<東京怪談ノベル(シングル)>
【赤い涙】
栄華の面影を残さず、国は滅びた。
街はことどとく破壊しつくされ、清楚を極めた誇り高き城は風化の末路を辿るのみ。まさに一分の隙もなく、滅びた。上空には死者たちの悲哀が呼び寄せたかのような暗雲が立ち込めている。おそらくは雨が降るだろう。
敗北は決定していた。それでも彼女はたったひとり、戦い続けると決めていた。
ガチャリ、ガチャリと鎧の音が鳴る。最後の獲物を追い詰めた敵が、容赦なく迫っている。
居並ぶ軍勢を前にして、ジュドー・リュヴァインは誓うように独白する。
「戦いは全て強さのため、己のため、そう思ってきた。でも、今は違う。今、この時だけは――人々のために刀を振るう」
死の塊である敵がいよいよ近づく。なおも独白は続く。
「肉の一片、血の一滴までも、この国の人々に捧げよう。聞こえるんだ。守るべきを守れず倒れた、兵士の無念が。抗う術なく踏みにじられた、民の嘆きが!」
武士、ジュドー、参る! 彼女は叩きつけるように気を発した。空気がピリピリと振動する。
蒼破が宙を縦横に駆ける。突進してくる相手の戦士ふたりを立て続けに腹を断ち切り倒した。横からの兵の槍を真ん中から斬って捨てる。
筋肉が引き攣る。口は渇き、息は切れ切れだ。
剣戟は心地よくもない背景音楽となって、武士の耳に絶え間なく流れ込んでくる。塵を被った金の髪を振り乱し、蒼破を乱舞させる。そのあまりの凄絶さと必死が生み出す美しさに、唾を飲み込む敵も少なくなかった。
ジュドーは右頬が濡れているのに気付く。汗ではなかった。その雫は手に取ると赤い。赤い涙を流していた。
戦の傷か。それとも滅びの悲哀? あるいは怒りゆえか? 火のような闘志がさらに高まってくる。
どこにそんな力があるのだ! 軍勢たちは叫びながらジュドーに襲い掛かる。どこにも何もない。極限状態が己の力を最大限に引き出すことは、ジュドーにとって常識だ。
だが切り傷に刺し傷、すでに20を越える傷を身に受けている。体力は底を突こうとしている。さらに背中に剣の一撃を受けた。致命的とは言わずとも、大きなダメージに違いなかった。
完膚なきまでの四面楚歌は、絶望以上にこの世の地獄だ。人の身で切り抜けられる世界ではない。終わりが訪れないわけはない。
やがてジュドーは膝をつく。もはや肉体は極限の疲弊の中にあった。
無数の刃に取り囲まれた。お前はよくやった。そろそろ安らかな眠りにつけ。敵がそう言うのを聞いた。
まだ眠りにはつけない。肉体が朽ち果てようと、闘い続ける意思は欠片ほども衰えていない。この想いだけは何者にも砕けはしない――!
その時。
誰もが小さな太陽の錯覚を見た。ジュドーの愛刀、蒼破が輝き始めている。閃光がほとばしる。世界を覆うほどの強さと速さ、そして眩しさに軍勢は目を背けた。
「うああああああああああ!」
ジュドーは内から湧き上がる闘気を感じる。
――体は死すとも、闘争の意志を刻みつけん。
光で満たされた。ジュドーこそが、生命を燃やし尽くした光の化身だった。
限界を超え、さらなる境地へと達して――。
――自然と目を覚ましていた。
瞬きを繰り返してから視線を周囲に泳がす。見慣れた壁と床と天井。体は寝台の上にある。ここは自室だ。朝陽はとうに東の空から上っていて、部屋を隅々まで明るく照らしている。
柔らかさ、暖かさ。生の喜びの数々を感じる。
ああ、夢を見たのだ。――過去の記憶か。
ジュドーは身を起こした。深く深く呼吸をする。新鮮な空気が肺に行き渡る。
そこで気付く。心臓が興奮を覚えて高鳴った。
シーツに赤い雫が滲んでいる。そして右頬が濡れているのを認識する。
確認するまでもなかった。赤い涙だった。悲しみを湛える赤――。
【了】
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