<東京怪談ノベル(シングル)>
□■□■ Fearless Fearness ■□■□
「ねぇ、どうして生きてるの?」
まどろみは夢か現か。私はただ感覚の入れ物になった身体で、眼を開ける。開けたつもり。実際には判らない、結局広がっているのは闇だった。漠然とした不信感はあるけれど、不安は感じない。どうしてだか、すべての感情が鈍麻していた。髪が視界を覆ってでもいるのかと、腕を上げようとして――止まる。
「ねぇ、どうして生きてるの」
声が聞こえる。目の前には赤い唇、白い首。細い顎に、少しだけ覗く鎖骨へ続くライン。濃緑色の服を縁取る、白い、外套。どこかで見たことがある。どこで、買ったんだっけ。そんなことに思考を移そうとした所で、もう一度声が響いた。
「どうして生きてるの」
どうして?
どうしてそんなに硬い声音で。
どうしてそんな嘲るように。
誰を?
私を?
――不意に、視界が開けた。
「え? ぁ」
「ジュリス、ボッとするな!」
「ぁ――わ、かっているわ!」
怒鳴りつけられて私は剣を振るう、それはいわゆる条件反射に近いものだった。ここ。ここは戦場。戦場? だって敵が襲い掛かってくるのよ。戦いをする場所は、いつだって戦場だわ。間違ってない。仲間も戦ってる、私も戦っている。ほら、やっぱり間違ってないわ。いつも通りに薙ぎ倒す、いつも通りに駆逐する。私は戦士? 違うわ、ホーリーガード。ホーリーガードの、ジュリス・エアライス。そう、ちゃんと、憶えてる。判ってる。知っている。
「ッは、ぁッ!!」
剣を一閃させ、薙ぎ払う。どうして戦っているんだっけ、こいつらは何だっけ? なんだろう、頭の働きが少し鈍い気がする。えぇと――ああもう、霞が掛かっているみたい。まるで夢の中にでもいるみたいだわ。おかしい、血の熱さも剣の重さもちゃんと感じているのに、頭の奥だけが違うなんて。おかしい。何が? 何がおかしいの?
剣を振るう、薙ぎ倒して薙ぎ倒して。切り払って駆逐して。
そう、こうするのが私の務め。私の信念。ほら、仲間達も戦っている。私も引けを取ってなどいられない。戦い、守り、誇りを示す。私を示す。薙ぎ払え、血を振り落とせ。熱に浮かされるな、相手を観察しろ。迫ってくるなら最小限の動作で避ける、そして隙を力いっぱいに突き刺す。突き崩す。ほら、何も不思議なことなんて無い。
「ッひ」
「え?」
不意の悲鳴に私は視線を向ける。
黒。
黒い。
黒い衣。
「ぁ――」
そう、不思議、違和感。そして既視感、未視感。
私はこの戦場を知っている、経験している。剣のぶつかり合う音、強力にぶつけられた金属同士が火花めいたものを散らす。どうして私の足は動かないの? 違うわ、私はあの時、駆け出した。あの戦士。黒衣の。只者ではないと。だから、仲間を、助けようと。剣を振りかぶって。助けようと。
その前に、倒れて。
仲間は、倒れて。
倒されて。
圧倒的に。
半ばそれは陵辱のように。
例えるならば蹂躙のように。
そう、こんな、風に。
「ッ、あ――」
倒れた仲間の名前を呼んだ、そして駆け寄った。ぐったりとした身体、それを抱き起こして? でも出来なくて? 向けられた剣の先、そこにあったのは圧倒的な冷徹。圧倒的な非情。戦場という場所ですら、そんな異質の空間ですら、そぐわないほどに冷たいそれ。黒い。黒い衣と、向けられた、剣。どうして今、私の足は竦んで動かない? ちゃんと、駆け寄って、名前を、呼んで――
「あなた逃げたのよ」
「捨てて逃げたのよ」
「誇りも職も何もかも」
「友情も信頼も何もかも」
「逃げて命乞いをした」
「泣きながら助けてと言ったのよ」
「剣を握りもしなかった」
「挑むことなんてしなかった」
「臆病に臆病に臆病に」
「ねぇ、なんで生きてるの?」
「ここで死ぬべきなんでしょう?」
「死ぬべき時には死ぬべきよ」
ぐるぐるぐるぐる、止まった時間。目の前の戦士、黒衣が風に揺れてはためくことすらも止まっている。不自然に、重力に逆らって。倒れた仲間の身体から溢れていた血流も止まっている。どんどん広がろうとしていたはずのそれが、止まっている。土に染み込む事すらも拒否して、止まっている。
そして止まった私の周りで声がする。
私の声が、する。
逃げた。命乞いをした。不様に、何もかもを捨てて。
一度だって一瞬だってそれを後悔しなかったことなど無かった。
返り討たれても、それでも私は向かわなくてはならなかった。
誇りのため、仲間のため、そして何よりも自分のため。
それがどんなに恐ろしくとも、それがどんなに怖ろしくとも。
止まった時間を動かす、私は剣を握り締める。駆け寄る、友の元へ? 否、敵の元へ。
下るために?
否。
討つために。
振り下ろした剣が受け止められる、敵の時間も動く。私はギッと奥歯を噛んだ、少し不快な音が漏れる。ぎりぎりと、それよりももっと不快な音が――互いの剣から漏れた。擦れあう金属は粉を散らし、それが手甲にも落ちる。腕が痛んで、私は一旦距離を置いた。飛び退き、再び体勢を整える。相手も、同様に。
「――ここでは死なないから、ここで戦って傷を払拭しようと思っているわけじゃないわ」
私は、呟く。
「夢ですら立ち向かえぬ相手に――いざと言うとき、向かえる道理など無いでしょう。だから私は戦うのよ。どれだけ詰られても、私は向かう」
足を踏み出す。相手も動く。どう出るか。実際に相対した事は無い、だからこれは――私との、闘争。私の恐怖との闘争なのかもしれなかった。
「どれだけ――どれだけ、私が私を責めようとも!」
振り翳した剣は――
■□■□■
宿の洗面所で、顔を洗う。覗いた鏡には薄く隈が浮いていた。あまり安眠とは言いがたかったのだし、仕方ないといえばそうだろう。タオルで水分を取る。汗もびっしょりと掻いてしまっているから、シャワーも浴びようかしら。
そっと、私は自分の腕を撫でた。指を曲げて、剣を握る真似事をしてみる。そしてそれを胸に当てる仕種。それは、誓いのステップ。
いつか。
いつか直に相対した時も。
どうか私が竦むことなく挑めるように。
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