<東京怪談ノベル(シングル)>


『それは遠い昔の話‥』
【七つの石と風の夢異聞 第二章】

 何時の時代も、人は生き‥そして伝える。
 命の証を、夢見る心を、そして‥思いを。

 それは遠い昔の話‥


 物語というものは、人が起きて見る夢と、昔、誰かは言った。
 本のページを開く時、人は一時現実を忘れ夢を見る。
 そして旅するのだ。見果てぬ遠い世界へ。
「おい、ルディア‥、また‥また、読んでるのか? その本」
 確か読み終えてはいたはず。よく飽きないな。そんな口調で笑う店長にルディアは照れたように小さく舌を出した。
 テヘッ、照れたような声が聞こえてきそうだ。
「なんか、嵌っちゃって‥面白いんですよ。このお話‥」
 本を胸に抱くルディアに店長は苦笑した。その顔は酒場で酔っ払いを華麗に捌くウェイトレスの顔ではない。
 少女、いや夢を見る子供の顔だ。
 まあ、ルディアはまだ子供といってもそう語弊のある年ではないのだが。
「もうじき開店だからその頃には読み終われよ〜」
 厨房に戻った店長にルディアはハーイ! 明るく笑って店の外を見た。
 冬に近づき、日が暮れるのは早い。もう外は真っ暗だ。
「本当に日が落ちるのが早くなりましたね‥。‥でも、あと少し‥」
 また本のページに目を落とす。
 第二章のクライマックスだ。
『「何! あいつが一人で向かった? 相手は姫の欠片を預かる六将軍なんだぞ。無茶だ!」』
『「私は、皆と一緒にいる資格があるの? 鋭い剣も、魔法も、美しい声も持ってはいないのに‥」』
『(このまま殺されたら、もう皆と会えない。‥イヤ! もっともっと皆と笑いあいたい!) 踊り子は始めて自分の本当の気持ちに気がついた』
『水の剣が‥氷と化した踊り子の頭上に襲い掛かる‥ 「イヤ!」 指先一つも動かない氷の石像が揺れた時、奇跡が起こった‥』
 フフフフフ‥、ハハハ、プププッ‥
 耳に入ってくる小さな声達に気付いて顔を上げた時、ルディアの白い肌はまるで炎のように紅く燃えた。
「み、皆さん、いつの間に‥」
 周囲にはいつの間にか常連客の輪。その最前列ではカウンターに腰をかけ足を組んだままお腹を抱えて笑っている踊り子の姿があった。
「‥ゴメンなさい。あんまり‥ルディアの顔が楽しくって‥」
 そう言うとまた笑い始める。どうやら顔に出ていたらしい。
「レピアさん‥もう‥来ているならいるって、声をかけて下さればいいのに」
 まるで風船のように頬を膨らませたルディアを見てお客は、そして踊り子は、笑い涙を指で掬う。
(もう、可愛いんだから♪)
 拗ねて『許してあげない、ストライキモード』と背中を向けるルディアにゴメンゴメンと謝るレピア・浮桜。その表情はもちろん笑っているが。
 ルディアの頬の丸みはまだ取れない。どうしようか‥思う客達に、そうだ! と声をあげルディアの顔が向いた。
「レピアさん、この間のお話の続き聞かせてください!」
「この間‥って『七つの石と風の夢』異聞? そんなに気に入ったの?」
 目を瞬かせるレピアにハイ、と明るい返事が返る。
「でも、お客さんたちが‥」
 だが、振り返った白山羊亭の常連達はルディアの味方だった。
「いいぞ、別に。たまには童心に返って童話の悪くない」
「踊り子兼詩人のサーガにワインでも奢ろうか?」
 どうやらもう後には引けないらしい。肩を竦めたレピアはもう一度カウンターに座りなおし長い足を組んだ。
 期待、そう書いた皆の視線がレピアに集まる。ルディアも椅子を引いて座りなおした。
「まあ‥いいわ。どこから始めましょうか? 前回の続き‥」
(「詩人‥そうね、私より彼の方がこの場に居たらきっとお話が上手でしょうに‥」) 
「‥『深い、深い暗闇の奥。彼女は夢を見ていました。一本の小指さえも自由にならない身体。瞬きもできぬ目。風を感じぬ髪。ですが‥不思議なことに彼女の心は自由だったのです。彼女は思いました。仲間達は今、どうしているだろうか? と。
彼女の心は風となり、仲間の元に飛んでいきました‥。目を凝らすと、ほら、其処に見えてくるでしょう。旅をする‥仲間の姿が』」
 レピアが語り始めた時、人々の心は物語とひとつになった。目を閉じた時、そこに広がるのは暗闇ではなく、もちろん白山羊亭でもない。
 遠い昔、遠い国‥ 視線の向こうに一人の娘の姿が見える‥

 そこは、少し開けた街道沿いの小さな空き地。
 手拍子でリズムを取る若者の前で、娘が踊っていた。妖艶な服装。娘は踊り子なのかもしれない。
 かもしれな、というのは足取りがあまりにも拙いからだ。よろろよろろとよろめいて、若者の方に近づいてくる。
「タタン、タンタン‥っと、そう、そこでUターン‥ワッ!」
「キャアッ!」
 ドン! 鈍い音がして二つの体が土の上に転がった。
 それは、男性と女性。ほんの少し早く倒れた男性は、女性の細い身体を抱きとめる。怪我が無いように、と。
 目的はなんとか果たされたように思う。半分は‥
「‥ウッ!」
「ご、ごめんなさい。お怪我はありませんか?」
「いや、大丈夫。でも、無理しすぎではありませんか? お姫様。レピアの舞踊を一朝一夕に身につけようとするのは無理ですよ」
 埃を払いながら立ち上がった吟遊詩人は、姫、そう自分が呼んだ人物に手を差し伸べ立ち上がらせた。
 手に導かれ立ち上がった娘は、はい、と答えながらも顔を下に向ける。
「でも、私が今、レピアなんです。私の身代わりになって下さったレピアさんの分、私がレピアさんにならなければ‥」
「そんなことを言うものではありませんよ。レピアはレピア、お姫様はお姫様。それぞれできることがあるのですから」
 言ってみた自分の言葉が、彼女の悩みの解決にまったく役に立っていない事を吟遊詩人は解っていた。何か‥もっと別の言葉を‥そう思っていた矢先、向こうから二人を呼ぶ声がした。
「おーい! そろそろ飯にしようぜ〜」
 今日の食事当番の呼ぶ声がする。
「まあ、ちょっと休憩しましょう。根を詰めすぎるのは何事も毒です」
「はい‥」
 吟遊詩人は彼女を促した。さりげなく‥左手を隠して‥。

「今日の料理は自信作だ。残すなよ!」
 鎧の前に似合わない花柄の前掛け。お玉杓子を握り締め、彼は仲間を睨みつけた。
 はい、と返事をした仲間と共に楽しい食事が始まる。
「あと少しで湖が見えてくる。その側に街があるらしいから、今夜はそこに止まろうぜ」
「では、今日は美味しい食事と布団にありつけそうですね」
「てめぇ、俺の料理に何か文句でも?」
「いいえ、何も?」
「ねえ、姫様、レピアの一部があるのはその湖の方でいいのよね?」
 仲間の漫才をさり気に無視して女魔法使いは踊り子の娘に問いかけた。手渡ししてくれた木の椀を受取りながらええ、と娘は頷く。
「どの将が‥いるのでしょうね。火・水・風・地・聖・魔、でしたか?」
「多分、水です。あの街は豊かな水の精霊に守られた、水の豊かな街として有名だったんです」
 首を傾げる吟遊詩人に姫と呼ばれた娘は答えた。姫、とは渾名ではない。この国のことはよく知っているつもりだった。
「まったく許せねぇな。この国の守護精霊を、狂わすなんてよう‥」
 この小さな国が豊かに栄えていたのは精霊の祝福によるものが大きかった。
 美しい女精霊たちはこの国の美しさを愛し、人々に加護を与えていたのだった。
 だが、その加護は今や呪いとなって国民を襲う。
 魔王の魔力によって、魔性と変えられ魔王に忠誠を誓うものとなったからだ。
 国を救おうとして自らのテリトリーを出たところを襲われた。
「精霊たちを元に戻せれば、この国を守る力になるわよね」
「彼女達は魔の石によって呪縛されているそうです。身につけている石を砕けばきっと正気に戻る筈」
「ああ、頑張ろう。一刻も早く、レピアとこの国を救うために‥」
「その、エプロンをお取りなさい。どんなカッコいい台詞もそれでは台無しですよ」
 拳を握り締めた剣士に詩人は鋭いツッコミを入れる。魔法使いは変わらぬ仲間に笑う。
 だが、姫、と呼ばれる踊り子は笑えなかった。
(私には、皆さんと共にいる資格は‥あるのだろうか‥)

 闇と氷に閉ざされた湖の上に、水の精霊の居城は存在した。
 生きる者の何もいないその城に、ただ一人鼓動を打つものが立っている。
 氷に照らされるように、闇に浮かび上がるその姿は、一人の踊り子の外見をしていた。
「水の精霊よ! 姿を現しなさい。汝の住まう国の王の娘の名において命じます!」
「姫君? そんな筈はありませんわ? 姫はほら‥ここに‥」
 ゆらり、青白い影が揺れる。冴え渡るような純白の髪、氷白の瞳。氷の鎧に身を纏った女将軍が立っている。
 上に上げた右手の平に浮かぶのは細く美しい右足のレリーフ‥
「それは、私ではありません。返すのです。水の精霊よ!」
 気を抜けば指先まで凍ってしまいそうな寒さの中、彼女は一人、視線を揺るがすことなく立っていた。
 そう、一人。蒼い服の踊り子の側に、誰一人も仲間はいない。
(「皆さんに、これ以上の迷惑はかけられない。私が‥助け出さなくてはならないのだから。この国を‥レピアさんを!」)

「何! 姫さんが一人で城に向かった? 無茶だ。かつては国を守る精霊だったかもしれないが、今は魔王に使える将軍なんだぞ!」
 夜更け、宿を揺るがすような怒鳴り声が広間に響いた。
「一人で、欠片を取り戻そうとしたのでしょう‥」
「夕食の後、こっそり抜け出したみたいね‥一体、どうして‥?」
「‥おい! 手を見せてみろ!」
 剣士は吟遊詩人のポケットに隠された手を力任せに引き抜いた。
「ウッ‥!」
 くぐもる様な悲鳴を上げた詩人の左手は赤く、腫れあがっていた。
「どうしたんだ? 一体?」
「お姫様が転んだのを支えた時にね‥ちょっとドジりましたよ」
 精一杯の笑顔を作る詩人の顔を見つめ、魔法使いは目をつぶった。
「原因はそれね‥彼女、落ち込んでた。レピアの足元にも及ばない、って。毎日レピアに近づこうって武術や舞踏の練習寝る間を惜しんでしてた」
「そうなのかも‥しれませんね‥でも」
「おら! 行くぞ! 二人とも。とっとと行って早く連れて戻ろうぜ。あのお姫さんを‥いや、レピアを」
 駆け出した剣士の後を二人は追いかけた。誰も、何も言わなかった。

「どこに、あいつはいるんだ? 水の城ってどこだ!」
『こっち‥よ』
「ん? お前は‥」

(「身体が‥動かない。私は‥ここで死ぬの?」)
「確かに、姫君ですわね。では‥これは一体誰なのでしょう? 後で魔王様にご報告せねば‥。まあ、ここで姫君の命を頂けば済む事ですが‥」
 氷の微笑で、水の将は微笑みかけた。返事は無い。
 彼女が微笑みかけたのは氷の彫像。魔力によって姫と呼ばれる踊り子は氷の像とさせられていたのだった。
 心の中に、誰かが囁く声が聞こえる。
『いいの? 貴女はこれでいいの?』
(「このまま殺されたら、もう皆と会えない。レピアさんも助けられない‥‥イヤ! 私にはやる事があるの! 皆の下へ帰りたいの!」)
 踊り子は始めて自分の本当の気持ちに気がついた。
 彫像の頬についた小さな欠片を水の将は手にとって、首をかしげた。
「何時付いたのかしら? こんなもの」
 足元に落とし、砕くと氷の像の前に立ち、魔の水将はその冷たい唇にそっとキスをした。
「姫君。私だったものは、貴女とこの国が好きでしたわ。でも、今は魔王様にお仕えする身。どうかお許しくださいませ」
 怪しく笑うと、腰の剣をサッ! 抜いて高く掲げた。
「さようなら‥姫君!」
(「イヤァ!」)
「レピア! ウォオオオッ!!」
 ガシャン! 突然襲い掛かった烈風のような衝撃に、魔将は剣を取り落とした。
「! 何者!」
「仲間を‥助けに来た。邪魔は‥させない!」
 声のするほうを、魔将は見た。3つの影がそこに立っている。
「人間如きが!」
「その、人間の力を知るがいい! 頼んだぞ!」
「任せて!! ファイアー!」
「風と水よ。踊れ、わが声と共に」
 突進してくる剣士に同じスピードで魔将は向かい合った。
「人間、一人など‥何!? グワアッ!」
 スピードと力に劣るなどとは、彼女は考えてはいなかった。
 だが、向かい合い、一合の後に振り返ったとき立っていたのは人間の、剣士だった。
「俺達は、一人じゃない。いつも、仲間と共にあるんだ‥」
 剣士のスピードと力を吟遊詩人の歌が、底上げし、剣に炎の付加呪文を魔法使いがかけた。
 そう知る前に魔将の膝と、身体は地に付していた。
「一人じゃ‥、一人‥」
「この額のサークラルを壊せ! それで、おそらく呪いは解ける!」
「解った!」
 ガキン!
 岩をも砕く剣士の剣がサークラルの中央の黒水晶を砕くと、それは劇的に起こった。
 周囲の氷がまるで日の光に照らされたように解け、一面の白が優しい水色へと変わっていく。
 ほんの今まで、真冬のような凍りついた空気と空間が春のように優しく、光り‥そして‥
「レピア!!」
 凍りついた彫像がゆっくりと解けていった。水色だった頬が柔らかな桃色へと。銀の唇が薔薇の紅色へと。
 そして、声を紡いだ。
「皆さん‥」
 冷え切った身体は自分を抱く6本の腕に温められた。身体と心‥全てに温もりを感じた時、彼女は呪いが解けた事を知った。
 この国に魔王がかけた第一の呪い。そして、自らの心の呪いが‥

 元に戻った水の精霊と村人の感謝に見送られ、彼らは湖の街を後にした。
「まったく、無茶しやがって。命が縮んだぞ! どうしてくれるんだ!」
 ブツブツと、昨日から続く愚痴を紡ぐ剣士の口を、吟遊詩人はまあまあ、と宥めるフリをして左手で押さえた。
 その手には、白い包帯が‥
「大丈夫ですか?」
「もう、大丈夫です。隠したことで余計に心配をかけたようで申しわけありませんね」
 微笑みはまるで春の日差しの混ざった風のようにとても暖かかった。
「ねえ‥聞いてくれる? ハッキリ言うわ。貴女がレピアと同じ事をするのは絶対無理。あれは、レピアの生まれた時から今までの生きてきた全てだから‥」
 魔法使いは、歩く娘の横に並ぶとそう、断言した。
「はい‥」
 今なら解る。一朝一夕に手に入れられるものでは決して無いと‥。
「貴女は、貴女にしかできないことがあると思うの。そして、貴女にしか踊れない踊りもある。レピアは、この世でただ一人。そして貴女もただ一人なの。誰にも代わりはできないのよ」
「レピアの代りになろうなどとは思わなくてもかまいません。貴女は貴女。それを‥忘れないで下さい」
「ハイ‥」
 仲間達の言葉が心の中に一つ一つ、染みていく。娘の頬に流れ落ちる涙が一粒こぼれた。
 真珠のような美しい涙。
「大体、レピアを目標なんて志が低いぜ、あいつはなあ、見かけによらず乱暴でだなあ、百合で〜、災難体質で〜〜イデッ!」
 剣士は頭を抱えるとキョロキョロ、何かを探した。そして、見つけたように微笑む。
 見えない風。自分の側にいつもある。
 ‥その中に、今は離れ離れの遠い仲間の姿を見たような気がした。
 風は彼女の頬の涙を拭って去っていく。
 
 冒険者達は、冬の街に春と、幸せな時を運び、春風のように去っていった。
(「私も皆さんのように、なりたい‥。さりげなく、でも人々の心を温められるような存在に‥」)
 でも、もう焦らないと心に決めた。彼女は風に微笑みかける。
「レピアさん‥私を、見ててください。いつか、貴女を助けた時に、貴女と皆さんと肩を並べられる存在になれるように、貴女に近づけるように‥頑張りますから!」
 風が微笑み返したように、彼女は思った。胸に風を抱きしめて。
「行くぞ‥レピア。まだこれからなんだからな!」
「ハイッ!」
 手招きする仲間達の元へ、レピアは元気良く答え、走り出した‥


「‥というわけで、第二章、完‥‥ ルディア〜、どうしたの? ボーっとしちゃって」
 語り終わって周囲を見回した、レピアはカウンターに肘をついたまま目線の合わないルディアの額をポン、と指で弾いた。
「あ、ごめんなさい‥。お話がとっても面白くて‥夢中になっちゃいました」
 彼女の言葉と同時に酒場の中の声も動き出す。どうやら、他の連中の耳も奪っていたようだ。
「ほい、約束のワインだぜ。素敵な話をありがとよ」
 マスターがカタン、小さなグラスをレピアの手の横に置く。
「ありがと。でも、ダメよ。こんな素人芸にだまされちゃ」
「素人芸じゃないです!」
 肩をすくめたレピアにルディアの力説が返る。
「じゃあ、今度は私の本業に移りましょうか?」
 グラスを飲み干すと、レピアはひらりカウンターから飛び降りた。頷く本当のバードが鳴らした竪琴は昔の仲間を思い出す。
 レピアは目を閉じた。
(「皆‥。また出会えて私もうれしかったわ。貴方達も見ていて、今の‥私を」) 
 タン!
 踏み込んだ足が熱いステップを奏でる。
 彼女の踊りが、幻想世界をまた作り、誘う。言葉よりもこちらが本業だ。だが‥
(「また、やってもいいかもね‥異世界召還‥」)
 レピアは遠い何かを思い出すように、熱く、熱く、踊り続けた。

 物語は夢を紡ぎだす。聞く者にも読む者にも、語る者にも‥。
 それぞれの心に風と夢を送り、また本は閉じられる。
 次の夜まで‥。