<東京怪談ノベル(シングル)>


◆瞳の奥の感情◆

 少女は、そっと小さな小屋を抜け出すと前だけ向いて走った。後ろから少女の名を呼ぶ声が数度聞こえたが、それでも少女は後ろは振り返らなかった。
 まだ薄暗い早朝の出来事だった。
 少女は、ただ一つの思いだけを胸にある男のもとへ向かっていた。
 数日前、街で小耳に挟んだその名前を口の中で数度繰り返す。
 かみ締めるように大切に、大切に呟く彼の名は『オーマ』

 オーマ・シュヴァルツ

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空は青く、空気は透き通り、仕事は終わった。
 そんな絶好の休憩日和を見逃すはずも無く、オーマはのんびりと草の上に身体を休めていた。重くなってくる瞼に逆らう気持ちは無く、甘美な夢の世界へいざ行かん・・・と思ったつかの間、オーマのお腹の上に何かが乗った。
 いや、乗ったなんて生ぬるい表現じゃない。はるか上空から落下してきた、もしくは飛び乗ったと表現した方が正解だろう。
 つまりは、一瞬だけ空気のない世界に旅立つには十分な衝撃だったと言うことだ。
 「・・・なっ!なんだ!?」
 驚いて飛び起きたオーマが最初に見たもの、それはスカイブルーの瞳の奥に潜むある一種の感情だった。
 「見つけた。貴方がオーマさんね。」
 少女は抑揚のない声でそう言うと、オーマの上に乗ったまま瞳を覗き込んだ。
 「オーマさん、貴方にお願いがあってきました。」

 「私の・・・私のお姉ちゃんを封印して欲しいの。」

 「あぁっ!?」
 伏せ目がちに言う少女の顔をマジマジと見つめながら、オーマは本日の休憩日和が急激に遠くなるのを感じていた。

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 オーマはその場から動こうとはせず、少女もまたオーマの上から隣に移っただけで動こうとする気はないようだった。
 二人は時折々に変化する空を眺めながら、肌寒くなってきた風に吹かれていた。
 ハタから見たら、親子のようにも見えるが・・変な組み合わせだった。
 前の道を歩く人々は、視線の端に二人の姿を止めただけで無言で歩き去る。
 オーマは今日、何回目かの盛大なため息をつくと下を向いたままじっと草を見つめる少女に問いかけた。
 「それで、お嬢ちゃんは俺に何をして欲しいんだ?」
 「だから、何度も言ってるでしょう?私と一緒に来て、お姉ちゃんを封印して欲しいの。」
 「いや、だからどこに行くんだってぇの。そもそも、なんでお嬢ちゃんはお姉ちゃんとやらを封印して欲しいのか、そこんとこの説明だって抜け落ちてるじゃねぇか。」
 「それは・・。お姉ちゃんが、ウォズだから。オーマさん、あなたはヴァンサーなんでしょう?だから・・」
 少女はそこで再び詰まった。
 麗らかな昼下がり、睡眠を妨げられてから既に何回目かの問答。
 お姉ちゃんであるウォズを封印してくれと言う少女と、その理由が分からないオーマ。その理由を話したがらない少女。螺旋のようにめぐる会話は、いつの間にか時間を奪っていた。
 「あのなぁお嬢ちゃん。そのお姉ちゃんはお嬢ちゃんの本物のお姉さんと言うわけではないんだろう?」
 少女の頭が小さく上下する。
 「そのお姉ちゃんとやらはウォズなわけだろう?」
 少女が先ほどと同じ行動をとる。ただ、首をコクリと前に倒すだけの相づち。
 「で、俺が思うに、お嬢ちゃんとウォズの姉ちゃんの接点がわかんねぇわけよ。そのウォズの姉ちゃんは、別に凶暴化してるわけじゃないんだろう?」
 少女の瞳がオーマの瞳を捉える。真っ直ぐに・・・。
 「お姉ちゃんが、凶暴化なんてするはずない。」
 「そんならますます分かんねぇな。優しいお姉ちゃんをなんでわざわざ封印する必要がある?」
 オーマの問いに、少女は答えない。ただ、嫌がるようにオーマの赤い瞳から視線を逃がしただけだった。
 「なぁ、お嬢ちゃん。別に封印しなくても良いんじゃねぇか。俺は基本的に無殺生主義だし、そもそも医者だから相手を傷つけるのも好かな・・・」
 「えっ!?お医者様!?」
 「・・・なんだと思ってたんだよ・・・。」
 少女のあまりの驚きように、オーマは身体の力が抜けていくのを感じた・・・。
 少女は、へにゃりと力の抜けたオーマを見て小さな笑い声を上げると下唇をそっと噛んだ。
 「私ね、小さい頃に親に捨てられたんだ。お姉ちゃんの家の前に・・・。」
 少しだけ口元に笑みを含んだままの少女が、ポツリとそう漏らす。
 その言葉に、表情に、オーマの心が痛んだ。
 自分も子供がいる。だから、我が子を捨てる親の気持ちは分かりたくは無かった。けれど、長く生きているせいもありその時の親の状況や心境までも理解してしまう自分がいた。
 しかし・・どんな理由にせよ、我が子を手放す親を好きにはなれなかった。
 「別に、親の事を恨んでるとかはないよ。多分・・仕方なかったんだし。」
 俯きがちに話す少女の横顔は、悲しげでもありそれでいて凛とした輝きがあった。
 ・・・上げた顔は、笑顔だった・・・。
 「だからね、今まで育ててくれたお姉ちゃんが望む事をやってあげたいの。願いを、叶えてあげたいの・・・。」

 『お姉ちゃんは、この世界にいる事を拒んでる。』
 
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 少女の案内を頼りに歩く事約数時間。
  ついた先には、一軒の小さな小屋が立っていた。周りに他の家は見当たらない。
 空は既にオレンジ色に潤んでいた。ところどころに、紫色に輝く雲もある。
 それにしても、寂しい所だ。こんな少女と『お姉ちゃん』が住むにしては、あまりにも不便な所にありすぎる。ほんの少し向こうに行けば、直ぐに未踏地に出る。
 少女は無言で小屋の扉を押し開けると、オーマを手招きした。少女には大きすぎるドアも、オーマにしたら小さすぎる。頭を下げてくぐった中は意外にも広く、天井はそれなりに高かった。見かけほど、小さくはない。
 「・・・あなたが、ヴァンサーさん?」
 不意に部屋の中から聞こえてきた声は、儚げでそれでいて凛と通る声だった。声からでも分かる、ウォズの『色』・・・。
 オーマは少しためらいがちに視線をそちらに向けた。
 ほとんど人間と見分けがつかないくらいに、整った顔の17・8くらいの美少女。それでも、周りの空気は常人とは異質のものを放っていた。
 「お前が、『お姉ちゃん』なのか?」
 彼女はコクリと頷くと、オーマのほうに歩み寄った。その向こうでは、少女が無表情で成り行きを見つめている。
 「貴方が、私を葬ってくれるのですね?」
 「おいおい、人聞きの悪い事を言うな。誰が葬るって言ったよ。俺はれっきとした医者だぜ?」
 「えっ?お医者さん・・。だって・・」
 「ま、ヴァンサーでもあるんだがな。」
 オーマはそう言うと、彼女の細い肩を掴んだ。僅かに抵抗しようと身体をよじるそぶりを見せるが、直ぐに力を抜いた。
 「お姉ちゃん、その人はお姉ちゃんを願いを叶えてくれる人なんだよ。」
 少女はそう言うと、つっと視線をはずした。この小屋に入ってから、少女の瞳は彼女を捕えない。少女はただ口を真一文字に引き締め、耐えるように宙を睨んでいる。
 「お姉ちゃんがずっと夢に見た、封印をしてくれる人なんだよ。」
 「そう・・ヴァンサーさん、私はこの世界とは相容れぬもの。封印を夢に見ておりました。けれども、さらに夢見るのは消滅・・・。」
 彼女はそこまで言うと、胸の前で手を合わせた。
 「・・・お前は、死を望んでるんだな。」
 オーマの低い呟きに、彼女は小さく頷いた。オーマはそれを確認すると、少女の方へ視線を向けた。
 「お嬢ちゃん、一番の願いは『死』だそうだが、どうするんだ?」
 少女の瞳が揺れる。戸惑いがちにオーマを見つめる瞳は、一番最初に見た時と同じ感情を宿していた。
 「お姉ちゃんの望むまま・・・。」
 ゆるぎない力の声に、オーマは口の端を上げた。
 「・・そうか。なら、問題はねぇな。」
 そう低く呟くと、彼女の腕を取って小屋から出た。
 外はいつの間にか夜の色が濃くなってきていた。風が冷たく頬を撫ぜ、うっすらと見える星々が七色に輝いている。
 オーマは背に担いでいた銃を肩に乗せると、彼女から数歩離れた位置で構えた。その照準は、しっかりと彼女を捕らえている。
 「なぁ、一つ聞いても良いか。お前、殺されるのが怖くないのか?」
 夜風が、オーマの言葉をかき乱す。オーマと彼女の間に、風に運ばれてきた葉っぱが落ちる。クルクルと回りながら・・。
 「ウォンですから。ここの人達とは違う自分は、ここに、いてはいけませんから。」
 彼女は、長くなびく髪を右手で押さえながらオーマに向かって微笑んだ。
 小屋の中から、少女がそろそろと出てくる気配を感じる。その気配が、オーマの持つ銃を見て凍る。
 「なんで・・。誰も殺さないはずじゃ・」
 「あぁ。殺生はしない主義だが、これは殺生とは少し違う気がしてな。本人も死を望んでるし、お嬢ちゃんの意思もそうだ。」
 「でも・・」
 「第一、最初にお嬢ちゃんが言い出したんだぜ?」
 「私は、お姉ちゃんを封印してと言ったけど、殺してなんて言ってない!」
 「さっき、お嬢ちゃんが言ったんじゃねぇか。『お姉ちゃんの望むまま』ってな・・・。」
 オーマはそう言うと、引き金に指をかけた。彼女がゆっくりと目を瞑り、口元に柔らかな微笑をたたえる。
 「それじゃぁ、安らかにな・・・」
 低く、甘く。そう呟くとゆっくりと指に力を込めた・・・。

 「ダメ・・イヤァーーーーッー!!お姉ちゃんっ!!」

 夜の闇を悲鳴が切り裂き、銃声がそれをかき消す。
 一瞬の騒音、そして・・・静寂。

 直ぐ近くで、鳥たちが飛び立つ羽音が木霊した。
 空は光を失い、辺りの景色はすっかり夜になっていた・・・。



 「おい、お嬢ちゃん。大丈夫か?」
 しばらくしてから、オーマは目の前でへたり込んでいる少女に手を指し伸ばした。
 少女の顔は硬直しており、瞳からは涙が溢れそうになっている。
 「な・・な・・」
 パクパクと口を開閉する少女に、オーマは優しく言った。
 「俺は殺生しない主義だって一番最初に言ったろ?それがどんな理由であろうと、主義は主義だ!」
 言い切るオーマの顔を4つの瞳が食い入るように見つめる。
 あまりにもじっと動かない視線に耐えかねたオーマは、くるりと方向転換すると、小屋のドアを開け放った。
 「まぁ、細かい事は中で話そうや。」

 ・・・オーマの放った銃弾は深い闇の中へ消え、誰の涙を落とす事のないまま多分今頃は地面に落下しているだろう。

 ノロノロと、夢現のままに立ち上がる少女と彼女を小屋の中に入れると、オーマは扉を閉めた。

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 オーマは今ではすっかり落ち着いた様子の少女に微笑むと、言葉を紡いだ。
 「お嬢ちゃんは、最初から俺に彼女を殺させるつもりは無かったんだろう?」
 「そう。オーマさんは、ウォズでも何でも殺さないって聞いたから。だから・・。」
 「それでもって、封印させるつもりも無かったんだろう?」
 「そう。ただ、お姉ちゃんと一緒に生きていたかったから。」
 少女はそう言うと、隣に座る彼女の手をそっと握った。
 そして、少女はゆっくりと事の真相を話し始めた。

 ウォズである彼女は、生への執着があまりに薄かった。口を開けば、自分がこの世界から消滅する事ばかり・・・。
 それもこれも、全てウォズだと言うだけで。
 少女は、彼女に一緒に生きていて欲しかった。幼い頃に自分を助けてくれた彼女を、好きだったからこそ。けれど、彼女は消えてしまいそうなほどに儚かった。
 そんな時、少女はオーマの噂を耳にしたのだ。殺生を好まないヴァンサー。
 少女は、何故かカレにならお姉ちゃんを助けられると思ったのだ。
 殺生を好まない『生きる』事を大切だと考えているカレなら・・・。

 「だから、本当に賭けだったんだ。もしかしたらそんな噂は嘘でお姉ちゃんを殺す人かもしれないって思った事もあったけど、それ以外に方法はなかったから・・。」
 少女はそう言うと、少しだけ微笑んだ。
 「だろうな。一番最初にお嬢ちゃんが来た時『お姉ちゃん封印して』って言ってる瞳の奥では『お姉ちゃんを助けて』って言ってるように思えたからな。」
 オーマは少女と会った時の事を思い出していた。
 スカイブルーの瞳の奥、必死に見つめているのは『お姉ちゃんの生』だった。
 「だから、お姉ちゃんが銃で撃たれそうになった時は焦った。心のどこかで、絶対に大丈夫だっていう思いもあったけど、やっぱり目の前にするとそんな事は言ってられなくなって・・。」
 彼女の前に飛び出していたのだ。少女は、小さな身体を大きく動かして・・。
 彼女の瞳から、淡く輝くものが零れ落ちた。それは、彼女が初めて流す生への執着の気持ちなのかも知れなかった・・。
 オーマは、2人の瞳の中に同じくらい強い感情を見た気がした。
 それは決して諦めに似た『死』の宿りではなく、共にと願う『生』への固執の色だった。
 少女の瞳を最初に見たときに受け取ったサインを見逃す事が無かったのは、オーマだからこそだったのかも知れない。
 殺生は好まないヴァンサー兼医者。
 どちらも、命に接する仕事だからこそ・・・。

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 「本当に、ありがとう!この事は絶対に忘れないからね!」
 闇に沈んだ小さな小屋。その中から発せられる明かりは、周囲をほの暗く染め上げる。
 「ああ、お前も、もう封印とか言うなよ。」
 「はい。私は、この子と共に・・・。」
 少女と彼女の間、固く結ばれた『約束』がオーマの瞳に映る。
 決してこれからも互いの手を離さないで欲しいと願う・・・ずっと・・。
 「じゃぁ、またどこかで会ったら・・その時はその時だ。」
 街の方を向く。背後で少女が手を振る気配が伝わる。
 寄り添う二人を振り向かずに、オーマは軽く片手をあげた。
 行く先の、小さく輝く街の明かりまでは遠い。今、オーマの周りを照らし出すのは月と星のほのかな明かりだけだった。
 風が冷たい。
 まとわりつく青い冷気に顔をしかめたオーマは、先に待っているであろう家の温かな明かりを思い浮かべた・・・。
 そして、背後に伝わるドアを閉める気配にオーマは口元を緩めた・・・。
 彼女達は、きっとオーマに救われたと言うのだろう。
 そして、殺生を好まないヴァンサーはまた一つ、歴史を重ねる。
 けれども彼はこう言うだろう。
 『なるようになっただけだ』と。
 救ったのではない、ただ結果的にそうなっただけなのだと・・・。

 オーマは空を仰いだ。
 煌く星の輝きと、まわりの滲んだ月。妖艶なまでに淡く潤む夜空・・・。
 ・・・と、オーマの脳裏にある戦慄が浮かび上がった。
 単語にすれば『妻』と『晩御飯』
 光景にすれば・・・。

 「あ〜!!!!」

 オーマの叫びが、静かな夜を切り裂く。あまりに鮮明に浮かび上がった自分の未来予想図にのた打ち回った挙句、オーマは駆け出した。
 その先に待っているであろう救われない悲惨な事実は、1歩を踏み出すごとに着々に近づいてきている・・・。
 それでも、いくらかの救いを求めて懸命に灯りを目指した・・・。


                     〈END〉