<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
日々是遊楽
●厳冬の夢
日常の中にふと訪れる、言われなき疲れ。
倦怠感。
何事かをするにも自分の気力が萎えて行くのが判る瞬間に、人は心機一転を計って日常にない物を求めることがある。
日常における、非日常。
例えば、帰宅途中にいつもとは異なる道を通ってみたりする。
精神科医やセラピストが勧める、膠着しきった日常から脱却に必要なことだ。
何か新しいことをすると言われると、人はそれに対して抵抗感を覚える傾向がある。それは、日常にないことと言うものへ自己を移動、または変ずる事への恐怖が働いていると言われている。
だが、しかし。
和紗司にとって非日常とは日常の中に埋没させておく、彼にとっての生き方の側面に過ぎないのかも知れない。
職場ではその身を上下ともスーツに包んでいるが、どことなく朴とした風に過ごしている。そんな彼だが、昔には凍てつく視線で何人もの女性を泣かしてきたやくざ者である――息子、談――と言われている。
確かに、今の彼を見ればそれも頷ける。日常着慣れているスーツとは違う風にも見れる服は、勝負着だと言っても過言ではない。
糊の利いたシャツは折り目正しく、触れれば痛いと感じる程に鋭利に見える。パンツにある線も一直線に上下に走り、彼が履いているというのも気付かせない程に真っ直ぐに線を見せている。
際だって容姿に自信がある訳でもなく、かといって着崩して日々を過ごすような人物でもないのだが、自然に着た服が彼に合わせてくれる、そんな着こなしを今の彼は自然体のままで演出していた。
誰かに、向けてである。
常には同じ物を掛けても特に気にしていないコートを、待ち人の来ない間に軽く肩に乗った落ち葉を落としてやるのにも堂にいって、待ち合わせの場所が違えば声を掛ける女性が後を絶たなかっただろう。
今日に限っては目的意識を明らかに持ってその身をスーツに包んでいる彼が待つ人は、そろそろ現れるはずの……
いや、既に彼を視界に収めてはいたのだが、見た途端に立木の影に身を隠していた。
和紗鏡月である。
「……何だか、気合いが入っているような……」
流石に付き合いが長いだけに、今日の司の気合いの入りように僅かな不安と、期待とで一歩踏み出すのが怖くなる。
時々、壊滅的に司は鏡月を虐める時がある。
それは暴力的な物ではないのだが、いっそ暴力の方がこれ程に彼に囚われることがないのではないかという程の力をして鏡月を狂わせる。
「……んー」
このまま、約束をすっぽかして帰るのも悪いのだが、確実に行ったら明日は足腰が立たないかも知れない。
加えて言うと、息子がぐれるかも知れない。
今夜のことに比べれば、きっと悩みでもないレベルでの問題なのだが。
気が付けば、回避する算段の為に理由を作っている自分に気が付いた。
どうしてだか知れない、相手は自分の伴侶なのだ。取って食われ……る事はあっても、命まで……獲られているようなものだが……。
思考が無限の輪に囚われたようになって、急に何処かに落ち着いた。
「お待たせしました」
遅れたことを詫びる妻。
「……いや。時間どうりだろ?」
早く来たのは自分だからと、満足げな表情で鏡月の肩を抱き寄せる。
「……」
身体が強張って、上がった肩が元に戻らなくなる。そのまま、抱かれたマネキンになった気分で歩く鏡月の背後で、酔っぱらいと誰かが思いきり警察の世話になりそうな勢いで喧嘩を始めたのだが、軽く笑う司の横顔で、その誰かの正体を鏡月は知ることになった。
「不憫な子……」
恐らく、鏡月が来ないまでも司は隠れていただろう息子相手に無言の圧力で責め苦を味わわせていたのだろう。趣味が悪いと言えばそれまでだが、それが彼であり家族であるのはこの十数年変わらないので、きっと今後も変わることは無いのだろうと鏡月はある種の達観を持って諦めていた。
それで泣くのは、ただ一人なのだが。
●北風の街
イルミネーションが輝く冬の街。
コンクリートで編まれた雑木林のような街並みは、そこを吹き抜ける風をナイフの様に尖らせる。
頬の横を吹き抜ける風に痛みさえ感じる凍てついた中を、肩を寄せ合って歩く者達、そして家路を急ぐ企業戦士達。
そんな中を、二人連れだって歩きながら見て回るのは久々に訪れたブティックと小物店。
無論、この二人が寄る場所は普通の場所ばかりではない。
繊維にケプラー内包のスーツに、バックルにイグニッションとベルト本体は加工により燃焼材となる『ごく普通にしか見えないベルト』を取り扱っているブティックや、チタンからセラミック、最近は硬質プラスチックに主流が移行しつつある秘匿ナイフなどを扱う小物店。
加えて、最近は鏡月の趣味で加わった香の物を取り扱っている路地裏の仏具屋と、回る店には事欠かない。
「普通に思えないんだが、な……」
「そうですか? これはあの子が好きそうですね」
言って手に取ったのは自然石で出来たお守りだ。
彼女の嗜好が移ったのか、娘達、そしてついでに息子もそれは伝播している。
「ふむ。高いのか?」
覗き込む司も石のことになると門外漢らしく、何の変哲もないように見える石を半球状に磨いただけにしか見えない物が70万という値段をぶら下げているのに絶句していた。
「希少価値と、加工のしづらさですね」
でもと、鏡月は手に取っていたケースを棚に戻す。
「保管も難しいので、遠慮しておきます」
保水力が弱いので保管にも湿度が必要だとか、油に弱いので素手で触らない方がよいと言われると、司には段々石の扱いは炸裂弾やダムダム弾と世に言われる特殊弾の取り扱いのように思えてくる。
「折角ですから、誕生石でも買って帰りますか?」
「……いや、判った。もういい……」
自分の誕生日にあわせて設定されている、誕生日石まであるという。中には並んだダイヤモンドの数倍する石まで見受けられて、道端の小さな露天商の延長かと思える程の小さな店舗に並べられた石の数々が段々不気味に思えてくる。
「宝石魔法という物が、厄介な訳だな……」
色々な意味で、だ。
「あの子だけじゃ喧嘩しますから、二人にも買って帰りますね」
鏡月は言うと小さな色違いの石で編まれた数珠……に見えるブレスレッドを手にした。
それぞれの、好む色を手に取る辺りは矢張り母親だった。
「ふむ……」
食事を終え、予約しておいたホテルのパティシエ自慢のケーキを買った二人が家路についたのは既に日も暮れていた。
仰ぎ見る空は、灰色に染まる都会の空。
鏡月と肩を並べるように歩いていた司だったが、急に彼の腕に掛かる重みに振り返る。
「……珍しいな」
見下ろすと、鏡月のヒールが窪みに取られていた。微苦笑して脚を降ろす鏡月だが、折れて取れてしまったヒールの右側を脚に入れた瞬間に僅かに眉が揺れた。
「仕方がない。これを持ってくれ」
「ええ、ごめんなさ……い?」
ケーキの入った筺を鏡月に持たせると、彼女の横に屈んだ司の腕が慌てる鏡月の腰から上と膝の裏をすくい上げるようにして胸まで掲げてしまう。
「……あ、あの?」
一瞬思考が停止してた鏡月だが、今の自分の恰好を想像して頭に血が上った。
普通にしゃべれる筈なのに、浮かんだ身体がそれを許してくれないのだ。
「今日は随分と遊んだからな」
含み笑いで鏡月を見る司。
「……?」
「俺は充分に楽しんだ事だし、鏡月も楽しまないといけないだろう? その脚だと、直ぐに家まで帰るのも辛いだろうからな」
少し休もうと、踏み出した司の脚は慣れた風に進んでいく。
「え?」
少し思考が停止した後の空白が鏡月の中で渦巻いて、言葉の意味を理解した頃にはいつの間にか落ちまいと必死の表情で司に抱きついていたのに気が付いた。律儀にも、ケーキの入った筺は胸の上でしっかりと抱いている。抱いているからこそ、司の腕から逃げ出せないでいたのだが。
ドンガラガッシャーーーーーーーン
背後で何だか、酔っぱらいの怒号の様な物と、聞き慣れた若い女性の声が聞こえてくる。
「……あの」
「………ふ」
零れるように笑う司。
まるで、背後で何が起きてるのか知っている風にも見える。
「少しくらいはお前も愉しんだほうがいいだろう? 毎日生真面目すぎるんだからな」
たのしむと言う言葉に鏡月の奥がうずく。
愉しむだけなら良いのだが、自分を失う程になるのはどうだろうかと司に抗議したくなる反面、それに期待を感じている自分も判っていて否定も肯定も出来なくなってくる。
「虐めるくせに……」
「俺が虐めた事があるのか?」
実に楽しげに、鏡月の表情の変化を愉しみながら司は歩く。
「……一杯」
「そうか、それじゃ虐めないでおこう。誠心誠意、鏡月に付き合おうか」
「っつ……!」
墓穴を掘る鏡月。
きっと、明日は立ち上がる事が難しいのかも知れない。
ケーキが美味しくなくなるからと、僅かな抵抗を試みようとした矢先に司は思い出した風に言う。
「冷蔵庫を借りたらケーキも大丈夫だろうからな」
「……」
万事休す、だった。
何処かで負け犬の遠吠えが響く、冬の夜。
二人の影が冬の夜の街に消えてゆくのだった。
【おわる?】
ライターより
……終わってませんね……。
終わった事にしましょう。あらゆる意味で_| ̄|●
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