<東京怪談ノベル(シングル)>
白い雪が招いたもの
薄灰色の空から、真っ白い雪がチラチラと降りてくる。
それはとても綺麗な色だけど、同時に、ひどく残酷。
冷たい雪は手足を真っ赤に染め上げて、凍える体は言う事を聞いてくれない。
……そういえば、最後に何か食べたのはいつだったっけ……。
寒さはティナの体の自由だけではなく、食べ物までも奪っていった。
ぼんやりとする頭で、お腹が減ったなあ、なんてことも考える。
「……?」
ふんわりと、体を包み込んだ何かにティナは首を傾げた。
けれど今は眠くて。
とにかく眠くて。
暖かさにますます眠気が強くなっていく。
誰かの声が聞こえたような気もしたけれど、それを追及する気にもならなくて。
ティナは、ゆっくりと意識を手放した
† † † † †
目が覚めた瞬間、視界に飛び込んできたのは見た覚えのない天井と壁。
もともと外で暮らしていて、人間の街に連れてこられて初めてこういった家というものを知ったティナにとって、家なんて言うのは、苛められた嫌な思い出しかない場所だ。
当然ティナは警戒心いっぱいに周囲を確認し、とりあえずは今この部屋に自分しかいないことを安堵する。
窓は――ある。けれどティナが出ていけるほどの大きさじゃない。
扉は――視線を向けたのとほぼ同時。ガチャリと音がして向こう側から扉が開かれた。
警戒心剥き出しに唸り声をあげたティナに、だが彼は、にこりと嬉しそうに笑った。
「よかった、目が覚めたんだね」
今までの人間の笑みとはどこか違う。けれどそれをすぐ受け入れるには、ティナが体験してきた現実は悲惨すぎた。
優しい人間という存在を知らないティナにとって、人間はイコール酷いことをするもの、なのだ。
「待ってて。何か暖かい物を持ってくるよ」
昔と違い、人間の言葉がわかるようになっているティナは、彼の言葉の意味は理解できた。だが、信じることはできなかった。
けれどしばらくののちティナの前に戻ってきた彼は、宣言通りに暖かいスープを持ってやって来た。
にこにこと、何故か嬉しそうに笑って、スープの入った器を持ってティナの傍に来ようとする。
「来るな!」
途端ティナは、思いっきり叫んで牙を剥き出しにして威嚇をした。
目立って人間と違うのは尻尾と耳であるが、ティナと人間の差違はそれだけではない。感覚や身体能力はもとより、爪や牙なども充分武器として使えるくらいの鋭さを持っているのだ。
警戒心を顕にするティナの様子にしばらく思案する様子を見せた彼は、苦笑してからコトンとスープを下に置いた。
「わかったよ。それじゃあ僕はこれ以上近づかない。すぐに出ていくから……ちゃんと食べてくれよ?」
そう言い残して、彼は扉の向こうへと去って行く。
彼の足音が充分に去ったのを確認してから、ティナはそっとスープの方をうかがった。
お腹は、すごく減っているのだけど。
食べる気には、なれなかった。
結局スープはそのまま放置して、ティナは部屋の隅で丸くなる。眠っている間は、空腹を感じずにすむから。
† † † † †
彼はなんとも棍気強かった。
ティナがどんなに警戒心を顕にし、威嚇し、時には傷つけたりもしたのに。
それでも彼は、笑顔を絶やさず毎日食べ物を持ってきて、穏やかに話しかけてくれた。
最初は、また酷いことをされるのでは? と警戒していたティナの心に変化が生まれるまで、そう時間はかからなかった。
警戒心は次第に戸惑いへと変化していく。
人間なのにどうして? ――抱いた思いを直接問いはしなかったけれど。
ティナの内心の変化は彼もすぐに気付けたらしい。
彼の瞳は心配そうなそれから少しずつ、ほっとした嬉しそうな雰囲気に変わっていったから。
出された食べ物に近づくようになり、少しずつだが食べるようになり。最終的には彼が部屋の中にいる時でも食べ物に口をつけるようにもなった。
人間そっくりの外見ながら、四つ足で行動したり手を使わずに食べたりとその行動は極めて獣に近いものであったが、彼がそれを気にする様子はなく。
ティナが食べる様子をにこにこと、それはそれは嬉しそうな表情で眺める。
「元気になったみたいで、本当に良かった」
最初に『来るな』と叫んだっきり喋ることのなかったティナに、彼は飽きることなく話しかけてくれた。
……彼は、ティナがこのままここにいることを疑ってもいないようだった。
だがティナは、そろそろここを出ようかと考えている。
確かに彼は優しいけれど、ティナとしては、やはり外で自由にしている方が好きなのだ。
それは、よく晴れた空の青い日。
冬の一番寒い季節はすでに過ぎ去り、これから少しずつ暖かくなっていくという頃。
ティナは、彼のもとを出て行きひとりの生活に戻った。
彼の家の玄関前に、お礼代わりの野の花を残して――。
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