<東京怪談ノベル(シングル)>
お酒はほどほどに?
もぐもぐと口を動かしていたミリアは、ついつい口元が綻んでしまう。
美味しい……!
じ〜んと感動していた彼女は、はふ、と小さな息を吐いた。
(感動です……。このお店はマイベスト料理店に名を連ねました……)
完全に陶酔状態のミリアは気づかなかったのだ。見られていることに。
*
「復讐だ」
低く、短く彼は言う。
鼻にテーピングがされているのだが、彼は叫ぶ。
「あの女に復讐してやるっ」
「うるせえぞ、黙れっ!」
鍵番をしていた役人が、鉄格子の隙間から彼の頭をモップの柄で叩いた。ごっ、と音がする。
顔を引きつらせた男は少しだけ涙を浮かべた。叩かれたところに、コブができていた。
とにかく始まりはこんな感じだった。
店のドアを押し開けて入ってきたガラの悪そうな男に、客たちは一瞬ぎょっとして動きを止める。
手を動かしているのは、店の奥で食事をしていたミリア=ガードナーただ一人。
嬉しそうに頬張る彼女を、男がじとりと鋭く睨みつけたが、食事に夢中の彼女が気づく気配は微塵もなかった。
「てめえ!」
びしりと人差し指をミリアに向けるものの、ミリアは無視してパフェを食べていた。
男の人差し指がぷるぷると怒りに震える。
鼻を怪我しているらしい男はこめかみに青筋を浮かばせた。
「おいコラてめぇ! そこのおまえだ、お・ま・え!」
怒鳴られて、やっとミリアが顔をあげ、それから周囲を見回す。
「なにキョロキョロしてんだ! おまえだよ、おまえーっ! そこのおまえ!」
「わたくし?」
ミリアは己を指差ししてから、ぱちくりと瞬きした。
あら、と彼女は首を傾げてみせる。
「どこかで見た顔ですこと」
うっすらとしか記憶に残っていないので、ミリアは彼をじ〜っと見つめた。
男はますます怒りに顔を真っ赤にし、鼻を指差す。
「この鼻を折ったのはおまえだ! 憶えてねえのかっ」
そこで初めて、ぽん、と納得がいったようにミリアが手を打った。
「小さな村を真昼間から襲っていた盗賊の首領さん!」
「そうだっ!」
「でもどうしてここに? あら。もう釈放されたんですの?」
「ンなわけねーだろうがーっ!」
怒鳴った首領の言葉に、ミリアは冷ややかな視線を向ける。不愉快そうに眉までひそめていた。
「まさかとは思いますけど、脱走?」
「ふっ。俺はなあ、おまえに復讐するために逃げ出したんでい!」
自慢にならないのに、さも自慢げに言う首領であった。ミリアは呆れて嘆息する。
「そんなことのために脱走するなんて……全然懲りてないんですのね」
「ふ。そんなふうにしていられるのも今のうちだぜ!
先生、せんせぇーいっ!」
ちょっぴり巻き舌で呼んだ「先生」とやらは、ドアを開けて入ってきた。店内の誰もが静かに様子をうかがっている。
入ってきたのはひょろりと背の高い男だった。ミリアは「まあ」と小さく声を洩らす。
「先生、あの女です!」
首領に言われて男はちら、とミリアを見る。ミリアはちょっと困ったような顔をしていたが、こそこそとやってきた店主に耳打ちされた。
「あのぉ、困るんですが……」
「わたくしの連れではありませんわよ!」
「でもぉ……」
「……」
仕方なくミリアは立ち上がる。せっかくの食事中だというのに、まったくもって不愉快だ。
「わかりましたわ。わたくしへの恨みでここまで来たようですし、相手になります」
「言ったな! よぉし! 先生、よろしくお願いします!」
助っ人らしい長身の男は、カッと目を見開く。ミリアはどういう反応をすればいいのか正直困ってしまった。
「お客さん、困りますよ店の中での……」
「すぐ追い払いますから!」
慌てて言うミリアは、男に向き直る。
「もう! なんて迷惑千万なんですか、あなたたちは! もっと場所をわきまえてください!」
「やかましい! のんびりメシ食ってるおまえが悪いんだよ!」
それを聞いてミリアはむっ、と顔をしかめてしまう。だが、ぴくりと反応して慌てて一歩後退した。
鼻先を掠めた何かに、彼女は疑問符を浮かべる。
首領はふふふと低く笑うや、大きく哄笑した。
「先生はな、蟷螂拳の使い手なのだ!」
「とーろーけん?」
ミリアは長身の男を見遣り、ぞわっと背筋があわ立ったのに気づく。この悪寒は……。
ゆっくりと構える男は、手首を曲げている。その格好でミリアは青ざめて後退した。
(か、か、)
かまきり、だ。
顔から一気に血の気が失せ、がくがくと足が笑う。ミリアの様子に首領は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「今さら謝っても無駄だからな!」
ひゅ、と手を振り下ろされた。ミリアはそれを見ていたが、うまく足が動かないためにかろうじて避けただけだった。拍子に腕をテーブルにぶつけてしまう。
攻撃は見えているが、動きが……動きが!
口から洩れそうになった悲鳴を、慌てて手でおさえ込む。むぐ、と言葉が出てしまうがこれでも堪えたほうなのだ。
なすすべもなく店の奥に追い詰められていくミリアは、くらくらする頭で考えていた。何か手は。相手は虫ではない。人間だ。人間なのだ!
だというのに。
動きはどう見てもカマキリで。
(ああもう!)
ミリアは手を動かして周囲を探った。何かないか。起死回生になるような何かが。
掴んだフォークやナイフを投げていくものの、全て避けられてしまう。その時、投げたコップを用心棒が手で払い、中味がミリアにかかってしまった。
「冷たっ!」
口に入ってしまったそれに、ミリアが目を丸くする。すぐさま真っ赤な顔になって、えへへと笑い出した。
「おいしいですわ〜」
近くの瓶を取って、ごくごくと飲み干す。「あ、お客さん!」と店主が慌てたが、ミリアの耳にその声は届いていない。
なんだか気持ちよくて眠ってしまいそうだ。
しかも相手の攻撃がうまく見えない。視界が、霞がかかったようにぼやけているためだ。
ああ。えっと。
(わたくしはぁ……)
「たたかっていたんれした」
てへ、と笑うミリアの言葉は、妙だ。呂律がまわっていない。構わず彼女はまた同じ瓶を手にとって飲み干した。
意識は完全に雲の上状態だというのに、ミリアはゆらゆらと揺れて用心棒の攻撃をことごとく避け、「うるしゃい!」と言い放ってキックをお見舞いした。
そのキレのある蹴りに男はぎょっとして慌てて距離をとる。
「な、なんで強くなっている……!?」
微かに鼻につくこのニオイは……。
首領が青ざめる。
「こ、これはもしや、噂の酔拳……?」
驚く用心棒と首領。
ミリアはすぐさま用心棒との間合いを詰めた。動きがゆっくりに見えるが隙がない。
「わるいこには、おしおきれすのよっ」
びっ、と耳を掠めた音の正体はなんだったのか。
用心棒はそれが何なのかわかることはなかった。ミリアの蹴りが側頭部に直撃して、床に昏倒してしまったからである。彼の視界には今の攻撃は映っていないだろう。
「ひぃ! 先生っ、せんせーいっっ」
青ざめる首領の前に、ずいっとミリアが出てくる。目がとろんとしていた。
「だっそうなんて、いけない子れすわ〜」
「ひっ、ぎゃあああああああっっ!」
*
テーブルに突っ伏していたミリアはゆっくりと起き上がる。顔色が悪い。
「うぐぐ……頭がいたいです……」
結局、いつの間にか首領と用心棒をやっつけてしまっていた。何をどうやったか、記憶はない。
意識が戻ったことに気づいた店主がやってくる。
「お客さん、あんなに酒を飲んだらだめだよ」
「おさけ?」
痛む頭をおさえて、ミリアは店主を見る。ミリアは酒など今まで口にしたことがない。
「かなり強い酒なんだよ、あれは」
もしかして。
この頭痛は……。
「い、痛いです〜っ!」
涙を堪えて俯く彼女は、酒なんて大嫌いだと心の中で叫んだのだった。
|
|