<東京怪談ノベル(シングル)>


『それは遠い昔の話‥その3』
【七つの石と風の夢異聞 第三章】

 白山羊亭の夜は遅い。
 夜こそは酒場の昼だから。
 日が変わり、空気の匂いが朝の香りを漂わせる頃。やっと最後の客が店を出た。
「ありがとうございましたあ! ふう、これでやっと終わり‥」
 肩を軽く叩いた後、ルディアは腕まくりをして片付けを始める。
 まずは椅子をカウンターの上に。慣れた作業のはずだが‥何故か今日は手元が狂った。
「あっ! いけない!!」
 ガシャン!!
 と音を立てて床に落ちたはずの椅子の音がしない。
 慌てて椅子を探すルディアの目線の先にほっそりとした白い足。金の飾り、銀の飾りで飾られたしなやかな腕が木の椅子を軽く持ち上げた。
「危ないわよ。ルディア‥」
「レピアさん♪ ありがとうございました。‥今日は一段とお綺麗ですね」
「あら、アリガト。別荘にちょっと呼ばれて踊っていたの。王女さまに会うわけだから、いつもよりちょっとお・め・か・し」
 そう言いながらウインクをしたレピア・浮桜は手に持った椅子をカウンターに上げる。
 片付けの手伝いをしようと思って二つ目の椅子を持ち上げたのだが‥
「あれ? どうしたのルディア。珍しい顔しちゃって‥」
 振り向いてレピアは目を瞬かせた。いつも笑顔のルディアらしくはない。どこか寂しげな微笑。
「あ‥何でもないんです。ただ‥ちょっと羨ましいなあって思っただけです」
「羨ましい? 何が?」
 首を傾げるレピアにルディアは頬に薄い笑みを浮かべた。
「冒険者の、皆さんが‥です」
 レピアに背を向けながらルディアは椅子を持ち上げる。この顔は‥見せたくない。
「この店に来る冒険者の皆さんって、いつも楽しそうじゃないですか。普通の人が見れないものを見て、知らない世界を旅する‥。私はいつも‥ここで待っているだけ‥」
「ルディア?」
「王家の方と友達になったり、華やかなパーティに呼ばれたり‥。この店でウェイトレスするのは大好きです、でも‥」
 それは、彼女の正直な気持ちだろう。冒険者に憧れる、彼女もごく普通の少女‥。
 だが‥
「ねえ、ルディア。『七つの石と風の夢異聞 第三章』聞きたい?」
「えっ??」
 突然の彼女の誘いにルディアは慌てて振り返った。目元が濡れている事に気付いて雫を袖口で拭って‥勿論、と頷く。
「どういう風の吹き回しですか? いつもは私がねだってもなかなか話してくれないのに‥」
 次にレピアが来たらお願いしようと思っていた、物語は自分が冒険に出ることができる夢の世界だから。
 だが、夢の水先案内人、レピアの顔は浮かない。どこか、悲しげですらある。
「解ったわ。でも‥後悔しちゃだめよ」
「後悔???」
 いくつかの疑問符が脳裏を過ぎったが、ルディアは気にするのは止めた。
 自分の分と、レピアの分。二つの椅子をカウンターから降ろし、一つに深く腰をかける。
 もう一つにレピアは座らない。いつものようにカウンターに飛び乗り長い足を組み顔を上げた。
 今日の聴衆はルディアとどこか蒼く輝く月の二人だけ。
(「この話には似合いかもしれないわね‥」)
 深く息を吸い込み‥語り始める。
「‥戦いの果てに、砕かれた姫君の欠片の一つを手にした冒険者達はまた旅を続けておりました。王より譲られた馬車を駆るのは若き剣士。仲間達は共に歩きながら次の目的地に向かいます。目指すは地の精霊の待つ山の尾根‥」
 ルディアはレピアの言葉の向こうに遠い、馬車の音が聞こえたような気がした‥。

 カラカラカラ‥
 青年が操る馬車は静かに街道を行く。
「王様は気前がいいな。馬車までかしてくれるなんてよお。お前もなかなかいい馬だぜ!」
 馬車を引く馬に声をかける若者に、横を歩くローブの女性はつん、と気の強い顔を上げた。
「それくらいは当たり前でしょう。封印の石を抱えて旅なんかできないし‥旅の保証くらいはしてもらわないと‥」
「しっ!」
 後ろを歩いていた吟遊詩人は女性に向かって瞬きする。指を唇に当てたその仕草にあっ、彼女は魔法使いの杖で自分の頭を叩いて剣士の横で御者台に座る少女に苦笑の笑みで笑いかけた。
「ごめんね、そういうつもりじゃなかったのよ」
「解ってます。気にしないで下さい」
 踊り子の装束を纏っているが彼女は王の娘。そして、今回の旅の始まりの少女。
「私は、私にできる事をする、と。そしてレピアさんの分まで頑張ると決めたんです。レピアとして‥」
「よ〜し、その意気だ! 俺たちも全力を尽くすからさ」
 隣に座る剣士の大きな手が娘の髪を、くしゃくしゃとかき混ぜる。
 照れた子供のように笑う踊り子に、吟遊詩人は地図を広げて声をかけた。
「次の街はもう直ぐですよね」
「はい、もう少し見えてくると思います」
「じゃあ、その街で今日は休みましょう。ああ、久しぶりにベッドでゆっくり眠れるわあ!」
 二人の会話に身体を伸ばした魔法使いに苦笑しながら仲間達も頷く。
「私、あの街の酒場で頼んで、踊らせて貰おうと思います。人前で踊らないと本当の踊り子になれないですもの」
「やってみるのもいいでしょう。私が伴奏でもしますよ」
 街道の木々の葉陰に見えてきた街並みに、彼らの足は知らずに早まっていた。

「‥いいか、レピア‥落ち込むなって言ったって無理だろうが、落ち込むんじゃないぞ」
 宿の一室で窓の外を見つめる踊り子の娘に、剣士の青年はそう言った。
 が、それが無理であることは言った本人も解っている。
 深いため息が三つ、時間差で部屋の中に広がっていった。
 月はまだ低い。宵の口と呼べそうな時間だ。
 足の下の向こう、一階の酒場はまだ賑やかな歌声と、笑い声。そしてダンスのステップの音が響いている。
 本来なら、踊り子も旅する冒険者も、これからが本番。まだ部屋に引きこむ時間ではない。
 だが‥彼らは今、あの場にはとてもいることなどできなかったのだ。
 今、酒場で光と喝采を受けて踊るのは燃える炎のごとき踊り子と、流れる風のような舞姫‥。

『えっ? 踊らせて欲しい? でも、この街には私たちがいるのよ。いくら美しいお嬢さんの頼みでもちょっと‥ねえ?』
『なら、こうしましょ。私たちと踊りで勝負するの。貴女が勝ったら踊ってもいいわ。さあ! 行くわよ!!』

(「‥比べるとか、勝負‥以前だった。‥私はまだまだレピアさんどころか、彼女たちの足元にも及ばない」)
 打ちのめされた踊り子を見るものは仲間だけだった。誰も気にも止めなかった。
 二人の舞台の中央で踊る二人以外には‥。

「彼女たちの踊りは見事なものでした。赤い髪の踊り子の剣舞も、銀の髪の舞姫の舞いも本物のレピアに勝るとも劣らない見事なものです。‥仕方ありませんよ」
「焦ってはダメよ。自分の足元を見て! でないと貴女が壊れてしまうわ‥」
 仲間達は口々に踊り子を慰めた。だが、その言葉は彼女には届かない。
「仕方ない‥なんて言葉は使ってはいけないんです。私はレピアなんだから、彼女の名を汚す様なことはしてはいけないのに‥」
 遠く外を見つめる彼女が見ているものは、星でもなく、月でもなく弱い自分。
 黙って冒険者達は部屋の外に出た。一人にしておいてやろうと‥。
 彼らは後にそれを心の底より後悔することとなる。

(「どうして‥どうして!!」)
 背中に感じる冷えた土の感触と目に映る、月と星の光。
 彼女が自分の意思で感じられるのは今、それだけだった。
 マントも靴も、今、周囲に転がっている。露出は激しく、でもかたくなに身体を守っていた踊り子の服も、今は千切れてどこにいったのか?
「さあ、お姫さま。もう一度聞くわ。貴方達が奪い返した封印の石の欠片は‥どこ!」
 火傷をしそうな熱い指が、横たわる娘の顎に触れ、くい、と顔を持ち上げさせた。
「‥知らないわ‥知ってても‥誰が!! うっ‥!」
 胸の中央に赤い印がじわりと焼け付く。煙の舞い上がる指をゆっくりと離して『彼女』は娘の身体をふん、と足で蹴った。
「プライドだけは一人前ね。プライドだけ、だけど!」
「そうまで言っちゃあ可哀想よ。‥ねえお姫さま。貴女は貴女なりに戦おうとしたのよね。運命と‥。どうにかしたかったのよね。無力な自分を‥」
 くすくすっ、赤い髪の娘を止めるように近づいてきた銀の髪の娘は、踊り子の娘の長い髪にそっとキスをする。
 髪に感覚など無いはずなのに、ぞわり、こみ上げる、生まれて始めての感覚が少女の全身に走った。
「私たちに踊りを習おうなんて、前向きで可愛いこと。でもね、覚えておくことよ。お姫さま。冒険者にとって弱さは罪。そして‥甘さは自分の身体に刻むものなのよ」 
 ぶわっ‥!
 二人の娘、踊り子として娘が教えを請おうとした存在は、自らの魔力を解放しその姿を現した。
 赤い髪を揺らしながら歩く彼女の足元で、踏む小枝が燃え上がる。彼女はそう火の精霊。
 銀の髪がつむじ風のように舞い上がる。彼女はそう風の精霊。
 二人の魔将軍を目の前にしても娘の身体は動かない。
 もはや、指の一本さえも彼女の自由にはならなかった。風の鎖で身体をつながれて‥
「さあ、言うつもりが無いのなら、もう一度私の剣舞を受けて頂戴。せめて安らかな夢の死を与えてあげるわ!」
 赤く燃え盛る剣が火の精霊の手の中で踊るように回転した。頭上高く振り上げられた剣が下ろされようとしたその時。
「まあ、お待ちなさいな。こんな可愛いお姫さまをただ殺してしまうのはもったいないわ‥ 面白いこと、思いついたの。フフフ‥」
 風の精霊は風の鞘で火の剣を閉じた。楽しみを邪魔された火の精霊は、それでも苦笑して風の精霊に場を譲る。
「また、悪い癖? でもまあ、お好きになさいな。お姫さま‥可哀想ね。ひと思いに死んでいたほうが幸せだったかもしれないわよ」
「えっ‥」
 命救われた、と彼女は思ったのかもしれない。だが‥ゆっくりと伸びた白い指が頬を引っ掻き赤い線を引く。
「‥さあ、楽しい事をしましょう♪ 貴女にあげるわ、最高の快楽と、屈辱と、痛みと‥快感を‥ね」
「キャアッ! うくっ‥」
 唇を割って入ってくる冷たい舌。抵抗と拒絶、思考力を奪っていく。
「ステキよ‥。とっても可愛いわ。最高よ。貴女‥」
 胸に、肌に、熱を帯びて絡みつく指。
「‥う‥あ‥‥っ‥」
 翻弄され、弄ばれる身体‥、そして‥そして‥、夢も希望も打ち砕く冷たく、熱い感触が下腹部に触れた。
 その意味を、女なら‥知っている。
 瞳に映る光景に身体は小刻みに震える。不安と恐怖に彩られる中、全身を電撃が貫く。
 悲しいまでの絶叫が深夜の森に響き渡った。

「‥私の技が‥人間如きに‥ぐふっ‥」
「お前達は‥どうして‥なんの関係もない人間の為にそこまで‥」 
 二人の精霊は、その答えを得られないまま、火と風に戻って消えた。
 三人の冒険者達は剣と、杖と‥竪琴を降ろして深い息をつく。そして駆け出し、声を上げた。
「レピア‥どこだ! 無事か?」
 呼び声に返事は返らない。
 急激に現れ高まった二つの魔法力。そして消えた仲間。
 これらが指し示すものの意味の恐怖を、冒険者達は知っている。
 かさっ!
 草陰から聞こえたかすかな音‥
「‥う‥く‥っ」
「レピア!」
 一番近くにいた魔法使いはその声を聞き落とさず、草むらに飛び込んだ。
 仲間達もまた、それを知り駆け出してこようとする。だが‥
「来ないで! 二人とも‥お願い‥来ないで‥!」
「どうした‥! まさか‥」
「‥そんな‥」
 意識を失って倒れる仲間、レピアに魔法使いは自分のマントを外すと躊躇い無くその全裸の身体を包んだ。
 胸の上の布はかすかに揺れる。命はあるだろう‥。
 だが‥。魔法使いは無理に覚醒させようとはしなかった。
 目覚めたら、彼女には慟哭が待つだろうから‥。
 地面に赤い一筋の雫が零れ落ちた。

 彼らは二人の精霊を倒し、両腕の欠片を手に入れた。
 その代償は、あまりにも、あまりにも大きすぎたが‥。


「酷い!」
 話を聞き終わったルディアの目には涙が一杯に溢れていた。
「どうして、そんなことになってしまったんですか? 可哀想です。酷すぎます!!」
 今までは終わった時に幸福な思いすら感じていた。
 幸せな夢を見られていた。
 でも、今回は見た事を後悔するほどの悪夢。女にとってこれ以上ない苦悩と悲しみはありえない。
 ルディアはレピアに縋りつき泣きじゃくる。
 レピアは、そんなルディアの肩に両手を置くと、そっと抱きしめ、そして離した。
「ねえ、ルディア。冒険者はいつも、そんな苦悩と隣り合わせの中に生きるの。まして女はいつ彼女以上の苦しみを背負わされることになるかわからない。それが‥冒険者よ」
「‥レピアさん」
「できるなら、私は貴女には‥いつもステキな笑顔で笑っていて欲しいわ‥ルディア」
 くるり、背を向けてレピアは白山羊亭の扉を開く。
「何故‥人は冒険に出るのかしら。何故‥旅を止めようとはしないのかしら‥」
 扉は閉じ、青い髪の踊り子の影は遠ざかっていく。

 見送るルディアは、質問の答えも、叩きつけた疑問の解答もまだ、何一つ得ることはできなかかった。