<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『オウガストのムーンストーン』

<オープニング>
「・・・水」
 黒山羊亭に入って来た大酒呑みの青年は、客にあるまじきオーダーを告げた。擦り切れた若草色のローブ。大振りのピアスもブレスレットも、所々石が取れているのは、売り払ったからだろうか。
「あら、オウガスト。で、『水』って、ペリエ?ヴィッテル?」
 エスメラルダは怯まず笑顔で尋ね返す。例え相手が貧乏詩人でも。
「ただの水。・・・テーブルを一つ貸して欲しいんだ。うまく仕事が取れたら、ボトルを入れるから。約束する」

 オウガストは、隅のテーブルで店を広げた。握り拳ほどのムーンストーンの球体をベルベットの布に鎮座させ、9枚のカードを裏向きに3×3に並べて行った。カードには、それぞれ違う言葉が記されていた。『ハンカチーフ』『口紅』『花冠』『おたまじゃくし』『兎』『象』『悲観の弓』『癒しの果実』『怒りのブーツ』、この9つの言葉だ。
 透明だが、光が当たると一部が微妙に青や紫に輝く石は、店の暗めの照明で妖しい輝きを増す。カードも、複雑な曼陀羅模様が描かれた美しいものだった。
 物見高い酔客たちが、なんだ?と集まって来る。
「この中から、3枚カードを引いていただきます。そこに書かれた言葉を使って、私がお話を作ります。と言っても、ただ語るのではつまらないので、夢で、リアルに体験してもらおうと思いまして」
 男は、夢を操ることができるようだ。
「催眠術とは違います。ここの世界では、前の椅子で数分間、静かに寝息をたてているだけです。
 銀貨10枚で、別の世界へ。いかがでしょうか?」

* * * * *
「見ている夢は、このムーンストーンに映し出されますので、他のお客さんもご覧になれます」
 オウガストは、そう付け加えて球体を撫でた。
「面白そうだな」と、テーブルに銀貨を置いたのは、自ら藪医者だと豪語する白衣の青年、クレシュ・ラダだった。彼は細い指でカードを繰った。節の目立たぬ長く白い指のしなやかな動きは、メスを握り繊細な手術を行う様を想像させた。クレシュが引いたカードは『花冠』『兎』『悲観の弓』。
「僕もいいですか?」
 眼鏡の奥のブルーアイを好奇心で輝かせ、武闘家のアイラス・サーリアスも、シャッフルされたカードを3枚めくる。
「あ、重なってしまいましたね。『花冠』『癒しの果実』『悲観の弓』です」
「夢で冒険ってことは、この場で眠るんだよな?ワタシは寝付きは悪い方なのだが」
「僕も、人前ではなかなか寝付けません」
 テーブルの周りには、十数人の野次馬が集まっていた。二人がそう思うのも当然だ。だが、オウガストは、にっと笑うと、皮紐でクリスタルを括ったペンダントを取り出した。
 二人は、スモークのかかった半透明な石の揺らぎに、驚くほど早く瞼を閉じた。

< 1 >
 麦畑が、金色の海原のように広がる。その中を、オーバーオールにネルシャツ姿のアイラスが走っていた。白衣の青年・・・クレシュを率いて。聖都でもその付近でも無い、どこかもっと田舎の農村らしい。アイラスは、農具を立てかけた粗末な柵を飛び越え、その家のドアを開けて医者を招き入れた。
「先生、早く診てやってください。僕の大切な婚約者なんです!」
 言ってからアイラスは『あれ?』と思う。自分に婚約者なんて居ただろうか?そこで気づく。ああ、これは夢なのだ、と。
 夢の中で出会う恋人。どんな女性だろう。可愛いひとだといい。重病だという設定を忘れ、少しときめくアイラスだった。

 ムーンストーンの中、麦畑がきらめくのに見とれていた観客達は、アイラスの反応の微笑ましさに笑いを洩らした。
「アイラスさん、19歳の青年ですからね。夢の最中、現実との違和感で『あれ?』と思うことがありますよね。ムーンストーンの夢にも、時々本人の意識が介入して来ます」
 オウガストは、皆にそう説明すると話に戻った。

 ぐったりとベッドに横たわるのは、黒髪の美女・・・。
『なんだ。エスメラルダさんじゃないですか』
 
「“なんだ”って何よ!がっかりしてるって、どういうことっ?」
 客の一人が「まあまあ」とエスメラルダをなだめる。

 診察を終えたクレシュの表情は暗かった。
「ある種の毒虫に刺されたようだ。健常者なら2日ほど高熱が出て自然治癒するのだが・・・。貧血や、血液バランスの悪い者は命にかかわる。婚約者殿は・・・」
「たぶん、アルコール濃度がかなり高いと思います」

 ギャラリーは、どっと笑った。エスメラルダは肩をすくめる。

「これはもう、<癒しの果実>に頼る他は無いだろう」
 マーシー・チェリー。血のように赤いその実は、体の毒を消し去り、血液を正常に戻す力があると言われている。
「でも、そんな伝説の果実がどこに?」
「この村の近くなら、カナーズ島だな」
「わかりました、取って来ます!形はどんなものですか?」
「果実はブラッド・チェリーによく似ている。見分けるとしたら『葉』だ。絵で描いてみせようか」
 クレシュは、白衣の胸ポケットからメモ紙とペンを取り出した。中心線が一本。楕円の外側はギザギサ模様。まるで幼児の絵だった。すべての葉っぱがコレであるようにも見えたし、どの葉っぱとも違うようにも見えた。
「・・・。」
「絵は苦手なんだよ。・・・仕方ない、ワタシも付いて行こう」

< 2 >
 カナーズ島は、湖に浮かぶ個人所有の島だ。近くの村まで来て知ったことだが、公共の定期船は無い。使用人の買い出しの為、3日おきにカナーズ邸のボートが岸に着くだけだ。岸に立った二人は、途方に暮れて、島がぼうっと霞むのを見ていた。
「泳げない距離では無さそうですが」
「いや。水面の岩のようなものは、鰐の背だよ。それとも、鰐を倒しながら進むかい?」
 そんな二人に、近づいて来た影があった。
「旦那、旦那。いい話がありまっせ」
 ニンジン柄のアロハを着た白<兎>は、サングラスを少しずらし、赤い瞳でにやりと笑ってみせた。足元は女物のサンダルを突っかけている。
「この橋の通行料は金貨2枚や。安いもんやろ」
「橋?どこに橋があるのですか?」
「まあ、見てなはれ。・・・せいれーつ!」
 白兎が叫ぶと、湖の鰐達が一斉に動き出した。兎は片手に金属バットを持っていて、「おらおら、早く並ばんかい」と、数回地面を叩いた。草がめくれて、バットの先に湿った土がこびりつく。
 吊り橋の枕木のように、百頭ほどの鰐の背中が一列に並んだ。それは島の船着場へと伸びている。
「助かりました。はい、金貨2枚ですね」とアイラスが白兎にコインを手渡すと、「おいおい〜、一人が金貨2枚や」と大袈裟に肩をすくめ、バットを医師の胸の前に突き出して制止した。
「交通費は、依頼者持ちだよな?」
 クレシュの言葉に、肩を落としてさらに金貨を取り出すアイラスだった。

「すみませんが、背中を踏まさせてもらいます。ごめんなさい。痛くないですか。あ、すみません」
 アイラスは、鰐に謝罪しながら進み、ブーツの底が強く当たらないよう細心の注意を払った。
「アイラスくん、さっさと行こう。目が合わないように」
 クレシュの方は、視線を下げないよう慌てて渡る。
「先生は鰐が怖いのですか?こんなに可愛いのに。鎧のようなゴツゴツとしたかっこいい皮膚。急ぎでなければ、一頭ずつ撫でたいくらいですよ〜。あ、こっちを見た。目なんて金色ですよ。綺麗だなあ」

 ここで観客は爆笑、拍手喝采だった。エスメラルダが、「アイラスって、婚約者のあたしに対してより、鰐の扱い方が丁寧じゃない?」と呟いたせいだ。

 渡り切った島の側には、毛並みをオールバックに整えた黒兎が、白い麻のスーツのポケットに前脚を突っ込んで立っていた。兎の靴は白のエナメルである。
「お疲れ様でした」と、二人に手を貸して、地面に渡る手助けをした。
「鰐くんたちも、ご苦労だった」
 黒兎の言葉で、鰐は散会した。物腰といい言葉使いといい、こちらは幹部クラスのようだ。
「カナーズ邸においでかな?」
「いや、そういうわけでは」とクレシュが否定したが、アイラスは「敷地の果実をいただくのですし、ご挨拶した方がよくないですか?」と提案してみる。
「果実を?」と黒兎が尋ね返した。
「ここの城主は、ひどい吝嗇家ですよ。自分のモノは、花びら一枚たりとも譲らないでしょう」
「ってことは、さっと採って、さっと逃げるのが得策かな?」
 クレシュが、いたずらっぽく笑った。

< 3 >
 島に上陸して、二人は花のアーケードに見ほれた。そう背の高くない木々の、白い小さな花を抱いた枝が絡み合って、道に屋根のように覆い被さっている。花は丘の頂きに向かう。頂上に、城がそびえ立つのが見えた。
 まるで、オーガンジーの淡い布が、頂きからひらりと降ろされているみたいだ。甘い香りは、花のものなのか、それとも葉のものなのか。
「綺麗ですねえ」
「ああ。だが、見とれている暇は無いよ。思ったより広い島だな。『癒しの果実』の森を探すのは骨だぞ」
「旦那、旦那。いいモンがあるンだ」
 茶色い兎が、クレシュの背中を叩いた。この兎は、ランニングシャツに直接ジャンパーを羽織っていた。野球帽を反対にかぶり、耳に赤鉛筆を差し、スニーカーを潰して履いている。片手には競亀新聞を握っていた。
「誰かが病気で、『癒しの果実』を採りに来たンだね?この島には、12種類の果実や花が整理されて植えられている。この区画の左には、梨の花畑。右はプラムの花畑。城の向こう側には、林檎の森がある」
「目的の森の場所を教えてくれるのか?」
 クレシュが、兎の前脚を握った。
「白衣の旦那、察しがいいねえ。島の地図があるンだが、金貨3枚で買わないかい?」

 二つ隣の区画が、マーシー・チェリーの赤黒い実が色づく森だった。葉は青々と茂り、濃い紅の宝石が風で揺れた。
「これで彼女を助けられます」
 アイラスは、一握りほど摘むと、布の袋に入れて胸ポケットにしまった。
「乾燥して保存し、キミの婚約者以外にも役立てよう」
 クレシュは、両手に持ち切れないほどちぎり、白衣のありとあらゆるポケットに突っ込んでいた。

 城の窓から、双眼鏡でその様子を見つめる女城主の存在に、二人は気づかなかった。
 女は、森に潜む弓使いへ、手鏡をきらめかせて合図を送った。

「うわっ!」
 アイラスの水色の髪を弓が掠った。森の深い緑の中からそれは放たれた。
「しまった!先生、城主側に見つかったようです!」
 クレシュは仰向けに倒れていた。胸が赤く染まっている。
「せ・・・先生?」
「アイラスくん・・・ワタシはもうだめだ。『癒しの果実』を持って、港へ急げ!」
「だめって?」
 アイラスは、クレシュの傍らに落ちている矢を拾い上げた。
「先が粘土になってますけど?まあ、痣くらいは出来ているでしょうが。果実が潰れて染み出しただけですよ?」
「・・・。」
 クレシュは、のっそりと上半身を起こす。
「かっこ悪い・・・。みっともなくて、ワタシはもう生きていけない」
 膝を抱えてめそめそと泣き出した。
「どうしたんですか?早く立ち上がってください!先生を置いては逃げるわけに行きません」
 アイラスは白衣の袖を引っ張る。だが、クレシュは頑として立ち上がらない。体を丸めて泣き続けた。
「無駄よ」
 たん!と木の上から飛び下りた声の主は、弓を握ったまだ若い少女だった。
「これは<悲観の弓>。数十分は、こんな精神状態が続くだろうね」
 そしてアイラスに向かって再び狙いを定める。
「城主様が、くだもの泥棒にご用だよ」

< 4 >
「なんで掴まってしまったんだ〜。ワタシ達は運が無いのか〜」
 城に連行され、城主の応接間に通されても、クレシュはまだ嘆き続けていた。
「そろそろ効き目は切れると思うケド。このヒト、効き過ぎだよ」
 弓使いに呆れられてしまった。アイラスは、彼が楽観主義者だと思っていたのだが。それは悲観主義に陥りやすい性格をカバーする為の、裏返しのカモフラージュだったのだろうか。
「キャビィ、ご苦労〜。くだもの泥棒って、こいつらね!」
「あれ。ルディアさん」
 金糸銀糸のドレスにレースの扇子、生花を飾った帽子。成金趣味のファッションで登場した女城主は、現実では白山羊亭のウエイトレスの少女だった。護衛で横に立つ兵士にも見覚えがあった。店のコック見習いの青年だ。
「ダメじゃない、くだもの、勝手に取ったら!」
 口調も、ウエイトレスの時のそのままだ。
「あ、はい、す、すみません・・・」
「あら。二人とも若い男のヒトじゃない!この島は、人が寄り付かなくて。私のお婿さんになってくれたら、放火強盗殺人罪はチャラにしてあげる〜」
 誰が連続放火強盗殺人だっ!?(いや、『連続』までは言ってないが)それに、人を集めたいのなら、島の周りに鰐を放つのをやめればいいのに。・・・と思うアイラスだったが、囚われの身なので、反論は差し控えた。
「僕は婚約者がいるのです」
「ワタシだって、強いられた結婚なんて嫌だ。ううっ」
 クレシュは、白衣の袖で涙をぬぐった。
「どちらがいいかしら。一人を夫にして、一人は愛人でもいいわ」
 城主は全く聞いていないようだ。帽子を脱いで、胸に抱いてはしゃいでいたが、ふと飾りの花がしおれているのに気づいた。
「私の為の<花冠>を一番美しく作った人を、私の夫にするわ。さ、日没までに、素敵なヤツを作って来てね!
 ファイティング・コック、あなたが見張りで付いて行ってよ」
 名指しされた護衛兵は、えーっ!という不服そうな表情になったが、ロープで縛られたアイラス達を、再び庭へと連れ出した。

 花を摘むので、アイラス達の手枷は外された。しかし、右手に肉切り包丁、左手に菜切り包丁を握る『闘う料理人』の監視付きだ。
 薔薇やスイトピーの花壇で花を選びながら、アイラスは抜け目無く当りを見回した。庭師が無造作に地面に放置したらしい、シャベルや三叉鍬が視界に止まった。
『三叉鍬なら、武器になりそうです』
 ここでは、平穏な農夫のはずなのに。闘いの記憶は、アイラスの爪先から、ひたひたと染み上がって来る。あの柄の長さなら、あの辺りを握れば効率がいい。三叉は、包丁の刃をうまく咬ませて防げる。払って、柄の中央で脇腹を打つか、壁に追い詰めて三叉を喉に突きつけるか。
『僕は・・・何?農夫のアイラスじゃないの?』
 この容赦のない、隙の無いシュミレーションは何なのだろう。畑を耕し、水を汲み、もうすぐ可愛いひとを妻にするはずの、ただの農夫の・・・。
 アイラスは自分の掌を広げて見つめた。指の付け根のマメ。日焼けした手首。確かに農夫のものなのに。
 夕陽が掌を照らす。まるで、血で染まるような赤だ。
『しっかりしろ、アイラス。これは夢だ。それも、“みんなが見ている”夢だぞ?』
 夢と現実。本音と建前。表面と内面。めまいがしそうだった。激昂と平静、混沌と・・・混沌と、何?
 アイラスは頭を振った。
『僕は大丈夫だ。いつも大丈夫だったのだから』
 そして、医者に近づくと小声で囁いた。
「僕が監視を足止めします。先生はこの島を脱出して、エスメラルダに『癒しの果実』を与えてやってください」
「しかし、それではキミが」
 まだ弓の効果が続いているのか、医師の瞳は潤んだ。
「彼女を助けるのが第一です。僕は自力で何とかしますから」
「わかった。だが、必ず追いつけよ」
 クレシュは、立ち上がると一気に走り出した。港へと向かって。

< 5 >
 クレシュを追おうとした監視兵の前に、アイラスが立ちはだかった。素早く手にした三叉鍬を構えながら。アイラスの腰の入り方を見て、監視は包丁を握ったまま、「ただの農夫じゃないよなぁ」と苦笑した。
「あんたとは、闘いたくないな」
「では、なぜ構えを解かないのですか?」
「上から見てるんだよ、ルディア様が。俺も雇われの身なんでね。
 俺は2、3回切りかかって、やられたフリをするから、それから逃げてくれ」
「見逃してくれるのですか?」
「俺にも、故郷に許嫁が待っててね。しかも、青い髪に青い瞳で。男のあんたは、女に似てると言われたら不愉快かもしれないが」
「・・・。」
「俺には、絶対あんたは切れないのさ。命乞いをしているのは、俺の方なんだよ。
 だいたい、その構え。あんたの方が絶対強そうじゃんか」

 花壇に倒れた監視を後にして、アイラスも港へ走り着いた。黒兎のところで、クレシュはまだ足止めを食らっていた。
「どうしたんです?とっくに行ったと思ってました」
 兎が、代わりに答えた。
「帰りの通行料がね。こちら、現金をお持ちでなかったので」
 ひっくり返したシルクハットを、アイラスの胸に突きつける。
「後からキミが来て払うと言うのに、聞き入れてもらえなかった」
 まったくがめつい兎だ。
「二人分、これでいいですね?僕らは急ぐんです」
 アイラスが、4枚の金貨を帽子に投げ入れ、鰐の橋へ向かおうとすると、兎にガシッ!と腕を掴まれた。
「お客さ〜ん。帰りは5枚なんですよ。一人につき金貨5枚」
「えーっ!だって、来る時は・・・」
「嫌ならいいんですよ、鰐にそう伝えるだけですから」

 大散財して鰐の橋を渡り切ると、陸の岸の方では白兎が待っていた。
「お疲れさん〜」
「ああ、むかつく兎達だ!」
 クレシュは、兎から金属バットを奪い取ると、「この強欲うさぎ〜!」と、一振りした。打たれた兎は、ひゅうと湖に飛んで行く。
「なにするんや〜!もっと動物を愛護せい!・・・うわあ、鰐やっ!」
 ぽーん。
 鰐は、鼻先で、兎をボールのように上へ放り投げた。ぽーん。次の鰐がまた鼻で宙に上げる。ぽーん。ぽーん。
 鰐達は、新しい遊びを見つけて楽しそうだ。兎はともかく、クレシュの行為は鰐の方は愛護できたようだ。
「目が回るやないか〜!降ろせ〜!」
 アイラス達は、婚約者が待つ村へ急いで戻る。背後ではしばらく兎の悲鳴が聞こえていた。

 家に辿り着くと、休息も惜しみ、果実をエスメラルダに与えた。だが、弱っている病人には果肉は飲み込め無かった。クレシュが、潰した状態のものをスプーンで口に入れようと試みたが、果汁が唇を赤く染めるだけだ。
「先生。ジュースにしてみました」
「ようし。アイラスくん、口移しで彼女に飲ませてやってくれ」
「えっ。ぼ、僕がですか?医者である先生がやってください」
「いやいや、婚約者の君が」
 紅の液体が波打つ器が、二人の手を行き来した。

「どう見ても、二人で押しつけあってるわね。失礼しちゃうわ」
 ムーンストーンを覗き込みながら、現実のエスメラルダは、赤ワインをごくりと飲み干した。

 クレシュが、病人の鼻を摘まみ、開いた口にスプーンで果汁を流し込んだ。エスメラルダの首の下に腕を入れていたアイラスが、彼女の頭を反らせる。口移し案は却下されたようだ。喉が動き、果汁が飲み下されたのがわかった。
「量は少ないが、これで様子を見よう。意識がしっかりすれば、果実の形でも摂取できるだろう」
「あ、ありがとうございました!」
 二人が見守る中、エスメラルダの顔色は薔薇色に回復していく。容体に安心したのか冒険で疲れたのか、医師が椅子に座ったまま舟を漕ぎ始めた。余分の毛布を膝にかけてやり、再び座ったアイラスだが、彼にも睡魔が襲ってきた。
『ああ、寝たらダメです。彼女が少し良くなったら、すぐに食べられるように、ポタージュスープを作ろうと思っていたのに・・・』
 だが、眠りの精はアイラスの意識を、糸巻のように絡め取っていく。

「ありがとう、アイラス。命の恩人ね」
 耳元で、聞き慣れた声が囁いた。その声の近さと、頬に何かが触れたのに驚き、アイラスは目を覚ました。
「エスメラルダさん。回復したのですね?よかった」
 どっと大勢の笑い声がアイラス包み、戸惑う。辺りを見回すと、ここは農家の寝室では無く、よく知る呑み屋の片隅だった。たくさんの見知った仲間達が、笑顔でアイラスを取り巻いていた。
「目が覚めた?」と、夢では婚約者だったはずの華麗な踊り子が、冷えたビールのグラスを差し出した。
 隣では既にクレシュも目覚め、オウガストと話が盛り上がっていた。医師の頬には、紅でくっきりと唇の刻印があった。
『あれ。そういえば、僕も』
 起きたのは、頬に何か触れたからで。嫌な予感がして、銀のビールグラスを掲げて顔を映した。
「あたしからのプレゼントよ。家に着くまで落としちゃダメよ」
「えーっ、だって、こんなに赤々と」
「口移しで飲ませるのを嫌がった罰よ」
 これは罰ゲームなのか?
「でも、起きたら妻が飲めるようにってポタージュを作る夫、すてきだわ。アイラス、あたしと結婚しない?」
「遠慮しときます」
「・・・即答しなくても。アタマに来るわね、反対の頬にもキスするわよ!」
 アイラスは、ビールグラスを握ったまま、笑って席を逃げ出した。テーブルには、もう何も映し出していない半濁透明の球体が、青白い光りを放っていた。

< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1649/アイラス・サーリアス/男性/19/フィズィクル・アディプト
2315/クレシュ・ラダ/男性/26/医者

NPC 
オウガスト
エスメラルダ
キャビィ(弓使い)
ルディア・カナーズ(女城主)
ファイティング・コック(護衛&監視兵)
兎たち

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
夢の中で、大散財のアイラスさんでした。お気の毒です。
きっと、結婚資金にと、コツコツお金を貯めていたのでしょうに。
農夫コスプレ?(オーバーオールにネルシャツ)のアイラスさんも、なかなかすてきな気がします。

* 福娘紅子 *