<東京怪談ノベル(シングル)>


Never










エルザードとアセシナートを分ける隔たり。目に見えない其れは、国境と呼ばれる不可侵の線。国境の其の線は、現在も戦いを続ける二つの国の重要な物だ。
戦の残り香が漂う其の中、奇妙なメロディがたらたらと流れる。止まる様で止まらない、不思議な旋律。口笛の其れは、微かな音でも力強く、そして滑らかに。口笛を吹く男は──国境の防壁、其処に聳(そび)える物見の搭。其の屋根に、居た。

風が一陣、強く吹き荒ぶ。其の清涼な風に交じる人と獣と何かしらが焼ける匂いに、男──ルーン・ルンはにやりと口許を歪めた。酷い戦争だ。まだ終わらぬか。まだ死者を出すか。其れでも終わらぬのだろう。

男が其の屋根の上に座ることを咎めるものは、何も無かった。人も物も、誰も彼を咎めない。背後にはエルザード、そして前方に広く広く広がるのは、隣接する国アセシナート。大地も空も、其の領域の物だ。
咎められない其の場所で、ルーンは口笛を止め、小さく小さく呟いた。

「……私は願った世界に光り在れ。私は望んだ光在るならば闇もまた──」

呟かれた言葉は、風に巻かれて細く消える。流されていく言葉を気にもせず、また唇を開こうともせず──ルーンはくぁ、と欠伸をした。まるで世界の柵(しがらみ)全てが詰まらないとでも言いたげに。もう一度欠伸をする。くぁ、と間抜けな音は、呟かれた言葉と同じく風に巻かれてゆるりと消えた。

ぼんやりと大地と空の狭間を眺めながら、ルーンは矢張りぼんやりと茫洋(ぼうよう)に考える。
背後の国は、自分を歪曲の聖者と呼ぶ。アセシナートの狂聖者もまた、其の名の内の一つだ。だけど決して、本当の名では呼ばれない。この名も又偽りだと言うことが理由でも、あるけれど。
前方の国は、自分を螺旋の聖者と呼ぶ。聖者でも何でも無いのに、自分をそう呼ぶ。其れは持つ力の為か。自嘲にも似た笑みが、ほろりと口許から零れ落ちた。どうしようもない優しさの一種であり、異種だ、其れは。

本当の名は呼ばれない。この名も又偽りだと言うことが理由でも、あるけれど。
本当の名は呼ばれない。其れは、其の名が惨酷であるから。自分の名を口にした者は、其の物ではなくなってしまう。名が存在を定義するというのなら、何とも滑稽で──何とも真実なのだろう。
言霊では無く、存在自体がそうさせる。止め様も無い事だ。

「仲良ク?なりたいネェ……」

語尾が弾む。そう言ってルーンは嗤(わら)い、かしゃん、と自分の手に持った一つの鳥篭を揺らした。
針鼠のジレンマとでも、名付け様か。そんな道化らしいことを思い浮かべ、く、と喉を鳴らして自嘲する。

自ら突き立てた棘に誰が刺さろうとも、痛くも痒くもないのだケレド。

「無駄が多いよネ、オレも……」

もう一度喉奥で嗤って、ルーンは鳥篭の自分の目線の高さまで持ち上げた。
鳥篭の中に、捕らえておくべき鳥は居ない。あるのは、萎(しな)びた一対の鳥の羽根だけだ。鸚哥(いんこ)の羽根。以前買って、もぎ取ってしまった其の羽根は、もう血を流す事も無く、静かに鳥篭の底に横たわっている。

「広ろかろう?空は」

──飛べない、鳥。ソレはキミ、それとも──?

考え掛けて、止めた。何とも無駄な事よ──唇で笑んだまま、ルーンはゆらりと立ち上がる。
屋根の上、風を全身で受け止めながら。鳥篭の中、死んだ羽根が、はたりと揺れた。
戦の匂いは未だ止まらない。きっと今も、何処かで誰かが殺しあっているのであろう。ルーンはゆらりと視線を巡らせる。見据える先は、戦の煙が立ち昇る戦場。
無駄な事か、其れとも。終わらないのは確かだけれど。



全てを否定するような眼差しで、ルーンは──ゆっくりと、視線を伏せた。





■■ Never・了 ■■