<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
【追いかけて追いかけて追いかけてユキグニ】
「怪盗ねえ」
「左様です」
カウンターで一休みしているエスメラルダの元にやってきたのはエルザード城の兵士だった。彼らは冒険者の力を借りるために黒山羊亭に来ることがある。今回もそうだった。
「このユキグニっていうのを捕まえて引き渡せばいいのね」
「左様です」
エスメラルダが渡された書類に、ユキグニなる人物の似顔絵が描かれている。端正な顔立ちの男だ。爽やかな好青年という印象だが、どうにもやり手で富豪たちは悲鳴をあげているらしい。
「昨日、こともあろうに我らがエルファリア様の肖像画を盗むと予告がありました」
「あら」
「ぜひともご協力をお願いしたいのです。有志の方は城までご来訪ください」
「了解よ」
兵士が店を出ると、エスメラルダは座ったまま客たちに声をかける。
「足に自信がある人、やってみない? きっと王様から報酬が出るだろうし」
エスメラルダの言う『足に自信がある』者であると、アイラス・サーリアスとエヴァーリーンは自負している。ぜひとも自分のスピードで捕まえたいという、半ば挑戦心のようなものがあった。
「しかし、肖像画ですか……。大きさはどのくらいなのでしょうね? あまり大きいと運びにくそうなのですが」
アイラスはさっきからそれが気がかりな様子である。
エヴァーリーンは無言でいる。ただ、心の中ではエルファリアの肖像画など盗んでどうするのかと思っている。
ふたりはやがてエルザード城門に差し掛かった。門兵に用件を伝えると、丁重に中に通された。
彼らが案内された先は『ユキグニ対策班室』なる殺風景で事務的な部屋であった。ぐるりと長机が四角く設置されており、その前に兵たちが仏頂面で座っている。
「アイラス殿、エヴァーリーン殿、ご協力感謝いたしますぞ」
髭面の班長はふたりの手を握って、空いている席に座らせた。
「ではこれより会議を始める! エルファリア様の肖像画……絶対に盗難されることがあってはならぬぞ!」
頷く兵たち。
綿密な話し合いの中、時間は速度を上げて過ぎ去ってゆく。
――予告の刻限が近い。ひっそりと静まり返った夜の城内には、幾人もの兵士たちが配置されている。彼らはおのおの獣のように眼を光らせ、油断なく周囲を見回している。
中庭のアイラスも夜空の下で、ただ黙って神経を研ぎ澄ましている。
(これだけ強固な警備をどう潜り抜けようというのか、見ものではありますがね……)
彼は会議中にも積極的に発言した。城からの逃亡に使えるような道を何パターンか想定し、荷物を置いて通れなくしておいたり、城外にも兵士を待機させるべきと提案した。今や城下は、蟻の這い出る隙間もないと言ってもいい。
対してエヴァーリーンは城門の側にいた。夜だから城門は閉じているし、怪盗が来るにしても逃げるにしても、まず通らない場所であろう。しかし可能性というものはある。彼女は無理に現場を押さえるよりも、逃走させるだけさせて、安心したところを襲撃した方がいいのではと、独自の考えを持っていた。事前に周囲の地理も頭に叩き込んである。もしもここを通ったらば、必ず自分が追って捕まえる――。
その時だ。城の内部で爆発音が起こったのは。
ほどなくして悲鳴と怒号が上がる。
「やられましたあ!」
「バカな!」
班長が泣きそうな声で叫ぶ。
「肖像画の前にはアキーナがついていたはずだろう。あいつは何をしていたのだ! 最後の砦は自分にやらせてくれとぬかしておいて!」
「それが、怪盗めはそのアキーナに変装していたんです。私は見ました。走り去るやつが顔に手をやると、アキーナの顔が剥がれて」
「な、なにおう?」
裏をかかれた。ユキグニは会議の時に、すでに入り込んでいたのだ。
しかしユキグニはどこから抜け出るのか。肖像画を盗んだとはいえ、そうやすやすと兵士たちの間隙を縫うことはできないはず。誰もがそう思った。
しかし怪盗は風のように速すぎた。重装備でないとはいえ、鎧をつけた兵士たち(しかも混乱している)に追いつけるはずがなかった。余裕しゃくしゃくのユキグニは真正面、城門を中から開けて姿を現した。緑の上着を羽織った、細長い男だった。いつやったのだろうか、背中に一抱えもあるエルファリアの肖像画をくくりつけている。これなら手も空いて走りやすいだろう。
そうして彼は瞬く間に城を抜け出したのである。
(のんびりしていると追いつけないかな)
一部始終を眺めたエヴァーリーンはそう思った。彼女はユキグニの後を追った。
ややあってほとんど反対側にいたアイラスも全速力で続く。結局はこのふたりに肖像画の命運を託すことになった。
ユキグニは人気の少ない、狭い通りを見極めて走った。盗難に至るまでは破天荒かつ大胆だったが、逃走となると王道である。
だがそんな箇所にはアイラスの提案したバリケードが各所に設置されており、道を選び直すこともしばしばだった。兵士に遭遇することもあった。こちらはユキグニに比べれば鈍重な動きであったので、まくのにはさほど苦労しなかった。しかし遠回りは免れなかった。
「見つけたぞ!」
「逃げられた!」
「そっちだ!」
そんな声があちこちで連呼される。
「さすがにまだ気は抜けねえな」
「気を引き締めてもこれで終わりですがね」
冷たい声がした。上から。
ユキグニが振り返った先――建物の屋根を走りながら、青い髪の青年が睨んでいる。無論アイラスである。さすがのユキグニも驚愕した。
「おめえ、いつの間に?」
「あなたが逃げたと気づいたときには相当僕との距離はあったはずなんですがね、バリケードや兵士さんのおかげで、僕が近づく速度の方が上回った」
不安定な足場をものともせず、アイラスはユキグニに視線を合わせながら高速で動いている。そして飛び降りるとピッタリ後ろについて追いかけてくる。
十字路を右に曲がり、三叉路を直進し、さらに十字路を左に折れる。
振り切れない。距離は徐々に徐々に縮まっている。
平地では自分でも敵わないか。脚自慢のユキグニがそう思った。
アイラスは目を剥いた。ユキグニは巧みな体術で家屋の壁を上っていく。今度は敵のほうが上になった。
怪盗は夜に溶けるようなスピードで駆け抜けていく。さっきよりも速い。アイラスも再び屋上に上がって追跡する。
「残念、俺は空中戦の方が得意なんだよ! ……っておい! お前誰だ」
「……あ、ばれちゃったか」
ユキグニはギョッとしていた。影よりも濃い黒衣の女――エヴァーリーンが、真横の屋上を走っていた。
本来ならエヴァーリーンの方が早く迫っているはずだが、アイラスを先に行かせ、敵はひとりだと油断させる作戦に出たのである。
「しょうがないわね。ではお望みどおりの空中戦といきましょうか」
風を切って唸ったのはエヴァーリーンの鋼糸。鞭のように変化したそれをユキグニの足元めがけて振るわせる。ユキグニはジャンプして辛くもかわす。
しかし鋼糸は集団の蛇のごとくユキグニを襲う。顔、腕、胴体が次第に傷ついていく。それでいて背中の肖像画には当たらないような巧妙さである。
鞭が当たらないように別の進路に移れば、エヴァーリーンもすぐさま足場を変えてもとの距離を取り戻す。引き離せなかった。空中戦を得意と自負しているユキグニも、彼女には負けるかもしれないと思った。
そうこうするうちに、アイラスもあとわずかで届く距離に来た。
ユキグニは焦った。こうなれば2対1の挟み撃ちである。いくらユキグニが名だたる怪盗であっても、逃げ切れる道理はなかった。だから即断する。
ユキグニは笑った。背中の肖像画に手をかけ――地上に捨てた。
肖像画はくるくると回転しながら落ちてゆく。追跡者は必ずこれを守りに宙へ飛び出すだろう。その隙をついて逃げるという考えだった。
アイラスが宙に身を躍らせた。そう、ひとりだけ。
なぜひとりだけなのだ? そう思った時には遅かった。
ユキグニの体に、鋼糸が巻きついている。完全に動けなかった。
そのまま倒れこむと、黒装束の追跡者は足元に近寄ってきた。
「何で飛び出さなかった! 肖像画がどうなってもいいのか」
「アイラスがやってくれると思ったし。実際読みは当たったわ」
エヴァーリーンは淡々と言った。むしろ肖像画の損壊よりもこの怪盗に逃げられることが嫌だったのだが、それは言わないでおく。
「……ち、今日は運が悪かったな」
ユキグニは観念しておとなしくなった。
「絵は無事ですよ! 寸前でキャッチしました」
アイラスが嬉しそうに下から言った。
やがて兵士たちがぞろぞろとやってきて、怪盗は縄についたのだった。
■エピローグ■
3日後、アイラスとエヴァーリーンは黒山羊亭でワインを飲んでいた。城から報酬金を受け取ったので、今日は少し高級の品である。
「しかし速かったですね。冒険者になれば、いい活躍ができるでしょうに」
アイラスは惜しいと言いつつ回想する。悪党とはいえ、速い者には少し親近感が湧く。
「まあ、私たちにはわずか及ばなかったわね」
エヴァーリーンは涼しい顔をする。
「で、その後、ユキグニはどうしてるって?」
エスメラルダが聞いた。
「牢でおとなしくしているそうですが……腕利きの怪盗だけにあっさり脱獄してしまうかもしれませんね」
「そうしたら、また捕まえてやるわ」
――もし脱獄したら、もうあなたたちのいるこの町には近づかないわよ。エスメラルダはつくづくそう考えた。
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1649/アイラス・サーリアス/男性/19歳/フィズィクル・アディプト】
【2087/エヴァーリーン/女性/19歳/ジェノサイド】
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■ ライター通信 ■
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担当ライターのsilfluです。発注ありがとうございました。
今回はルパンのような感じでやってみました。
スピードを感じていただければ幸いです。
それではまたお会いしましょう。
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