<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


魔術師フロランスの苦悩 case1



■ プロローグ

 家を追い出された。途方に暮れた。今はお腹が減っている。
「どうしたものかしら……」
 フロランス――彼女の本名はフロランス・ド・ルポン・デ・ミホーク。超長い。フロランスの実家は魔術師の家系で、誰もが十五歳になると家を強制的に追い出される。しかも、直前までそのことは知らされない。
 今まで贅沢な暮らしをしてきたフロランスにとってこの仕打ちは信じられないことであり、また信じたくもなかった。
 ところで、彼女にはある試練が与えられている。フロランスの父親――クリストフ曰く「この世のどこかにある《叡智》を手中に収めるのだ! そして、《叡智界》を目指せ! そうすればお前も一人前の魔術師となれるだろう」
 わけがわからなかった。《叡智》ってなにかしら? 食べ物?

 ――フロランスは致命的に頭が悪かった。

 黒いマントを靡かせながらエルザードの街をウロウロウロウロ――ふと、騒々しい声に気をとられフロランスは往来の中を立ち止まった。目の前には酒場――白山羊亭があった。
 聞いたことがある。たしか、ここには腕利きの冒険者たちが集まるはずだ。ついでに腹ごしらえもできるだろう。もしかしたら叡智だって手に入るかもしれない。運がよければシャワーを浴びることができるかもしれない。あわよくばふかふかのベッドで眠れるかもしれない――フロランスの願望はどんどん膨れ上がっていった。
 願望が臨界点を突破したフロランスは無意識のうちに白山羊亭の扉に手をかけていた。中に入るとお客の視線を一斉に浴びた。それもそのはずだ。フロランスは十五歳とはいえ大人びた顔つきをしているし、気品に満ち溢れてもいる。ちょっと頭は悪いが簡単な魔術ぐらいなら使える。重ねて言うが彼女は頭が悪い。ミホーク家、始まって以来の《馬鹿》だと親戚から母親から兄弟から罵られている。
「いらっしゃいませ、何にしますか?」
 看板娘のルディアが注文を取りに来た。
「なんでもよろしくてよ」
 フロランスがいつもの調子で言う(実家ではこんな感じだった)。
「……なんでもと言われましても?」
「では、メニューの上から順に運んできてちょうだい」
「えぇ? 順番にって全部食べるつもりなんですか?」
「なにか問題でもありまして?(イライラ)」
「い、いえ……(しょんぼり)」
 ルディアは肩をすくめて去っていった。フロランスは押しが強い。

 数時間後――白山羊亭はかつてないほどの盛り上がりを見せていた。フロランスはべろんべろんに酔っ払っている。その周囲に冒険者たちが群がっていた。無数に運ばれてくる料理のおこぼれにあずかっているのだ。「全部、わたくしのおごりですわ!」などとフロランスが叫んだことが原因だった。
 さらに数時間後――というか朝。
「えええぇ? お金がない?」
「当然ですわ。そもそもなぜわたくしがお金など払わなければならないのですか?」
 もはや耳にタコだろうが、フロランスは頭が悪い。ついでにいえば常識が欠落している。さすがのルディアも頭を抱えてしまった。しかし――フロランスの事情を聞くや否やルディアは生来の明るさを取り戻し、
「あなたにはお金がありません。これがどういう意味なのか分かりますか?」
「…………(ふるふる)」
 フロランスは首を振って否定を示した。ルディアは白山羊亭内の惨状(テーブルや机が転がっており食べかすも床に散らばっている)を眺めながら冷たく告げた。
「まずはお掃除からです」



■ そのまえに買い物から

 ルディアからの依頼によりフロランスと掃除をすることになったアイラス・サーリアス(あいらす・さーりあす)は、まず掃除道具を調達するためにフロランスと共に買い物へ出かけることにした。
「どうしてわたくしがそんなことを」と、案の定、フロランスは我侭ぶりを発揮したが、ルディアの「行きなさい」という笑顔の一言が効いた。さすがのフロランスもルディアには逆らえない状況下にあるのだということを悟っているらしい。
 そんなわけで買い物に出発した二人――だがフロランスが、あちらにウロウロ、こちらにウロウロするものだからアイラスも彼女から目が離せない。
「さあ、こちらですよ」
 ようやく見えてきた雑貨屋にフロランスを促す。
「汚いお店ですわね」
 と、店先に店員がいるにもかかわらず堂々と不平を漏らす。アイラスは慌ててフロランスの背中を押して店内へ逃げ込んだ。先が思いやられる展開だ。
「ところで掃除に必要な道具にどんなものがあるのか分かりますか?」
「…………箒?」
 幾ばくか考えた末に最も基本的な道具の名前が出てきた。が、その後が続かない。
「箒でゴミを集めた後はどうしますか?」
 アイラスが助け舟を出す。子供に諭すような言い方だ。
「ちりとりが必要ですわね」
「そうです、室内の掃除であれば他にも雑巾や水を溜める水桶などが必要です」
 言いながらアイラスは店内を徘徊し始めた。陳列された掃除道具の中から必要なものをピックアップしていく、その過程でフロランスに名前と見た目が一致するようにと説明を加えていく。
「では、これらを購入してきてください」
 アイラスは掃除道具一式をフロランスに渡し、お金も一緒に手渡した。すると、フロランスはお金をまじまじと見つめながら、
「これは、なんですの?」
 どうやら小銭を見たことがなかったらしい。常識知らずにも程があるフロランスであったが、アイラスは動じなかった。
「ええとですね、この100と刻まれたのが――」
 アイラスはすぐさまお金についての講義を開始した。
「ふむふむ」
 興味のあることに関しては素直らしい。


「買い物にしては長すぎないか?」
 ルディアにそう問いかけるのはシェアラウィーセ・オーキッド(しぇあらうぃーせ・おーきっど)である。シェアラは掃除には不向きだと考え、足首付近まである髪の毛をバッサリ切っていた。
「たしかに遅いですね……大丈夫でしょうか」
 親心らしきものが芽生え始めているのかルディアは不安顔だ。
 と、そのとき店の裏口が開きアイラスとフロランスの両名が戻ってきた。
「ただいま帰りましたわ」
 なんだか誇らしげな表情を浮べているフロランス。
「やけに機嫌が良さそうじゃないか? 散々、渋っていたのはどこのお嬢さんだったかな」
 シェアラがそう言うと、フロランスは「そうでしたかしら」と特に反論しなかった。フロランスは過去に拘らない傾向にあるようだ(忘れているだけかもしれない)。
「それでは、さっそく掃除を始めましょうか」
 アイラスが腕まくりをしたその瞬間、
「ちょっとお待ちになって」
 なぜか皆の前に出るフロランス。
「どうかしたんですか?」
 ルディアが問い掛けると、
「わたくしが皆さんにお金について講義して差し上げますわ」
 ――いや、みんな知ってるって。
 誰もが心のなかでそんなようなことを呟いた。
 しかし、あまりに得意げに語るものだから復習にはちょうどいいかもしれないな、と思ったアイラスが二人に先刻の顛末を説明しておいた。
 フロランスの講義はそれから二十分ほど続いた。



■ 掃除の極意

 シェアラが持参していた掃除道具を合わせて人数分の道具が集まったところで掃除が始まった。が、フロランスは赤ん坊と大して変わらない。そんなわけで掃除の大まかな手順と道具の使い方をレクチャーしながらの掃除となった。
 まずは白山羊亭内の床に散らばっている大きなゴミを撤去し、その次に掃き掃除である。
「まったく、とんだ散らかりようですわね」
 散らかした本人が何を言うかといった感じだが、酔っ払いはみなそう言う。
「フロランスさん、手が休んでいますよ」
 早くも掃除に飽きたらしいフロランスに注意を促す、アイラス。ルディアも一緒になって目を光らせている。シェアラはというと、たまに助言をしたり手伝ったりするものの、基本的には静観のようだ。
 掃き掃除が終わり、拭き掃除に入った。
「さて、出番だな」
 シェアラが、準備しておいた脚立を店の奥から運んできて組み立てた。その上にフロランスを乗せ、天井のシミを拭き取らせる。たまに脚立が揺れると、「きゃあああ!」とものすごい悲鳴が白山羊亭内にこだまする。鼓膜に悪影響のありそうな悲鳴だった。
 しばらく作業を続けているとフロランスがポンと手を叩いて微笑を浮べた。
「いちいち、雑巾で拭き取っていては時間がいくらあっても足りませんわ」
 非効率的に感じたのかフロランスが不満をこぼす。一同は、なんだか意味ありげなフロランスの台詞に嫌な予感を覚えた。
「どうするつもりなんだ?」
 シェアラが訊くと、
「目立った汚れは全てわたくしの魔術で洗い流してさしあげますわっ!」
 そう意気込みフロランスが口元でごにょごにょと呪文を唱え出した。
「ふ、フロランスさん、いけません!」
 ルディアが飛び掛るが時すでに遅し、フロランスの魔術が発動――

 ――しなかった。

「ど、どうしてですのっ!」
 信じられないといった様子のフロランス。すると、シェアラが、
「やっぱりそう来るだろうと思ったよ。悪いが、魔術の類は禁止させてもらった」
「なっ! い、いつのまに……」
「魔術はたしかに便利だが、今はその時ではない。自制心を養うのも大切な事だ。そのためには掃除がどの程度の労力を必要とする行為なのかということを知っておく必要がある。それを踏まえたうえで、魔術の使用を見極める事だ」
 そう説明するとシェアラは腕組みをして再び壁に寄りかかった。
「危ないところでしたね。さて――」
 アイラスがホッと肩をなでおろし、その後フロランスに歩み寄り雑巾を握らせた。
「ううっ」
 まだ不満そうだが、魔術が使えないとなると彼女には何の特技もないわけで、おとなしく従う他ない。
「さあ、もうひと頑張りしましょう」
 ルディアがそうけしたてるとフロランスは無言で掃除に精を出した。


「……やっと終わりましたわね」
 掃除も一段落し、フロランスが溜息をついた。
「いえ、これからですよ」
 アイラスが不可解なことを言う。
「そ、それは一体どういうことですの?」
 フロランスが聞き返すとアイラスは、
「日常において掃除は必須の作業ですが、他にも必要な作業はあります。炊事・洗濯・裁縫など、これらは日常生活においては欠かせない作業ばかりです」
「そうでしたね、それは必要なことですよね」
 ルディアがアイラスに結託しフロランスに歩み寄る。
「……ひ、ひぃ」
 フロランスが泣きそうな目で静観していたシェアラを一瞥するも、「残念だが」という非情な言葉が返ってきた。
 


■ ミホーク家からの手紙

 夕方近くになってようやくフロランスへの指導が一通り終わった。フロランスはただ知らないだけで物覚えはそれほど悪くはなかった。ちょっと飽きっぽいところがあり、年相応とはいえない我侭っぷりを発揮することもたまにあったが――シェアラが魔術の使用を制限していたおかげで事なきを得た。
「慣れない事をして疲れたんでしょうね」
 アイラスがテーブルに突っ伏しているフロランスに毛布をかけた。
「あのー、ミホーク家から手紙が届いたみたいなんですけど――」
 店先で掃除をしていたルディアが戻ってきた。他にも受け取った手紙を持っているようだ。
「ああ、私が連絡を入れておいたんだ。さすがに無責任すぎるだろう、と思ってな」
 シェアラはルディアから封筒を受け取ると、封を切り、中身をおもむろに取り出した。

 白山羊亭様

 私はミホーク家の現当主、アルフと申す者です。
 我が、愚女――フロランスの起こした愚行を寛容に受け止めてくださった白山羊亭の皆様には礼の尽くしようがありません。
 ミホーク家では十五歳になると屋敷を一時的に離れる、という掟があるのは本当です。しかし、普通、十五歳ともなればそれなりの方法を見つけて自活していけるはずなのですが、まさか無銭飲食に及ぶとは思ってもみませんでした。
 フロランスはミホーク家でも将来有望な魔術師。潜在能力はピカイチです。しかしながら性格は非情にいびつなのです。フロランスは外向的な気質がありながらも、最終的には内向的な思考活動に及びます。何にでも興味を示し、精力的に行動するのですが、それが全て自分に帰結するように――つまり、自己中心的な性質を有しているのです。また、兄や姉に劣等感も持っているようで、それも原因の一端となっているらしく、このように捻くれてしまいました。
 今回の件――子供とはいえ、フロランスも原因の一端は握っています。当然、責務を全うしなければならないでしょう。とはいえ、もう半分はこちらの責任ですから、昨夜の騒動で発生した損害はこちらで負担させていただきます。
 それから、フロランスには必要以上に餌を与えないように御願いいたします。
 家族の手では限界があります。他人からの干渉が人に与える影響、それがフロランスにプラスになるかマイナスになるかは分かりませんが、彼女にとっては必要なことだと思うのです。
 乱文ではありますが、これで失礼させていただきます。

 ミホーク家当主 アルフ・ド・ルポン・デ・ミホーク

「――だそうだ」
 シェアラが手紙を読み終えた。
「なんだか複雑な家庭のようですね。それにしても将来有望ということは、期待されているわけですよね。それならば、恥をかくことのないように、導いていかなければなりませんよね、ルディアさん」
 夕陽の差し込む窓際に立っていたアイラスが言った。
「もちろん、これからも厳しくいきますよ。彼女にはまだまだ覚えてもらわなければならないことがありますからね」
 ちょっと楽しそうにルディア。
「ミホーク家にも事情があるのだろうが……まあ、とりあえず昨日の損害分は支払ってもらえるようだしな。あとはフロランス次第といったところか」
 シェアラが寝息を立てるフロランスを横目で見た。
「……いけません……もう、食べられませんわ」
 何の夢を見ているのか、フロランスは奇妙な笑みを浮かべたまま寝言を口にした。
 彼女の苦悩の日々はもうしばらく続きそうである。



<終>



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1514/シェアラウィーセ・オーキッド/女/184歳/織物師】
【1649/アイラス・サーリアス/男/19歳/フィズィクル・アディプト】

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■         ライター通信          ■
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『魔術師フロランスの苦悩 case1』へご参加くださいましてありがとうごいます、担当ライターの周防ツカサです。
おふた方ともにご無沙汰しております。前回からだいぶ期間が空いてしまったのですが、また定期的にオープニングを公開していく予定です。
今回のはシリーズ物みたいな感じです。事の顛末はさておき、このシリーズでは育成といいますか、我が子を躾けるような(ちょっと違いますが)そんな雰囲気が楽しめたらなあ、と思いつつ書いてみました。
ただの子供では面白くないので『魔術師』にしてみようかと思ったわけです(でも、十五歳でこれはちょっとアレですよね……)。
徐々に成長していく手はずになっていますが……だいぶ時間かかりそうですよね。
ちなみにcase2の方は年末に重なるとやっかいなのですが、今年中には公開する予定です(制作期間を長めにとる可能性があります)。

ご意見、ご要望などがございましたら、どしどしお寄せください。
それでは、またの機会にお会い致しましょう。

Writer name:Tsukasa suo
Personal room:http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=0141