<東京怪談ノベル(シングル)>


この世で一番貧弱な相棒

 今、オーマ・シュヴァルツの身に。いや、実際には身の回りに、大変奇妙な事が起こっている。
「おい、もっと食えねぇのか? こうよ、ガツーンと。 その細っちぃ身体もムキムキマッチョのフェロモン満タンのカッコイイ親父になれるチャンスなんだぞ?」
 オーマの言っている言葉が無駄に変なニュアンスを含んでいる事はこの際無視する他無いが、彼の前にはその巨体筋肉の塊に相応しくない、カメレオンのようなギョロギョロとした瞳が特徴的な痩せ細った物体が犬の餌ならぬ何処から手に入れたのか、オーマの医療知識が詰まったプロテイン入りの妖しい色をしたゼリー状の食べ物が置かれていて、
「だからよう。 食えって、このまんまじゃ客にも家族にも見せられたもんじゃねぇ。 男ならしっかり食って、しっかり鍛えて、俺のようにだな…」
 オーマの説教は続くが、その生物は彼の顔を見るだけで目の前の食べ物と称した「何か」を口にしようとはせず、ぎゅるぎゅると小気味の悪い擬音だけを放った。

(ったく、どーして俺様がこんな細っちぃのの相手をせにゃならんかね?)
 とりあえずオーマの近くに居るのだからこの生命体「ウォズ」は彼にすこぶる懐いているのだろう。
 時折長い舌を筋肉の敷き詰まった足に絡ませては舐めているのか、遊んでいるのか妙な愛嬌でオーマの心を和ませた。

 そう、この貧弱な相棒はつい最近拾った。いわば「野良ウォズ」なのだ。





 国際防衛特務機関「ヴァンサーソサエティ」がこの世界で公認となったのはそれ程遠い昔の事ではない。
 無いからして、オーマがヴァンサーであるという事はある意味貴重であり、ウォズという異形の生命体。或いは意識体が人々になんらかの危害を加えた場合、それを殺すではなく「封印」する要員としてあちこちを歩き回り、戦闘に到る事もごく自然とある。
 ただ、ヴァンサーという特殊な能力者として忌み嫌われる事も多々あるが、オーマにとってはそんな事よりもどれだけ自分の筋肉が美しく成長していくかの方が大切であったが。

 が、しかし。だ。
 ある程度有名になったとはいえ、断崖絶壁の山道を巨大なウォズ相手に行ったり来たりするのは多少。いや、かなり骨が折れる。
「…うぜぇ、かなり今回のは手こずった」
 手こずる、というよりは断崖絶壁の山と同じ大きさのウォズだったのだから封印するまでの攻撃の間、オーマはその山を行ったり来たり蟻のように走り回っていた事であり、流石に巨体を誇る彼であっても多少の疲れは感じるものなのだ。
(いんや…歳かね?)
 思ってもいないが、自称親父を名乗る者としては一度口にしてみたい言葉である。
「ま、さっさと帰って寝るに超したこたぁねぇな」
 封印したばかりで多少傷の残る身体をものともせず、オーマは自分の大きな足音と共に砂利が擦れる自然の音に身を任せていた。
「やっぱいいねぇ、自然は。 風の吹き具合、川の音、ちっさな砂利の…あ?」
 言っている事は矢張り親父臭い。
 砂利の音はオーマの大きな足音だけの筈だが、微かに聞こえるのは確かに動物か或いは何か生命体の歩く音で、彼の後を付きまとうかのように止まっては歩き、また止まっては…の繰り返しをしている。

「おい、お前か。 犯人は」
 オーマが止まったと同時に同じく小さな砂利の音も消え、振り返ればガラガラという言葉が相応しい体つきのカメレオンに似た生物が彼を見上げ、ぎゅるる。と鳴いた。
「封印、したよなぁ。 お前」
「…ぎゅる」
 断崖絶壁を支配した筈の、そして今しがた体内に吸収し封印した筈のウォズに瓜二つの生命体。
 それは確かに彼が日々封印する対象であるウォズなのだろう。
「なーるほど。 さっきのはお前らの集合体か」
 ウォズは集合体として現れる事もある。オーマが相手として戦ったのはその集合体の何匹、いや何万匹だったのであり、その取り残されたウォズ一匹は特に敵意も見せず、オーマの後を追いかけるだけでこのままでは家まで付いてきそうな勢いであった。
「駄目だ。 絶対駄目だぞ! 封印しねぇだけでもありがたく思え! それに…」
「るる…?」
 小さなウォズは肋骨のあからさまに見えている身体をぐるりと捻るとオーマの次の言葉を待っているようで、
「俺様はお前みたいな貧弱な奴より筋肉モリモリ、マッスル全開の奴がいいんだ」
 論点が合っていない。そもそもウォズを家に持ち帰るかという選択なのだが、オーマにとっては封印すべきものがどうだという事よりも、彼なりの男気のある生き物に心を射抜かれなければ連れて行く気がしないという、かなりつまらない条件を口にしては子供のように舌を出しては威嚇してみせる。
「ぐるる…」
「うっせぇなぁ。 男なら真実と事実を受け止めて潔く身を引け!」
 女もだな、とオーマは付け足すと更に足を進めたが後ろを付いてくる足音は一向に消えず、逆に多少会話らしき事をした事により更に彼との距離を縮めたようだった。
(おいおいおいおい、封印したのよりしつこくねぇか?)
 どんどん縮まる距離、時折懐こく聞こえる鳴き声、ついでに足元に感じるくすぐったいのは小さなウォズがオーマに絡んでいるからなのだろう。
「いーっかげんにしろよ! 俺様は忙しい! 医者も、武器屋も! ついでに薬草屋の手伝いも! なにより……いいかお前、よーく聞けよ!」
 巨大な男に小さく痩せ細った生命体が懐いているのはなんとも、微笑ましい光景であるが、オーマ自身は懐かれたいわけでも厄介ごとを背負うのも御免であり、敵意の無いウォズを何体か見過ごしてやった事はあったとしても自分のもとに持ち帰り世話を焼いた事だけは一度も無い。ついでに言えば、したくない。
「イロモノ変身同盟総帥プラース! 腹黒同盟総帥に忙しい! よってお前に構っている暇は無い…以上!」
 既に言っている事が壊れているが、オーマのしている事は確かにそれらが日常だ。
 小さなウォズもそれだけは理解したらしく、一瞬ひるんだように背をそらせたがすぐに彼の足元に駆け寄ると猫の仕草そのもので首を絡ませる。どうやら、彼の心からの叫びも効果は無かったようだ。

「もーいい。 いや、どうせだ。 ちょっとばかり離れるなよ」
「ぎゅ?」
 この小さなウォズを連れ帰る事も、封印する気にもなれなかったオーマだが、ただ一つ。この人畜無害なウォズの他、大きな殺気を含んだ何かが近くに居るのを感じ取っていた。
「コイツがカメレオンならお前もか!? 趣味わりぃぜ?」
 絶壁にただ落ちている筈の石達がオーマの言葉に反応したのか、大きく揺らめく。
 同時に姿を現したのは彼の足に絡まっているウォズの巨大版。先程のものと比べると中型ではあるがその大きさは矢張り気の抜けないものだ。
「まずは一発、決めてやろうじゃねぇの!?」
 足に絡みつく感覚を振り払うように、オーマは自分の分身とも言える様になった巨大銃器を具現化する。
 それは他人の何倍もある背丈のオーマよりも巨大な、そしてヴァンサーである証とも言える能力の化身。幾多のウォズを共に封印してきたまさに相棒そのものであった。

 常人がその場に居れば間違いなく逃げ出すであろう威圧的なウォズの目がオーマに向けられる。
 同時に、重火器から吹き出る炎の塊が敵意を表したウォズに直撃し、カメレオンのような体付きの一部である尻尾は吹き飛ぶ筈であった。
「クソ! 身体もカメレオンなら物質まで変化するカメレオンか!?」
 殺す気が無い為、ダメージだけを与えるその攻撃はウォズに当たったかと思えば、頭の中に響くような轟音と共に岩となって崩れ落ちる。
 このウォズ、どうやらその風景に溶け込むカメレオンの進化型。変化した場所の物にまでなる事が出来るというやっかいな物らしい。
「っとと、おい! おまえ! 離れるなつっただろうが!!」
 岩が崩れると同時にひるむようにして後ずさったオーマの足から、小さなウォズはちろちろと小さな音を立てて絶壁を駆け上がっていく。
(ま、今の状況じゃ逃げても無理はない…か)
 圧倒的ではないが、今の状況は不殺を心にとめているオーマにとって不利な状況といえよう。
 封印するにもある程度ダメージを与えねばおいそれと、その荒々しいウォズは彼の体内に封印する事が出来ないのだから。

「おらぁ! 邪魔なチビもいねえぞ! 堂々と姿を現しやがれってんだ!」
 足元に弱い者が居ないという事は、オーマの動きが良くなり小回りが利くようになる。
 ただし、ウォズの身体が岩と化している今、どこを攻撃して良いのか思考を巡らせる他無く、
「っ!? 後ろか!」
 中型だと思い込んでいたこのウォズ。確かに中型と言えばそうなのかもしれないが、ただこの形態を把握する事にオーマは気を回すことが出来なかった。
 重火器で攻撃した尻尾は思いの他長く、オーマが攻撃を仕掛けたその場所は付け根、そして彼の後ろで動き、今まさに岩の堅さをもって敵を倒さんとするウォズの一部があと数センチで直撃するという自体に陥ってしまったのである。
(くそっ!)
 ダメージには慣れている。ただ、岩の塊に直撃すればいくら頑丈に出来ているオーマとてただでは済む筈は無い。

「…ぎゅわん!」
「あぁ?」
 なんとも情けない擬音。いや、声があたりに響き、敵意を持ったウォズの攻撃に身構える体制を整えていたオーマは一瞬何事かとあっけに取られた。
「おい、馬鹿お前! 無茶すんな!」
 うっすらと瞳を開ければ、そこにある光景は逃げたと思っていた小さなウォズが、自分の何倍もあろう体格のウォズに勇敢にも立ち向かい、ついにはオーマですらダメージを与えられなかった頑丈な固体から悲鳴を上げさせている。
「離れろ、馬鹿! 死ぬぞ!?」
 小さなウォズは敵の目に噛み付き離れない。そこが弱点だったのか、巨体を振り回すウォズは目にしがみつく様にした小さな身体をあちらこちらにぶつけ、もうその生命が絶たれてしまうのではと思う程血を流していたのだから。
「きゅうう…」
 元々痩せ細った身には辛かったのだろう、巨大なウォズからある程度悲鳴を上げさせた勇者は、弱々しげな声で小さな身体は宙に放り投げられる。

「おい、しっかりしろ! 今こいつを封印してやっから、だからお前は―――!!」
 巨大なウォズにとっては、ほんの小さなダメージだったのかもしれない。
 それでも、傷ついた小さな身体をなんとか治してやるには何秒たりとも無駄には出来ず、オーマは始めに封印したウォズが吸収されている傷痕にのた打ち回る巨体を取り込もうとした。
 癒しなのか、怒りなのか、吸収されていくウォズは青い光を放ちながら抵抗も虚しくオーマの身体に封印されていく。
 それは、あの小さなウォズも同じ事で身体が小さい上に負った傷のせいか、封印の扉に向かって吸い込まれるようにオーマの近くに入ってくる。
「ああ、もう! なるようになりやがれ!」

 小さな身体がオーマに吸収されるその寸前。巨大な重火器を投げ出し広く大きな手でその身体に差し伸べた。
『お前はここに居ろよ、相棒』
 と。





「で、やっぱりお前はこれを食わねぇ。 ってか?」
 オーマが一時しのぎと連れてきた自分の診療所。その椅子に大きな身体を置きながら、彼は結局連れ帰ってしまったウォズを見る。
「嫌なのか? このムキムキプロテインが!? それとも何か、俺の作ったメシが食えねぇってのか?」
 酔った親父のような口調で、小さなウォズに脅しをかけるも反応は無し。ただただ、オーマの顔を見ては鳴き声の擬音を発し、その足元に擦り寄った。
「あー、いいよ。 もう諦めた! …そんかわし、今度は腹黒に育ててやるからな!」
 どうやってこの生物を腹黒にしようというのだろう。オーマは椅子から立ち上がり小さなウォズを摘み上げ、にたり、と不穏な空気の流れる笑いを見せる。

「おーま、おーーーま!」
「んぁっ!? お前喋れたのか!?」
 顔まで持ってくると、名前を名乗った筈もないのにオーマの名前を口にするウォズ。
 そのカメレオンのような目がぐりぐりと動くと、むき出しになった鼻が偉そうに鳴り、裂けた口元が既に腹黒く笑っていた。
「お前……よし! これは育て甲斐ってもんがある!」
 とりあえず、どうして自分の名前を知っているのかという疑問をオーマは自分の頭から一蹴すると、診療所の奥へ奥へと入っていく。
 果たして、彼の思う理想の筋肉…にはなれなかったが、これからこの生物はオーマの思う腹黒同盟のマスコットになりうるのか。それはまだまだ、先の事かもしれない。


「おーーーーま!」


END