<東京怪談ノベル(シングル)>
夜に薫る花
夜の帳に包まれて、街は闇色に染まった。
見上げた空には、細く消え入りそうな鎮静の月が、輪郭だけを残した甘美な夢に仄白い雑音を溶かしている。
―さらさら
雑多に入り混じる祈りや歌。彷徨う想い。
それらは夜毎スピードと熱を増し、傾いて堕ちてゆく。決して手の届かない高い高い天へ。
星は、そんな想い達の輝き。
蝋色の紙帳に“虫喰い”の穴をあけて、しらじらと照らす。
そっと翼を休めるように、世界は静けさに支配されてゆく――。
◆ ◇ ◆
人々が一日の疲れを抱いて眠る頃、街角に一人の女性が影を落とした。
彼女の名はレイチェル・ガーフィルド。
妖艶な姿の美女であるが、元レジスタンス――『銀の鷲』に所属していた経歴を持つ。
現在は22歳にして、娼館『ドリーム・ムーン』のオーナーである。
刹那の心、儚き夢、そして永久の温もりを求める人々を分け隔てなく受け入れる蠱惑の肉体。
艶やかな金糸の髪は目映く輝き、さらりと風を含んでシーツに広がる。
白い肌が上気してベビーピンクに染まると、しなやかな肢体が湾曲して、プルシャンブルーの双眸が潤む。
夜に薫る花だ。
そんな彼女の行動が“妙”だ、とは従業員達のしがない噂だった。
が。
どうやら“妙”なのは本当らしい――。
◆ ◇ ◆
カツンとヒールを鳴らしたレイチェルは身に纏った黒のロングコートを脱いでチャイナドレス姿になった。
豪華な刺繍が目に鮮やかなワインレッドのベルベット地が街灯のオレンジを浴びて幻想的だ。
「イラッサイ、ハイッテキテ。ドコサワッテルノ。コノクニノシャチョサン、ミナ、エロスネ」
なぜ片言。
いや、その前にツッコミどころは吐いて捨てるほど満載なのではあるが。
敢えて一つと言われれば、いま彼女は一人である。
なんて大きな独り言――ではなく、実はこれ『一人コント』らしい。
何の因果か、それとも天の導きなのか。
生理的に受け付けられなかった例の従業員達――そう、あの“ある意味では”笑いの神にこよなく愛されて存在すると言って良いであろう芸人死亡……じゃなくて志望、なひょろ長コンビに毒されてしまったようなのだ。
すっかり笑いに開眼。
でもなにせ、見本(?)が悪かった。
色んな意味で微妙過ぎて、いやはや何とも。ンガグッグ。
と、レイチェルさん、慌ててコートを羽織り、
「レイチェル」
ぎゅ〜っと腕を回し熱い法要……抱擁だってば。
もちろん誰も居やしないから抱き締めるのは自身の身体である。そして再びコートを脱ぎ捨てる。
「オオ、レオン(レイチェル脳内:男の役名)」
再び夜気を抱く。
慌しくコートを拾い腕を滑り込ませて続ける。
「夢だった警官になれたんだ。君を迎えに来たんだ。さあ、俺と一緒に暮らそう」
どうでも良いが、これ夜の街頭です。うん。ね?(何が)
「ヤメテェ。ワタシヨゴレテルヨ。コノヨゴレ、ドンナニヘチマ、ツカッテモオチナイヨ」
泣く仕草をするレイチェル。その前に、ヘチマかよ。
そう言えば時期的には「今年の汚れ、今年のうちに」である。
ヘチマで落ちないとなると少々厄介だ。
「じゃ、この手錠を」
「ハナシテ! テジョウツイテナイヨ。ユビワツイテル」
「被告人、レイチェル。被告人に下された判決は、愛の無期懲役だ」
相変わらずコートを脱いだり羽織ったりの大忙し。
しかしネタも佳境とあって彼女のテンションもマックスである。
……もういい加減しつこいかとは思うが場所は夜の街角。人通りも疎ら。
まぁ、だからこそ彼女もこっそり一人コントを楽しむ事が出来るのも事実ではある。
何せこんな所を客や、剰え従業員にでも見られたりしたら――。
「レイチェル様っ!?」
聞き慣れた声のする方向にレイチェルは視線を向けた。
静寂な月光では輪郭しか確認できない。
足音が一歩、また一歩、とレイチェルに忍び寄る。
「あんたはっ!」
レイチェルの顔から血の気が引き、蒼白く色を失った。
眼前に姿を現したのはレイチェルの館のメイドの一人だった。
「レイチェル様……一体何をなさって……」
メイドの言葉を最後まで聞く事無く、唇を噛んだレイチェルは滝涙してその場から逃げ出す。
非常にヤバイところを見られてしまったものだ。
逃げたって誤魔化せる訳ではないが、そのままあの場に居るのは拷問に近かった。
「あら。レイチェル様、お次は愛の逃避行で御座いますか?」
シュタタタタタッ
街を疾走するレイチェルの横、猛スピードで追いかけてきたメイドが笑顔で問いかける。
レイチェルは更にスピードを上げて本気の全力疾走(むしろ失踪)であるが、
シュタタタタタタッ
「それで、続きはどうなりますの? このままでは気になって夜も眠れませんわ、レイチェル様」
息一つあげず、メイドはやはり笑顔で横に並ぶ。
「いやああああああああぁぁぁぁぁ〜!!!!」
レイチェルの絶叫は街中に響いたとか。
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