<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


□■□■ 鏡の城が動く夜 ■□■□


どこかの王国のどこかの地方、そのお城は鏡で出来てる。
周囲の世界を映し込んで人の眼には判らない。
それは、鏡の城。
鏡の城には鏡の鏡の人形が住んでいて、鏡ばかりを磨いてる。
映しこむ人も居ない、映りこむ人もいない。
寂しい人形は、だから、お城を動かして国を回る。
ね、遊びましょう?



「ああ、聞いたことはあるような気がしますけれど……それは、御伽噺でしょう?」

 く、と首を傾げてみせるファサードに、客の男はいやいやと頭を振った。工房に訪ねて来たのだから何か人形の製作依頼か、それとも細工の依頼かと思っていた彼は、もう少し深くその首を傾げる。辺りに佇み、または座っていた人形達も、一様に疑問そうに男を見ていた。何かもったいぶるような仕種でニヤリと笑ってから、声を潜め、彼は語る。

「実はな、最近エルザードで子供が次々に消えて行ってるだろ? あれがこの、鏡人形の仕業だって噂が立ってんだよ」
「そんな、いくらなんでも……」
「いやいや、実際に鏡の城を見たって奴もいるらしいぜ? 空の上でちらっと一瞬見えるだけ、すぐに夜空に溶けて見えなくなっちまうらしいがな。子供達の姿も見えるとか――まんざら、ただの噂と決め付けるわけにも行かない」
「――――」
「どうだい? あんた、ちょっと行ってみちゃ。人形の事は人形師が一番に良く知ってるだろう? 子供達を取り返して欲しいんだよ――」

 鏡の城の鏡人形。もしも本当にいるのならば、確かに興味はあるかもしれない。思案げな表情を見せたファサードに、男はニヤリと笑って見せた。

「白山羊亭って冒険者の店は知ってるだろう? そこのルディアってウェイトレスが、鏡の城を見たって言う。鏡の城に行く方法っつーのも、まあ御伽噺のオマケなんだが、知っている。行ってみちゃどうだい、人形師ファサードさんよ」
「焚き付けられるのはあまり好きではないんですけれど……中々興味深いですからね、ちょっと、行ってみようかと思いますよ」

■□■□■

「そうなんですよ――誰も信じてくれなくて」

 うー、と小さく唸ってみせるルディアに、ファサードは苦笑を向ける。それはそうだろう、御伽噺を実物で見たと言って信じてくれるものなどそうはいない。ましてこの店に集まるのは歴戦の冒険者達ばかりなのだ。常に現実に向かい、生と死の危険もあるその仕事を続ける中で――御伽噺を信じてなど、いられまい。

「子供達も、ちゃんと見えたんですか?」
「はい、しっかりとこの眼で。こう、空の上を滑るみたいに、すぅっと動くんです。でもすぐに見えなくなっちゃって……ファサードさん、もしかして試されるんですか?」
「そのつもりなんですよ。ルディア様、そのお城へ行く方法をご存知だとかで、宜しければご教授願えませんか?」
「で、でも、本当にただの御伽噺なんですよ? 本当に行けるかどうかは私も判らなくて――」

 言い置いてから、ルディアはファサードに方法を告げた。

 そして工房に戻った彼は、大急ぎでガラスを竈に入れていた。熱した棒状のガラスを回し、へらで軽く形を整える仕種を繰り返す。何をしているのかと人形達が問い掛けてくるが、ごめんね、とその返事も後回した。時間が無い、満月が終わってしまっては元も子もないのだから。昨日の月齢は十四、満月はあと二日しかない。なるべく急がなくては。

 くるくると回して、棒状のガラスから丸々とした身体を切り離す。出来上がったのはシンプルな形だが可愛らしい、クマの細工だった。慌てて外を見れば、もう月は昇っている――作りかけの他の人形に謝りながらも放り出し、彼は寝室に向かった。

 窓辺、月光の当たる場所で何かガラス細工のものを水につけておく。
 水の中では透明なものも見えてしまうから。
 その歪みを伝って、鏡の城に入り込む。

 おねがいします、と小さくお祈りをしてから、彼は慌ててベッドにもぐりこんだ。

■□■□■

「――寂しい」

 ぽつりと、ファサードの姿が呟く。
 ファサードは、それを眺める。

 鏡張りの大広間、ガラスの手摺りの階段。何もかもが銀色と透明に飾られた城の前に自分が立っていることに気付いたのは、ついさっきの事だった。透明な扉に手を当てて開けば、玄関ホールが広がって。階段を上がって辿り着いた先の大広間では、遊び疲れた子供達が眠りこけ――そこには一人で佇む、自分の姿が、あった。
 鏡の人形。姿の無いそれ。何かを映すことしか出来ない御伽。だから他人の姿を借りて、嘆く。しゃらりとピアスが立てる音までも同じに、人形が、呟く。

「寂しいんです、よ」
「……寂しいのです、か」
「寂しいです。とてもとてもとてもとてもとても寂しい」

 人形は、子供の頬を撫でる。
 子供達は無邪気に眠り続けている。
 静寂の中に、二人の、もしかしたら独りの声が響く。

「御伽の世界の住人は、いつの間にか生まれるのですよ。人が信じる限りここに在り続け、人が忘れてしまったら、消えてしまうんです。とても不安定で不確定で、不安、です」
「…………」
「いつの間にかここに在って、どこに行けるか判らない。どこにも辿り着けないかもしれない。独りでいるとそんなことばかりを考えてしまって、誰も彼も忘れてしまうのが怖くて、消えてしまうのが怖くて、何も判らないままになってしまうのが怖くて――」
「だから、子供達をここに招いた」
「ここにいる限り、子供達は私を忘れたりはしません。本当は一晩で良かった、楽しい思い出を作ってもらえれば――ですが、手放せなくなって。ずるずると、こうして」

 寂しい。
 さびしい淋しい寂しいサビシイ。
 いつの間にかここに在り、いつ、どこへ辿り着くの?
 何処へ行けるの。どこへ行けないの?
 何も判らない浮遊感の中に生きる。
 生きているのかも判らない中で在り続ける。
 怖くて恐くてどうしようもないほどに。
 胸が押し潰されてしまうほどに。



 ああ、にているわ、どうしましょう。
 似ているな。どうするんだ?
 可哀想に。
 かなしいね。
 本当は、嫌なのに。
 ちゃんと確定したものになりたいのだろう。
 ああ、くそ、湿っぽいな。
 泣きそうね。
 泣けやしねぇけどな。
 それでも泣きたいと、思うのよ。



 自分の中から声がする、自分の奥から声がする。そうだね、口唇だけで答えれば、人々は黙る。肯定を受け取って充分だったとでも言うように。淋しい。切ない。悲しい。その感覚は、本当によく判る。泣きたいほどに、涙が出ないほどに、よく判る。
 だから、このままにしておくつもりは無いんですと、彼は答えた。
 誰かが笑っていた。

「僕の心が、映せますね」
「――――」
「僕のこと、映してください」
「――――」
「わかる、でしょう?」

 泣きそうな顔をしている自分がいる。
 泣きそうな顔をしている人形がいる。
 その眼には、笑っている自分がいる。
 その眼には、笑っている人形がいる。

 連鎖していく。

「ここは夢、御伽の世界、信じるものは現実になる、イメージは、実体を持つ」
「あなた、は」
「だから僕が、イメージする。たとえば子供達」

 広間の片隅に子供の人形が一つ、生まれる。
 ぽろぽろと零れだすように、それは増えていく。
 眠っている子供達を模した、それ。

「たとえばクマさん」

 ぽすっと、鏡人形の頭の上にぬいぐるみが降って来る。
 頭を掻いてぺこりとお辞儀をするそれを、人形は呆然と見ている。

「例えば、僕も」

 子供達の奥から、ファサードの姿が生まれる。

「今はイメージだけですが、そうですね――次の満月までには、全部作ります。そして窓辺に置いて、僕はそれを抱えてもう一度ここに来ます。そうすれば貴方は少しぐらい淋しくなくなりますか?」
「――――」
「人形だけど、生きて、あなたを、認識します。僕のように」
「わたし、は――」
「それで少しだけ、我慢してくださいませんか?」

 判ったら、伝えに来るから。
 同じ悲しみならば、その答えを。
 探し出せたら、伝えに来るから。
 今は少しだけ。
 我慢して、欲しい。

 何処から生まれて何処へ行くのか。
 何処に行けるのか何処に行けないのか。
 何処にも行けなくて何も判らないのか。

 イメージする、たくさんの人形が生まれる。眼を覚ました子供達に、手を差し伸べる。それは母親。家で待っている人。手を差し出して、抱き上げて、促す。

「おかえりなさい」

 子供達の姿が、消える。
 人形は、笑っていた。
 彼の姿のまま、笑っていた。
 彼の孤独のまま、笑っていた。

 ――そしてファサードもまた、目覚めた。



「次の満月まで、徹夜ですねぇ……」

 苦笑する彼は、作りかけの人形の頭を撫でた。



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

1997 / ファサード / 男性 / 十七歳 / 人形師(細工師)

■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 こんにちは初めまして、ライターの哉色と申します。この度はご依頼頂きありがとうございました、早速納品させて頂きます。ほのぼのとしつつも少し切ない感じのファンタジーを目指してみましたが、如何でしょうか……。キャラクターの性格や性質に関する把握不足などもあるかと思いますので、訂正箇所がございましたらどうかご遠慮なくお申し付け下さいませ。少しでもお楽しみ頂ければ幸いと存じます。それでは。