<東京怪談ノベル(シングル)>


ロストソイル
 最近、おかしな事が起きている。
 この地に降り立った筈のヴァンサーが、立て続けに何人か行方不明になっている――そう、病院を経営し、この地に根を張りつつあるオーマ・シュヴァルツに連絡が入ったのはつい昨日の事だった。
 ある意味ではヴァンサーの溜まり場、第2のソサエティ、と言えなくも無いこの病院に繋ぎを付けて来る者も少なからずおり、そこからの連絡だったのだが…。
「妙だな」
 話を聞いたオーマの第一声がこれだった。
「妙、とは?」
 泡をくって話をしに来た、これも同じくヴァンサーが不思議そうな目を向ける。
「いや。…行方不明と言う割には、死の匂いがして来ねえんだよ」
 ヴァンサー程の能力者は、その存在が既に異端とも言えるもの。それが、何の気配も無く姿を消し去ると言う方がおかしいのだ。
「単に誘拐――つってもなぁ…ヴァンサー集めて喜ぶ変態なんざ、ソサエティマスターくらいしかいねえしなぁ」
「い、いや、その表現はどうかと…」
 焦ってあわあわと声を上げる目の前の若手に、オーマがにやりと笑い。
「それもそうだな。…で?他に何か知ってる事はねえのか?知り合いが消える前兆とかよ」
「いえ…いつも通りでしたよ。ただ、ひとりのウォズに随分てこずっているようでしたが」
「ほほう?」
 ヴァンサーがいくらウォズ退治に特化しているとは言え、ウォズにもピンからキリまでの能力差がある。尤もそれはヴァンサーもおなじ事なのだが、その辺りの能力差によっては、ウォズを取り逃がすだけではなく、下手をすればウォズに取り込まれる危険性があった。
 だが、そうなった場合、確実に近隣のヴァンサーには異常が伝わってくる。その辺りが感じ取れないと言う事は、少なくともそのヴァンサーたちは『死』を迎えていない筈だった。
「まあ考えてみても始まらねえや。そのウォズの出現場所、知ってたら教えてくれるか」
 そうして聞き出した大体の場所に、オーマはたった1人で向かった。万一の事を考えて仲間は1人も連れず。

*****

「この辺りだな…ん?」
 大まかな場所に到着し、周囲を見回していた時。
 何か奇妙な気配を感じて、そちらへと足音を殺しつつ近寄って行く。
 ――封印?
 その気配は、ヴァンサーがウォズを封印する際に発せられるものと良く似ていた。…『似て』いたのであって、ヴァンサーが使うモノとは明らかに違ったのだが。
「――――――!?」
 気配の先にあったものは、ウォズと――意識を失ったのか、ぐったりとしているヴァンサーらしき人物。
 そして。

 ――そのウォズは、ヴァンサーにとどめを刺す事無く――

 『封印』を――そうとしか思えない力の発動を行っていた。

 ぱあっ、と光が弾けた後には、ウォズしか残っていない。そのウォズもまた、人間の身体に模した形を取っており、そしてそのウォズの持つ気配は、今まで会った事のあるウォズの中でもかなり高い能力を有した存在だった。
「――何しに来たの」
 消えたヴァンサーの痕跡を探るように下を見詰めていたウォズが、ついと顔を上げる。
「何っておまえ、そりゃ…ヴァンサーが次々と消えてしまったっつうんだ、調べに来たに決まってるだろう?」
「それはそうだね」
 さらりと同意したそのウォズ…思春期に差し掛かった頃の姿を取った少年に、
「それにしても初めて見たぞ。封印するウォズなんてな」
「…そう?ヴァンサーだってぼくらを封印する。おなじ事じゃないか」
「そう言われちまうと何とも言えねえけどなぁ…戻してくれねえか?そいつら」
「駄目だよ」
 あっさりと返したその言葉に、だろうな、とそれほどがっかりした様子も見せず、
「なら、俺様も封印してみろ。――おまえが嫌だって言うなら、俺が引きずり出してくる」
「…無駄だと思うけどね――自ら封印されたいなんてヴァンサーは初めてだ。まあ、いいけど」
 気だるげな言葉を口にしつつ、少年がオーマに向かって『力』を解放した。幾重にも薄い布で包まれるような感触に、どこか息苦しささえ感じた頃、

 オーマは、見た事も無い場所に立っていた。

*****

 ――いや。
 正確には、『見た事が無い場所』ではない。何故ならば、その場所を見た瞬間に胸に溢れ出て来た思いは、郷愁だったからで。確かに、いつかここに立っていた記憶がある。それがいつの事か、どうしてここにいたのか、それは思い出せなかったが。
「ここは……どこだ?」
 穏やかな風が頬を撫でる。
 見渡せば、一面の草原…その向こうに見えるのは、どことなく見覚えのある山々。
 振り返った先には、青々とした水を湛えた海まで見える。
「あ――」
 まさか。
 たったひとつ、思い当たった世界に気付いて、思わず声を上げる。

 そう、覚えている。
 この、切り取られる前の大地の形も。
 生きた海も、まだ高くそびえ立つ山々も。
 空を眺めても、あの浮遊大陸は見つからない。…見つかる筈が無い。

 ここは、ロストソイル以前――その頃の世界そのままなのだから。
「しかしなぁ。俺はやつに封印された筈だったんだが」
 どうしてそれがこんな所に来てしまったのだろう。
 不可思議な事に唸りつつ首を振ると、さらりと流れた髪の色が銀である事に気付く。となれば――
「…やっぱり」
 近くの泉で顔を映したオーマが、自らの身体を眺めながらどこか当たり前のように呟いた。
「あの頃の姿、そのままか――」
 日が暮れると、過去…それも断片的なものでしかないが、その記憶に当てはまるような光景が遠くに浮かんで見えた。
 その周囲だけは空気が淀み、水も汚れ、夜は空を眺めても星空はなかなか見えなかった筈だ。
 その代わり、地上に星が降りてきたように、街は眠りを知らず、煌々と辺りを照らしている。それを当たり前と思って暮らす、エルザードでは思いも付かない数の人々が、あの巨大な都市の中で生きている。
 ――今も空に浮かんでいるであろう、浮遊都市の中央部。
 数え切れない程のビルが建ち並び、都市を囲むようにベッドタウンが点在する…あの地区が、『今』はそっくりそのまま空中にある。
 そう。
 ロストソイルさえ起きなければ、人々は今の暮らしを享受し続けただろう。
 そして――オーマたちのような、歪な異端が、具現能力者が生まれる事も無かった筈だ。
 筈、と言うのは…異端者、ヴァンサーの素質を持った者たちは全て災厄後に生まれて来ているからだ。ウォズしかり、具現の力しかり。
 それを、公害のせいだとする者もいた。何らかの化学物質に汚染された子らだと。
 一部ではその説は支持されていたが、ある時期を越えるまでは一切それらの兆候が無かった事に対する科学的な説明は成されず、いつの間にか立ち消えになっていた。
 そんなことを研究するよりも、実際襲い来るウォズたちに対し戦力になるヴァンサーたちを育成した方がずっと理に叶っていたからだ。
「そうだよなぁ…ここもこんな世界だったんだよなぁ」
 遠くに都市を眺めているせいか、この辺りの空気は澄んでいて心地良い。
 草原にどさりと身を横たえ、くすぐったく耳を刺す草を手で除けながら、空を見上げる。
 ――具現能力者がロストソイル『後』に現れているのならば、オーマがロストソイル『前』を記憶しているのは、少々奇妙な話なのだが…オーマ自身はその事に気付いていないのか、気にする様子はまるでなかった。

 異変は――その時、起こった。

「!?」
 とろとろと眠りかけていたその身体が先に異変に反応した。吐き気を催すめまいを感じ、がばと跳ね起きる。
 その目に映った『世界』は、まるで誰かが退屈しのぎに握り潰したように、激しい歪みを生じていた。その歪みは都市部からの禍々しい何かを感じさせる光によって生まれたのか、それとも別の理由からなのか、大地も、空も、人々が暮らす場所も全て含めてぐにゃりと溶け、曲がり始めていた。
 同時に、大地がそれに対抗するかのように唸り声を上げて身体を揺さぶり始め、その動きに連動した海がゆらりと揺らぐと巨大な波を持ち上げて空へと投げ上げる。

 ロストソイル――災厄の日。

 その、『予兆』がここにあった。

*****

 能力者を『生んで』しまう程の強力な力。
 それに激しく反発した『世界』すら押さえ込んだ力。
 それが――沢山の、何万、何十万と言う魂をひとくちで飲み込んだ『それ』が、後に言う――ロストソイル。
 生き残った者たちは、異変が起こった世界に恐れをなし、空へと逃げたが…原因はそこには無い。
 世界はただ、身悶えしただけ。
 …自らに侵食し、変化させようとした『力』に反発して。

 ――覚えていた、と、思う。

 世界の異変を、『知っていた』と思う。
 だが、その異変の最初の一歩――そこに至る経緯だけは、どうしても頭に浮かんで来ない。
 それは、消去された記憶なのか、それとも…
 ぶるん、と頭を振ると、オーマは自らを包んでいた膜をゆっくりと解きほぐして外へ出た。
「…ふーん。やっぱりあなたなんだ」
 降り立った場所は、ウォズとの出会いの場。何か待つように木の下に座り込んでいたウォズが、出て来たオーマへと声をかける。
「やっぱりって何だ?」
「ぼくの封印から最初に出て来るひと。…どうやらあなたは、純正のヴァンサーじゃないらしいね」
「純正か純血かはしらねえが、初期型だからな――ってちょっと待て。この封印っつうのは、出てこれるモノなのか?」
「ヴァンサーらしいヴァンサー以外はね」
「…どう言うことだ、そりゃあ」
「考えた事は無い?何故、ヴァンサーがウォズを封じるのか」
「何故ってそりゃ、ウォズが街を、人を襲うからだろ?」
「表向きはね」
 少年が真っ直ぐオーマを見やり、
「――本来のヴァンサーは違う。あれは、ウォズを封じるためだけに存在するもの。だから、その他の人生に生き甲斐を見出す事なんて無い」
 ――孤高を保ち。自ら以外を頼む事無く――
「だってそれが存在理由なんだから」
 すとん、と、何かがオーマの中に刺さった気がした。
「その戒めにがんじがらめに縛られているヴァンサーの鎖を浄化するんだ。だから、その鎖からとうに外れたヴァンサーには、『封印』は効かないんだよ」
 ああ、そうだ。
 鎖が外れたきっかけは、家族と言う存在。
 ウォズに対し、常に封印と考えなくなったのも、その辺りからでは無かったか――。

*****

 行方不明になっていたヴァンサーが戻って来たと言う話は、それから暫くしてオーマの耳にも届いた。何でも、記憶が混濁しているために、行方不明になる以前の事も良く覚えていないらしい。
 ずっと夢を見ていたようだったと言う者もいたと言う。
 その話を聞いたオーマは、「そうか」と何やら頷きつつ答えただけだった。
 ――あの奇妙な能力を持つウォズの事は、1人を除き誰にも教えてはいない。何となくだが、知らせる気になれなかったのだ。
 『災厄の日』の事を見せられた、と言う事も、彼の事を話さずに済ますきっかけになっていたのかもしれない。
 何故、あんな映像を見たのか。
 何故、あれを見た日から、小さなしこりが胸の中に出来ているのか。
 それすら…どうしても、分からないまま。

『それが存在理由なんだから』

 少年が言った言葉は、いつまでも消える事が無かった。


-END-