<東京怪談ノベル(シングル)>


嘆きの海

 海に、巨大な船の影が映った、と言う噂が立った翌日、理由は分からないがその船があっという間に沈没したと言う噂が街を駆け抜けていった。
「――あら。オーマ、行くの?」
「おう。見物がてら行ってみようかと思ってよ。おまえさんはどうする?」
「私は結構よ。オーマも…見られなかったらそのまま帰ってきなさいね、寄り道なんかしないで」
 仲間の女性におう、と言い、手を上げてふらりと病院を後にしようとして、
「…VRSなんて見たくも無いわ」
 苦々しい呟きが、ふと聞こえてきた。不審に思いつつ振り返るも、階段に長い裾が消えていくのがちらと見えただけだった。

*****

「一足遅かったな。昨日ここに来ていれば、遠目にも見えたんだろうが。もう船はねえよ」
「むむ、もう沈んだっつう話は聞いて来たんだが――って、ありゃあなんだ?」
「あ?何だろうな。学者連中も調査に行けんっつーてぶつくさ文句言っとったが。恐らく神様か誰かが、わしらに船を見せたくないんだろうよ。だから沈めて、ほれ、あんなモノまでおまけに残して行きおったんだろ」
 恐らく、船は海岸からでは良く見えなかったに違いない。…今海上に我が物顔でふんぞり返っているハリケーンが、ここからでも見えるのだから。流石に浜辺まで被害は来ていなかったが、この嵐では船を出す事も出来ないだろう。
「妙だな…あのハリケーン、動く気配は無いのか?」
「全く無い。だから神様が置いてった、としか思えねえのさ」
 ふーむ、と腕組みをしつつ、遠くに見える巨大なハリケーンを見やる。
 …ちりちりと、うなじの毛が逆立つような感覚。
 オーマたちの持つ具現力と同じ波動が、そこから微かに漂ってきているのを感じるのだが――このままではどうあっても近寄れない。…仕方ない、そう呟いたオーマが、一旦浜辺から遠ざかる。
 何となくだが、誰にも見られたく無かった。ひと気の無い海際を移動しつつ、ハリケーンが良く見える崖の上に立つ。
『そのまま帰って来なさいね、寄り道なんかしないで』
「悪ぃな――ちょっと行って来るぜ」
 ハリケーンまでの大体の距離を換算しながら、崖から海へと身を躍らせる。
 やがて、崖下から小さな水飛沫が上がり、そしてそのまま、海は何事も無かったかのようにゆったりとその身を波打たせた。

*****

 冬の海は、海水浴に適した物ではない。
 そんな事くらい、オーマにも良く分かっている。
 海へ飛び込んだ直後、自らの身体の周りに無謀にも空気を具現化させたオーマは、その人造空気を吸いながら水底を走り続けていた。
 いくら具現能力に長けていた所で、自然物ほどやっかいなものは無い。今はこの通り身体に影響があるように見えないが、後々どうなるかはオーマにも予想が付かなかった。
 だが、そんなものよりも、今は――次第に近くなる、黒々とした船の方が気にかかる。
 一歩一歩近寄る度に、頭に浮かぶのは家族の顔、そして…仲間たちの顔。それがどうしてなのか、自分でも分からないまま…上空のハリケーンの影響でうねる海中で足を取られないよう気をつけつつ、船を見上げ――。
「…こりゃあ…船っつうレベルじゃねえ。…戦艦だ」
 思わず呟いて、改めて集中しつつ中へ入れる場所を探し始めた。何しろ、海に潜ってからこっち、全ての空気は自家製で…常に意識を一定レベルに保っていなければならない。その上で他の事を考えなければならないのだから。
「型式は――そうか、やっぱりな」
 どこかでこの形態を見たことがあると思った通り、この船は、異世界で何度か話題になった戦艦に良く似ていた。…だが、どうしてだろうか。異世界の科学力をもって作り上げた、無機質なものである筈なのに、どことなく『生き物』のように思えるのは。波の動きや、海上で荒れ狂っているハリケーンの影の影響だろうか…。
 流れに逆らったり身を任せてみたり、その場所その場所で動きを変えつつ、デッキ部分に何とか降り立ったオーマが、その上で渦を巻く海水に巻き込まれないよう、手当たり次第に目に付いた物にしがみ付きながら蝶番が壊れたらしきドアの中へ潜り込んだ。――途端、

 ぞくん、と。

「っ!?」
 鉄柱を身体に潜り込ませたらこんな感覚が起こるだろうか。
 不快などと言う一言で片付けられない、異様な感覚がオーマに襲い掛かった。それは、視線であり、声であり、意識であり。良くある船における怪談など目ではない、直接オーマへ語りかけるような意識が見える。
 それは好意でも攻撃でも無い。――ただ、体中を内外から探られているようで、それが、たまらなく不快だった。
「よせよせ。幽霊船で幽霊に会いましたっつっても、当たり前すぎて面白くも何ともねえよ」
 わざと軽口を叩きつつ、コントロールルームへと向かう。
 そうして、船内部の文字や各部屋を覗き見ていくと、次第にこの船の事を思い出して来た。異端以外の者たちが集まって出来た軍と、その軍が作り上げた対ウォズ部隊の事を。この戦艦の製造は、確か国を上げたプロジェクトではなかっただろうか。…尤も、オーマたち異端には極秘内容だったので、一体どうやってヴァンサー以外の人間にウォズ退治をするつもりなのか訝しがったものだったが。
「…ここだな」
 ひと気の無いコントロールルームには、幸いな事に、昨日沈んだばかりだったからか空気がたっぷりと残っていた。
 思わず深々と深呼吸し、それから周囲を見渡すと、精密機械がずらりと並んでいる。それらを軽くチェックすると、元々、水の上に浮かぶだけではなく、空を飛ぶためのものだったと言う事が分かった。それはそうだ、とオーマが呟く。…死の世界と化した大地、そして海に船を浮かばせた所で意味が無いのだから。これは、浮遊大陸の周辺を旋回しながら大陸の守護に当たるつもりだったのだろう。
 そして、その場に散らばっている報告書に気付いたオーマがそれに目を通していく。…と、何か気になる文字があったらしく、その上を指でなぞりながらゆっくりと読み上げて行き…途中でぽつりと言葉が途切れた。取り落としそうになった書類をぐしゃりと握り締め、そして――あからさまな殺気を、遥か遠い世界へと飛ばす。
『――報告。対ウォズ兵器の使用状況:
 検査対象:00013号

 敵として捕獲済みのウォズ1体を使用
 処理にかかった時間・02:5509
 うち具現攻撃15発。命中率97.33(誤差あり)
 内部に組み込んだ神経回路が焼き切れるまでは連続使用可と断定』

 ただの『兵器』に、具現能力が起こるなどあり得ない。おまけに、神経回路とは――。

『――報告。対ウォズ兵器の各臓器ごとの操作性及び耐久性について:
 反応速度・具現能力の程度から兵器の核に使われる臓器は脳及び脳髄部分が尤も好ましく、次いで心臓。その他の臓器はこの2種に比べると劣化状況が激しく、予備兵器にしか使えない模様。使い捨てでなら異端の破片からでも増産可能。また、封印を施したウォズにも、ものによっては異端と同じく好ましい数値を期待出来る』

「…ぐ…」
 『異端』とは、浮遊大陸におけるオーマたち能力者を指す隠語であり、侮蔑用語でもあった。正式に認められたヴァンサーソサエティに入っている者でも、国家の中枢に位置する者たちは未だに『異端』と言う用語でもって彼らを表現すると言う。
「う――ぐ…」
 先程から、吐き気が止まらない。その理由は、今なら、はっきりと分かる。
『戦艦の主要部分にはVRSを配置。対ウォズ兵器として――』
 甲板に、腹部に据えつけられた砲台の数々は、それら全て『生き物』となんら変わりは無い。その材料に使われているモノが、オーマの仲間――それに、今まであれだけ死闘を繰り返しつつ封じてきたウォズと知った今では。
「ぐ、う――はぁっ、はぁっ」
『…VRSなんて見たくも無いわ』
 今朝、病院を出る時、彼女は確かにこう言っていた。まさか、とは思うが――
「…知って、いたのか?」
 その場に居ない者へ、問い返す。どこか弱々しげな声は、しかし、

『自爆装置が作動しました。自爆装置が作動しました。乗組員は直ちに退避して下さい。後、10分です』
「!?!?」

 何がスイッチだったのか、今まで沈黙していた戦艦が、鈍い地響きと共に動き出した。…自爆と言う道に向かって。

*****

「しゃれにならねえな、これは」
 空気の無い所でも動きは可能なのか、今まで隠れていた部分からも次々にその手を、指を伸ばした砲台が、一斉にオーマへと銃口を向ける。
 新たに空気を作り直したオーマには、必死で逃げる他方法が無い。いや、襲い来る砲台を、自らの手で破壊してしまえばいいのだが…だが、知ってしまったオーマには、それは出来そうに無かった。
 とはいえ――あと、数分で、この戦艦は爆破してしまう。その後に何が起こるかは分からなかったが、それでも、爆破は避けたかった。…何度目になるか分からない『死』を、こんな形で迎えさせたくは、無かった。
 脳に比べ他の部分が劣っていると言う報告があった事を思い、オーマは再び甲板へと足を踏み入れていた。そこに見えるのは、オーマへ標準を合わせようとゆっくり降りてくる主砲の姿があり、『それ』は、オーマを――憎しみを込めて見詰めていた。
 能力者に生まれたばかりに、突然こんな姿にされてしまった事でか、それとも、未だこうした姿にならずおめおめと生き延びている目の前の男に対してなのか、その憎悪の念だけでは分からなかったが――
「…知らなかったよ。何もな。…おまえ、俺の事を知っていたのかもしれないな」
 ヴァンサーは、能力者であれば問題なく就労出来る仕事ではあったが、その特異性と重労働に、若くして離職する者が絶えない職場でもあった。…そう。不思議な事に、離職後の仲間たちのほとんどは音信不通になり、連絡が取れるものはごく稀だった。
 それもまた、仕事柄不信感を持つ事が多いからだと、ただそれだけだと、切り捨てていたあの頃の自分が悔やまれてならない。疑えば、疑える材料はいくらでも手元にあったと言うのに。
「済まない。済まない――俺は――」
 心中するつもりは元より無い。だが、このままでは、彼らは自爆し散らばるだけだ。それは、オーマに取ってどうしようもなく嫌な事だった。
 だから、何とかしてこの兵器たちだけでも、どこか異空間へと運び出そうと、空気が消えるのも構わず全力を出そうとした、その時。

 ――諦めなさい。この子たちは、私が封じるわ

 『声』が、聞こえた。

 それと同時に、いつの間にか上へと上がっていた事に気付かされる。
 船が。
 ――浮き上がっていく。

 ハリケーンは、そのまま、海中から船を引きずり上げ、包み込み、そして――
「――――!!!!」
 激しい『力』の波動に、オーマは思わず目を閉じた。そして気付けば――空は冬晴れの青空で。
「………」
 オーマは、海面をぷかぷかと漂っていた。

*****

「お帰りなさい。遅かったのね」
「――なあに。ちいとばかし寒中水泳やってきただけさ。たいした事はねえ」
 全身ずぶ濡れになったオーマが病院へ戻ると、着替えと温かい飲み物が用意されていた。
「おうおうおう、気が利く事で。だがよしておこう。その前に聞かなきゃいけねえ事がある」
「あらあら、何かしら?そんなに大層な話は持ってないわよ?」
「知っていたな?」
 何を、とは言わない。言わないが、殺気すら感じさせるその瞳が、何よりも雄弁に物語っていた。
「直接関わりがあった、とまでは言わねえ。だが、あの事は知っていた。そうだな?」
「――――」
 静かな、青い瞳がオーマを何も言わず見詰めている。その目の中には、動揺も、怒りも、悲しみさえも存在していなかった。
「まあいい」
 ばさりと着替えと飲み物のカップを手に、オーマが階段を上がって行く。
「俺にはあそこまででけえ力は出せなかった。あいつらがきちんと眠れる場所をおまえさんが確保してくれるなら、文句は言わねえよ」
 疲れ切っているだろうに、そんな素振りも見せず、
「ああそうだ。飲み物用意しといてくれて助かった。ありがとうよ」
「…どういたしまして」
 明日になれば、また再び仲間として、いつものように話せるだろうが、今は無理だ。これ以上側に彼女が居たら、きっと、自分でも取り返しのつかない事をしてしまう…言ってしまうと、分かっている。
 手に持つ、火傷しそうな程熱いカップを力任せに割ってしまわないよう注意を払いつつ、オーマはそうやって自らの部屋へ下がるしかなかった。
 だから、階下に残された彼女がどんな表情をしたのか知る由も無い。
 どんな言葉を、誰も居ない部屋に呟いたかも。


-END-