声が、悲鳴となって開け放しの窓から広間の中に響いてくる。
 冒険者はその本能で中にいるだれよりも早く、ベランダに出て‥そして見た。
 庭中に溢れる魔物たちと、それを率いる‥王宮よりも大きく黒い‥影。
『我は魔王なり。我は闇と魔の主にて、汝らの新たなる支配者となるものなり、我に跪き平伏せよ‥』
 稲妻のような太く、響く声は王国中に聞こえたであろう。人々の多くを震え上がらせるにそれは十分だった。
『王よ、答えよ。我に平伏するか、否か‥』
「否だ! 魔の者にこの国を渡すことなどできぬ! わが国より去れ!」
 威厳に満ちた王の言葉は、人々に安堵を与えた。‥僅か一瞬ではあったが‥
『ならば、貰おう。この国の宝、麗しの姫を‥』
 そう言うと影が、闇色の指を真っ直ぐ指した。ベランダの人々の奥。二人寄り添う娘の一人に黒い蛇が瞬きする間に絡みついた。
「キャアアァ!」
「姫!」
「させるか!」
 囚われた娘が闇の手で空中に浮かぶ直前、剣士はその蛇を剣で切ろうとした。
 だが‥
「何?」
 まるで風を切るように手ごたえ無く剣は地面を叩き、娘は闇に引き寄せられ影に抱かれた。
 白いドレスが影の中でまるで旗のようにかすかに揺れる。
「‥レ‥さ‥ん」
「何?」
 冒険者達は残された娘とその呟きに、囚われた方の娘を見た。あれは‥
「娘を返せ!」
『この国の姫は我を滅ぼすと魔の予言あり、故に我が手にて封じる。これによりて我を滅ぼすものなし』
「まて‥その娘は‥!」
 冒険者達の声が止まった。彼等は救おうとした。囚われた彼女を。
 だが、白いドレスの娘は首を降る。そして誇り高く顔を上げた。
 高貴に、そして優しく微笑んで‥
 ピキン!
 次の瞬間、娘の全ては凍りつく。そのしなやかな指も、蒼い髪も、アイスブルーの瞳もドレスの色と同じ白い‥石と変わった。石版に封じられたのだと冷静に考えられたものは少ない。
 彼女を抱いていた黒い手が開かれて、地面に落ちる。
「‥!!」
 誰もが目を閉じた。鈍い音と共に石版は砕かれる。頭部・胸部・下腹部・右手・左手・右足・左足7つに分かれた破片は黒き光に包まれ、影の周囲に浮かぶ。
 美しさを湛え目を閉じた頭部を、影は満足げに抱きしめていた。
『これで、もはや我を滅ぼすものなし。人の子よ。足掻き苦しむが良い。‥希望をやろう。この7つの石を見つけ集められれば姫は戻る。魔の将に守られた7つの石を‥な』
 人々は泣き崩れ、地面に膝をついた。
 平和だった国に嘆きと、苦しみが今広がっていく。 
『人々の涙、苦しみ、絶望こそが我が喜び。さあ、苦しみ、嘆き‥そして我に跪け。明日の朝の光の後、安らかな夜は‥この国には永遠に訪れぬ‥姫が戻らぬ限り』
 そう言うと魔王は闇に溶けて、消えた。
 石像と化した娘と、この国の喜びと‥幸せを全て連れて‥
 残された魔物たちが暴れ始める。人々の悲鳴が再び響く。
「クソッ!」
「許さない!! 絶対!」
 ベランダから飛び降りた冒険者達は魔物に、躊躇わず切り込んで行った
 

「そ、それで‥そのお姫さまは?」
 ルディアの言葉にレピアはハッとした。
 いつの間にか白山羊亭の音楽も止まり、おしゃべりも止み厨房の人間までが話に聞き入っていたらしいことに、気がついたのだ。
「みんな、結構こういうの好きなのねえ。意外だこと」
「ごまかしてないで、早く続きを教えてください〜〜」
 ルディアのお願い顔にレピアはクスッ、小さく笑うとカウンターに座りなおした。
「実は攫われたお姫さまは、本当のお姫さまじゃなかったの。夜のうちに踊り子と入れ替わっていたのよ‥一晩だけって約束でね」
「へえ‥」 


「許さんぞ! お前はこの国の唯一の跡継ぎ。それが魔王を倒しに行くなど、絶対に許さん!」
 顔を赤く怒りに吹き立たせる王の前で、彼女は立っていた。身体を包む服は‥踊り子の、レピアの衣装。
 その瞳は揺ぎ無く、真っ直ぐに父王を見つめて彼女は言った。
「いいえ、私は行きます。レピアさんが捕まったのは私のせい、私が本来ああなるはずだったのですから」
(「そう、あの夜、一晩だけとレピアさんにせがんで私と彼女は服を取り替えた。一晩だけ冒険者の気分を味わうつもりだった‥」)
 
『冒険者っていいですね。自由で楽しそうで』
『そう気楽なことばかりではないけどね』
『私も、冒険者になれたらいいのに‥』
『冒険者は冒険しているだけじゃ、本当の冒険者じゃないのよ。勇者が、勇者では無い様に‥』
『??』

(「あの時、私はレピアさんが攫われるのを黙って見ていた。本当は名乗り出て止めなくてはならなかったのに‥」)
 目を閉じて、また開いた姫の顔はさらなる決心を目に湛えていた。
「私は、レピアさんを助けに行きます。魔王を倒して、この国を救います。それがこの国の王家の娘としての勤めです」
「だが‥、お前一人に何が‥」
「一人じゃないぜ」
 背後に感じた言葉と視線に姫は振り向いた。そこには、レピアとパーティを組んでいた冒険者達が‥
「俺達が一緒に行く。レピアをこのままにしてこの国を去るなんてできない」
「貴女が魔王を倒す鍵だと言うのなら、私達は貴女を守るわ。レピアを助けるために力を貸して?」
「貴女を仲間として迎えます。一緒に戦いましょう。 王よ。姫をどうか我々にお預けください」
 昨夜、民を守り今、また魔王を倒すと言う冒険者達にの目に、言葉に王はしばし返す言葉を捜した。
 愛する娘を失いたくは無い。だが‥
 王宮のベランダの向こう。山脈の中ほどに黒き魔城が見える。見えても触れられぬ‥
 あの城があるかぎり、この国に平和は訪れぬ。娘を守っても譲るべき国がこれでは‥
 謁見の間に広がった沈黙を最初に破ったのは、王だった。
「‥必ず、生きて戻るのだぞ‥」
「お父様!」
「冒険者‥いや、勇者達よ。娘と‥国を頼む」
 娘の髪を撫でながら頭を下げた父王の言葉に、冒険者達は頷き誓った。
「必ず!」
 と‥

 城を出て冒険者達は歩き出す。一刻も早く‥
「姫さん、あんたは解るのかい? 石になったレピアの居場所」
「はい、なんとなく。入れ替わったことでレピアさんを感じられる。それが私の力なのかもしれません」
 そうか、歩きながら剣士は思う。レピアとはまったく違うけれど、彼女ももう仲間だと。
 そして大事な仲間を救い出すために全力を尽くそうと‥
「ねえ、お姫さま、貴女の名前は? なんて呼べばいいのかしら‥」
「‥レピア、と呼んで下さい。本当の名前は城に戻るまで捨てます。レピアさんにこの場所をお返しするまで、私は‥レピアです」
「解った。行くぞ。皆、そしてレピア!」
「はい!」
 彼らの冒険の旅は始まった‥


「はい、お話はここでおしまい」
「え〜〜、いい所なのに〜」
「ここから先の話は、その本と大差ないわよ。艱難辛苦を乗り越え各地に散った石版を集め勇者達は魔王を倒しましたとさ。めでたしめでたし‥」
 ひょい、カウンターから飛び降りるとレピアはルディアの訴えるような目線も、客たちの物足りなさそうな視線も無視して吟遊詩人に合図を送った。
 詩人はああ、と頷くと竪琴をはじき陽気な音楽を奏で始めた。
 レピアは音にあわせてリズムを取ると‥一気に踊り始めた。
 見ていると胸が熱くなるような舞。
 お客たちも、もう話のことなど忘れてレピアの踊りに夢中だ。
(「踊りの中にいれば、忘れられる。普段は思い出すことなんて、無かったのに‥」)

 石版に封じられていた数年間を思い出すことはできない。
 でも、彼らと共に生きた時間は彼女の宝物だ。
 今は遠い昔のこと。
 歴史ではなく、物語でしか語られないほど‥。
 仲間も既に無く、王国もなくなって久しい。
 「けれど、あたしは生きている‥。ちゃんと覚えている」)
 いろいろなことはあったけど‥今もこうして踊っていられる。それだけで幸せなのかもしれない。

 ルディアも本を置き、レピアの踊りを見つめた。
 今日の彼女の舞は彼女の思いを受けて、観客の思いを返し、いつにも増して熱い。
 どんな面白いお話よりも、生きている人間の人生以上に熱いものは無いのかもしれない。
 魅力的なものも‥

 そっと汚れないようにルディアは本をカウンターの下に戻した。
 本の最終ページは、仲間達に囲まれ幸せそうに微笑むレピアの笑顔で閉じられたハッピーエンドだとルディアが知るのはそれから数日後のことである。